緑旗ー5
リコリスとリーズは、何やら話し合いたい事があるという船団指揮官との通信のため、戦闘指揮所に来ていた。
双方向通信用のモニターには、既に通信相手の姿が映っている。それを見たリコリスは石化したように動きを止めた。彼女は基本的に他人に興味がないはずだが、何がそんなに気になるのだろう。
そう思ったリーズは、相手の服装を見てリコリスと同じく凍りついた。宇宙軍より地上軍の高級士官用に似た軍服に、銀色の星が付いた制帽。腰には高圧電流を帯びた警棒と大型拳銃。『共和国』内務局直轄軍の制服だ。
地上軍と宇宙軍は国防局が管轄だが、『共和国』にはもう一種類の軍隊がある。それが内務局直轄軍で、その名の通り内務局が指揮している。
管轄する上位組織が異なるのは、役割自体が異なるからである。地上軍と宇宙軍が敵軍の撃破を担当するのに対し、内務局直轄軍は治安維持を行う。例えば今回は輸送船のうち1隻に、惑星ズラトロクの占領地を警備する内務局直轄軍の部隊が乗っていた。
内務局直轄軍は他に、軍内の犯罪の取り締まりを行ったり、財閥が私兵を蓄えていないかを監視する憲兵の役割も担っている。そのような役割をこなす部隊であるため、他の軍の人間に蛇蝎のごとく嫌われ、恐れられているのは言うまでもない。
その内務局直轄軍に何故、彼女の上官が呼ばれたのだろう。リーズはその事が不安かつ不思議だった。リコリスに舌禍が多いのは確かだが、実戦では常に期待された以上の実績を上げている。内務局直轄軍に呼ばれるような事は何もしていないはずだ。
「緊張なさる必要はありませんよ。あなた方を逮捕しに来たのではありませんから」
相手はそう笑った。気分次第で誰でも逮捕できる身分の割に、非常に丁寧な口調なのが意外だった。もっと意外だったのは、相手の声が若い女性のものだったことだ。
「お目に書かれて光栄です。内務副局長閣下」
リコリスは感情を完全に封じた声でそう言った。
(内務副局長?)
リーズは耳を疑った。『共和国』人全てに対する生殺与奪の権利を握る内務局は、政務局に次ぐ権力を持つ政府機関だ。その内務局の副局長が、こんな小規模な輸送船団に乗っている等、常識では考えられないことだった。
ましてや今の内務局長は、お飾りで役職を与えられた財閥の道楽息子で、実務を行っているのは副局長だと聞いている。
つまり相手が内務局副局長だというのが本当なら、リコリスとリーズは内務局のトップと会っていることになる。
リーズは思わず、相手の姿をまじまじと見てしまった。やはりとても若い女性だ。歳はリコリスと同じ位だろう。やや長身で細身の体型と透き通るような白い肌も、設計されたかのように整った顔も共通している。
ただ特徴的なのは瞳だった。鮮やかな紅色をしている。それは凝集した炎の色にも、血の色にも見えた。長く伸ばした髪は白に近い銀色で、自ら発光しているかのように照明の光を反射していた。
「こちらこそ、武勲輝く英雄と話し合える事を名誉に思いますよ」
銀髪紅眼の女性は、真冬の空気のような透き通った声で、相変わらず丁寧な返答を返した。
「…ほう。英雄と」
リコリスが僅かに小首を傾げた。
「ではないのですか? 敵艦多数を撃沈し、一度も乗艦を沈められた事が無い英雄。そのような人物と会えることを、私はとても光栄に思っておりますが」
「こちらこそ、お褒めに預かりまして嬉しく思います」
皮一枚下には恐怖と敵意を秘めた声だったが、リコリスは表面上、落ち着いた声で返答していた。
「それで何の御用ですか? 内務副局長ともあろうお方が、小官のような懲罰部隊出身者の為に」
