オルトロス星域会戦ー5
「苦戦していますね」
リーズは艦載機隊からの報告を聞きながら、リコリスにそう声をかけた。なお苦戦というのは、オルレアン率いる第261戦隊の事ではないし、出撃した艦載機隊の事でもない。彼らは接近する敵機を一方的に撃ち落し、これまでに1機も失っていなかった。
だがその状況は、戦場全体に敷衍できるものでは全くなかった。数に劣る『共和国』側の艦載機隊は大半が対空装備の敵に拘束され、対艦装備の機体を迎撃できているものは殆どいない。対艦ミサイルを搭載したスピアフィッシュは、対空砲火以外の迎撃を殆ど受ける事もなく、第2艦隊群を攻撃していた。
特に優先して狙われているのが空母だ。空母は装甲が薄い割に価格が戦艦より高く、攻撃目標として価値が高い。また空母を撃破する事は、これ以上の迎撃機の発進を防ぐ事にも繋がる。
自らも空母から発進した敵攻撃隊は明らかにこの事を知っており、発見された空母はしばしば集中攻撃を受けていた。
『共和国』側はそれを逆手にとって空母の周辺に戦闘機を密集させ、多数の敵機を撃墜することで一矢を報いているが、全体的な劣勢は覆せるものではない。第2艦隊群が擁する空母43隻のうち、19隻が既に沈没ないし戦闘不能になっていた。
もちろん空母以外の艦も敵の攻撃目標になっている。オルレアンが光学的に確認できただけでも10隻の巡洋艦がミサイルを食らって沈みかけており、巨大な戦艦ですら大損害を受けた艦が散見される。
明るい知らせがあるとすればせいぜい、第2艦隊群の命綱である艦隊型輸送艦にほとんど被害が出ていない事だろうか。艦隊と共に行動できるこれら輸送艦が失われれば、第2艦隊群は行動不能になってしまう。ある意味では空母や戦艦より重要な艦だ。
だが艦隊型輸送艦は外見上、ただの徴用商船にしか見えない。ほぼ非武装のこの手の艦は元来民間船と区別が付きにくいし、敵の誤認を誘うためわざと民間船そっくりのデザインにしてある。その事が幸いしてか、非常に狙いやすい目標であるにもかかわらず、艦隊型輸送艦の被害は非常に少なかった。
「針路は現状を維持。なお各艦の通信科は、敵のレーダー波を重点的に解析せよ。艦船用レーダーと思われる電波を観測した場合、すぐに報告する事」
リコリスはそれについて特に論評することなく、指揮下にある合計9隻の艦に命令を出していた。航空戦の勝敗は空母を持たない第261戦隊にはどうする事もできない。彼女はそう言いたげだった。
「艦船用レーダー、と言うことは、敵艦隊が接近している可能性があると」
「そうね。この状況なら、相手はおそらく、艦隊戦による戦果の拡大を考える」
リコリスは不安そうにそう言った。
『連合』宇宙軍は通信能力や艦隊運動の能力において『共和国』宇宙軍に及ばない。分艦隊レベル以上の戦闘では、ほぼ確実に『共和国』宇宙軍が勝つというのがこれまでの戦例から得られた結果だ。
だがそれはあくまで互角の条件で戦った時の話だ。空襲によって半壊した状態では、『共和国』宇宙軍と言えども苦戦は必至。リコリスはそう思っているのだろう。
「偵察機隊からは、その手の報告は未だ届いていませんし、イピリア政府軍にそこまでの能力があるでしょうか?」
『共和国』宇宙軍は敵地では常に、一定数のRE-26電子偵察機を艦隊周辺に展開させ、敵艦隊の接近を警戒している。大規模な艦隊が探知されずに『共和国』宇宙軍の部隊に接近するのは難しい。戦史においても、『共和国』軍は敵に奇襲をかけた事は多いが、かけられた事は非常に少ないのだ。
