オルトロス後半戦ー6
「巡洋艦部隊より入電。艦種不明だった接近中の敵艦はおそらく巡洋艦4、駆逐艦4ということです」
その空気を遮るように、通信科が報告して来る。こちらが巡洋艦を繰り出したのを見た『連合』軍は、同じ巡洋艦で真っ向からの砲戦を挑もうとしているらしい。
「巡洋艦部隊に命令。主砲戦距離ぎりぎりで右回頭し、敵を同航戦に誘え」
「同航戦?」
リーズはリコリスの命令に耳を疑った。『共和国』軍巡洋艦が『連合』軍巡洋艦に対し、火力と防御力を頼みにした殴り合いを挑むなど、正気の沙汰とは思えなかったのだ。
何しろ『連合』側には8隻もの巡洋艦がいる。しかも運動特性から見ると、その8隻は全てがこの戦いで初めて姿を現した新型。『連合』軍最強だったカラコルム級の機動性を高めた型だ。
対する『共和国』側の巡洋艦は5隻。しかも旗艦オルレアンの砲戦能力は「単独航行する駆逐艦には撃ち勝てる」程度で、戦力としてはまるで期待できない。
残り4隻にしたところで、かなりの幸運に恵まれなければカラコルム級に砲戦で勝てないことが、実戦で証明されてしまった艦だ。
今のところ砲戦を挑んできているのは敵巡洋艦8隻のうち4隻だが、『連合』側の立場で考えればそれで十分と言える。『連合』軍新鋭巡洋艦4隻の戦闘力は、『共和国』軍巡洋艦4隻のそれを大幅に上回っているからだ。
この状況下で同航戦という、彼我の戦力差が最も出やすい戦闘方式を選べば、待っているのはほぼ確実な敗北に他ならない。
「どうして、一時後退を選ばないんですか?」
「そんなことをしても、じり貧になるだけだからよ。あの敵は、一時後退の後で奇襲をかけられるほど甘くない」
「それは… そうかもしれませんが」
リーズは先ほど出撃した艦載機隊から送られてきた敵の位置情報を見ながら、とりあえずそう答えた。 確かに、今出てきている『連合』軍巡洋艦4隻との戦闘を回避しても、そこから戦闘の主導権を握るのは難しいだろう。敵の各部隊は羨ましくなるほど完全な連携を取っており、奇襲攻撃は不可能だからだ。
そしてこの場での砲戦を回避して戦闘時間を長引かせた場合、『共和国』側にとっていいことは何もない。現在のリコリス隊は『連合』軍艦隊内部に孤立しているも同然であり、時間が経てば経つほどに、新たな敵が戦闘に介入してくるからだ。
逆に言うと、それを知っているからこそ敵は巡洋艦に対抗して巡洋艦を持ち出すという、何の捻りもない行動を取ったのかもしれない。リーズはそうも思った。
敵にとってはリコリスが戦闘を回避すれば味方が集合するまでの時間を稼げるし、逆に戦闘に乗ってくれば艦の性能差を生かして勝利できる。どちらに転んでも損の無い取引であり、まさにリコリスが言うところの「余裕がある側がとる手堅い戦法」、そのものだった。
「でも本当に、こんな露骨な誘いに乗っていいんですか?」
リーズは戸惑った。戦闘を回避しても、じり貧になるというのはその通りかもしれない。だがだからといって、そのまま砲戦を行うというのはもっと問題ではないだろうか。
何しろ敵の指揮官は巡洋艦を突出させる事で、リコリス隊が砲戦に突入するよう誘いをかけてきている。それに乗るのは要するに敵の望みどおりの行動を取るということであり、戦闘指揮において戒められる所の「主導権の譲渡」では無いか。リーズにはそう感じられた。
「敵もそう思っているでしょうね」
リコリスは完璧に整った顔に薄い笑みを浮かべた。彼女の蒼い瞳には、自暴自棄に陥った人間が浮かべるそれとは明らかに異なる、強烈だが理知的な光が浮かんでいる。
