オルトロス星域会戦ー4
「私には、あのような愚行を行うつもりはありません。あの虐殺は結局、救世教軍の力を弱め、理想の達成を不可能にしてしまいましたから」
アディソンの懸念に対し、第一司教はそう返答した。いみじくも救世教の代表者自身が応えた通り、占領した惑星にいる『連合』政府の関係者を皆殺しにしてしまった事が、『大内戦』における救世教側敗北の一因となった。
救世教徒は惑星を奪うことは出来たが、その惑星から生産力を引き出すことに失敗したのだ。占領された惑星において政府関係者がほとんど全員抹殺された後、救世教聖職者がその任に就いた。
しかし、彼らには人々を鼓舞するカリスマはともかく、現実の政権運営を行う能力が全く欠けていた。殆どがスラム街や寒村の出身で、文盲の人間すら含まれていたのだから当然ではある。
もっと教育を受け、実務経験も豊かな聖職者もいる事はいたのだが、多くは社会秩序保全法に引っかかって既に処刑されていた。
その結果、スラムの一街区を指導していただけの人間が都市全体を任されたり、山岳地帯の農民を束ねる村長や遊牧民の首長が惑星一つの経済を運営する羽目になる例が続出した。
結果はもちろん無残なものだった。少数の例外を除いてほとんどの場所で天文学的なインフレが発生、救世教政権が発行した貨幣の価値は0になった。
商取引は貴金属による決済か、場合によっては物々交換のレベルにまで退行し、長距離を結んだ分業を行う事が殆ど不可能になった。救世教が支配する惑星群の経済は、救世教聖職者の出身地であるスラム街や寒村と同じ状態になってしまったのだ。
経済の崩壊は当然軍事力に致命的な影響を与え、救世教政権はまともに兵器を生産することも、兵士を雇用することも不可能になった。
対して首都惑星リントヴルムを落ち延びた『連合』政府は、腐っても政治・経済についての専門家の集団であり、激減した領土から何とか兵力を再建する事に成功した。こうして『大内戦』は『連合』政府の勝利に終わったのだ。
「もしあの時、占領した惑星の人材を活用していれば、私たちは勝利していたでしょう。同じ轍を踏むほどには、私は愚かではありません」
第一司教は静かに言った。
「救世教最高指導者たる第一司教猊下にしては随分と、現実的なお考えを持っていらっしゃいますな」
アディソンは第一司教に皮肉を返した。「神敵に妥協してはならない」というのが、救世教の教義の根幹だったはずだ。その最高指導者が自ら、教義を曲げるような事を言うとは思わなかった。
「逆ですよ。最高指導者だからこそ、現実的にならなければならないのです。原理主義者になるのは、末端の人間にだけ許された贅沢であって、指導者がそれを享受する事は許されません。当時の第一司教には、その事が分かっていませんでした」
第一司教は事もなげに、『大内戦』時の前任者を批判した。アディソンは正直面食らった。救世教第一司教は、現世における神の代理人として崇敬を集める立場のはずだ。
死後には聖人として、ほとんど神に等しい扱いを受ける。第一司教は平然と神を批判したに等しい。
「神は完全ですが、人間は不完全なものです。例え救世教の最高指導者でも変わりません」
アディソンの驚愕に気付いたのか、第一司教は素っ気なく付け加えた。
「現に私は、救世教開祖の血を引いているというだけの理由で、第一司教の地位に就いています。救世教の聖職者たちが完全な存在であれば、決してそのような選び方はしなかったでしょう」
アディソンは息をのんだ。救世教第一司教の口から、まさかここまでまともな言葉を耳にするとは思わなかった。
或いはこのような人物がイピリア政府を指導しているからこそ、今のところ『大内戦』時代のような残虐行為が起こっていないのだろうか。
第一司教は話を続けた。
「さて我が国からも、あなた方に提案があります。『共和国』軍に対する私たちの攻撃と呼応する形でイルルヤンカシュ協定を破棄し、『共和国』の占領地に侵攻しませんか?」
「何ですと!?」
思ってもみなかった言葉に、アディソンは再び驚愕を味あわされた。第一司教の提案はこちらが要求していた一時的な休戦協定どころではない。リントヴルム政府とイピリア政府が同盟し、『共和国』を倒そうと主張しているのだ。
