オルトロス星域会戦ー11
「司令官、どうしてそんな浮かない顔を?」
リーズは各艦の艦長や戦闘指揮所の要員を代表して、恐る恐る、不機嫌そうなリコリスに声をかけた。
敵は何を思ったのか追撃を中止したため、リコリスが指揮する部隊は全艦が無事に逃れる事が出来た。この奇跡を見て各艦の艦長たちも態度をがらりと変え、リコリスの指揮能力を褒め称え始めている。
だが肝心の本人はというと、リーズ以外の人間が話しかけるのを躊躇う程に浮かない顔をしていた。世界最強のドニエプル級戦艦2隻の追撃を躱し、1隻に損傷を与えたというのに、何が不満なのだろうか。
「この戦闘は敗けた。そういう事」
リコリスはそう答えた。口調から、苛立ちをぶつける事を必死で自制しているのが明らかだった。
「敗け? せいぜい引き分けでは?」
「確かに艦船の沈没は両方がゼロ、戦術的にはどちらが勝ったとも言えない。でも私たちは出来るだけ多くの敵を足止めするという目的を達成できなかった。連中はこのまま第11艦隊への攻撃に向かう事になる」
「それにしたって、これ以上いい結果なんて得られたんですか? 敵が機雷に掛からなかった時点で、適当に攻撃してから脱出するしか無かったのでは?」
リーズは肩を落としているリコリスにそう質問した。確かにリコリスが指揮する部隊の目的は、敵艦隊を拘束して前進を遅らせ、味方が態勢を立て直す時間を稼ぐ事だった。その為には、敵艦隊外周部の部隊を続けざまに撃破して戦力を削ると同時に、敵指揮官にこちらの戦力を過大評価させる必要がある。
それが失敗に終わり、2度目に交戦した敵部隊が戦艦1隻損傷だけで脱出してしまったのは事実だ。だが戦力差を考えれば、それは当然すぎるほど当然の結果に過ぎず、「敗北」と呼べるかは疑問だとリーズとしては思う。
「実はね。敵の指揮官がもう少し単細胞なら、砲戦部隊の方は全滅させる事が出来たのよ」
「ど、どうやって?」
リーズは耳を疑った。リコリスがいう砲戦部隊とは、ドニエプル級戦艦2隻と形式不明の新型巡洋艦6隻からなっていた部隊のことだろう。数は少ないが極めて強力で機動性にも優れた彼らを、リコリスの寄せ集め部隊がどう全滅させるというのか?
「要領としては、最初に交戦した敵の時と同じよ。敵の追撃を誘い、鼻先に対艦ミサイルを撃ち込む」
リコリスはそう言うと、現実にはいきなり追撃を停止した敵が、そのまま追いかけて来ていた場合の機動について説明してくれた。
「まず敵は戦艦を含んでいるから、残骸群の内部は通れない。必然的に、大きく迂回してこちらが残骸群から出てきたところを攻撃する形になる」
リコリスが言うとおり、戦艦のような大型艦は、艦船の残骸を初めとする障害物が散らばる宙域を高速航行するには向いていない。
「私はそこを狙うつもりだったのよ。こっちの巡洋艦が残骸群から出た瞬間に対艦ミサイルを発射。敵に回避運動を強要してから急回頭して、今度は残骸の外周部を高速で移動する」
「でもそれだと、嫌がらせ程度の効果しかないじゃないですか」
リコリスが意図していたという戦術に、リーズは少し疑問を持った。敵もこちらが残骸から出てきた瞬間のミサイル攻撃は警戒しているはずだ。彼らは恐らく、十分な距離を取りながら砲撃を浴びせてくる。そこにミサイルを撃っても、回避を強要して砲撃を一時中止させる程度の効果しかない。
一方のリコリスは、別に気を悪くした様子も無く説明を続けた。
「そしてこちらのミサイル攻撃が終わったと判断した敵は、そのまま巡洋艦を追いかける事になるわよね」
「そうですね」
確かに敵の立場で考えれば、リコリスが意図していたような機動をされれば相当頭に来るはずだ。先行していた駆逐艦を待つかどうかはともかく、追撃を続行しようとするのは間違いない。
そしてリコリスは人の悪そうな笑みを浮かべながら、敵が追撃を選択した場合にオルレアンが取る行動について説明してくれた。
「敵が巡洋艦を追いかけ始めたら、その鼻先に駆逐艦が対艦ミサイルを撃ちこむ。残骸群の内部からね」