「少尉、『連合』宇宙軍の強みは何だっけ?」
「艦の砲火力と防御力です。でも、どうして今になってそんな事を?」
『共和国』軍人にとって常識以前の質問を急に投げかけられたリーズは、一瞬面食らった後でそう応えた。『連合』軍の艦は一般に砲戦に強い。そして目の前の敵は『連合』軍艦にそのような特徴があるからこそ、巡洋艦を押し出して砲戦での決着を図っているのだ。
そこでリーズははっとした。まさかリコリスは、『連合』軍が砲戦に対して絶対の自信を持っていることを利用して、わざとそれに乗ったのだろうか。
「気づいたわね。砲戦に乗れば敵は間違いなく、戦闘が『連合』軍の土俵で行われると錯覚する。そこに落とし穴を仕掛けておこうという訳よ」
リコリスは人の悪そうな笑みを浮かべた。その視線の先では、『共和国』軍巡洋艦4隻と『連合』軍巡洋艦4隻の砲戦が始まっていた。
リコリスの敵手、アーネスト・チェンバース准将は、『共和国』軍が思いもかけず容易く砲戦に乗ってきたことに少し戸惑っていた。緒戦で前衛の『連合』軍第九十駆逐隊を蹴散らした『共和国』軍巡洋艦は、こちらの巡洋艦を見て後退するかと思いきや、そのまま前進してきたのだ。
「奇襲を放棄したのか?」
もうすぐレーダー射撃時の砲戦距離に入りそうな敵巡洋艦を見ながら、チェンバースは首を傾げた。彼の公式の役職は第十八巡洋艦戦隊司令官だが、実際には戦闘団の指揮官を兼任しており、巡洋艦10隻、駆逐艦24隻を指揮下に置いていた。
これまでの戦闘で合計6隻を戦列から失ったが、それでも巡洋艦8隻と駆逐艦20隻の戦力は、目の前の『共和国』軍部隊を大きく上回る。
この戦力差を考えると『共和国』軍は彼らが得意とする奇襲によって、それを縮めようとする可能性が高い。チェンバースはそう警戒していたのだが、その予想は何故かいい方向に裏切られたらしい。
或いは全方位からの攻撃に対応できる隊形が功を奏したのか、『共和国』軍は真っ向からの砲戦を挑んできている。これは『連合』軍にとって、非常に有利な条件での戦いとなる筈だった。
「第十八巡洋艦戦隊、敵巡洋艦を射程に捉え次第、砲撃開始」
チェンバースが直率するコロプナ級巡洋艦4隻の主砲塔が右舷前方に向かって旋回し、敵巡洋艦4隻に向かって斉射を敢行する。同時に敵巡洋艦4隻も、後退していく第九十駆逐隊から第十八巡洋艦戦隊に攻撃対象を変更した。
しばらくは延々と、直撃の出ない砲戦が続いた。双方が電波妨害を行っている為にレーダー射撃ができず、照準を光学的な手段のみに頼るしかない分、命中率が落ちているのだ。
しかもこの角度では双方が右舷前方に指向できる砲しか使えず、公算射撃の基本要素である砲の門数が足りない。膨大な電力をつぎ込んで加速された発光性粒子の束は、互いの艦に一発も命中することなく虚空を一瞬の間照らすだけだった。
「敵、本艦から見てやや左に回頭しました。わが隊に対して丁字を描くつもりかもしれません」
続いて索敵科員の報告。モニターを見るとさっきまで右舷前方にいた『共和国』軍巡洋艦が次々に回頭し、こちらの正面に艦腹を見せ始めている。
敵もこのままでは埒が明かないと判断し、丁字戦法によって多数の砲を先頭艦に集中、一気に決着を付けるつもりなのだろうか。
ただその割には、回頭のタイミングが早すぎる気もした。レーダー射撃ならこの程度の距離でいいが、今行われているような光学射撃ではやや遠すぎる。
回頭中の艦は全くの無防備になるので、それを警戒してこちらの砲撃が当たりにくい位置での転舵を選んだのだろうか。或いは、遠距離砲戦に自信があるのか。