「あなた方の領土内にいる『共和国』軍主力は、私たちイピリア政府の軍が撃破します。あなた方はただ、守る者のいない土地を占領すればいいのです」
(この女、一体どこまで知っている?)、アディソンは内心で呻いた。
『連合』リントヴルム政府は『共和国』に旧ゴルディエフ軍閥領を譲渡するという形で休戦協定を結んだ。だが軍と外務局の一部を除いて、この協定を真面目に順守しようと考えている勢力など存在しないのが実情だ。
イルルヤンカシュ協定で定められた国境は締結時の両軍の配置を反映しているが、リントヴルム政府はこのまま事実上の敗戦を受け入れる気などまるでない。『共和国』がイピリア政府軍と戦って弱体化した所を見計らって再び参戦し、失った領土全てを取り戻す気でいる。
救世教第一司教の提案は、明らかにその事を知ってのものだった。「待つ事はない。今すぐ行動を起こせば、あなた方は欲するものを手に入れられる」、彼女はそう誘惑している。
「保障を頂きたいですな。そちらの軍が決してこれ以上、我が国に踏み込んでこないという保障を」
何とか驚愕を押し殺すと、アディソンはそう答えた。『共和国』に侵攻するとなると、莫大な量の軍隊が必要だ。おそらくリントヴルム政府の領内は空になってしまう。
そこでイピリア政府が『共和国』軍への攻撃ではなく、リントヴルム政府領の惑星への降下作戦を選択すれば、リントヴルム政府はあっと言う間に滅亡してしまうのだ。
それこそが、イピリア政府の提案の真の狙いかもしれない。
その危険を防ぐには首都惑星リントヴルムに対する侵攻拠点となりうる惑星からの、イピリア政府軍の退去程度の確約は取り付けなければならない。アディソンはそう判断していた。
「分かりました。私たちは惑星グレンデルを中心とする惑星群及び惑星フルングニルを中心とする惑星群から、治安維持部隊を除く軍を退去させます。そちらは惑星エキドナを中心とする惑星群と惑星キリムを中心とする惑星群から軍を退去させて下さい」
その考えを読んだかのように第一司教はそう答え、アディソンは内心で唸った。確かにその2つの惑星群からイピリア政府軍がいなくなれば、首都惑星リントヴルムへの大規模な攻撃はひとまず不可能になる。
対する交換条件も完全に受け入れ可能なものだ。エキドナとキリムは確かに首都惑星イピリアの近傍に位置するが、グレンデルやフルングニルより人口が少なく、産業の規模も小さい。
つまり相手が裏切って非武装化された惑星に侵攻してきた場合の被害は、リントヴルム政府よりイピリア政府の方が大きく蒙ることになる。随分と寛大な条件を提示してきたものだった。
「どうですか? ただの休戦協定などより、よほどそちらに都合がいいのではありませんか?『共和国』軍と戦うのは我々で、領土を得るのはあなた方。より大きなリスクを負うのも我々の方です」
第一司教は駄目押しのように言った。確かにそう見える。イピリア政府軍はリントヴルムに攻めてこないばかりか、潜在的にはイピリア政府と同じくらい危険な『共和国』軍を攻撃してくれると言うのだから。
「確かに多数の『共和国』軍が我が国の領内にいますが、『共和国』内も無主の地ではありますまい。宇宙軍の半分と地上軍の8割は残っているはずです」
魅力的な提案なのは事実だが、アディソンは敢えて渋って見せた。結んだばかりの『共和国』との休戦協定を破れば、リントヴルム政府の評判は最悪になる。
しかもそれだけでは無い。『共和国』に侵攻して勝てるか自体もかなり怪しいのだ。
旧『連合』軍には辺境部隊と首都防衛軍という2つの軍隊が存在した。そのうち辺境部隊はそれなりの実戦経験を積んでいる一方、首都防衛軍は安全な場所で遊んでいるだけだった。
そしてイピリア政府軍が辺境部隊を中心にしているのに対し、リントヴルム政府軍は首都防衛軍を主体にしている。
その実力には控えめに言っても疑問符が付くし、ましてやファブニルの勝利によって世界最強の軍隊の称号を得た『共和国』軍に勝てるかは極めて疑わしい。
もし勝っても莫大な被害を受けるだろうし、そこにイピリア政府軍が攻めてきたりすれば泣くに泣けない。アディソンはそう思う。
「ならば、あなた方は『共和国』を攻めなくてもいいですよ」
「は、今何と?」
「言葉通りの意味です。我が国が『共和国』軍を攻撃している間、あなた方は他の行動を取ってもいいのです」
