オルトロス星域会戦ー13
航空戦勝利を確認した『共和国』軍臨時司令官のモンタルバン中将は、次に第8、第10の2個艦隊を大きく動かすよう命令した。
これは敵が狙っていると推定される戦術を空振りに終わらせるためだ。第2艦隊群を構成する6個艦隊のうち第11艦隊が敵の精鋭部隊に襲われ、『共和国』宇宙軍の隊列は大きく2つに分断された。
そして5個艦隊からなる敵主力部隊は、そのうちの一方、第9、第12、第13の3個艦隊からなる集団に接近している。
モンタルバンは全体状況を見て、『連合』イピリア政府軍の意図を掴んでいた。彼らはファブニル星域会戦を、立場を逆にして再現するつもりだ。
同会戦ではまず『共和国』軍第2艦隊が敵中央部付近にいた艦隊を撃破、続いて分断された敵の片方に全軍が総攻撃をかける事で、勝敗が確定している。
今回の戦いにおける『連合』イピリア政府軍は明らかにこの戦術を模倣しており、第1段階である隊列の分断を成功させている。戦訓を迅速に学ぶ姿勢は、敵ながら見事なものと言えた。
「だがわが軍は、『連合』軍ではない」
モンタルバンは旗艦オーケアノスの戦闘指揮所で宣言した。ファブニルにおける『連合』宇宙軍は低速艦中心の編成で部隊間の連絡も悪かったため、『共和国』宇宙軍によって容易に各個撃破された。
しかしこの条件は『共和国』宇宙軍には当てはまらない。その事を『連合』軍に教えてやるつもりだった。
モンタルバンの命令を受け、直率の第8艦隊および隣の第10艦隊が、『連合』軍主力部隊めがけて機動を開始した。空襲で被害を受けていたとはいえ、その数は400隻近くあり、依然重大な脅威となりうるだけの数を保持している。
なおその正確な位置は、『連合』軍どころか『共和国』軍の他の部隊も知らない。敵の暗号解読という万一の事態を考慮し、第8艦隊と第10艦隊の意図は味方にすら知らされていなかったのだ。
さらにモンタルバンは念には念を入れ、第8艦隊と第10艦隊の一部に前もって偽装針路をとるように命じていた。巡洋艦と駆逐艦からなる分遣隊を作り出し、それを本隊より先に、本隊とは違う方向に進ませてから後で合流させるのだ。
この分遣隊こそが、ギルベルトやラルフが目撃した集団の正体だった。
その狙いは敵の偵察機に向かっていかにも敵前逃亡のような動きを見せつけ、『連合』側を混乱させること。空戦が終わっていない段階で動き出したのは、敵偵察機が排除されてから動いたのでは偽装針路の意味が無いからだった。
なおこの分遣隊の行動と意図についても、将官クラスの人間にしか知らされていないため、フェルカー兄弟を初めとする『共和国』軍パイロットまでが本物の敵前逃亡を疑ったほどだ。
モンタルバンは士気の低下と情報漏洩という2つのリスクを天秤にかけ、最終的に後者を優先したのである。
しばらく偽装針路を取っていた分遣隊は所定の位置で変針すると、旗艦オーケアノスを初めとする主力部隊に合流していく。分遣隊は巡洋艦を中心とした編成であるため、遠回りしても戦艦中心の主力部隊に楽々と追いつくことが出来た。
もっともそれは純粋に艦の性能面で見た話だ。実際には宇宙空間で部隊を合流させるのは容易ではない。戦史においてこの手の機動を試みた軍の多くが合流に失敗して敗北している。
『共和国』軍が分離と合流を成功させたことはその意味で、奇襲と機動戦を要諦とする同軍の面目躍如と言えるものだった。イピリア政府とリントヴルム政府を問わず、この時期の『連合』軍には、同種の機動を成功させるのは不可能だった。
いくらイピリア政府軍が開戦後の戦訓を真摯に学んだと言っても限界はある。高速戦艦、長距離通信機、大型偵察機などのハードウェアは取り入れることができても、運用法までは一朝一夕に習得できない。
加えて『連合』軍の新鋭艦は、加速性能はともかく運動性能においては『共和国』軍艦に及ばず、その事も大規模な艦隊運動を阻害する要因になっていた。
イピリア政府軍は、分艦隊レベルならかなり臨機応変な行動も取れる。だがそれ以上の戦闘単位は比較的単純な機動しか行えないのが、宇宙暦702年時点での現状だ。
