オルトロス後半戦ー7
チェンバースが『共和国』側の異常な命中精度について考え込んでいる間にも、砲戦は続いていた。ついにこれまで無傷だった2番艦ベルーハまでが直撃弾を受け、後部両用砲1基を破壊される。
「司令官、ここは第六十二巡洋艦戦隊と早めの合流を図っては?」
アルバトフ参謀長が進言した。このまま同じ条件での砲戦を続けたのでは確実に敗北する。ならば今の針路から見て前方にいる残り4隻の巡洋艦と早期に合流し、2:1の戦力を確保。数の力で押しつぶすべきだと言いたいのだろう。
チェンバースは一瞬、この進言に飛びつきかけた。第十八巡洋艦戦隊の各艦はまだ深刻な被害を受けていないが、極めて不利な状態にあるのは確かだ。ここは味方と合流し、不利な戦況を打開するのが常道だ。
だが結局、彼はその考えを捨てた。戦術の一般原則からすればこのまま合流するのが正しいが、逆に言うとあまりに杓子定規に過ぎて敵に予測されやすい。
戦術機動という行為の本質が、相手の次の行動を読んでその意表を突くことである以上、たとえ正しそうに見えても予測されやすい機動は行うべきではないのだ。
しかも敵巡洋艦は、前方に第六十二巡洋艦戦隊がいることを知りながら、針路を一切変えていない。いかにも怪しかった。
彼らは両巡洋艦戦隊がこの先合流することを恐れていない。むしろ望んでいる。チェンバースはそう推測していた。
合流を行おうとした瞬間に何らかの罠(おそらく、行方不明のままの駆逐艦14隻が関係する)が作動する。これまで散々味方を奇抜な戦法で苦しめてきた敵将の戦績と妙な行動は、そう疑わせるに十分だ。
問題はさらにある。合流したところで、敵の命中精度が異常に高いという問題が解決するわけではないということだ。
たとえ罠が仕掛けられていなくても、不利に変わりはないのだ。極端に言えばこのまま合流しても、『共和国』軍巡洋艦部隊にとっての的が増えるだけの話と言える。
(それにしても、あの命中精度はどのようにして生み出されている?)、チェンバースはモニターに向き直った。そこでは4隻の『共和国』軍巡洋艦が、こちらに向かって発砲を繰り返している。
4隻の巡洋艦は少なくとも粗い映像の中で見る限り、どこも特別には見えなかった。おそらく先頭の2隻がマラーズギルト級で、後方の2隻がクレシー級。少数の出現が報告されている『共和国』軍新型巡洋艦では無い。
何らかの改装を受けているという線もあるが、艦形を見る限りその可能性も低い。4隻の巡洋艦の形状はクレシー級、マラーズギルト級そのもので、特に光学機器やアンテナが大型化している訳でもなければ、これまでに無かった設備が艦上に追加されている訳でもない。
普通の『共和国』軍巡洋艦部隊、つまりは第十八巡洋艦戦隊にとっては本来なら鎧袖一触できる弱敵、以外の何物でもないように見えた。
だがその平凡な『共和国』軍巡洋艦4隻が、『連合』軍最強のコロプナ級巡洋艦4隻を苦戦させている。光学射撃が不可能とは言わないまでも非常に困難なはずの遠距離から次々に砲撃を命中させ、第十八巡洋艦戦隊の各艦を少しずつ、だが確実に切り刻んでいるのだ。
「通信科、付近から不審なレーダー波や通信波の発信が観測されていないか? 例えば、ステルス艦からと思われるような?」
次にチェンバースは、『連合』軍で開発プロジェクトが立ち上げられたが、途中で立ち消えになった兵器が、『共和国』軍で独自開発されて砲撃に協力しているのでは無いかと疑い、最も関連しそうな通信科に質問した。
レーダー波の反射を極力抑える船型を持ち、敵軍のレーダーに探知されない艦。そんな兵器の開発が、奇襲や遠距離砲戦時の観測任務用として、軍内で考案されたことがあったのだ。
『連合』におけるステルス艦の開発は、様々な理由があって中止された。
複雑な船型と特殊な複合材料が必要であるために、性能の割に許容しがたいほど高価な兵器になること。1発でも被弾すれば、ステルス性が失われること。そして敵からの発見を防ぐには、自らも通信波やレーダー波の発信を停止せねばならず、非ステルス艦からの情報協力が無ければ能力を発揮できないこと等が原因だ。