対する第一司教の返答に、アディソンは愕然とした。聞き違いかと思って確認したが、第一司教は微笑んだままだ。
「それでいいのですな?」
アディソンは半信半疑のまま、今一度確認した。イピリア政府が単独で『共和国』を攻撃してくれるなら、リントヴルム政府にとってこれ程素晴らしいことは無い。少なくとも軍事的な意味ではだ。
どちらが勝とうと、リントヴルム政府にとっては敵が1つ消滅し、もう1つも消耗することになる。そこで戦争を再開すれば、1人勝ちできるのだ。
いや待つ必要もない。イピリア政府軍が『共和国』軍を攻撃している間に、リントヴルム政府軍が彼らの領土に攻め入ることもできる。そうなれば内戦は勝ちだ。
「ええ、私たちはそれでいいですよ」
第一司教はまだ微笑んでいる。しかしその笑みには、強烈な毒が含まれていた。続いて彼女は、狂喜すべきか困惑すべきか分からないでいるアディソンに対し、決定的な言葉を放った。
「その場合、リントヴルム政府はこう呼ばれますね。『共和国』と必死で戦っている我が国を背中から刺し、『連合』の希望を破壊した売国奴と」
「な?」
アディソンは絶句した。第一司教の真意に気づいたのだ。
リントヴルム政府が旧ゴルディエフ軍閥領を割譲するという条件で『共和国』と休戦協定を結んだことは、国民の評判が極めて悪い。
事実上の降伏であり、『連合』の誇りを汚すものだ。特に平民は誰もが陰ではそう言っていることが、内務局の調査で分かっている。
一方、『共和国』への徹底抗戦を訴えるイピリア政府は、どちらの政府の領内に住んでいるかに関わらず『連合』人の評価が高い。救世教は嫌いでも、イピリア政府の軍事的能力と長年の敵国に対する不屈の姿勢を評価し、同政府を賛美する者は多いのだ。
そのイピリア政府が『共和国』と戦っているところに、リントヴルム政府が攻撃を加えたりすればどうなるか。確実に大規模な、致命的かもしれない規模の暴動とストライキが発生する。それ以前に軍が命令を聞いてくれるかも怪しい。
どちらの側にもつかず傍観するという選択はまだましだが、それもあまり得策とは言えない。『連合』人はリントヴルム政府の傍観を『共和国』寄りの中立政策と見なし、嫌悪するだろう。
逆に長年の敵国に単独で立ち向かったイピリア政府の評判は跳ね上がる。イピリア政府領に住む『連合』人は自らの政府への信頼を強め、リントヴルム政府領に住む『連合』人は自らの政府の弱腰を嘆く。そんな展開が容易に想像できる。
それに対し、第一司教の提案に乗って『共和国』への侵攻を行えば、リントヴルム政府の国際的な評価はともかく国内的な評価はかなり回復する。宿敵に奪われた領土を奪回すれば、その宣伝効果は単なる『共和国』軍撃破以上に大きいのだ。
大量の領土を喪失したせいで「世界最大最強の国家」の看板が危うくなっているリントヴルム政府としては、是非ともここで少しでも領土を奪還し、国民の支持を獲得しておきたいところだ。ならば第一司教の提案に乗って…
アディソンは誘惑が胸中で膨れ上がるのを感じたが、必死で自制した。『共和国』への侵攻は国内で政治的な得点を得る手段として素晴らしいが、国際的評価及び軍事的には愚行そのものだ。利益と危険は慎重に天秤にかける必要がある。
「取り敢えず、そちらの提案は持ち帰らせていただきます。明日には回答しますので」
アディソンは辛うじてそう答えた。どのみちアディソンには、ここまで大きな交渉を単独で決める権限は与えられていない。政務局及び最高会議に諮る必要があった。
「分かりました。よい返事を期待していますよ」
最後だけ型通りの返事をすると、第一司教は銀白色の髪をたなびかせながら退室していった。アディソンはそのほっそりとした後姿を呆然と眺めているしかなかった。
第一司教の退出後、アディソンはすぐさまリントヴルム政府首脳部に、イピリア政府が持ちかけてきた取引について報告した。
そしてアディソンは、今さらながら自らが所属する政府について暗澹たる思いを覚える事になる。リントヴルム政府は躊躇なく、イルルヤンカシュ協定の破棄と『共和国』領への侵攻を決定したのだ。
イピリア政府軍が『共和国』軍を撃破している間に、イルルヤンカシュ協定で奪われた領土を奪回する。リントヴルム政府はそう決断を下していた。