「…なるほど、そっちが本命という事ですか」
リーズはやっと、リコリスの真意に気づいた。最初の敵との戦闘で、リコリスは主力の予定針路に予め2個駆逐隊を伏せ、追撃してくる敵の斜め前方からミサイルを撃ち込むという戦術を使っている。彼女はそれをアレンジする事で、二度目の敵をも殲滅するつもりだったのだ。
残骸から出た時点で行われる巡洋艦からの最初のミサイル攻撃は、目晦まし兼囮だ。本命の攻撃は、残骸の内部に残った駆逐艦が行う。反転した巡洋艦を追撃し始めた敵に対し、先ほどと同じように斜め前方から対艦ミサイルを撃ち込むのだ。
旗艦オルレアンが駆逐艦とともに後衛に位置していたのも、機雷に味方艦を巻き込まないためだけではなかった。駆逐艦からのミサイル攻撃を統制するためでもあったのだ。
そして巡洋艦1隻と駆逐艦18隻が対艦ミサイルを一斉に発射すれば、確かに敵の砲戦部隊は全滅する。普通の条件からの攻撃ならともかく、リコリスが意図していた戦術では巡洋艦を追いかける敵に向かって斜め前方からミサイルが叩き込まれるからだ。
一度目に交戦した部隊の例から考えても、全艦が沈没ないし戦闘不能になるのは確実だった。例え駆逐艦を待ってから追撃してきても、結果は似たようなものだろう。
「流石に前と全く同じ戦術だと怪しまれるから、一段階間を置いたのだけど、見切られたみたいね。結局、申し訳程度の攻撃をして逃げるしかなかった」
リコリスは悔しそうに言うと、更なる懸念を付け加えた。
「それと最悪なのが、罠を見切った敵を逃がしてしまった事。次はもっと強力な部隊を率いて現れるかもしれないから、今のうちに仕留めておきたかったのだけどね」
確かにそれが一番の問題かもしれない。言われてリーズはそう気づいた。敵の指揮官はリコリスとほぼ対等に渡り合った。指揮していた部隊の戦力も練度も違うので単純比較は出来ないが、オルレアンの乗員が今まで遭遇した事の無い強敵だったのは間違いない。
そしてその指揮官は見事にリコリスの仕掛けた罠から逃れ、今では味方の第11艦隊を攻撃しようとしている。それによってもたらされるであろう被害を考えれば、リコリスの不安と焦燥も納得できた。
「でも、私たちの部隊は生き残っていますし、まだ戦えます!」
それでもリーズはそう指摘した。指揮していたリコリスが何と言おうが、これまでの戦いは偉大な勝利だ。リーズとしてはそう思う。たった23隻の部隊が17隻の敵艦を撃沈し、無傷で難を逃れた。しかも最後は質量ともにこちらを凌駕し、優秀な指揮官にも恵まれた部隊を相手にである。
戦闘指揮に関しては完璧主義者のリコリスには納得できない結果かもしれないが、他のどんな司令官にもこれ程の結果を出せるとは思えない。
リコリスは納得していないようだったが、それ以上は何も言わなかった。代わりに彼女は、第11艦隊の状況に関する最新の情報をモニターに映し出すよう、リーズに指示を出した。
リーズが調べた結果、断片的な情報から推定される状況は率直に言ってかなり悪いものだった。第11艦隊に所属する部隊は至る所で敵に圧倒されており、しかも増援は来そうにない。
第2艦隊群に属する他の艦隊は、新たに存在が確認された敵の5個艦隊への対応で精いっぱいであり、第11艦隊を援護する事が出来ないでいるのだ。
「成程、という事は最初の目的に立ち返ってこう進むしかないか」
リコリスは情報に目を走らせた後、指揮下の艦に次の針路を伝えた。
「この針路は?」
「第一目的は第11艦隊の援護。そして出来れば、敵艦隊の司令官を討ち取る」
リコリスはあっさりとした口調でそう言った。
『連合』イピリア政府軍第二十三艦隊を指揮するダニエル・ストリウス中将は、彼の艦隊に張り付いている『共和国』軍小部隊についての報告を聞きながら、少々忌々しげな表情を浮かべていた。
第二十三艦隊は全体としては勝利しているが、そのたった20隻程度の小部隊が、その勝利に小さいが目立つ傷をつけていた。