無線封鎖下で400隻の艦を分割しながら動かし、再結合させるなどという芸当ができるのは、この時代には『共和国』宇宙軍しかいなかった。
やがて400隻の艦の航跡が形成する光の列の端に、それとは質の異なる光が連続して出現した。モンタルバンの2個艦隊が、他の3個艦隊を襲撃しようとしていたとしていた敵主力、フェルナン・グアハルド大将の5個艦隊と接触した瞬間である。
束の間、『連合』軍の巨大な隊列は大きく揺らいだように見えた。2つに分かれた『共和国』軍を各個撃破するはずが、予想もしなかった方向から自分が襲われたのだ。将兵はかなり動揺しているはずだ。
そして『共和国』軍艦隊の中には、敵の動揺をさらに増幅する力を持つ新鋭艦が含まれていた。
「第3戦艦戦隊、砲撃を開始します!」
旗艦オーケアノス戦闘指揮所に、同艦を含む第3戦艦戦隊の指揮官であるペテル・アクセン准将からの報告が入る。
「いよいよか。どこまで対抗できるかな」
モンタルバンは期待を込めた声で呟いた。その視線の先では、旗艦オーケアノスの主砲塔が旋回を始めている。
オーケアノスはかなり奇妙な形状の艦だった。艦体形状はファブニル星域会戦時点での主力戦艦クロノス級に似ているが、目を引くのは際立って巨大な箱型の主砲塔だ。クロノス級の主砲が小ぶりで目立たなかったのに対し、オーケアノスの主砲塔は艦体のラインから飛び出さんばかりに存在を主張している。
腕だけが異様に発達したボクサーのような姿は浮かぶ芸術品と称されたクロノス級とは対照的だが、醜いがゆえに独特の力強さを感じさせる艦でもあった。
そしてその巨大な主砲塔は、見た目に違わない密度と速度を持つ巨大な光の束を吐き出した。モンタルバンが前に乗っていたクロノス級より砲撃の間隔はやや開いているが、発射される光の力強さは格段に上だ。
クロノス級の砲撃をジャブとすれば、この艦の砲撃は相手を一撃でリングに沈める力を持つ強烈なストレートパンチを思わせた。
標的にされた『連合』軍戦艦の方は、疎らな形ばかりの砲撃を行いながら何とかオーケアノスに近づこうとしている。彼らの艦の射撃指揮装置では、この距離にある艦を攻撃できないのだ。一方で、『共和国』側は偵察機を展開させることで十分な射撃精度を得ている。理想的なアウトレンジ攻撃だった。
だが今にも直撃を得られるかという期待に反し、『共和国』側の砲撃もしばらくの間空振りを続けた。就役後すぐに実戦投入されたため、砲員が前例のない巨大な砲の扱いに慣れていないのかもしれない。
「まずいな…」
僚艦に座乗するアクセン第3戦艦戦隊司令官の呟きが、通信機を通してオーケアノスの戦闘指揮所に入ってくる。アウトレンジで敵を一方的に沈めるつもりで旗艦を含む部隊を戦闘に介入させたが、なかなか直撃を得られず敵が接近を続けている。これは危険かもしれないと思っているのだろう。
「落ち着いてやれ。大丈夫だ。もし同じ条件の砲戦になっても、本艦の防御力なら、しばらくは沈まない」
モンタルバンは焦っている様子のアクセンをそう諭した。偵察機からの情報によれば敵戦艦は全てアンガラ級、ドニエプル級より一世代前の艦だ。
そしてオーケアノスの原型であるクロノス級は、アンガラ級の砲撃にならかなりの時間耐えられることが分かっている。
「分かりました。ですが旗艦が危険な状態になった場合は、砲戦を中止します」
アクセンはそう言うと、次に各艦の兵装科員を激励し始めた。肩の力を抜いてやれ。こちらの艦の方が火力でも防御力でも上回ることを忘れるな。そんな言葉が砲員たちにかけられる。
激励が功を奏したのか、あるいは単に射撃データが蓄積されたことによるものか、ともかく最初の直撃が出たのは14射目だった。接近を続ける敵戦艦の1番艦がオーケアノスに対して本格的な射撃を始めた矢先、その艦の中央部に閃光が爆発したのだ。
「凄い…」
モンタルバンは思わず、自らの旗艦が放った砲撃の威力に見とれてしまった。オーケアノスの主砲射撃によって生じた閃光の大きさは、今までに乗ったどの艦の砲撃より巨大だ。