「我々は罠に嵌ったのではないか」、アディソンは後にそう思ったがもはや事態はどうしようもない段階に来ていた。
イピリア政府軍のオルトロス攻撃と呼応して、リントヴルム政府軍は『共和国』占領下にある旧ゴルディエフ軍閥領に向かって総出撃を行った。
その戦力は戦闘艦艇1800隻、輸送艦、工作艦、揚陸艦などを含めれば4500隻に達する。揚陸艦には地上軍300万が乗り込み、対象となる惑星の恒久占領を視野に入れていた。
彼らが出撃する光景は壮観だったが、アディソンを含むリントヴルム政府高官の一部は、雄大な隊列を眺めながらふと寒気を覚えた。『連合』の財閥階級は身内が死ぬと恐ろしく盛大な葬儀を行い、平民からは「死を祝っている」とやっかみ半分に揶揄されたりしている。
船外灯を輝かせながら出航していく宇宙船舶の集団は、それと同質のもの、リントヴルム政府を送る巨大な葬列に見えてならなかったのだ。
偵察巡洋艦オルレアンから発進したアリシア・スミス飛行曹長とエルシー・サンドフォード飛行兵曹のペアは、激戦の中に身を置いていた。現在敵機の大群は第2艦隊群全体を包み込んでいる。彼女たちは母艦が所属する部隊、第261戦隊周辺に展開し、敵の対艦攻撃を迎撃するという任務を担っていた。
第261戦隊はオルレアンと2個駆逐隊で臨時編成された部隊で、要は小規模なミサイル戦闘群である。所属する第122、第183駆逐隊の能力は、2か月半前の第五次ズラトロク会戦の時に比べれば格段に向上を見せており、同数の駆逐艦部隊には十分対抗できるとされている。
だがこの部隊は巡洋艦と駆逐艦だけで編成されているため、航空攻撃に対しては非常に脆い。大型艦や新造艦に続々搭載されている新型の射撃指揮装置が無く、対空砲の数も少ないためだ。
結局一番の「対空兵器」は、オルレアンに搭載されている8機のPA-25戦闘機というのが実態で、司令官のリコリス准将は2機ずつでペアを組んで、接近する敵機を追い払うように命令していた。
「多すぎる…」
エルシーは敵機の数を見て呻いた。宇宙軍大演習の時でさえ、これほど大量の宇宙航空機が飛んでいる姿は見たことがない。第2艦隊群全体が、蛍火のような青白い光に覆い尽くされているようだった。
これほどの敵機を相手にたった8機のPA-25が立ち向かえるのか、エルシーは内心でそう疑った。オルレアン艦載機隊は既に10機を撃ち落しているが、敵機の数は一向に減る気配を見せない。新手が次から次へと現れては、味方艦にミサイルを撃ち込んでいく。
自分たちの戦いは蟷螂の斧以下の空しい試みではないかと疑うに十分な光景だった。なお地味な艦ばかりで編成された第261戦隊は今のところ無視されているが、その幸運がいつまで続くかは不明だった。
「エルシー、次はあいつらを狙いましょう!」
対してエルシーの僚機を操縦するアリシア・スミス飛行曹長の方は、その手の絶望や焦燥感とは無縁のようだった。実に楽しそうな口調で、狙うべき目標を指示してくる。
エルシーは慌てて疑念を振り払い、アリシアの後に続いた。アリシアはエルシーが知る限り最強のパイロットだが、単機の戦いには限界がある。ある敵機を攻撃している間に他の敵機に襲われれば、どんなに優秀なパイロットでも攻撃に失敗するか、悪ければ撃墜されるのだ。
暴走しがちなアリシアを援護し、彼女が着実に戦果を挙げられるようにするのが自分の役割だと、エルシーは思っていた。
アリシアが指示した目標は、対艦ミサイルを抱いた6機のスピアフィッシュだった。1個中隊は8機のはずだが、2機は撃墜されるか故障で離脱したのだろう。
アリシア、そしてエルシーがこの編隊を狙う事にしたのは、飛行針路が第261戦隊とぶつかっていたからだ。たった6機とはいえ、敵の腕が良ければ駆逐艦くらいは沈められる。最悪の場合、旗艦オルレアンが戦闘不能になるかもしれない。撃ち落すか、少なくとも追いつめてミサイルを投棄させる必要があった。
エルシーが少し後ろについて援護する中、アリシアはV字型に組まれた編隊の最後尾にいる敵機に接近していった。宇宙戦闘機は構造上、後方に見張りが効きにくい。自らのエンジンから噴き出す高温ガスのせいで赤外線探知が出来ないし、機体後方にはレーダーアンテナも搭載できない(熱で溶けてしまう)ためだ。