そのステルス艦だが、『共和国』は独自に開発して配備し、今回の砲戦に投入しているのではないか。チェンバースはそう推測したのだ。
国力で劣る『共和国』は正攻法で『連合』に勝てないと知っているせいか、妙な兵器を好む。長射程対艦ミサイルや長距離偵察機など、『連合』を含む他国が実用化に二の足を踏み続けた兵器を、同国だけは大量に生産して実戦投入しているのだ。ステルス艦を建造していてもおかしくない。
「それらしい電波は確認されていません。まあ、レーザー通信を利用している可能性ならありますが…」
モニターに出てきた通信科員は言葉を濁した。彼の言うとおりレーザー通信は無線通信と違って電波妨害環境でも利用でき、相手に探知される可能性も低い。
しかしそれはそれとして、チェンバースは通信科員の言葉が気に入らなかった。何やら、奥歯に物が挟まったような雰囲気を感じたのだ。
「意見があるなら、はっきり言いたまえ。リントヴルム政府時代とは違って、私は司令官だが君主では無い。今の我々は軍における階級こそ違うが、同じ亡命者という立場に変わりは無い」
チェンバースは半ば叱責するように、通信科員に発言を促した。彼と多くの部下たちは、元々リントヴルム政府軍に属していた。イピリア政府に鞍替えしたのは、内戦が始まってから3か月ほど経ってからのことである。
そのリントヴルム政府軍では、大佐以上の階級を持つ軍人に対する部下の意見表明が、殆ど有り得なかった。リントヴルム政府軍では財閥階級が惑星に君臨する君主兼軍司令官として振る舞い、平民出身の下士官兵や下級士官は部下というより臣下だったからだ。
そして支配階級たる財閥は絶対に間違いを犯さないとされ、敗北の責任は平民の誰かに押し付けられるのが通例だった。当然、平民の部下が財閥階級の上官の間違いを指摘すること等、あってはならない事とされていたのである。
しかしそのリントヴルム政府軍とは異なり、イピリア政府軍では血筋に基づく階級や、上官の無謬性は否定されている。大財閥出身のチェンバースも、高級士官ではあるがそれ以上の存在ではない。部下に命令を出す権限はあるが、全知全能でも無謬でもないのだ。
元々チェンバースがリントヴルム政府軍を見限った最大の理由が、高級士官に蔓延する無責任体質と、自分たちは平民より知的に優れているという根拠の無い優越感だった。
上官のそのような態度が、個々に見れば優秀な人間も多かった下級士官以下の軍人を委縮させ、必要最低限の事しか実行しないロボットに変えてしまっていたのだ。
亡命したイピリア政府軍においてまで、同じ慣行を繰り返させる訳にはいかない。チェンバースはそう思っていた。幾ら新兵器を揃えても軍の体質を改善できなければ、ファブニル星域会戦を初めとする敗北が繰り返されるだけなのだ。
チェンバースに促された通信科員は、覚悟を決めたように自らの思うところを述べた。
「では申し上げますが、敵のステルス艦が付近に存在する可能性は非常に低いと思われます。ステルス艦なら少なくとも大規模な航跡を引くはずですが、それらしきものは確認されていません」
「成程、道理だな。よく言ってくれた」
通信科員の意見に、チェンバースは頷いた。ステルス艦が開発中止となった最大の理由は、レーダーは誤魔化せても光学機器は誤魔化せないことだ。
数万トンから数十万トンの質量を持つ物体が宇宙空間を自由に進むためには、大量の高温ガスを噴射するという手段に頼らざるを得ない。そしてその高温ガスは光や熱源に乏しい宇宙空間では非常に目立ち、遥か彼方からでも観測できる。
宇宙軍艦は電子の眼に対して不可視であることは出来ても、赤外線探知機や人間の眼に見えない存在にはなり得ないのだ。
ステルス艦が近くに忍び寄っているとすれば、その航跡が観察できるはずだが、通信科も索敵科もそれらしいものを見つけてない。もちろん、不審な電波もだ。
となればやはり、『共和国』軍巡洋艦4隻は、独力であの命中精度をたたき出していると考えるしか無いのだろうか。
「ああ、そう言えば…」
通信科員が思い出したように付け加えた。リントヴルム政府軍ではあり得なかった高級士官への直言が咎められなかったことで、腹が据わったのかもしれない。
