オルトロス後半戦ー10
(済まない…)
アーネスト・チェンバース准将は唇を噛みながら、次々にミサイルの雨に打たれて光球に代わっていく味方艦を見つめていた。隊列を整えずに最大戦速で突進しているため、各部隊は敵が実施したミサイル攻撃に対して脆弱になっている。
最終的に巡洋艦2隻と駆逐艦5隻が、15隻の『共和国』軍艦から放たれた60発のミサイルによって沈没ないし戦闘不能になった。
しかしその犠牲は無駄では無かった。巡洋艦1隻と駆逐艦14隻で構成された『共和国』軍ミサイル戦部隊はこれで発射筒に装填されていたミサイルを使いつくし、しばらくはミサイル攻撃が出来ない。
そして7隻の艦と引き換えに、残りの巡洋艦6隻、駆逐艦13隻は『共和国』軍隊列への突入に成功したのだ。
「これで状況は互角だ。これまでの恨みを晴らしてやれ!」
チェンバースは部隊を構成する全艦の乗員を焚き付けるような命令を出した。これまでの戦いで、『連合』側は散々な屈辱を味あわされた。
緒戦で駆逐艦2隻を撃沈されたのを皮切りに、巡洋艦同士の砲戦では一方的な遠距離砲撃を浴び、その後の待ち伏せも敵のミサイル攻撃によって不発に終わった。
だがこれから始まる戦いは、そのような屈辱とは無縁のものになるはずだった。『連合』側の突撃によって互いの隊列は完全に崩壊し、特に小回りの利きにくい巡洋艦同士の戦闘は完全な個艦単位のものとなっている。しかも『共和国』軍駆逐艦は最低でも後5分はミサイルを撃てない。
『共和国』軍の強みは艦隊運動能力と長射程ミサイルにあるが、チェンバースは乱戦を挑むことでその双方を封殺することに成功したのだ。
まず始まったのは、巡洋艦同士の砲戦だった。戦列を離れて『共和国』側の旗艦を探しているアコンカグアを除く『連合』軍巡洋艦4隻が、残った主砲で『共和国』軍のクレシー級2隻、マラーズギルト級2隻を砲撃する。
既に互いの距離は、観測機が無く、レーダーも使用不能という条件下でも十分な射撃精度が得られるほどに縮まっていた。
クレシー級、マラーズギルト級の艦上に次々と直撃の光が煌めき、破壊された艦上構造物の残骸が撒き散らされる。『連合』軍のコロプナ級巡洋艦(なおこの時点で、『共和国』側は同級の正式名称を知らず、「改カラコルム級」と便宜的に呼称していた)の主砲は、同級の巡洋艦ならいかなる国のいかなる艦の装甲でも貫く威力を持っていた。
対する『共和国』側も撃ち返す。距離が縮まったことによって荷電粒子の拡散度が小さくなり、威力に劣る『共和国』軍艦の主砲でも、何とか『連合』軍艦の装甲を打ち抜けるようになっていたのだ。
緒戦の遠距離砲戦で既に損傷を受けていたコロプナ級の艦上構造物は、『共和国』側が斉射を放つ度に吹き飛ばされ、主要防御区画の装甲すら貫通されて機関出力や発電能力が低下していく。緒戦における遠距離砲戦がアウトボクシングとすれば、これはノーガードの殴り合いそのものだった。
その中で真っ先に力尽きたのは、先ほどの戦いで射撃指揮所を粉砕され、射撃精度が大幅に低下していた『共和国』軍巡洋艦ヤムルークだった。同艦はほぼ致命的な一撃を受けた後も、砲塔各個照準で砲戦を続けていたが、それは半分盲目になった剣士が、やみくもに刀を振り回しているようなものだった。
時折幸運な1発がアコンカグアと入れ替わって同艦と撃ちあっているナムチャバルワを直撃するが、射撃指揮所を破壊された艦と、砲撃に関わる主要な設備が無傷の艦ではいかんせん射撃精度の差があり過ぎる。ヤムルークの砲撃が1発命中する間に、ナムチャバルワの砲撃は3発から4発が命中した。
全ての主砲塔を使用不能にされたヤムルークは両用砲を使ってなおも応戦を試みたが、破局はその前に訪れた。中央部から青白い閃光が溢れ出し、両用砲に取り付いていた砲員を一瞬で蒸発させた後、艦の外部に溢れ出したのだ。
打ち続く被弾の中で、残った応急科員の手が回らなくなり、機関に生じた損傷の制御に失敗、致命的な爆発が引き起こされたのだった。
