オルトロス後半戦ー1
「当然の判断か」
グアハルドは『共和国』軍の一時後退を見て呟いた。消極的な意味でも積極的な意味でも、敵の判断は正しい。そう認めざるを得なかった。
消極的な理由として、消耗戦は彼らにとって不利な戦いだ。国力で劣る『共和国』にとって軍艦、とくに戦艦のような大型艦は非常に貴重な存在だ。大量に喪失すればすぐには補充できず、次の戦いで十分な艦隊戦力を投入できなくなってしまう。
次に積極的な理由としては、いったん後退して機動戦に持ち込んだほうが『共和国』側にとって有利になる。『連合』宇宙軍が腰を据えての砲撃戦を本領とするのに対し、『共和国』宇宙軍の強みはあくまで機動戦にあるからだ。
優れた通信能力を生かして1000隻以上の軍艦を統一機動させる能力、これが『共和国』宇宙軍が持つ唯一無比の特徴なのだ。彼らが自らの最大の強みを生かそうとするのは当然だった。
「敵艦隊を追撃し、触接を保ち続けろ。ただし、必ず連携して動け」
グアハルドは束の間迷った後、覚悟を決めてそう命令した。逃げ去っていく『共和国』宇宙軍の大艦隊をこのまま放置するのはあまりにも危険だ。見失ってしまえば、また予期せぬ方向から襲ってくるに決まっている。
ここは慎重に追撃するしかない。相手の機動力を考えれば不利な戦いになることが確実だが、奇襲を受けるのを座して待つよりはましだ。
グアハルドの5個艦隊は、誘うように後退していく『共和国』宇宙軍を追い始めた。時折その先端で爆発光が出現する。『共和国』軍の後方部隊と『連合』軍の先鋒が激突しているのだ。
「やはり、手ごわいな…」
戦況を見ながらグアハルドは呻いた。追撃をかけているのは『連合』軍なのに、実質的な主導権を握っているのはどう見ても『共和国』軍の方だ。
彼らは後退しながらも兵力を自由に集結させ、好きなタイミングで『連合』軍に逆撃をかけてくる。『連合』側は豊富な予備兵力を用意して、一か所の敗北がそれ以上に広がることを防ぐしかなかった。
(救いは、リントヴルム政府軍も同じ敵と戦っていることだな)
各艦隊前方では数分おきに、そのままでは破滅につながりかねないような被害が生じている。それに対する対処を矢継ぎ早に命じながら、グアハルドはふと場違いなことを思い出した。
リントヴルム政府、イピリア政府と『連合』領土の覇権を奪い合っている勢力もまた、今頃は『共和国』領に侵入して戦闘を開始しているはずだ。
そしてリントヴルム政府軍はイピリア政府軍と違い、『共和国』軍との戦闘を経験したことがない(正確には、どこの国の正規軍との戦闘を経験したこともない)首都防衛軍を中核としている。気の毒だが、彼らが『共和国』宇宙軍に勝てる可能性は無きに等しい。
おそらくリントヴルム政府軍は数か月間動けないほどの被害を受けるか、あるいはそのまま戻ってこないだろう。後はイピリア政府軍が『共和国』軍を追い帰し、それなりの戦力を維持していれば、『連合』領土全てが自動的に転がり込んでくるはずだった。
そう考えていたグアハルドは、指揮下の5個艦隊のうち1つの様子を見て顔をしかめた。モニターの中で味方の1個艦隊を示す光点の集団が、『共和国』宇宙軍の内部に食い込んでいる。一見押しているように見えるが、明らかに誘いに乗ってしまっていた。
「第十四艦隊より入電、空襲で損傷した空母群と思われる集団を発見。追撃を開始したということです」
「呼び戻せ。おそらくは罠だ」
グアハルドは慌ててそう命令した。第十四艦隊の司令官は勇敢な人物で部下からの信頼も厚いが、やや軽率な所がある。その性格が悪い方向に出たようだ。
彼は複数の空母撃沈という大戦果を期待して自隊を突出させたのだろうが、現状のイピリア政府軍が『共和国』宇宙軍に機動戦を挑むのは無謀すぎる。
「イリム、轟沈しました。司令部の安否は確認されていませんが、恐らくは絶望的です」
「やはりか」
第十四艦隊旗艦が沈没したという報告を聞き、グアハルドは舌打ちした。空母の近くに潜んでいた駆逐艦か、あるいは対艦装備の戦闘機に襲われたのだろう。
グアハルドは周囲の部隊にも注意を呼び掛けるとともに、考え込んだ。予備として残していた分艦隊を第十四艦隊の救援に向かわせるべきだろうか。
救援を送った場合、より多くの艦を救えるが、一方で他のどこかで危機が発生した場合の予備兵力が不足する。目の前の危機に対処すべきか、それとも将来の危機に備えるべきか。