「貴方は聞いていらっしゃらないようですが、懲罰部隊は我が国の歴史から抹消されました。ですから経歴を気になさる事はありません」
「そうですか」
一瞬だけ、感情が声の表面に出たが、リコリスは尚も穏やかな口調で返答した。相手の方は無表情と微笑の中間にあるような、不可解な表情を浮かべている。
「いえ、大した用事ではありません。ただ、これからの任務について少し打ち合わせをしたいだけです」
「これからの任務? 地上軍の輸送の事ではないのですか?」
リコリスが初めて、怪訝そうな表情になった。オルレアンと駆逐艦8隻がここまで護衛してきた輸送船団には、惑星ズラトロクに降下予定の地上軍と補給物資が積まれているはずだった。
「それだけではありません。もうすぐこの惑星ズラトロク軌道上で我々の友人が出迎えてくれる事になっています。彼らに輸送船1084号に搭載された積荷を受け渡して欲しいのですよ」
「輸送船1084号? 閣下が乗っている船ですか?」
「その通りです。何分、非常に重要なものなので、私が直々に運ばざるを得ないのです」
「それなら、もっと多くの護衛をつけるべきでしたね」
リコリスは少しばかりの皮肉が籠った声で言った。リーズも同感である。巡洋艦1隻と駆逐艦8隻、それも訓練不足の艦というのは、政府の要人を護衛する部隊としては少なすぎる。
「私は貴方の能力を信じておりますので」
内務副局長はそう言って誠意が不明瞭な笑い声を上げた。本心なのか、何か意図があって歓心を買おうとしているのかは相変わらず不明だった。
イピリア方面軍はようやく、本格的な動きを見せ始めた。装甲服を着終えた歩兵部隊が歩兵戦闘車と共に、敵の降下が予測される位置に進む。
さらに普段は格納庫に仕舞い込まれている旧式の対空自走砲も、一発も撃つことなく破壊されてしまった対空砲陣地のピンチヒッターとして出撃した。
宙兵の一部は既に降下し、イピリア方面軍の通信所や物資集積所、爆撃を生き延びたレーダー基地と対空砲陣地を襲撃している。
敵の脆弱点を集中攻撃して敵軍の機能を一時的に麻痺させ、本隊の降下を支援する。宙兵部隊の基本的な運用法である。
「狙われている地点には必要最低限の予備のみを貼り付け、まだ上空にいる連中を先に攻撃しろ。これ以上の数が降りる事を許してはならん」
幕僚の一部は既に降下した宙兵を攻撃するよう進言したが、アージェンスは却下した。一旦降下してしまった宙兵部隊を仕留めるのは容易ではない。
何しろ宙兵は『連合』軍のエリート部隊であり、1人でも数日間は戦闘を続けることができる精兵なのだ。降下と散開を完了した彼らを短時間で殲滅するのは不可能と言っていい。
むしろ狙うべきは、未だに上空にいる連中だ。宙兵の降下は申し訳程度に制御された自由落下でしか無く、地上砲火に対する回避行動はほとんど取れない。
また降下中は当然ながら腰を据えた射撃が出来ないので、有効な反撃も不可能だ。今なすべきなのは、敵が最も無防備な状態にいるところを攻撃し、これ以上数を増やさないようにする事だと、アージェンスは判断していた。
「撃て!」
まずは対空自走砲が細長い砲身をもたげ、上空に対して発砲を開始する。見た目には勇壮な光景だが、実のところ効果はあまり期待できなかった。
この自走砲は本来他のレーダーと連動して運用される兵器だが、そのレーダーが破壊された以上、自前の小型レーダーと目視に頼って発砲するしかない。しかも出撃した40両のうち、数両は長い間死蔵されていたためにシステムの一部が動かなくなっていた。
それでも毎秒数十発の勢いでばら撒かれる対空機銃弾の一部は、降下中の宙兵を直撃した。直径40㎜という大口径弾は人体のどこに命中しても、即死を引き起こす。