「見ろ。1隻やったぞ!」
ヤムルーク沈没を確認したチェンバースは、敢えて粗野な言葉で部隊を督戦した。あの部隊は散々『連合』軍を苦しめてきたが、決して無敵でも不死身でもない。そのことを将兵に伝えるつもりだった。
もちろん接近砲戦においては、『連合』側も無傷ではいられない。沈没前に艦載艇での脱出に成功した100名ほどを除くヤムルークの乗員全員が蒸発した数十秒後に、彼らの報復は返された。
砲戦で光学機器の殆どを破壊され、有効な砲撃が出来なくなっていた『連合』軍巡洋艦キナバルに、『共和国』軍巡洋艦モンティフェルが急接近し、渾身の斉射を浴びせたのだ。コロプナ級は巡洋艦としては異常に強靭な防御力を持つが、その装甲も至近距離からの連続砲撃には流石に耐えられない。
キナバルの応急科は必死に対処しようとしたが、主砲に加えて両用砲まで使用した連続斉射を受けている状況下では、彼らの努力にも限界がある。応急科の限られた人員では到底全ての被害を修復できなかったし、数秒ごとに新たな被害が生じている中では、優先順位をつけることさえ困難だった。
「キナバル、轟沈しました!」
虚空に広がっていく青白い光球を見ながら、チェンバースの旗艦アコンカグアの索敵科が悲痛な声で報告する。コロプナ級巡洋艦は巡洋艦同士の砲戦では不沈と言われていたが、同級もまた、歴史上同じ称号を奉られた艦船につきものの運命を辿ったのだった。
(覚悟の上だ)
胸中に痛みを感じながらも、チェンバースは内心でそう呟いた。乱戦に入ってからの互いの被害は巡洋艦1隻ずつの沈没。少なくとも一方的にはやられていない。
これまであの部隊と交戦した『連合』軍部隊の殆どが相手に傷一つ負わせることも出来なかったことを考えれば、遥かにましな結果と言っていい。
「敵旗艦と思われる巡洋艦を発見。味方駆逐艦と交戦しています!」
続いて索敵科が、打って変った歓声を上げた。チェンバースが探していた敵旗艦が見つかったと言うのだ。
モニターに映るその艦は異様な姿をしていた。前半分はクレシー級巡洋艦に似ているが、後部には砲に代わって大量のアンテナと光学機器、そして巨大な箱のようなものが設置されている。巡洋艦に無理やり戦艦や空母用の機器を載せたという風情だ。
敵は以前の戦闘で機雷を使用したという報告があるから、或いは後部の箱は機雷庫かもしれない。いずれにせよ、何か特殊な目的のために造られた艦なのは間違いなかった。
異形の巡洋艦は駆逐艦を侍らせながら、ミサイル攻撃をかけようとしているこちらの駆逐艦を砲撃している。その艦自体の火力はそう大きくないようだが、味方に起きている事態を見てチェンバースたちは目を見張った。
駆逐艦の主砲の有効射程外にも関わらず、接近中の味方駆逐艦に次々と被弾の閃光が生じているのだ。その数はどう見ても、巡洋艦だけの砲撃によるものではない。
「あの艦が駆逐艦に射撃データを送っているのだと思われます」
参謀長のアルバトフ中佐が自らの推測を述べた。確かにあの馬鹿でかいアンテナと光学機器があれば、かなり遠方の艦にも正確に照準を合わせることが出来るだろう。通信能力についても、普通の巡洋艦より強化されている可能性が高い。
敵駆逐艦は旗艦を務める巡洋艦の力を借りて、自力では照準を合わせられない距離にいる『連合』軍駆逐艦を砲撃しているのだ。
「貴様の相手はこちらだ」
次々に撃退されていく味方駆逐艦を見ながら、チェンバースは敵旗艦に呼びかけた。乱戦という、艦隊戦指揮官の役割を半ば放棄したような戦いを挑んだのは、それに乗じて敵の指揮官を仕留めるためでもあったのだ。
あの指揮官が生き延びてより大規模な部隊を率いることになれば、必ずや『連合』軍に災いをもたらす。今のうちに倒しておかねばならない。チェンバースはそう判断し、旗艦アコンカグアに敢えて単独で敵旗艦を捜索させていた。
