緑旗ー6
「一体どうして、あの女が輸送船に乗っているのよ? まさかファブニル以外の星でも強制移住を実施する気なの?」
艦長室に戻ったリコリスは吐き捨てるように言いながら、冷めた紅茶を一気に飲み干した。続いて棚から酒瓶を取り出す。『ジャック・ケッチ』とかいう銘柄の蒸留酒である。
リーズは慌てて止めた。なお、珍しい事ではない。リーズが着任した当初、リコリスは演習中以外、ほとんどいつも酒を飲んでいた。
書類も半ば酔っぱらいながら作成しており、当然ながら上層部に顰蹙を買っていた。本人いわく、「どうせ飲んでいなくても出来ない作業なら、せめて酒で苦痛を麻痺させながら行うほうがまし」という事らしい。
ちなみに最近はリーズが書類仕事を代行しているお蔭か、酒よりも紅茶を飲んでいる事が多い。
「艦長、勤務中にはお止め下さい!」
「ああ、ごめん…」
リコリスは我に返ったように瓶をしまいこんだが、激情の表情を浮かべているのは相変わらずだった。
先程まで通信を行っていた内務副局長は、真に奇怪な要請を行った。約2日後にドニエプル級戦艦1隻、エルブルス級巡洋艦4隻からなる部隊が、惑星ズラトロクに到着する。彼らは「我々の仲間」なので攻撃は控えてほしいとリコリスに伝えたのだ。
「待ってください。待ち合わせのためには相手の姿を知る必要があるはずです。内務局の御友人とやらは、何か目印になる物を持っているのですか?」
あまりに奇妙な指示に目を剥いたリコリスの質問を、内務副局長は皮肉っぽく訂正した。
「内務局の友人ではありません。我が国にとっての友人です。そのような表現はいささか問題がありますよ」
「ご忠告をどうも」
リコリスは吐き捨てるようにそう言うと、内務副局長からその「友人」とやらが使う暗号を聞き出した。そして彼らが最新鋭戦艦を含んでいる事も。
「随分と豪華なお出迎えですね。余程重要な積荷なのでしょうね」
「積荷の中身をご覧になりたいですか?」
女は愉快そうにそう言ったが、リコリスは感情を完全に押し殺した声で否定した。
「いえ、小官が知る必要も無いことでしょう」
「知っていたほうがいいのではありませんか。アスピドケロンでもそうだったでしょう」
「貴様!」
惑星アスピドケロンの名を聞いた途端、リコリスの表情が変わった。整った顔が非現実的な印象を与えるまでに歪み、蒼い瞳が相手を視線で射殺そうとしているかのように光る。リーズはその右手が腰の拳銃に掛かっている事に気づいた。
「え、えーと、その勢力に与える資金か何かですか?」
リコリスの反応を見たリーズは慌てて、女の質問に対する自らの推測を述べながら2人の間に入った。ついでにリコリスが拳銃を抜かないよう、さりげなくその右腕を押さえつける。
このままだと、相手が画面の向こうである事も忘れて発砲するのではないかという危惧を感じたのだ。リコリスという人は常に冷静なようでいて、どこかそんな危うさを秘めている。
「そちらの副官殿は中々優秀ではありませんか。半分正解ですよ」
女はリコリスの反応を楽しむように柔らかく笑った。どこか空虚な笑い声に釣られたリーズは思わずその紅い眼を凝視して、全く未知の存在に出会ったとき特有の戦慄を感じた。
一見すると非常に美しいが、その視線の中には正であれ負であれ、感情や情動と言うべきものが完全に欠けている。目が合った瞬間に流れ込んできたのは、単なる暗質の空虚だった。
「艦長は現在体調が悪いようですので、他に連絡事項があるのなら小官にお申し付け下さい」
リーズは、空虚に吸い込まれそうになりながらも内務副局長と向き合った。何らかの因縁があるらしいリコリスが彼女とこれ以上やり取りを続ければ、間違いなく厄介なことになる。
内務副局長が向き直った。紅色の瞳から発せられる視線が再びリーズを射抜く。心臓を冷たい指でなぞられているような不快な感触を感じた。
「麗しい事ですね。そう言えば、似ていらっしゃいますね」
暗闇が一瞬揺らいだようにも見えたが、それは錯覚だったかもしれない。内務副局長は相変わらず、思考形態の全く異なる生物が無理やり人間の笑いを真似ているような不可解な表情を浮かべている。