宙兵部隊は普通の正規軍歩兵部隊と同様に装甲服を着込んでいるが、その性能は40㎜弾の前には障子以下でしかない。装甲服といってもその機能はむしろ内蔵されているサーボシステムによる運動能力の強化が中心で、大口径機銃弾に耐えられるような強度など持っていないのだ。
対空自走砲群が斉射を繰り返すたびに、上空の数か所で赤いものが飛び散る。数発の40㎜弾を食らった人体がその衝撃に耐えきれず、文字通り霧消しているのだ。
着弾の瞬間に液状になった肉が血とともに風に吹き散らされ、砕けた骨と装甲服の金属部品と分離しながら落下していく。
またより少数の、ある意味ではより不運なものは、降下装置を40㎜弾で破壊された。『連合』の技術の粋を集めて作られた精密機械が一瞬でただの金属屑に変じ、降下が落下に代わる。
彼らは必死で態勢を立て直そうとしたが、いくら機械を操作しても吹き飛ばされた降下装置が戻ってくるはずもない。降下装置を破壊された宙兵は仲間より一足先にイピリアの土を踏んだ。もちろん、再び歩き出すことはない。
その様子を見ながら、地上にいる兵士たちは奇妙な表情を浮かべていた。戦果を喜ぶべきであるという原則と、上空の兵士たちも本来は同じ『連合』軍の仲間であるという事実が彼らの中でせめぎ合っている。
とにかく上官が殺せといった対象を殺すのが軍人の務めではあるのだが、それにしても今回の戦いは彼らにとって理解不能だった。
彼らがほとんど呆然として戦況を見守る中、再び大気との摩擦でやや赤みを帯びた黒い塊が降ってきた。上空の艦隊が再度、対レーダー爆弾を投下したのだ。
停止しながら射撃を繰り返していた対空自走砲群が、急に泡を食ったかのように動き出した。このままでは基地のレーダーの二の舞だ。そう判断して、何とか爆弾を躱そうとしている。
この時代の戦闘車両は基本的に発電用の低圧反応炉と交流モーターを駆動力としており、内燃機関とはけた違いの出力を発揮できる。見た目には地球時代の同種の兵器とさほど変わらない戦闘車両だが、その機動力は段違いだ。
重量40tを超える対空自走砲が、舗装路を駆け抜けるスポーツカーを思わせる加速力を発揮して、落下してくる爆弾を躱そうとする。
だが彼らにとって不運だったのは、そのような機動力の向上など、超音速で降ってくる爆弾の前ではドングリの背比べに過ぎなかったことだ。
しかも対レーダー爆弾は目標を直撃する必要はなく、その周囲で炸裂すれば十分だ。その目的は車両自体の破壊では無く、あくまで銃身やレーダーアンテナを破壊すれば十分だからだ。
艦対地兵器に対する回避運動など、所詮は猛禽の攻撃を避けようとする陸上生物の悪あがきでしかない。彼らは身を以てそれを思い知ることになった。
再び空に一瞬の閃光が走る。その後に轟音が続くが、それを聞いた者の数は閃光を目にした者の数より僅差だが少なかった。運悪く爆心地付近にいた将兵が、音速を遥かに超える速度で広がる爆風と弾片によって粉砕されたためである。
そしてもちろん、主目標の対空自走砲にも損害が続出した。軽戦車のものを流用した対空自走砲の車体は、空中で爆発する砲弾や爆弾に対してはかなりの耐性を持つ。
しかし残念ながら、上部に設置された機関砲とレーダーはそうではなかった。レーダーのアンテナは大きめの破片ひとつであっさりと機能を止め、機関砲の駆動系も動かなくなる。閃光と爆風が収まった後に地上に残っているのは大抵、ただ自走が可能なだけの鉄塊だった。
対レーダー爆弾はなおも落下し続ける。たかが40両の対空自走砲に対して大げさとも言える爆撃だが、あるいは自走砲のレーダーだけでなく、歩兵に対する制圧効果も狙っているのかもしれない。