アコンカグアは旗艦だけあって最新型のレーダーと逆探を搭載しており、この種の任務に適していたからだ。
敵駆逐艦に襲われる危険があると幕僚の一部が反対したが、その可能性は極めて低いとチェンバースは踏んでいた。理由は敵がこれまでに発射したミサイルの数である。
『共和国』側のミサイル戦部隊は、旗艦の巡洋艦1隻と駆逐艦14隻で構成されていた。またこれまでの戦争で得られた情報から、艦隊型の『共和国』軍艦が持つミサイル発射筒の数は8基であることが分かっている。
つまり巡洋艦1隻と駆逐艦14隻の計15隻が放つことが出来るミサイルの数は、合計120発ということになる。
敵はこれまでに2回、対艦ミサイルを発射した。1回目は巡洋艦の針路妨害。2回目は突進してくる『連合』軍への迎撃だ。この2回の発射数を合計すると、ちょうど120発になる。
よって15隻の『共和国』軍艦は現在1発もミサイルを残しておらず、アコンカグアが駆逐艦によるミサイル攻撃を受ける可能性は無い。チェンバースはそう判断したのだ。
そしてその予測は正しかったようだ。単独航行している巡洋艦は駆逐艦部隊にとって極上の獲物であるにも関わらず、アコンカグアは一度も敵駆逐艦に襲われなかった。姿を見る事すら無かったのだ。
これまで姿を見なかった『共和国』軍駆逐艦はどうも、旗艦の周りに全て集まっているようだった。敵将はミサイルを撃ち尽くした駆逐艦を、『連合』軍駆逐艦から旗艦を守る護衛役として配置したらしい。
駆逐艦の貧弱な砲力でも、同じ駆逐艦なら撃沈できる。戦力の有効活用としては、なかなか見事だった。
しかし敵将には一つ誤算があった。チェンバースはそう思っている。アコンカグアが『共和国』側旗艦を探している事を知らず、その針路上に不用意に表れた事だ。しかも護衛役の駆逐艦たちは、アコンカグアに対しては何の役にも立たない。
「必ず、貴様を仕留めてみせる」
チェンバースは貴族的な顔に似つかわしくない好戦的な表情を浮かべて、発見された敵旗艦を見つめた。旗艦同士の一騎打ちとなるこの戦いには、『連合』にとっての災いの種を取り除くという意味もあるが、これまでに戦死した部下の仇討でもあるのだ。
『連合』側はこれまでの戦いで巡洋艦3隻と駆逐艦9隻を失っており、損傷艦も数多い。戦死者の合計は4000を超えるだろう。乱戦という非常手段を選んだことで、チェンバースの部隊は今まで無傷同然だった敵を傷つけることには成功したが、自らもそれ以上の深手を負ったのだ。
これ程多くの部下を死なせてしまった以上、それを強いた敵将を討ち取らなければ、チェンバースは自らを許すことが出来そうに無かった。
チェンバースの呼びかけが届いたかのように、敵旗艦は射撃目標をアコンカグアに変更した。ほぼ同時にアコンカグアも砲撃を開始する。
(砲戦向きの艦では無さそうだな。やはり指揮専用艦か)
敵が発揮している火力を見て、チェンバースは有利を確信した。アコンカグアが側面に14門の主砲を指向できるのに対し、こちらに飛んでくる光の筋の数は僅かに4本。しかも粒子の速度や密度は明らかに低い。
「他艦への情報支援に特化した艦なのでしょうな」
アルバトフもほぼ同じ推測を口にした。敵旗艦は遠方の艦の動きを観測し、そのデータを他の艦に送る能力を持つ。しかし自らの火力は『共和国』軍の基準に照らしても低く、戦闘力を発揮するには他の艦による支援が必要。そういう艦のようだ。
「ならば、こちらの勝ちだな」
チェンバースは微笑んだ。『共和国』軍巡洋艦は沈没するかこちらの巡洋艦と撃ちあっている途中で、戦闘に介入できる状態に無い。駆逐艦なら周囲に群がっているが、ミサイルを撃ち尽くした駆逐艦など巡洋艦にとっては毒針を失った蜂と同じで、何ら脅威にはならない。
だから敵旗艦は実質的に、アコンカグアと一対一の砲戦を強いられることになるのだ。砲戦能力では世界最強を誇るコロプナ級と貧弱な武装しか持たない指揮専用艦が撃ちあえば、結果は始める前から明らかだった。