「砲戦突入前に、前衛の敵駆逐艦のさらに前方を航空機らしきものが飛んでいたと、索敵科の連中が言っておりました。緒戦の駆逐艦同士の戦闘の後では、どこに行ったやら分からないそうですが」
「航空機?」
チェンバースは首を捻った。相手は巡洋艦と駆逐艦だけで構成された部隊で、空母は含んでいない。戦闘で興奮した索敵科員の見間違いと考えて無視するのが、最も普通の対応だ。
しかし、この情報は無視すべきでは無い。大財閥出身者としては非常に豊富な、チェンバースの実戦経験がそう告げていた。
ステルス艦では無いにせよ、敵が何か他の兵器を使って射撃に必要なデータを収集しているという推測が、完全に的外れでは無かったとすれば…
「これより、他隊との合流を図る。だが敵が予測しているであろう場所では行わない。各部隊の針路は以下とせよ!」
自分の推測を確かめるため、チェンバースは新たな命令を出した。敵の命中率が光学射撃の精度を高める何らかの新兵器によるものなら、今命じた機動を行っても勝ち目は無い。
だがその可能性は低いとチェンバースは踏んでいた。この会戦では多くの砲戦が発生しているが、『共和国』軍の砲戦能力が顕著に向上していたという報告はあまり無い。
また数少ないその手の報告も、『共和国』軍新鋭艦についてのもので、今相手にしているクレシー級やマラーズギルト級に関するものでは無い。
と言うことは、異常に精度が高いあの砲撃は新兵器ではなく、これまでに確認されている兵器の組み合わせに依っているという可能性が極めて高い。ただそれを、今まで見つけることができなかっただけだ。
各部隊に針路の変更を指示しながら、チェンバースは大財閥の出身者に典型的な白い秀麗な顔に確かな笑みを浮かべていた。
推測が正しければ、こちらが敵にとって予想外の動きを取れば目に見える形で現れるはずだ。『共和国』軍巡洋艦に、異常なほどの射撃精度を与えているものが。
エルシー・サンドフォード飛行兵曹は、乗機のPA-25のコクピットから、砲戦の様子を見物していた。 『連合』軍巡洋艦のうち3隻の巨体には、約10秒おきに巨大な爆発光が走っている。一方、『共和国』軍巡洋艦は無傷のままだ。今のところ、味方が勝っているらしいことに、彼女は安堵していた。
なお飛んでいるのは彼女の機体だけでは無い。目には見えないが他にも3機が近くにいるし、さらに4機がエルシーから見て前方の宙域を警戒している。オルレアン艦載機隊の総出撃だった。
エルシーは機体と敵巡洋艦の位置を確認しながら、敵味方の発砲や直撃に伴う閃光の発生に合わせて、エンジンを一瞬だけ稼働させた。敵巡洋艦2番艦から取り残されそうになっていたPA-25の機体が前進し、再び定位置に付く。
その後、機体の下部に取り付けられているポッドが、僅かに動いた。ポッドに取り付けられた巨大なレンズが敵艦に向き、その後方からは通信用レーザーが味方巡洋艦に射出される。
それから約20秒後、敵巡洋艦2番艦の後部に青白い光が舞い散った。
「やった!」
エルシーはコクピット内で小さく歓声を上げた。彼女が観測を担当している敵2番艦だけが、これまで直撃を受けていない。味方2番艦の砲員の責任であってエルシーのせいでは無いが、何となく後ろめたかったのも事実だ。
その味方2番艦がようやく直撃弾を得た。これで味方巡洋艦4隻すべてが、敵巡洋艦を砲戦で仕留める準備を整えたことになる。
「それにしても、こういう使い方をされるとは思わなかったな」
今のところリコリス准将の戦法が成功しているのを確認しながら、エルシーは苦笑した。偵察ポッドを装備した航空機を使って射撃に必要な敵艦の位置データを集めること自体は、『共和国』軍においてはごく常識的な戦法だ。
ただリコリスの戦法が珍しかったのは、敵艦に向かって航空機を飛ばすのではなく、航空機を予め展開させた位置に敵艦を誘導するという形を取ったことだ。
『共和国』軍巡洋艦部隊は、誘いに乗るふりをして敵巡洋艦を航空機が予め展開していた宙域に誘導していった。リコリスはそうすることで、敵に観測機の存在を気取られないまま、戦闘を進めようとしたのだ。