「各艦、対抗してこちらも左に回頭せよ。このまま同航戦に入る」
チェンバースは素早く命令した。敵が丁字戦法を挑んできた場合、対処法は2つある。こちらからみて敵と逆の方向に回頭して反航戦に入るか、同方向に回頭して同航戦に入るかだ。
どちらが良くてどちらが悪いということも無いが、今回の場合は同航戦の方が得策。チェンバースはそう判断していた。
反航戦の場合、チェンバース直率の第十八巡洋艦戦隊は部隊を構成する他の艦、そして第二十三艦隊旗艦ベレジナからいったん離れる形になる。戦力の集中という原則に照らして賢明とは言えない。
対して同航戦なら、アコンカグアから見て左側にいる第六十二巡洋艦戦隊と連携を取ることができるし、後衛の駆逐艦からの支援も受けやすい。
やがて双方の巡洋艦4隻は、ほぼ平行に進みながら砲火を交し合うという典型的な同航戦の形に移行した。その横では互いの駆逐艦同士が牽制し合っている。艦種が戦艦で無いのがやや残念だが、まさに『連合』宇宙軍の得意とする戦闘である「正面切っての砲撃戦」、そのものに見える光景だ。
そう考えていたチェンバースの目の前にあるモニターの中に、青白い閃光が走った。後続の艦の様子を映し出していたモニターだ。そして約10秒後、同じような光が再度爆発した。
「コングール、被弾。損害は軽微ということです」
「やられたか」
チェンバースは舌打ちした。これまで双方に被害が出なかった砲戦だが、均衡は破られた。『連合』側の艦が先に被弾するという、こちらにとっては有難くない形で。
単なる不運なのか、『共和国』が光学兵装に関する技術では『連合』より半歩から一歩先を行っているからか。どちらにせよ、戦況はややこちらの不利に傾いたと考えるべきだろう。
ただ『連合』側にとって幸いなことに、コロプナ級巡洋艦の防御力はコングールを砲撃しているクレシー級巡洋艦の攻撃力に十分対抗しうるものだった。クレシー級の荷電粒子砲は、前級のカラコルム級を少し大きくして直線的にしたような外見と性能特性を持つコロプナ級の装甲表面を傷つけるか、あるいは非装甲部を貫通するだけだ。
もし立場が逆でコングールがクレシー級に直撃弾を与えていれば、後者はあっという間に戦闘不能になっただろう。
(それにしても、残りはどこにいる?)
チェンバースは砲戦の経過を眺めながら、ふと疑問を抱いた。敵巡洋艦5隻のうち、第十八巡洋艦戦隊と撃ち合っている4隻を除く残り1隻は所在不明のままだ。しかも駆逐艦18隻のうち、現在姿を見せているのはたった4隻。他は一体どこに移動したのだろうか。
「通信科、第九十五駆逐隊から何か連絡は無いか? あるいは後衛からの連絡は?」
「ありません」
もしや残り15隻の敵艦は、後方への機動を試みているのではないか。そう思ったチェンバースは一応確認してみたが、反対側を警戒する第九十五駆逐隊、あるいは後衛の2個駆逐隊ともに、敵と接触したという連絡は無いという。
チェンバースはとりあえず疑いを捨てた。いくら電波妨害下で索敵能力が低下しているとはいえ、12隻の駆逐艦全てが気づかないということは無いはずだ。敵がいつの間にか、こちらをすり抜けていたということは有りそうも無い。
となれば、敵はどこにいるのだろう。チェンバースは訝しんだ。
しかし次第に戦況は、どこにいるか分からない敵艦を気にしているどころでは無くなり始めた。行方不明の敵艦などより遥かに差し迫った脅威が、第十八巡洋艦戦隊に迫りつつあったからだ。