ストリウスの第二十三艦隊は第一航空打撃群の空襲で被害を受けて隊列を再編中だった『共和国』軍1個艦隊と交戦、甚大な打撃を与えた。敵の生き残りはばらばらになりながら後退し、『共和国』軍の戦列には大きな隙間が開く形になった。
それを確認したストリウスは躊躇なく追撃を命じたが、これには反対意見もあった。分散した敵を追撃するとなると、第二十三艦隊の方も部隊を小分けにする必要がある。敵に予備兵力があれば、分散した所を痛撃される可能性がある。追撃に対して反対意見を出した者たちはそう指摘した。
だがストリウスは追撃命令を取り消す事はしなかった。ファブニル星域会戦の戦訓を考えると、『共和国』軍と戦う際には叩ける時に徹底的に叩く気構えが必要だ。そうしなければ一旦後退した部隊がいつの間にか戻ってきて、痛烈な反撃を食らわせてくる。
また今回の場合、敵の予備隊についてはそれほど気にかける必要が無い。ストリウスはそうも思っていた。第二十三艦隊が相手にしていた敵艦隊は、最初から空襲による被害を受けていたし、その後の戦闘でも散々に打ち破られた。
こちらにまともな打撃を与えられるほどの予備兵力など、相手には残っていないと考えるのが自然だった。
結果として、追撃を続行するという判断は吉と出た。第二十三艦隊に属する各部隊は撤退中の『共和国』軍艦多数を捕捉し、撃沈している。やはり敵には言うに足る予備兵力など存在せず、第二十三艦隊の攻撃を防ぐなど彼らには不可能だった。
特にストリウスが期待をかけていた2人の指揮官、ディーター・エックワート准将と、アーネスト・チェンバース准将が指揮する部隊の働きが目覚ましい。エックワートは敵による反撃の兆候を素早く見極めてそれを頓挫させ、一方のチェンバースは大胆な攻撃によって敵の隊列をずたずたにしている。
第二十三艦隊の強みが艦の性能以上に、敵主たる『共和国』宇宙軍から真摯に学び、その優れた戦術を取り入れた指揮官たちにある事を示す光景だった。
現在ストリウスを悩ませているのは、そのエックワート准将が追撃戦開始前に遭遇したという部隊だった。エックワートはストリウスに、恐ろしく狡猾で艦隊運動の能力に優れた人間が指揮する厄介な部隊に出会ったと、青ざめた顔で警告を発していた。
ストリウスはそれを信じた。エックワートは誠実な人間だ。彼がそう言ったという事は、取り逃がした言い訳ではなく本当に厄介な相手だったのだろう。
そしてその「厄介な敵」は、こちらが残敵掃討戦に入ると同時に暗躍を始めているらしかった。追撃の為に散開している部隊の一部から、「追撃中に約20隻の敵艦による奇襲を食らった」という報告が相次ぐようになったのだ。
その部隊は追撃に夢中になっているこちらの艦に極めて巧妙な一撃を浴びせ、他の部隊が応援に駆け付ける前に消えていく。単独で追撃しようとすると、いつの間にか不利な状況での砲戦に持ち込まれる。
そういう狡猾な敵が現れたという報告が時間差を置いて何度も来たことから、それこそがエックワートが言及した部隊に間違いないと、ストリウスは確信した。
絶対的な損害自体は、エックワートが介入する前の初戦を除けば実のところ大したものではない。例の部隊は深入りを避けてすぐに後退するので、一回の襲撃による被害は数隻が損傷してそのうち1隻が沈む程度に留まっている。
問題は敵の行動がこちらの指揮官たちにもたらす心理的な影響だった。大きな戦果を狙って突出した所を叩かれるケースが多いため、追撃がどこか及び腰になり始めているのだ。
第二十三艦隊を構成する各部隊は、次第に確実な相互支援が見込める位置に集合し、「例の部隊」による奇襲を避ける動きをとっている。当然といえば当然の対応だが、敵に実質的な勝利をプレゼントしているという見方もできた。
例の敵の目的は追撃を鈍らせて1隻でも多くの『共和国』軍艦を救う事だろう。そして『連合』側が部隊を集合させた事で、分散して撤退していく『共和国』軍艦の多くが難を逃れているのだ。
ストリウスがエックワートと並んで期待をかけていた指揮官の一人、アーネスト・チェンバース准将でさえ、追撃を中止してストリウスの旗艦ベレジナを守る位置についている。