誰に似ていると言っているのかは聞く気にもなれなかった。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「…小官はリーズ・セリエールと申します。階級は宇宙軍准尉です」
「そうですか、覚えておきましょう」
内務副局長は不気味な虚ろさの混ざった声で答えた。これまで黙っていたリコリスが、それを聞いて再び激情が入り混じった表情を浮かべた。リーズの手を振り払い、リコリスは彼女を庇うように前に出た。
「貴方は一体、何のために我々を呼び出したのですか!?」
「さっきの要件を伝えるため。それと、見事に『連合』軍を撃退した勇敢な指揮官と、少し話がしたいと思ったからですが。ご迷惑でしたか?」
「光栄に存じます」
リコリスは言葉だけは丁寧に、唾を吐くような口調で言い捨てた。リーズは慌ててリコリスの袖を引く。幾ら気に食わない相手であろうと内務副局長だ。会話には気を付けた方がいい。そう知らせようとしたのだ。
「…随分と嫌われてしまったようですね。一応、貴方を強制収容所送りからお救いしたのは私なのですが。別に、感謝しろと申し上げる気はありませんが」
「嫌われたくないのなら、他人をいきなり呼びつけて脅すような真似を止められてはいかがですか?」
「脅すつもりは全くございませんでしたが… そうですね。次にお会いする時は、覚えておきましょう」
内務副局長はその瞬間だけ、人間的な表情を浮かべた。少なくともリーズはそう感じた。不可解な微笑の裏に、何らかの感情が見えたのだ。
互いに全く実質を伴わない言葉のやり取りを幾らか続けた後、内務副局長は通信を切った。リーズはそれを確認した瞬間、思わず倒れそうになった。リコリスもおそらくそうだった。
「本当に、内務局は何を考えているのかしらね。これ以上、余計な行為に輸送力を割く余裕はわが軍には無いのに」
酒瓶を棚に戻したリコリスが眺めているのは、現在の両国の境界を表した星図だった。開戦前、旧ゴルディエフ軍閥領は8個の有人惑星のうち『共和国』が3個、『連合』が4個を自国領としていた。
また惑星ファブニルは両国が共同管理しており、『連合』系住民と『共和国』系住民が同惑星の資源地帯を巡って衝突を繰り返していた。
そのファブニルは現在、『共和国』の支配下にあり、『共和国』内務局直轄軍が『連合』系住民の強制移送を実施していた。国防局はこれについて、貴重な輸送力を重要度の低い政策に使用するべきでは無いと抗議したが、内務局は産業及び安全保障に必要な措置だとしている。
内務局の主張の根拠は、『連合』政府が有人惑星上でのNBC兵器使用を禁じる戦時国際法を批准していない事にあった。『共和国』の戦争計画はファブニルの資源と工業地帯を使用する事を前提としているが、『連合』系の民兵組織がそれを妨害するのではないかと、内務局及び政務局は危惧していたのだ。
通常、民兵組織は産業活動に対する重大な脅威とは成り得ないが、ファブニルでは事情が違う。共同管理時代に陰で民兵組織を支援していた『連合』政府が、彼らに核兵器を渡していた可能性があるのだ。
しかも『連合』政府は『大内戦』時代に、救世教徒に占領された自国領への核攻撃を行った前科がある。民兵組織が核による自爆テロを実施する危険を考えれば、『連合』系住民はファブニルから追放するしかない。内務局はそう主張していた。
内務局の主張が正しいにせよ間違っているにせよ、強制移送はただでさえ潤沢とは言えない『共和国』軍の輸送力に過大な負担をかけていた。
戦時標準船1隻は完全武装の兵員2万人、もしくは民間人10万人を輸送できる。ファブニルの『連合』系住民4億人を全て追放するには、のべ4万隻が必要という事になるが、これは『共和国』宇宙軍が保有する輸送船舶の総数より多かった。
実際に強制移送の対象になるのは重要地域に居住する6000万人だが、それでも重い負担である事に代わりはない。
それでも当初、ゴルディエフ軍閥領制圧は短期間で終わると見られていた。開戦前の協定により、同地域には治安維持を目的とする軽装備の地上軍しか配備されていない。