チェンバースの推測を裏付けるように、敵旗艦はおざなりに砲撃をしながら逃げ回り始めた。異様な形状の艦体が電波妨害を行いながら不規則に回頭し、アコンカグアの砲撃を避けようとしている。
「いつまでも逃げ続けることは出来ないぞ」
そんな敵を見ながら、チェンバースは嘲笑した。回避運動は有効な戦術運動だが、それは逃げていれば状況が打開される場合に限ってのことだ。
そして今の『共和国』側には待つべき援軍はいない。回避運動を行っても、自らの死期を少し遅らせることにしかならないのは明らかだ。
或いはこちらが従来の『連合』軍巡洋艦なら機動力が劣っていたため、敵としては回避運動を行いながら振り切ることも可能だったかもしれない。しかしコロプナ級は『共和国』軍巡洋艦とほぼ同じ加速性能を持つ。敵将が逃亡を試みているなら、既に古くなったデータを基にした考え違いと言うしかない。
さらに『連合』側にとって好都合な事態が起きた。アコンカグアの後方に、アコンカグアとほぼ同じ姿を持つ巨大な巡洋艦が現れたのだ。
「マッキンリー、戦場に到着しました! 後20秒ほどで、砲戦に参加するということです」
通信科が報告すると、アコンカグア戦闘指揮所では一斉に歓声が上がった。コロプナ級巡洋艦のマッキンリーは前方の2隻が相次いでミサイル攻撃で沈み、その残骸を回避するために戦場到着が遅れていた艦だ。
チェンバースは既に同艦を戦力の勘定から外していたのだが、その考えは良い形で裏切られた。マッキンリーは結果的に、最良のタイミングで到着したのだ。
アコンカグアの左舷後方から現れたマッキンリーは、約束通りほぼ20秒後に敵旗艦への砲撃を開始した。
これで王手だとチェンバースは確信した。敵旗艦はしぶとく回避運動を続けているが、2隻がかりの砲撃をいつまでも躱し続けることは不可能だ。いずれは直撃が出る。敵の防御力がクレシー級と同程度だと仮定すれば、最初の直撃から10斉射もしないうちに沈むだろう。
そして敵将がいかに優れた艦隊戦指揮官であれ、今の状況を覆すことは出来ない。乱戦に持ち込む戦術が功を奏し、敵将が今使える手駒は、貧弱な火力しか持たない巡洋艦とミサイルを撃ち尽くした駆逐艦だけになっている。
これで2隻のコロプナ級を沈めることは、体当たりでもしない限り物理的に不可能なのだ。
(降伏勧告を送ってみてもいいかな)
そんなことまでチェンバースは考えた。敵将も今の状況が絶望的であることには気づいているはずだ。名誉より部下の生命を大切にする人間なら、意外にあっさりと降伏を受け入れるかもしれない。
『共和国』軍屈指の名将の生け捕りに成功すれば、宣伝効果は絶大だ。味方には勝利の象徴を、敵には絶望を与えることが出来る。
戦闘指揮所に漂うそのような楽観的な気分に水を差すように、索敵科から新たな報告が来た。
「敵駆逐艦、前進してきます。ミサイル攻撃を狙っているようです」
「ミサイル攻撃?」
チェンバースは首を捻った。確かに画面の中では一群の駆逐艦がアコンカグアに向かって前進している。その様子は対艦ミサイル攻撃の準備そのものに見える。しかし確か…
「はったりでしょう。ミサイルは撃ち尽くしているし、再装填も完了していないはずです」
チェンバースの前にアルバトフがそれを口にした。敵は装填されている120発のミサイル全てを発射済みだし、再装填に必要な時間も経過していない。
だからアルバトフの言う通り、敵駆逐艦の前進は本気の攻撃ではなく姑息な時間稼ぎと見るべきだ。
相手がミサイル攻撃を狙っていればこちらは回避を試みるが、そうなると敵旗艦への追撃が遅れる。敵将はそれを狙って、ミサイルを撃ち尽くした駆逐艦を使って攻撃を偽装したのだろう。
チェンバースはそう考えて駆逐艦群から目を離そうとしたが、寸前にあることに気付き、一瞬で全身から血の気が引くのを感じた。
「索敵科、前進してくる敵駆逐艦の正確な数を確認しろ! 大至急だ!」