ストリウスは「例の部隊」ごとき直属の戦艦4隻だけで追い払えると主張したが、チェンバースは聞かなかった。万一にもストリウスを戦死させるなと、グアハルド大将から命令を受けていると言うのだ。
皮肉にも、チェンバースが戻ってきた途端に、例の部隊を見かけたという報告は無くなった。こちらの警戒態勢を見て、これ以上の攻撃は不可能だろうと判断したのかもしれないが、ストリウスは敵に嘲笑われているように感じた。
撃沈できたはずの敵艦の多くが悠々と撤退していく光景をモニター上で見せつけられているとあっては尚更だ。
ストリウスは護衛として張り付いているチェンバースの部隊に追撃再開を命じようと思ったが、結局は取りやめた。チェンバースは自分が離れた途端にストリウスが例の部隊に襲われる可能性があると指摘し、梃子でも動かないだろう。良くも悪くも、チェンバースとはそういう男だ。
かといって他の部隊を追撃に出せば、また奇襲を食らう可能性がある。エックワートですら仕留められなかった相手だ。ストリウスやチェンバース以外の指揮官が太刀打ち出来るとは思えない。
むしろ他の敵艦隊を狙うほうが有効か、及び腰になりつつある追撃と少なくなりつつある戦果を見ながら、ストリウスは最終的にそう結論付けた。
初めに交戦した敵艦隊はかなり逃がしてしまったが、あそこまでバラバラになれば戦闘部隊として再び機能し始めるまでにはかなりの時間がかかる。
無視して他の部隊を狙った方が、戦況全体への寄与は大きいだろう。イピリア政府軍、いや『連合』軍最強の部隊である第二十三艦隊が、いつまでも破った敵に固執するべきでは無いとストリウスは判断した。
イピリア政府軍はファブニル星域会戦の戦訓を取り入れ、部隊間の通信規格の統一と通信規則の徹底を進めている。また占領した造船所では、『共和国』軍艦を参考にした高速艦の建造を急ピッチで進めている。ストリウスの第二十三艦隊は、これらの改革による成果を真っ先に享受した部隊だった。
まず各戦隊旗艦にはリントヴルム政府において、高性能だが高価に過ぎるとされて不採用になっていた通信システムを搭載、戦闘中における通信能力を『共和国』軍並みに引き上げた。
また各部隊の指揮官には命令が届かなかった場合の広範な独断専行権を与え、自隊を遊兵化させないという規則を徹底させた。これまでの戦いでは財閥同士の不和や、遊兵化に優しく独断専行に厳しい戦闘規則によって、兵力が有効活用されないという例が非常に多く見られたためだ。
これらの改革には、救世教第一司教が持ち込んだ『共和国』宇宙軍戦闘教令が大いに参考となった。
軍艦についても機動戦闘に相応しい最新の艦が配属された。主力のドニエプル級戦艦22隻は、他のいかなる戦艦をも上回る攻防性能と、『共和国』宇宙軍の戦艦に匹敵する機動力を併せ持っている。
同艦の集中配備によって、『連合』宇宙軍の欠点だった「戦艦と補助艦艇に速度差があり過ぎて、有効な連携が難しい」という問題は解決され、第二十三艦隊は所属艦のカタログスペック以上に優れた部隊となった。
ストリウスがかつて主張した高速艦隊構想、高速戦艦と巡洋艦を中心とする60隻前後の機動打撃部隊の創設という案が、規模を拡大して実現されたのだ。
そして第二十三艦隊の戦闘力は今日、師ともいえる『共和国』宇宙軍に対して存分に発揮された。新型通信システムによって結ばれた巡洋艦、駆逐艦は『共和国』宇宙軍の高速部隊を圧倒し、多数を撃沈して追い払った。
もちろん主力のドニエプル級戦艦も、『共和国』宇宙軍のいかなる戦艦をも上回る戦闘力を存分に発揮し、砲戦で彼らを存分に打ち破った。「例の部隊」に翻弄されたという瑕疵はあるものの、ファブニル星域会戦の屈辱は一応晴らされたのだ。
とはいえ、まだ『連合』宇宙軍全体の戦闘力が、『共和国』宇宙軍を上回った訳ではなかった。少し遅れて戦闘に突入したグアハルド大将の本隊の戦いを見て、ストリウスはそう痛感する事になる。




