戦略計画 『日の場合』-8
『連合』領惑星イピリアの星庁に、政府と軍の高官が集合している。宇宙軍司令官、地上軍司令官に加え、内務局長、外務局長、産業局長等も集まっており、もしここで爆弾テロなどが発生した場合、人類世界の歴史にかなりの影響が出る事が予想された。
無論そのような事態を避けるため、庁舎は軍が警備しているし、周辺のビルは住民を立ち退かせたうえで要塞化されている。さらに庁舎からは大量のアンテナと共に対空砲陣地まで設置されており、まるで『連合』本来の首都ペリクレスが引っ越してきたような様相だった。
もっとも、それも当然かもしれない。イピリア政府は既に歴史的な『連合』領の8割以上を占領し、軍の殆どを握っている。『連合』の元の政府であるリントヴルム政府は、首都惑星リントヴルムを中心とする一部の星系に辛うじて残存しているだけだ。
もはや『連合』の実質的な政府は紛れもなくイピリア政府であり、『連合』の首都惑星はイピリアで首都はイピリアの星都ソロン市と言って良いのだ。
そして最後に入室したイピリア政府の最高指導者、つまりは実質的には『連合』の指導者である救世教第一司教が、優雅な所作で星庁会議室中央の豪奢だが古めかしい椅子に着座した。これからの大方針を巡る会議の始まりである。
ちなみに彼女が座っている椅子はイピリア政府成立前には最後の救世教国家であった、旧ゴルディエフ軍閥領の歴代指導者が使っていたもので、紆余曲折を経てイピリア政府の手に渡っている。
滅びた国の遺物を使うのは縁起が悪いという声も一部にはあったが、第一司教はこの椅子が気に入っているらしかった。
「惑星ファブニルの最新情報が来ています。『共和国』軍は近々、我が国への侵攻作戦を開始するようです」
第一司教は出し抜けにそう言うと、先日ファブニルに対する強硬偵察を実施したバラグーダが撮影した写真をモニターに表示した。
青みがかった惑星の軌道上には、開戦時には存在しなかった大量のドックと軌道エレベーター発着場が作られている。『共和国』がファブニルの基地化を急ピッチで進めている証拠だった。
その周囲にいるのは巨大な艦隊だ。遠くからの撮影なので光点としてしか映っていないが、おそらくは2000隻以上が軌道上に点在している。
軍人たち、特に宇宙軍関係者は声にならない声を上げた。ファブニルに展開する『共和国』宇宙軍の数は、明らかに今の『連合』宇宙軍の総数より多い。
さらに次の写真を見て、彼らは呻いた。艦隊の内部に多数の輸送船がいる。しかもその輸送船は形状から見て、明らかに『連合』製だった。
「見ての通り、『共和国』軍は第二次ファブニル会戦でリントヴルム政府軍から鹵獲した輸送船泊を、自軍に組み込んでいます。彼らが予想より早く、ファブニルの基地化を完了したのもそのためでしょうね」
第一司教が淡々とした口調で説明し、軍人たちが顔をしかめた。第二次ファブニル会戦の結果は『連合』リントヴルム政府軍にとっては破滅的だったが、イピリア政府にとってもどちらかと言えば不本意なものだった。
敗北して帰ってくるリントヴルム政府軍主力を鹵獲して自軍戦力に組み入れるはずが、敗残の艦が『共和国』の手に渡ってしまったからだ。
お蔭で生じているのが、『共和国』宇宙軍の戦力が『連合』宇宙軍を上回っているという目下の異常事態だ。戦術能力では未だに『共和国』宇宙軍が上回っているというオルトロス星域会戦の戦訓を考えると、これは『連合』にとって容易ならぬ状況だった。
「現在の我が国が迎撃に投入できる宇宙軍戦力は8個艦隊、総数1800隻。対する『共和国』宇宙軍は9個艦隊から12個艦隊を侵攻作戦に投入してくると見られています。総数は2000隻から2500隻となり、わが軍を明らかに上回ります」