それは先に被弾したコングールの前方で、同艦の艦上に生じているのと同じ爆発光が発生するという形で、チェンバースたちに突き付けられた。
「キナバル、被弾」
「何だと?」
さらに被弾する巡洋艦が出たという報告を聞き、参謀長のクジマ・アルバトフ中佐が愕然とした表情を浮かべた。『連合』軍巡洋艦の方は、これまで1発も『共和国』軍巡洋艦に直撃を与えることができずにいる。対して敵はこちらの2隻に命中弾を与えたのだ。
『共和国』宇宙軍の方が光学技術で優れているのは事実だが、そこまで決定的な差がある訳ではない。これまでの両軍の戦歴を見ても、光学機器の性能差で『連合』側が砲戦に敗北した等という例は殆ど見当たらないのだ。
それなのに何故、今この場では両軍の命中精度に残酷なまでの差が出ているのだろうか。
それがまぐれ当りなどではない証拠に、キナバル、そして先に被弾したコングールへの直撃は連続した。『共和国』軍巡洋艦が発砲する度に、2隻の巡洋艦の装甲材が光をまき散らしながら削り取られ、あるいは機銃座やアンテナ、光学測距器などの脆弱な設備が破壊されていく。
一方で、『連合』側の砲撃は虚空を切るだけだ。砲戦を重視する『連合』宇宙軍にとっては、あまりに不名誉な展開だった。
さらに不愉快な出来事は続いた。2隻に取りあえずの回避運動を命じようとしていたチェンバースの正面にあったモニター上に、これまでとは比較にならないほど強烈な光が映し出されたのだ。今度は旗艦アコンカグア自身が被弾したらしい。
「右舷前部の非装甲部に被弾。第十兵員居住区が崩壊しました。破孔は現在修復中です」
応急科が被弾の場所とその被害についての連絡を送ってくる。チェンバースはそれを聞きながら、爪が掌に食い込むほどに強く拳を握りしめた。戦況がさらに不利になったことが、殆ど物理的な痛みとして胸に突き刺さるのを感じたのだ。
被弾したのは兵員居住区、取りあえず戦闘航行に支障が無い部位ではある。しかし問題は先に被弾した2隻に続き、旗艦アコンカグアまでが直撃を受けたことだ。
これで被弾した艦の数は『共和国』0に対して『連合』3となった。こちらの艦が攻防性能で勝ることを考慮しても、圧倒的な劣勢だ。いくら強力な砲でも当たらなければ屑鉄の塊に過ぎないし、どんな分厚い装甲も被弾し続ければいつかは破壊されるのだ。
「射撃指揮所、何をしている!? 早く命中させろ!」
堪り兼ねたらしいアルバトフが、砲戦に関する責任者を督戦した。
このままでは『連合』軍巡洋艦が、『共和国』軍巡洋艦に撃ち負ける。火力と装甲の優位を利用して敵を打ち倒すという戦術思想を持つ軍が、機動性における優位を生かしてミサイルを撃ち込むのを本命の戦術とする軍に正面からの砲戦で敗北するなど、恥晒しそのものだ。彼はそう言いたいのだろう。
「無理です! この距離でレーダーが使えないとなると、今程度の射撃精度で精いっぱいです!」
「敵は今の距離で当てているぞ!」
「待て、参謀長。射撃指揮所の言い分が正しい。わが方の命中率が低いのではなく、敵の命中率が異常に高いと考えるべきだ」
チェンバースはアルバトフの難詰を押しとどめた。現在の相互距離は、巡洋艦の主砲射程ぎりぎりに近い。この距離における砲撃を、光学情報だけで成功させるのは射撃指揮所の言う通り至難の業だ。
つまり問題なのは、『連合』側の射撃精度の低さではなく『共和国』側の射撃精度の高さだ。彼らが光学砲戦での命中精度を画期的に高める為の新兵器を開発したのか、あるいは…