だがグアハルドが結論を出す前に、新たな光の列が出現して『共和国』軍の隊列に向かっていった。数は少ないが動きは『共和国』軍並みに早い。
「ストリウスが来てくれたか」
グアハルドは歓声を上げた。ダニエル・ストリウス中将の第二十三艦隊、『連合』軍きっての精鋭部隊が、救援に現れたのだ。
第二十三艦隊の到着によって、戦況は少なくとも同艦隊が存在する場所においては、『連合』軍の優位に傾いた。同艦隊の主力となっているドニエプル級戦艦はその火力と機動力によって、遭遇した『共和国』軍の隊列を痛快なほど呆気なく切り裂いていく。第二十三艦隊が出現した場所では、たちまち『共和国』軍艦艇の残骸が積み上げられた。
その活躍を眺めていた『連合』軍将兵の殆どは、第二十三艦隊の背後に奇妙な形状の巡洋艦を中心とする軍艦の小集団が接近している事に気付かなかった。
その集団、リコリス准将が指揮する巡洋艦5隻と駆逐艦18隻は、慎重に攻撃の機会を伺っていた。狙いは敵精鋭部隊の旗艦を撃沈すること、そして第2艦隊群の命綱である輸送艦に対する攻撃という万一の事態を防止することだった。
「この運動パターン… やっぱり、この連中は」
リコリスは司令官席で、そのようなことを呟いていた。手元にはファブニル星域会戦の戦闘経過を示した資料がある。
「どうなさいました?」
副官のリーズは何となく、彼女にそう声をかけた。リコリスが発する呟きは内容としては単なる独り言だが、思わず話しかけたくなるほどに深刻そうな口調だったからだ。
「あの敵艦隊の司令官は、ただ奇襲やドニエプル級戦艦の性能に頼っている訳では無いらしいということ。他の5個艦隊にしても、以前よりは格段に戦争が上手くなっている」
リコリスはそう言って振り向くと、今回の戦いの経過とファブニル星域会戦の経過を比較したデータを見せてくれた。
「確かに、『連合』軍は強くなっていますね」
殆どオウム返しだが、リーズはそう答えるしかなかった。リコリスのいう通り、奇襲効果が消えた後も『連合』軍は善戦している。ファブニルで惨敗したあの軍隊とは明らかに別物だった。
動きの鈍さという弱点は消えていないが、少なくとも以前のように、各部隊が命令を無視して勝手な行動を取った挙句に隊列を崩壊させるなどという醜態は晒していない。
軍隊として当然と言えば当然のことだが、それが出来ない軍隊を出来る軍隊に変えるのは容易なことではない。普通なら、大規模な人員の入れ替えと1年近い再訓練が必要だし、それでも失敗することが多い。
軍律の徹底というのは貴重かつ壊れやすい無形資産であり、一度失われてしまえば回復は容易ではないのだ。
だが『連合』イピリア政府は、僅か数か月で曲がりなりにも司令官の命令通りに動く軍隊を作り上げた。1個艦隊が『共和国』軍の罠に嵌るという不手際は見られたが、それも何とか回復させている。
リコリスがこの実績に脅威を感じていることは、リーズにも理解できた。
「一応、艦隊戦ではわが軍が勝っています。そこまで心配することではないのでは?」
だがリーズは敢えてそう聞いてみた。緒戦で敵精鋭艦隊の奇襲を受けて潰走した第11艦隊はともかく、他の艦隊は『連合』軍と互角以上に戦っている。双方の主力艦隊が全面対決を始めてからの損失比率は、『共和国』軍1に対して『連合』軍2だ。
『連合』軍は局地的にはしばしば『共和国』軍を破っているが、動きが鈍いために後が続かない。対する『共和国』軍は高速機動による戦力集中を得意としているため、簡単に戦果を拡張できる。その差が、この1:2という損失比率に表れていた。
イピリア政府軍は確かに、以前の『連合』軍(今でいうリントヴルム政府軍)と比較して格段に強くなっている。だがそれでも、彼らの能力は未だに『共和国』軍の水準には達していない。リコリスは悲観的に過ぎるのではないかと、リーズとしては思うのだ。
「今はね。でも例えば、全ての『連合』軍艦隊があの精鋭部隊の水準に達したら?」
リコリスはそう言うと、オルレアンを中心とする23隻が尾行している敵艦隊を示す光点群を指揮棒で指した。この精鋭部隊だけは『共和国』宇宙軍の艦隊に対し、明らかに優位に戦いを進めている。