少なくとも当の歩兵部隊はそう感じた。上空に閃光が走るたびに運の悪い戦友が地上から刈り取られ、あるいは気づけば自らの手足が破片で切断されている。
爆撃を受けている間にしばしば感じる、全ての爆弾が自分に向かって落下しているという印象は、軍事的な常識にも理屈にも合わないが、人間心理においては圧倒的な説得力を発揮した。
「何をしている! 奴らを撃て!」
ようやく爆撃が終わっても呆然としたままの歩兵部隊に、士官たちの怒号が飛んだ。対空自走砲は結局大した被害を与えられないまま無力化され、宙兵のほとんどは無傷で降りてきている。
そして今やその大部分が、歩兵用の小火器でも届く高度にいた。
兵士たちは最初はためらいがちに、次第に決然と引き金を引いた。国家保安隊が装備する火器より大きく、重く、そして初速の大きい銃弾が初めは散発的に、徐々にペースを上げて発射される。
この射撃は意外に大きな効果を上げた。普段は銃による対空射撃の訓練などほとんど行われておらず、しかも躊躇と混乱から照準に狂いが出ている兵も多かったが、それでも数は力だ。
ソロン市に駐留する歩兵3個師団分の一斉射撃は、次々に反乱軍の宙兵を捉えた。
正規軍歩兵が装備する8㎜弾には40㎜弾のような、どこに命中しても敵兵を一撃で即死させるような威力はないが、食らった兵はかなりの確率で無力化される。
地上部隊が射撃を行うたびに、多数の宙兵がのけぞり、一部はそのまま降下を制御できなくなって地面に落下した。
「いいぞ。そのまま撃ち続けろ!」
戦果に気をよくした士官たちは、自分の部下をけしかけた。兵士たちはそれを聞き流しながら、空になった弾倉を交換すると、再び空に照準を合わせる。なおも釈然としないものを抱えながら。
その彼ら目がけて、再び黒い塊が落下してきた。それを見た兵士の一部が悲鳴を上げて地に伏せた。爆弾だと思ったのだ。
「何をしとるか!」
士官たちは部下の醜態を見て怒鳴りつけた。爆弾が投下された場合、歩兵は散開して遮蔽物の陰に隠れなければならない。上空からの攻撃に対して腹這いになるのは無意味どころか危険な行為だ。
敵に対して反撃が出来なくなるうえに、上空から銃撃が行われた場合、格好の的になってしまう。そのことは訓練で散々説明されているはずだが、実戦経験のない兵士たちは忘れてしまったらしい。
いずれにせよ、上空から投下された物体は爆弾ではなかった。妙に低速で落下してきた「それ」は地面に落ちてから爆発するのではなく、上空で猛烈な煙を噴き上げたのだ。
「発煙弾か」
士官たちは敵の意図を悟って呻いた。彼らは散開した歩兵部隊に対しては効果が低い爆弾では無く、視界を奪うための発煙弾を投下したのだ。
こうなってしまっては、攻撃は不可能だ。正規軍歩兵は装甲服に内蔵された通信機で情報を受け取ることで、自らの視界の外にある目標に射撃する事が出来るし、その為の訓練も行われている。しかし、そのためには少なくとも別の部隊が敵の位置を把握している必要がある。
今回の場合はそれは当てはまらない。発煙弾から放たれる煙幕は駐屯地全体を包み込んでいるし、地上から見えない敵への射撃を可能にするレーダーと航空機は先制攻撃で破壊された。つまり現在、誰一人として射撃に必要なデータを持っていない。
歩兵部隊はそれでも出鱈目に射撃を続けたが、そんな攻撃がまぐれ以外で当たるはずもない。
敢闘精神というよりパニックの表れとみなすべき銃撃をかいくぐって、宙兵部隊の第二陣が次々に地上に降りて来る。イピリア方面軍の将兵は既に敗戦を予感し始めた。