イピリア政府宇宙軍参謀長のロル・ビドー中将は、第一司教の後を継ぐように現況を説明した。『共和国』宇宙軍の書類上の戦力は16個艦隊、始まろうとしている侵攻作戦ではその過半数が投入されると、宇宙軍では分析していた。
「さらに『共和国』の圧力を受け、『自由国』及び『連盟』が我が国に宣戦布告を行う見込みです。『自由国』軍は4個艦隊、『連盟』軍は2個艦隊程度を我が国に対して投入してくるでしょう」
「宇宙軍は約2倍の戦力か…」
国内政治を担当する大司教の1人が、数字を改めて確認しながら呻いた。成立しつつある世界唯一の救世教国家は、3か国に袋叩きにされようとしている。その救世教の聖職者としては耐え難い事態だろう。同じ救世教徒としてビドーは思った。
しかも潜在的な敵はその3か国だけではない。『共和国』は他国にも対『連合』戦争参加を呼び掛けている。同国は対『連合』戦争を、救世教国家を打倒して宗教テロリストの根源を叩き潰す聖戦と位置付けているのだ。
「救世教の地球時代的野蛮の浸透を食い止める文明国家の戦い」、『共和国』は国内向けと国外向けを問わず、そのような標語で戦争の大義を主張していた。
なおこの標語にはただのプロパガンダと言い切れない部分がある。元々イピリア政府は、旧『連合』政府下で迫害や冷遇を受けていた集団が作った政府だ。そして人類世界の大半の国家は、旧『連合』政府に類似した政治体制を持つ。
となれば『連合』政府の存在それ自体が、他国にとって目障りな存在になって当然だった。
しかも新政府は国内宣伝において、自国を半ば確信犯的に「歴史上初めて平民階級が主役となった国。貧者と被抑圧者の祖国」等と呼んでいる。救世教徒以外の勢力の支持を取り付けるためだが、革命の扇動と言われても仕方がない。
加えて『連合』でイピリア政府が誕生して以来、各国で救世教徒及び平民階級の武装組織による活動が活発化しているという事実がある。
多くは勝手に蜂起しているだけだが、中にはイピリア政府に支援を求めてきた集団もいた。『連合』新政府は宗教テロの源泉であるという『共和国』の主張は、大幅に誇張されているにせよ根拠がないわけではない。
最悪の場合、人類世界全てを相手にすることになる。軍内ではそんな不吉な予測もあった。旧政府時代から、『連合』はその巨大さゆえに数えきれないほどの外交問題を抱えている。
そこに『共和国』が、救世教国家打倒という格好の大義名分を与えてくれた。外交問題の最終的な解決を狙って、周辺国が揃って侵攻してくることも無いとは言い切れないのだ。
「ただ今のところ、我が国と戦争状態にあるのは3か国。そのうち真の脅威は『共和国』のみです。『自由国』軍も『連盟』軍も、質量ともに我が軍に遠く及びません」
ビドーは会議の出席者の表情が焦燥から絶望に変わり始めたのを見て、慌てて説明を付け加えた。全世界を相手にするというのは、あくまで最悪の場合の話だ。実際の所各国には様々な事情があり、対『連合』戦争に踏み切れるような国は少なかった。
まず『連合』と航路使用権で揉めている『独立星系同盟』は、現在深刻な経済危機にあり、失業者の暴動に給料が遅配状態にある軍の一部が合流、実質的な内戦状態になっている。とても対外戦争を行えるような状態ではない。
次に国境沿いの資源惑星の管理権を巡る係争が続いていた『民主国』は、国内に多数の救世教徒を抱えているばかりか、軍内にも救世教徒がかなり浸透している。この状態で『連合』新政府に宣戦布告すれば、何が起こるかは予測がつかない。
よって同国についても、『共和国』側に立って戦争に加わる可能性は考えにくい。
このように『連合』には潜在的な敵国が多くいるとはいえ、本当の敵国になりそうな国は今のところあまり無い。戦況が余程『連合』不利にならない限り、『共和国』の半属国である『自由国』と『連盟』以外の国が戦列に加わる可能性は低かった。