しかも今相手にしているのはイピリア政府軍、数か月前まではただのテロリストに過ぎなかった集団だ。彼らに『共和国』軍を出し抜くだけの戦術能力があるかを、リーズは疑っていた。
「現に今、私たちは奇襲を受けているけど?」
「…」
リコリスの反論に、リーズは沈黙するしかなかった。
確かにそうだった。イピリア政府軍は基地のレーダーに破壊工作を行い、さらに索敵範囲外から艦載機による長距離攻撃をかける事によって、第2艦隊群を完全に出し抜いた。それ程の事が出来る相手なら、艦隊を秘密裏に接近させる事が出来てもおかしくない。
「それにRE-26は戦闘機に対して脆過ぎる。敵が対抗手段を講じれば、簡単に無力化できる。過信すべきでは無いと思うわ」
この言葉はほぼ同じころに起きていた事態を完全に予見するものだったが、リコリスやリーズがそれを知る由もなかった。2人はすぐに、もっと身近な危機に忙殺される事になったためである。
「艦載機隊、燃料が残り少なくなっています」、航空科員が艦載機隊の戦果報告の後、そう伝えてきたのだ。
オルレアンから発艦した艦載機隊はこれまで奮戦し、第261戦隊への攻撃を防いできた。特にアリシア・スミス飛行曹長とエルシー・サンドフォード飛行兵曹の第1分隊は共同撃墜11機という破格の戦果を上げ、「1日エース」の称号を得られるだけの活躍を示している。
だが激しい戦闘機動を連続して行った彼らは、通常より遥かに短い時間で燃料を消耗してしまったらしい。
リーズは息を飲むしかなかった。オルレアン艦載機隊は、第261戦隊を守るための要だ。それが燃料切れで護衛を続けられなければ、第261戦隊は脆弱な小型艦の集まりに過ぎなくなる。
いったん着艦させて燃料を補給すれば良いと言いたいところだが、状況を考えれば非常に危険な行為だった。着艦のためには慣性航行に近い状態になるまで機関出力を落とす必要がある。敵機のいい的である。
「准尉、いや、少尉。最寄りの空母部隊はどこ?」
「第8航空戦隊、でもこの部隊は攻撃を受けている途中です」
「着艦は無理か…」
リコリスが呟いた。もっと遠くの部隊について聞かなかったのは、意味が無いからだろう。一定以上離れた艦へ航空機が移動するには、艦からの誘導電波の発信が不可欠だ。
しかし誘導電波は同時に敵機を呼び寄せる。自艦の艦載機ならともかく、他艦の艦載機を呼び寄せるためにそんな危険を冒してくれる司令官や艦長はいない。
「航空科に命令。艦載機隊は戦闘を避け、燃料消費を抑制せよ。決して、本艦を見失うな」
リコリスは唇を噛みながらそう言った。リーズが知る限り最高の艦隊戦指揮官であるリコリスにも、航空機の性能的な限界は変えられない。その事を象徴するような光景だ。
そして艦載機隊が無力化するのを待っていたかのように、次なる凶報が来た。明らかに対艦ミサイルを抱えたスピアフィッシュの1個中隊が、オルレアンに接近しているというのだ。
オルレアンは航空攻撃に対して脆弱な艦だ。対空砲の数は少なく、対空用の射撃指揮装置は旧式のまま、しかも後方の格納庫には大量の危険物が積み込まれている。
後者2つについては、改善が図られてもいい筈だった。実際リコリスは、損傷したオルレアンの修理ついでに、格納庫から航空機用の対艦ミサイルを撤去して空きスペースに新型の射撃指揮装置を設置するように要求している。これが実現していれば、オルレアンはずっと航空攻撃で沈みにくい艦になっていたはずだ。
だが射撃指揮装置の搭載は予備が無いとして拒否され、対艦ミサイルが撤去された跡には、ミサイルと同じ位危険な機雷が搭載された。死重に近かった航空機用ミサイルよりは機雷の方が戦闘に使えそうな分ましだが、被弾時に誘爆すれば取り返しの付かない事態になるのは同じだった。