『共和国』地上軍が機甲部隊を投入すれば、短期間で『連合』地上軍の組織的抵抗は止むと予想されたのだ。
その予定を狂わせたのは残存する宇宙軍だった。彼らはゲリラ的な活動を続け、『共和国』軍の輸送船団に執拗な攻撃を続けていたのだ。
輸送船の沈没、あるいは船団が迂回航路を取らざるを得なくなった影響により、当初は2週間で完了するはずだったゴルディエフ軍閥領の戦いは、一か月経っても終わっていなかった。
特に厄介なのが、ドニエプル級という名称が捕虜への尋問によって判明した新鋭戦艦だった。高速で捕捉しにくい上に、全ての『共和国』軍艦を圧倒しうる攻防性能を持つ。
この艦が出てくると、例え船団の防衛には成功しても護衛部隊は大損害を受けるのが常だった。これまでの情報を総合したところ、ドニエプル級戦艦はゴルディエフ軍閥領に3-4隻しか存在しないらしいという推測だけが救いと言えた。
「ファブニルで敵の後方部隊を逃がしたのが祟っているわね」
リコリスは星域図と先ほどの戦闘で生じた被害の報告を眺めながら忌々し気に言った。
「後方部隊ですか?」
リーズはリコリスに真意を尋ねた。あまり聞いたことの無い意見だと思ったのだ。
ファブニル星域会戦は間違いなく『共和国』軍の勝利だったが、完全勝利とまでは言えなかった。敵の重要な部隊をかなり逃がしてしまったからだ。
砲術畑の人間は戦艦部隊に止めを刺せなかった事、航空畑の人間は空母部隊を多く逃がしてしまった事を悔やんでいた。
そんな中で、後方の高速輸送艦や工作艦などの撃沈に失敗した事を悔やんでいる者は少数だった。これらの艦の重要性は頭では理解されているのだが、根深い偏見が邪魔をしていたのだ。
今回もそうだが、輸送部隊は内務局直轄軍に臨時編入されて、彼らが行う活動に従事することが多い。『共和国』-『自由国』戦争では緒戦における焦土作戦を実施したし、戦後は占領した惑星の政治指導者や救世教徒を強制収容所に移送する任務を担った。
そのせいで宇宙軍の実戦部隊は、後方部隊を継子扱いする傾向がある。国防局と内務局のどちらに属するかよく分からない集団、それが後方部隊への認識だ。内務局直轄軍の行動がしばしば正規軍の美学に反する事も、偏見を助長していた。
「逆に聞くけど、我が軍の後方部隊は基地の支援なしに一か月間艦隊を維持できる?」
「難しい…でしょうね」
「でも、『連合』軍の後方部隊にはそれが出来る。連中は全ての宇宙軍基地を占領されるか破壊されているのに、未だにゴルディエフ軍閥領をうろうろしている」
リーズはリコリスの言わんとする所を理解した。『共和国』軍の常識では、軍艦と言うものは一回戦えばしばらく動けなくなる。
乗員は死傷せずとも疲労して戦闘力が落ちるし、艦を酷使すれば被弾しなくても何処かに故障が生じるからだ。補給艦や工作艦が随伴すれば再戦が可能になる場合もあるが、艦隊レベルの兵力を維持するだけの後方部隊を用意するのは困難だった。
大規模な艦隊戦を行った後は、最寄りの有人惑星に寄港して艦の修理と乗員の休養を行うというのが、『共和国』軍の習慣だったのだ。
だが『連合』宇宙軍はもう一か月に渡って、寄港もしないままゴルディエフ軍閥領を徘徊していた。『共和国』軍の常識では寄港無しに作戦行動を取れる時間の上限を遥かに超えている。
もちろん個々の船団襲撃部隊はせいぜい数十隻で、その分補給もやりやすいのだろうが、それにしてもしぶといとしか言いようがない。
おそらく『連合』の後方部隊は物資の補給は元より、損傷艦に応急措置以上のレベルの修理を行う能力を持っている。後方部隊には慰安施設の役割を果たす艦までが含まれている可能性があった。
「『連合』の後方部隊は、我が軍に比べて格段に能力が高い。その厄介な後方部隊を、我が軍は取り逃がしてしまった」
「『連合』軍の方が、我が軍より良い建艦政策を執っているという事ですか?」
リコリスの呟きに、リーズは質問を返した。相手を間違えれば上層部批判として扱われかねない問いだが、リコリスは安心してこの手の質問が出来る相手だった。