さらにこの2か国だが、その軍隊の戦闘力には控えめに言っても疑問符が付く。
まず『自由国』は以前の戦争で『共和国』に大敗し、戦前に存在した軍人の6割を失った状態で終戦を迎えた。これ程の人的資源の損失を、3年に満たない間に補填できた可能性は極めて低い。現在の『自由国』軍の戦闘力は、激減した額面上の戦力よりさらに劣ると考えられる。
次の『連盟』は人口70億人に満たない貧しい小国である。今回の戦争には、『共和国』の圧力を受けて仕方なく参加しているだけだ。国内では戦闘が実際に始まらないうちから反戦デモが頻発、その鎮圧に『共和国』内務局直轄軍の力を借りる有様らしい。
つまり3か国連合軍と言っても実質的な主力は『共和国』軍のみで、後は数合わせに過ぎない。『共和国』さえ倒せば後の2か国は自然に屈服すると、ビドーは判断していた。
「また『共和国』宇宙軍の侵攻目標ですが、ほぼ間違いなくファブニルからスレイブニル、フルングニルと伸びてリントヴルムに達する軸です。最も頻繁に偵察機が飛来しているのはこの軸ですし、地政学的に見てもこの軸を攻めるのが最も合理的かと」
続いてビドーは、予想される『共和国』軍の動きについて説明した。『連合』はほぼどこから見ても深い縦深を持つ国だが、このファブニルーリントヴルム軸だけは例外だ。この軸を占領されれば重要な工業地帯を失うのみならず、主要国内航路の大部分が『共和国』宇宙軍の管制下に置かれる。
ファブニルが『連合』と『共和国』の長年の係争地となり、リントヴルム政府がファブニル奪還に拘ったのも、一つにはこれが理由だった。
「『共和国』がこちらの意表を衝く可能性はありませんか? 例えばゲリュオンを経由してこのイピリアを攻撃するとか?」
地上軍の高官の1人が、ビドーの推測に異議を唱えた。かなり大規模な港湾設備を持つ惑星ゲリュオンは『自由国』領だが、『共和国』―『自由国』戦争の結果、『共和国』軍が駐留している。そしてゲリュオンから2つの惑星を経由すれば、このイピリアにたどり着くのだ。
ファブニルへの艦隊集結は欺瞞で、実はゲリュオンから艦隊が出現して現在の首都惑星イピリアを攻略するという作戦もあり得る。その高官はそう思っているらしい。
「可能性が無いことはありませんが、あまり考えなくてもいいでしょう。イピリアが落ちても、我が国にとっては致命傷にはなりません」
ビドーはそう答えた。この惑星イピリアはそれなりの工業設備を持つ星だが、イピリア程度の工業惑星は他にもある。たとえ『共和国』に占領されても致命傷にはなりえない。
そもそも現在のイピリア政府の領土を考えればイピリアは端に寄り過ぎており、遷都が行われる予定だ。『共和国』がわざわざ大層な欺瞞までして、そのイピリアを攻撃するというのは考えがたい。
「逆に最も懸念されるのは、リントヴルム政府が再び『共和国』と手を結ぶ可能性です」
しばらく黙っていた第一司教が話を引き継ぐと、現在の『連合』領土を表示した。旧ゴルディエフ軍閥領は『共和国』占領下にあることを示す青、他の大半はイピリア政府統治下にあることを示す緑で染められている。
だが殆ど一面緑に染まっている昔ながらの『連合』領に、僅かだがリントヴルム政府統治下の惑星であることを示す赤が混ざっていた。赤色は主に、『連合』の伝統的な首都惑星リントヴルムを中心とする惑星群に集まっている。
「現在、リントヴルム政府の領土は往時の2割にも満たない規模ですが、問題はその領土が宇宙軍参謀長の説明した、我が国の脆弱な軸に位置していることです。彼らが『共和国』と手を組んだ場合、我が国の国土は二分されるリスクがあります」
第一司教が淡々と説明を続ける。旧ゴルディエフ軍閥領を失った現在、乱暴に説明すると『連合』の領土は瓢箪型になっている。高密度で有人惑星が存在する2つの地域を、低密度にしか存在しない地域が繋いでいるのだ。