電波妨害環境下では、軍艦に比べれば数百分の一以下の体積しか無い航空機を発見するのは非常に難しい。たとえ宇宙戦闘においては至近距離に当たる位置に航空機が浮かんでいても、よほど注意しない限りは発見できないのだ。そのことを利用した一種の奇襲戦法である。
ただ航空機が発見されにくいと言っても、それはあくまで何もしていない状態においてだ。通信波やレーダー波を発すればすぐに存在を察知されるし、逆探によって大体の位置までが突き止められてしまう。
そこでエルシーたちは、射撃データ収集は光学的手段に限定し、送信はレーザー通信のみを用いるように命令されていた。観測精度が低下しても、敵に見つからないことの方が大事。リコリスはそう判断したらしい。
また高速航行している敵艦を偵察ポッドの視界に捉えつづけるには機体を前進させなければならないが、その際の機動も最低限に抑えるようリコリスは命令してきていた。高速飛行する航空機の後部から噴出する高温ガスは、電波や軍艦が曳く巨大な航跡ほどでは無いにせよ発見されやすいためだ。
そこでエルシーは、主砲発射や直撃弾など、敵の光学装置の感度が自動的に落とされるであろう瞬間のみを狙ってエンジンを稼働させ、敵艦に遅れないようにしていた。
他の7人も、それぞれ思い思いの方法で、敵艦から身を隠していることだろう。
まるで救世教徒が言うところの天使になった気分だ。何度目か分からない短期間のエンジン噴射を行いながら、エルシーはふとそんなことを思いもした。
救世教の教義によれば、彼らの神に仕える天使たちは人間に対する不断の監視を続けており、機を見て神に報告しては相応しい罰を与えるよう進言するらしい。敵巡洋艦の位置情報を送信し続け、味方艦隊が砲撃という罰を与える手助けをするオルレアン艦載機隊は、その天使のようだった。
続いてエルシーは嫌なことを思い出して身震いした。彼女の遠い祖先である『首狩り公妃』、エレミア・サンドフォードが惑星アピスで組織した政治警察の名が確か、『天からの眼』だったのだ。
隠れ救世教徒だったとも言われているエレミアは、実質的に分裂状態だったアピスを、救世教時代初期を参考にした恐怖政治によって平定したことで知られている。
『天からの眼』はその際に大活躍した。アピスに割拠していた小財閥群や平民のテロ集団の陰謀全てを発見もしくは発明し、合計して400万人をギロチン送りにしたのだ。
その首は保存液に漬けられた状態で各都市の広場、及びエレミアの寝室や執務室に飾られ、潜在的な反対派に対する見せしめに利用された。『首狩り公妃』という綽名の由来である。
なおあまりに野蛮だとして反対する側近に対してエレミアが言い放った、「人間は恩を忘れるが、恐怖は忘れない」という言葉は、その後多くの名家に家訓として取り入れられている。
この「名言」通り、エレミアの統治期間中にアピスでは一度も大規模な反乱が発生せず、その経済は政治的安定を背景に堅実な成長を続けたためだ。
エルシーはいろいろな意味で有名な祖先の行状と、彼女と自分の行動の微妙な類似性を思い返しながらため息をついた。
エレミアは長い間血に飢えた暴君として扱われてきたが、最近では『共和国』の中央集権化のさきがけとなった偉人という側面が強調されることも多い。しかしだからと言って、その血の一部が自分に流れていることを素直に喜べるものでは無かった。
もちろんその間にも、敵艦の位置確認と機体の操縦は忘れない。従軍以来乗り続けているPA-25の機体は、手足のように動いて敵巡洋艦2番艦を最適な観測位置に捉える。そしてモニターに、敵2番艦艦上に更なる直撃の閃光が走る様子が観察された。
なお砲撃の結果はレーザー通信で味方巡洋艦に送られ、射撃精度をさらに高めるためのデータとして利用される。
「って、あれ?」
気楽な傍観者同然にその様子を眺めていたエルシーは、続いて敵2番艦に起きた変化を見て思わず声を上げた。航跡の大きさと形状が変わっている。明らかに加速度と針路を変えようとしていた。
しかも、『共和国』側が思ってもいなかった方向に向かって。