「そうとも言えないわね。考え方の違いだし」
リコリスは少し表情を和らげながら、両軍の戦略思想について説明した。
『共和国』宇宙軍は基本的に守りを重視した軍隊だ。主要な任務は自国領の付近に存在する敵を打ち払うことで、敵国の奥深くに侵入する事はあまり考えられていない。部隊の編成において、長期間の作戦行動能力が求められていないのもそのせいだ。
一方の『連合』は半ば建前とはいえ、人類世界全体の再統一を掲げる国家だ。その軍隊は敵国の領土に長期間留まって作戦行動を行えるように作られている。『共和国』が戦闘艦艇の建造を重視し、『連合』が多数の補助艦を持つのはそのせいだろう。
「ただ、心配なのは我が軍のこれからの行動ね。戦争の経過次第では、全く不向きな任務をやらされるかもしれない」
「『カラドボルグ』作戦の事ですか?」
「その通り。我が軍の輸送力で、あんな作戦を実施できるとは思えないのよ」
『カラドボルグ』とは、ゴルディエフ軍閥領制圧が完了した後に実施予定の『連合』領侵攻作戦である。幾つかの試案が議論に上がっているが、最も野心的な案では『連合』の首都惑星リントヴルムを占領して傀儡政権を打ち立てる事になっていた。
もしこれを実行するなら、最低でも2000万の地上軍を敵性地域に輸送して補給を維持しなければならない。それも絶え間ない妨害を受けながらだ。
歴史上、それを実行できた国家は『連合』のみである。ゴルディエフ軍閥領の制圧にすら苦労している現状を考えれば、夢物語だという批判を行っているのはリコリスだけでは無かった。
惑星イピリアに降下してきた宙兵たちは背中の降下装置を解除すると、指揮官を中心に集合して分隊単位の集団を作る。一部は同時に投下されたコンテナの周囲に集合し、内部に収められた大型兵器を手に取っていく。
流石に今度は、今まで戸惑っていた兵士たちも迅速に動いた(正確に言うと下士官たちが動かした)。演習で掘ったまま放置されていた塹壕や駐屯地内に積まれた土嚢の山、兵営の壁の陰などに各小隊、分隊が飛び込み、接近してくる敵兵に十字砲火を浴びせる。
小銃が最も多いが、分隊毎に装備している軽機関銃、あるいは数は少ないが重機関銃も重く連続した発射音を立てる。
宙兵の方も小銃および重擲弾発射機で応戦する。まず重擲弾発射班が閃光弾を撃ち込んで装甲服のセンサーを数秒間麻痺させ、その間に小銃を持った班が接近して政府軍兵士に銃弾を撃ち込む。正規軍同士の戦いでは非常によく見られる戦術だった。
閃光弾が放つ白い煌めきと、機関銃から放たれる曳光弾が交差し、その中で両軍の兵士が倒れていく。正規軍歩兵が着込んでいる装甲服は砲弾の小片や拳銃弾程度なら耐えられるが、交戦距離から撃ち込まれた8㎜小銃弾を跳ね返す事は困難だ。
運のいい者は、一応避弾経始が考慮された装甲服表面で敵弾が跳弾したために致命傷を免れたが、そんな幸運に恵まれた者は多くなかった。大抵の場合、手足への被弾は切断かそれに近い傷を、頭部や胴体への被弾は致命傷を意味している。この現実は装甲歩兵の時代になっても変わっていなかった。
小銃弾を跳ね返せる装甲服は昔試作されたことがあるが、重量増による機動性の低下とモーターの稼働時間の減少に防御力向上が見合わないとして、最終的には不採用になった。
結局歩兵が装着できる程度の人工外骨格に、敵の攻撃に正面から耐えられるだけの防御力を付与するのは不可能だったのだ。
歩兵用火器の無薬莢弾化や、車両用火器の電磁化による銃弾の装甲貫徹力向上も、攻撃力優位の傾向に拍車をかけていた。
両軍の兵士が小銃や軽機関銃の8㎜弾、もしくは重機関銃の15㎜弾を食らって倒れる中、宙兵部隊のうち戦闘に加わっていない者は着々とコンテナ内の装備を回収していた。
迫撃砲や対戦車ミサイル発射機、それらを搭載できる軽車両などが、反乱軍の戦列に加わっていく。
対するイピリア方面軍はそれを阻止すべく、歩兵戦闘車とともに攻撃を開始した。歩兵戦闘車がコンテナ周辺に迫撃砲を撃ち込み、歩兵がコンテナを奪取しようと突撃する。イピリアを巡る戦闘は、当分終わる気配を見せなかった。