この低密度地域が、宇宙軍が言うところの「脆弱な軸」だった。ファブニルからリントヴルムにまで伸びるこの軸を攻めれば、比較的少数の惑星を占領するだけで『連合』の国土を二分できるからだ。
なお高密度で有人惑星が存在する1つ目の地域は人類の故郷である地球を中心とし、2つ目の地域はこの惑星イピリアを中心としている。
今回の内戦におけるイピリア政府はまずイピリアを中心とする地域を占領し、オルトロス星域会戦終了後に地球を中心とする地域の大半をも制圧した。現在イピリア政府の領土は旧『連合』領の8割強にまで広がっている。
だがその領土は素人目に見ても歪な形をしていた。まず『共和国』からはファブニルを中心とする青い突出部が伸び、両地域の連絡線を脅かしている。一方で『連合』リントヴルム政府は未だ、リントヴルム及びグレンデルを中心とした惑星群で頑張っている。
緑に染まった2つの地域を繋いでいるのはスレイブニル、フルングニルの2惑星だけで、その線はいかにもか細かった。『共和国』にファブニルを占領されたことに加えてリントヴルム政府が残存していることで、脆弱な軸はさらに脆弱になっているのだ。
ここで『共和国』とリントヴルム政府が協力関係を結べば、イピリア政府の領土は完全に2つに分断されかねない。
『連合』の産業は『共和国』に比べて恒星間分業が進んでいない分航路切断に対する耐性が強いが、それでも2つの主要地域を繋ぐ航路が使えなくなれば大打撃となるだろう。軍拡計画も、予定通りには進められなくなる可能性が高い。
「『日の場合』計画によって、リントヴルム政府領と『共和国』領は完全に切り離されました。両者の接触を心配する必要はあまり無いのでは?」
第五十一分艦隊司令官のアーネスト・チェンバース少将が怪訝そうに質問した。イピリア政府軍は『日の場合』と呼ばれる戦略計画に従い、第一段階として『共和国』と隣接する『連合』領の惑星を全て占領した。
『共和国』領にいるリントヴルム政府軍主力を彼らの領土から切り離すためだが、副次効果として両国間の連絡を困難にする目的もあった。
「どうかな? 航続距離の長い民間船や輸送艦なら往復可能だし、中立国で協議するという単純な手段も使える」
ビドーは第一司教に代わって、チェンバースの主張に異議を唱えた。確かに現在の地理環境では、『共和国』領とリントヴルム政府は完全に切り離されているように見える。普通の軍艦は輸送艦の随伴なしでは往復できなくなっているし恒星間通信も不可能だ。
しかし、やろうと思えば両国が協議する方法などいくらでもある。ビドーはそう思っていた。特に今のリントヴルム政府は軍と領土の大半を喪失して滅亡寸前の状態だ。ここで何とかして、『共和国』と連絡を取ろうとするのでは無いだろうか。
「『共和国』は既に一度、リントヴルム政府に裏切られています。その彼らが再同盟など考えるでしょうか?」
続いて第三十分艦隊司令官のディーター・エックワート少将が、別の観点から疑問を投げかけてきた。
リントヴルム政府は休戦協定を一方的に破棄して、『共和国』占領下の旧ゴルディエフ軍閥領に侵攻したことがある。国民感情を宥めるために失った領土を奪回したいという政治的事情及び、イピリア政府の口車に乗せられてのことだが、攻め込まれた方には関係ないことだ。
休戦協定締結早々に裏切り行為を行った相手を、『共和国』が信用するはずがない。エックワートはそう思っているようだ。
「普通に考えればその通りだが、リントヴルム政府はこれ以上ない取引材料を持っている」
「取引材料…ですか?」
「首都惑星リントヴルムそれ自体だ」
浅黒い顔に怪訝な表情を浮かべたエックワートに対し、ビドーはそう答えた。