高速艦による同時異方向からの攻撃、異なる艦種の協同、隊列の迅速な分離と再結合はあたかも『共和国』宇宙軍を見ているようだった。正確には、その理想形を。
「司令官、流石にそれは無理があるのでは? 高速部隊を運用できる優秀な司令官が『連合』にはそれほど…」
リーズはリコリスの懸念を敢えて笑い飛ばそうとしたが、途中で黙り込んだ。会戦の前半における戦いを思い出したのだ。
リコリスの部隊は緒戦で敵外周部の部隊を撃破しようとしたが、約30隻からなる敵に邪魔されて不完全な戦果しか上げられなかった。その30隻はリコリスとほぼ対等に渡り合い、大した被害も受けずに脱出している。
続いてリコリスたちは苦戦している第11艦隊の支援に向かったが、これも中途半端な結果に終わった。一応、第11艦隊の残存艦への追撃を鈍らせることには成功したが、思ったより戦果が上がらなかったのだ。
敵艦隊の旗艦にはとうとう近づけず、多数の敵艦を沈めることも出来なかった。あの精鋭部隊はドニエプル級戦艦の性能だけに頼っている訳では無いことを思い知らされた格好だ。
「その通り。『連合』には私たちが予想していたよりずっと、優秀な司令官がいるみたい。もちろん人口と生産力も」
リコリスが不安そうな口調で後を続けた。『連合』軍がこれまでに晒した醜態は、優秀な人材がいなかった為ではない。単にそれが活用されていなかった為だ。
これからの『連合』軍の質は上がることはあれ、下がることはない。彼女はそう言いたのだろう。
そして『連合』は『共和国』よりはるかに大きい。イピリア政府の施政下にある人口だけでも、『共和国』の4割増しに相当し、全体では約3倍だ。
リーズは一瞬、リコリスが見ているであろう光景を想像した。『連合』奥地で続々と出現している、ドニエプル級戦艦を中心とした巨大な機動艦隊。その艦隊に今回交戦したイピリア政府軍の名将たちが乗り込み、『共和国』の領内に攻め込んでいく。
量に加えて質でも後れを取った『共和国』宇宙軍は消耗を繰り返しながら後退していき、最終的には『共和国』全土に救世教の緑旗が立つ。
単なる想像だったにも関わらず、その光景はぞっとするほど鮮明だった。まるで未来を幻視してしまったかのように。
「だから、司令官は精鋭部隊の旗艦を狙おうと?」
「そういうことね。せめてあの艦隊の司令官だけでも何とかしないと、これからの戦争が大幅に不利になる。艦隊群クラスの部隊を率いて現れる前に、殺すか少なくとも重傷を負わせて指揮不能にしないと」
「も、もう少し言い方というものが…」
リーズはため息をついた。確かにリコリスの部隊が行おうとしているのはそういうことなのだが、あまりに端的な表現だ。
露悪趣味なのか、単に他の言い方を思いつかなかったのは不明だが、正規軍人というより諜報部隊のような用語法だった。
「そう? だったら戦闘詳報には、『敵の人的資源の破壊』とでも書いておいて」
リコリスはそう答えた。本気なのか冗談なのか、リーズには分からなかった。続いてリコリスは、もっと頭が痛くなるような言葉を付け加えた。
「私たちは一言でいえば、通り魔やテロリストを見習って行動する。対象の守りが緩くなった隙を衝いて一刺し、その後すぐに逃げる」
「司令官…」
リーズは状況も忘れて、さらにため息をつきたくなった。大変よく分かる例えではあるが、もう少し品の良い言い方は出来ないのだろうか。
しかし口調とは裏腹に、リコリスの表情は真剣そのものだった。
「強い敵は殺せるときに殺しておく。それが戦争の鉄則よ。そうしないと、次は自分が殺される側に回る」
リーズは用語法に関する指摘を忘れて沈黙するしか無かった。物騒な言い方だが、リコリスの言うこと自体は多分正しいのだろう。
これまでの戦いの経過を見ると、おそらくあの艦隊の司令官は『連合』軍随一の能力を持っている。生かしておけば、『共和国』軍全体にとって重大な脅威となる。
1個艦隊を指揮しているうちはまだいいが、そのうち複数の艦隊を率いて現れるだろう。それも、今の『連合』軍より格段に能力が向上した艦隊を。そうなれば『共和国』軍と言えども太刀打ちできない可能性が高い。
「このまま戦争が進めば、貴方たちの祖国はあの第一司教猊下に占領される。私はその光景を見たくない」
リコリスがそう呟く。「私の祖国」とは言わなかったことが、何故かリーズの印象に残った。