そのため空戦では、敵機を真後ろから撃つのが必勝の戦法とされている。
「待ってアリシア、他の敵機がいる!」
後少しで射程内だが、モニターの警告表示を確認したエルシーはアリシアに注意を促した。敵の1個小隊4機、恐らく対空装備の護衛機が現れたのだ。
だがアリシアは回避行動を取ろうとしなかった。そのまま、最初の敵編隊への接近を続けている。
「ちょっと、聞いて?」
「聞いているわよ。相手を罠にかけようとしているの!」
アリシアは微妙に不機嫌そうな声で返答してきた。
「相手は多分、あたし達がまだ気づいていないと思っているわ。レーダーも回していないしね。そこで一撃をかけてやれば、きっと驚くはず」
アリシアの言う通り、オルレアン艦載機隊は基本的に自機のレーダーを使わず、光学機器のみを使って戦っている。レーダーを使うのは射撃時の一瞬だけだ。
こんな戦い方をしているのは、レーダーという兵器が両刃の剣そのものだからである。レーダーを使えば光学装置では探知不可能なほど遠くにいる敵を発見できる可能性がある一方で、敵にもほぼ確実に存在を気取られる。不審なレーダー波が探知されれば、近くに非友好的な軍艦なり航空機なりが存在するのが確実だからだ。
レーダーは確かに戦闘において欠かせない兵器だが、使わずに済むならそれに越したことはないというのも事実なのだ。
そのため『共和国』宇宙軍では、レーダーを切り、機関出力も最小限に絞った状態で敵艦に接近し、ミサイルを発射して逃げるという戦術がよく使われる。
第261戦隊を指揮するリコリス准将も前の『共和国』-『自由国』戦争において、惑星フレズベルクに停泊していた敵戦艦にこの種の攻撃を敢行、同艦を中破させるという戦果をあげた事があった。
もちろんレーダーを使わなければ敵に発見されにくくなる一方で自らも盲目同然になってしまうが、オルレアン艦載機隊は母艦から情報を受け取る事で、敵機の早期発見と奇襲を可能にしていた。
オルレアンは元が指揮専用艦であり、搭載されているレーダーと送受信機の性能は他の巡洋艦どころか大抵の戦艦をも上回る。指揮下の8隻の駆逐艦と合わせて、8機の航空機に情報を送る程度の事は容易だった。エルシーが探知した警告も、オルレアンから送られてきたものだ。
4機のスピアフィッシュ戦闘機が真後ろから近づいてくる様子が、エルシーが乗るPA-25のモニターに映っている。既に気づかれているとは考えてもいないらしく、警戒心の欠片も感じられない直線的な動きだ。
「来てる。来てる」
アリシアの楽しそうな声が、戦闘機用ヘルメットに内蔵されたスピーカーから聞こえてくる。敵機が自分の罠に嵌りつつある事が嬉しくてならないのだろう。
もうすぐで機銃の射程に入る、そのタイミングでアリシアとエルシーはエンジン出力を最小に落とすと、機体を急旋回させた。
敵機も慌てたように続くが、その動きはお世辞にも上手いとは言えない。パイロットの技量云々以前の問題として、いい鴨と思っていた相手が急に高度な機動を見せた衝撃で、まともな対処が出来なくなっているのだろう。
数度の旋回を繰り返した後には、アリシアとエルシーは完全に敵の背後に回り込んでいた。敵はジグザグに飛行して2機を振り切ろうとするが、相手が悪すぎた。
アリシアは飛行学校時代から空戦の天才と謳われているし、エルシーも秀才レベルには十分達している。このようなペアが行う機動に普通のパイロットが対抗できるものではない。
しかも戦闘の条件も不当なほどに『共和国』側有利だった。『連合』側は自己の索敵機器のみに頼って戦わねばならず、相手が離れたり真後ろに位置したりすれば探知できなくなる。対する『共和国』側は母艦から常に敵機の位置情報を受け取れる。一方が目隠しをされた状態でボクシングをするも同然だった。
必死で態勢を逆転させようとする4機のスピアフィッシュに、アリシア機が近づいていく。狙われた機体の僚機が妨害しようとするが、その敵機はエルシーが牽制する。前の方にいる残り2機は間に合わない。アリシアは鼻唄交じりに、搭載火器の照準を合わせていった。
待つほどの事もなく、続けざまに4つの光が爆発する。アリシアが3機、エルシーも1機を仕留めたのだ。2機はそのまま、当初の目標だった対艦装備の敵機への追撃を再開した。