敵戦艦は遥か向こうにいるにも関わらず、発生した光がオーケアノスまで届いたのではないかと思われる程だった。
「本艦の砲撃、敵戦艦を直撃しました!」
索敵科が歓声を上げ、続いて偵察機が撮影した映像が戦闘指揮所に届けられる。
それを見た戦闘指揮所の要員たちはさらなる歓声を上げた。アンガラ級戦艦の中央部には対艦ミサイルが直撃したとしか思えないほどに大規模な破孔が生じ、艦尾から噴射される高温ガスの帯が極端に小さくなっている。
オーケアノスの砲撃はただの1発で、敵戦艦の機関を損傷させて出力を大幅に低下させたのだ。
オーケアノスの戦果が呼び水となったかのように、他の3隻の砲撃も相次いで目標とした敵戦艦を直撃し始めた。その度に『共和国』軍戦艦の乗員が今までに見たことが無いほどの大破壊が敵艦に生じ、その戦闘力が劇的に低下していく。
最初の直撃が出てからアンガラ級戦艦4隻が全て機能を停止するまでに、2分もかからなかった。
「これがエレボス級の力か」
戦果を確認したモンタルバン中将は、感動に近い興奮を覚えながらそう呟いた。彼は砲戦よりミサイル戦を重視する『共和国』宇宙軍の軍人としては珍しく、一貫して砲術関連の役職のみを務めてきた砲戦の専門家だ。
そのモンタルバンにとって、自らの旗艦を含む部隊がこれまで『共和国』軍戦艦部隊にとって常に劣等感の種だった『連合』軍戦艦を4隻も沈めたことは、何よりも嬉しかった。
「あくまで旧式戦艦相手の戦果です。エレボス級がドニエプル級に太刀打ちできるかは分かりません」
同じく砲術家のアクセン准将がモンタルバンの楽観主義を窘めたが、その彼も新鋭艦の初戦果に対して興奮を隠しきれていなかった。
第2艦隊群に含まれる艦の種類は基本的にファブニルで活躍した第1艦隊群と同じだが、少数の新鋭艦が実戦テストを兼ねて編入されている。
最初の防空戦において活躍したバラクラヴァ級巡洋艦はその一例だが、他にもクレシー級巡洋艦の後継艦であるアクティウム級、パラス級駆逐艦の改良型のコロニス級などがいる。
そして戦艦については、エレボス級と呼ばれる新造艦が18隻も編入され、『連合』軍の強力な戦艦部隊に対しての切り札として期待されていた。
ただエレボス級は新型といっても、クロノス級後期建造型の主砲をより強力な砲に換装しただけの艦だ。火力は向上したものの防御力は変わらず、機動力に至っては逆に低下している。
そもそもクロノス級は元からより大きな砲を搭載できるように設計されていたのだが、艦の性能バランスを考慮して軽量で威力も劣る主砲で妥協したという経緯がある。
その主砲を大型化したクロノス級であるエレボス級は、火力向上の代償として加速性能が『共和国』軍で許容されるぎりぎりの水準まで落ち込んでいた。
機動戦重視という節を曲げてまで『共和国』がエレボス級を建造した(正確には、建造中もしくは整備中のクロノス級の主砲を付け替えた)のは、ファブニルで存在が確認された『連合』の新鋭戦艦ドニエプル級に対する恐怖があった。
同級はそれまで『共和国』が世界最強と自負していたクロノス級を一蹴し、攻・防・走の性能すべてで上回っているところを見せ付けたのだ。
これに対抗すべき『共和国』の新鋭戦艦ウルスラグナ級は、戦闘艦艇としては前例の無い巨艦である事と建造中の設計変更によって工事が難航しており、就役は予定より遅れて1年以上先の話になりそうだった。それまでは現行のクロノス級をせめて火力だけでも強化することで、急場を凌ぐしかなかったのだ。
このような経緯から、エレボス級はドニエプル級に対抗できるか怪しいという意見が、『共和国』宇宙軍では支配的だ。火力だけは何とか互角になったものの、他の性能では明白に劣っている。
アクセン准将の疑問は、エレボス級がドニエプル級にどの程度対抗できるかにあった。機動力の差を無視すれば一応は互角に撃ち合えるレベルなのか、あるいはどうやっても勝てないのか。