8機のスピアフィッシュは、青白い航跡を引きながら急激にオルレアンに接近を始めた。9隻の艦が放った対空砲火はそのうち1機を撃墜したが、残りはミサイルを発射していった。
対するオルレアンは妨害電波を放ちながら、急激に回頭する。大半のミサイルは妨害電波に惑わされて逸れていったが、1発は明らかな直撃コースを描いていた。
リーズが思わず目を閉じてから数秒後、オルレアンを巨大な衝撃が貫いた。オルレアンは今までに砲撃を食らった事は何度かあるが、対艦ミサイルを被弾したことは無い。砲撃を遥かに上回る巨大な衝撃は、永遠と思えるほどに長い間、艦を振動させ続けた。
「応急科より艦長。第2主砲塔全壊、使用不能です」
「…了解、生存者の救出を急げ」
リコリスが複雑な表情で溜息をついた。被弾を防げなかった悔しさと、格納庫への被弾と誘爆は避けられたという安堵が入り混じった声だ。
主砲塔を失ったのは痛手だが致命傷では無いし、オルレアンの生命である指揮通信機能にも影響は無い。取りあえず、オルレアンは危機を脱したのだ。
「前方に味方戦艦、敵機の攻撃を受けているようです!」
大破した砲塔に応急修理が施されている中、見張り員から報告が届く。確かにクロノス級と思われる味方戦艦が、敵機の攻撃を受けている。戦艦は自前の対空砲火で応戦する一方、護衛についている補助艦も果敢に応戦していた。
特に目立つのは、戦艦のすぐ傍にいる2隻の巡洋艦の活躍だった。戦艦自身より密度が高いのではないかと思えるほど強力な対空砲火を発し、敵機を片っ端から撃ち落している。
クレシー級巡洋艦やマラーズギルト級巡洋艦はあれ程の対空火力を持たないはずだが、あるいはこれが初陣となる新鋭艦かもしれない。
「これは幸運だったわね」
「は?」
主力戦艦が敵に襲われているの見て幸運と呼ぶリコリスの言語感覚に、リーズは目を剥いた。
「レーダー画面を見て。この辺りの敵が全てあの戦艦に吸い寄せられているお蔭で、敵機のいない宙域が出来ている。これで安全に、艦載機を収容できるわ」
「し、司令官…」
リーズは呆れか抗議か自分でもわからない溜息をついた。リコリスにも、戦友愛とか助け合いとかいう観念が無いわけではないと思う。何だかんだ言って、彼女はこれまでに多くの味方将兵を救ってきている。
ただし、直属の部下ならともかく、それ以外の相手には氷のような合理性を発揮する事で有名な人でもある。無駄と思った事は何もしないし、するふりすらしない。
今回の場合、リコリスはおそらくこう考えている。艦載機が使えない今、第261戦隊が提供できるものは、自前の対空砲しかない。
だが巡洋艦1隻と駆逐艦8隻の対空火力など無力に等しいし、戦艦の方が遥かに攻撃目標として価値がある以上囮にもならない。だから応援に行くだけ無駄で、艦載機の収容に専念した方が遥かに有益だと。
間違ってはいないし、軍人としてはむしろ正しい態度かもしれない。オルレアンも8隻の駆逐艦も艦隊戦の為に作られた艦であり、対空戦闘で消耗すべきではないのだから。
「私にも、どうにもならない事はあるのよ」
リコリスはリーズに詫びるようにそう言った。リーズはどう返していいのか分からなかった。
第261戦隊の9隻は微妙に針路を変えると、対空戦闘中の味方戦艦を無視して敵機がいない場所に移動した。安全を確認したうえで機関出力が落とされ、燃料切れ寸前の艦載機が次々と着艦していく。
戦闘中の味方を無視する態度を冷酷として弾劾する者もいるだろうが、多分リコリスは「有害無益な命令によって余計な損失を出す方が遥かに冷酷だ」と言い返すだけだろう。