もっとも、アクセンの疑問の答えはすぐには出なかった。『共和国』側は知らなかったが、この戦いに参加したドニエプル級戦艦は、全てがストリウス中将の第二十三艦隊に配属されていた為だ。
結果として両軍の主力が戦闘に突入したとき、エレボス級、いや第11艦隊を除く5個艦隊はそもそもドニエプル級に遭遇することすら無かったのである。
代わりにエレボス級戦艦たちは、グアハルド大将の5個艦隊に所属する戦艦群と対戦することになった。これらの戦艦部隊はアンガラ級やミシシッピー級等、ドニエプル級より一世代か二世代前の戦艦によって構成されている。
そして少なくとも一つの事実が判明した。エレボス級はドニエプル級以外の『連合』軍戦艦に対しては、ほぼ無敵に近かったのだ。
航空優勢を確保していたこと、そして補助艦艇同士の戦闘では未だ『共和国』軍が優位だったことにより、エレボス級戦艦たちは常に『連合』軍戦艦より優位な位置につき、砲戦を開始することができた。そしてその火力と火器管制能力は、ドニエプル級戦艦に匹敵する。
結果として生じたのは、典型的なアウトレンジ攻撃だった。エレボス級と対峙した『連合』軍戦艦は、自己の主砲の有効射程外から放たれる砲撃によって主要装甲帯を貫通され、次々に戦闘不能に陥ったのだ。『共和国』軍戦艦部隊始まって以来の大勝利と言える。
もっとも実際には、エレボス級の戦果は量的に目覚ましいものでも無ければ、技術史の観点からみて特筆すべきものでも無かった。18隻の戦艦が幾ら活躍しても、敵に与えられる被害の規模はたかが知れている。エレボス級がいない宙域では、相変わらず『連合』軍が砲火力において優位に立っていた。
またエレボス級の勝利は、『共和国』の大型艦建造技術が『連合』軍を上回ったことを意味する訳でもない。エレボス級は確かに対戦した『連合』軍戦艦をアウトレンジ攻撃で次々に葬り去ったが、その砲撃は航空機や小型艦から送られてくる情報に依存していた。
これら補助兵器の活躍が無ければ、有利な条件での砲戦を行うことは不可能だっただろう。しかも相手はエレボス級より設計も就役した年代も古い艦だった。
冷静な見方をすれば、エレボス級は有利な条件での砲戦で敵の旧式戦艦を叩きのめしたに過ぎず、同級が優れた兵器なのかはこの戦闘だけでは判断できない。
にも関わらず、エレボス級が『連合』軍戦艦に勝利した意味は大きかった。まずは心理的な効果である。戦艦部隊の敗北は、ある意味敵の2個艦隊が突然出現した事以上に、『連合』軍の将兵に衝撃を与えたのだ。
世界最大最強の戦艦部隊を擁する軍隊というのが、『連合』宇宙軍将兵が自軍に対して持つイメージであり、誇りだった。その戦艦部隊が、速力重視で攻防性能は二流の軍艦しか持たないとされている『共和国』軍の戦艦によって、いとも容易く破壊されている。
彼らは何故このような事態が起きたのかと首を捻り、自らが頼みとしていたもの全てが崩れ去っていくような錯覚を覚えた。
逆に緒戦で出鼻を挫かれて意気消沈していた『共和国』軍将兵は、砲戦の結果を見て急激に自信を回復させていった。
『共和国』宇宙軍は『連合』宇宙軍が持つ巨大な戦艦部隊に対し、常に羨望と劣等感の入り混じった複雑な感情を抱いてきた。建艦政策において補助艦艇を重視したのも、どうせ戦艦の勝負では数のみならず性能でも勝てないという、一種の諦念が関与していた事は否めない。
クロノス級戦艦の登場がそれを拭い去るかに見えたが、同級はファブニルで期待ほどの活躍ができず、挙げ句に『連合』の新鋭戦艦に敗北を喫した。
自分たちは結局、戦艦同士の砲戦という分野においては常に『連合』の後塵を拝することになるのか。『共和国』軍戦艦部隊の将兵は会戦勝利を喜びながらも、心の底ではそう感じていた。
だがこの惑星オルトロスでは、『共和国』軍戦艦が歴史上初めて、『連合』軍戦艦に砲戦で勝利を収めた。その事に『共和国』軍将兵は熱狂し、失いかけていた勝利への意思を取り戻した。
『連合』軍は知恵をつけて前より強くなったかもしれないが、自分たちもまた進歩しているのだ。彼らはそう確信した。