だがリコリスはまた、自分の部下に対しては冷徹な合理主義者になり切れない人間でもあった。その事をリーズはよく知っている。
艦載機の収容を気にかけているのも、結局はその表れだろう。艦載機の整備と燃料補給が終わる頃には空襲は終わっているだろうし、その後の艦隊戦では大して役に立ちそうもない。そんな兵器を、多少だが危険を冒して収容するよう命じているのだから。
リコリスは軍人の例に漏れず財閥嫌いだが、アリシアやエルシーのような財閥出身の艦載機パイロットに対して、そのような感情をぶつける事は無い。最初の頃は嫌って、と言うより疑っていたようだが、近ごろはとても優しく接している。その態度は見せかけではないようだ。
また前の戦争の時から彼女の下にいる部下たちは、一様にリコリスを敬愛していた。冷徹で無愛想だが、部下の生還を第一に考えてくれる人だ。彼らは着任当時の、仕える相手が『共和国』英雄と聞いて緊張しているリーズに向かってそう言った。
その後の付き合いでリコリスが「冷徹で無愛想」かについては、やや疑問に思うようになったリーズだが、部下思いというのは本当だろうと感じる。
ちなみに、「良い上官で良い部下だ。ただし、自分のすぐ上やすぐ下で無い限り」、というのが軍内でのリコリスの評価である。
彼女の部隊は生還率が高いので下っ端の下士官兵には好ましい。また大きな戦果を上げてくれるのでお偉方にも好ましい。
ただし彼女の命令を直接受けたり、彼女に命令を出したりする者にとって、これ程不愉快な人物はいない。リコリスはそう言われている。これも当たっているのか外れているのか微妙な評価だとリーズは思う。
「どうかした?」
そんな評判の数々を思い出しながらリコリスの姿を見つめていたリーズに、怪訝そうな声がかけられ、リーズは慌てて我に返った。
少しだけ波打った艶やかな長い髪、大理石を丹念に磨き上げたような白く滑らかな肌、ほっそりとしているが不思議と脆弱さは感じられない長身。いつ見ても、信じられないほどに美しかった。何故この人が財閥の宮殿ではなく、軍艦の戦闘指揮所にいるのだろうと思うほどに。
「え、えっと、この辺りにいる部隊、及び艦の一覧表を作っておこうと思います」
リコリスの蒼い眼に捉えられたリーズは、微妙に緊張しながらそう言った。オルレアンが艦載機の着艦作業を行っている宙域には、空襲の中で旗艦を失ったりはぐれたりした艦が何隻もいる。
そしてリコリスの予測通りなら、第2艦隊群への空襲後には、敵艦隊が出現して砲戦を挑んでくる。その前に散らばった艦を集めて臨時部隊を作り、戦闘に備えるべきだ。リーズはリコリスにそう伝えた。半分は、何となく彼女の姿を見ていた事に関する照れ隠しだが。
「確かにそうね。良く気づいてくれたわ」
リーズの内心を知ってか知らずか、リコリスはそう褒めてくれた。面映ゆい気分になりながらリーズは第2艦隊群のもともとの航行序列を確認し、この宙域にいそうな艦を検索し始めた。
オルレアンは分艦隊旗艦や艦隊旗艦として建造されたため、本来ならもっと高級な戦闘情報モニターが搭載され、艦隊や分艦隊規模の状況に関する情報をリアルタイムで出せるはずだった。
だが1番艦が演習の結果失敗作とされたのが影響して、戦闘情報モニターは近距離用しか搭載されていない。艦隊群全体の情報を細かく探すには、こういう余計な手間が必要だった。
そして情報を確認して数分後、リーズは少し熱くなっていた頬から血の気が引くのを感じた。さっきオルレアンが脇を通過していった戦艦の正体に気づいたのだ。
「あれ? もしかして、旗艦?」




