緑旗ー4
惑星ズラトロクに到着する直前に起きた小戦闘は終わり、船団は荷卸しを始めている。オルレアンを旗艦とする護衛部隊は、その周囲を警戒していた。
もっとも敵の姿が一向に現れないので、当直のレーダー員以外の乗員は柔軟体操をしたり、トランプやボードゲームで遊んだりしている。流石に飲酒は許可されていないが、艦を覆う空気は弛緩しきっていた。何しろ艦長兼臨時指揮官までが、副官と艦隊戦チェスをやっていたのだ。
「うーん、難しいですね」
リーズは盤上を見て嘆いた。リーズは士官学校女子寮の中では割と強い方だったのだが、リコリスはもっと上手だった。リコリス側に戦略予備無しというかなり無茶なハンデをつけて戦っているのに、今日はこれで3連敗目になりそうだ。。
艦隊戦チェスは砲戦部隊、高速部隊、空母部隊、輸送艦部隊の4種類の駒を使って、10×10の盤上にある特定の位置(『星』と呼ばれる)を占領しあうゲームである。
宇宙軍人が暇な時にやるゲームの定番であり、宇宙軍士官学校でもしばしば賭け試合が行われていた。賭博は本来校則で禁止なのだが、この賭けチェスだけは軍人としての判断力を養えるという理由で黙認されていたのだ。
艦隊戦チェスに習熟している事が本当に軍人としての能力と関係あるかは不明だが、少なくともリコリスを見ると、そうかもしれないとリーズには思えてくる。
リーズは取りあえず最後の戦略予備を投入し、自陣の『星』に迫るリコリスの駒を撃退した。十数手の攻防戦で何とか膠着状態に持ち込めたかと思ったら、リコリスが次の手を繰り出してくる。もはや戦略予備の無いリーズは、それに対応する事が出来なかった。
「負けですね」
リーズは戦局を改めて確認しながらそう呟くしかなかった。リーズ側の最後の輸送艦(輸送艦は全て取られるとその時点で負けになる)は確実に後数手で取られる。
前の対局では輸送艦を後ろに下げ過ぎたせいでリコリスによる『星』の占領を許した。今度はそれを反省して前に出したのが裏目に出たようである。
「少し休憩しましょうか」
リコリスは優雅な動作で紅茶を飲みながら言った。多分彼女はかなり前から勝利を確信していただろう。チェスの名手には珍しく、リコリスはこちらが負けを認めるまで対局を続けてくれる人だった。
「こんな戦い方初めて見ました」
リーズは駒を片付けながら感想を漏らした。艦隊戦チェスは相手側陣地の『星』のうち2つを先に占領した方が勝ちだが、それで勝敗が決まる事は実の所少ない。
一番多いのは『消耗勝ち』、相手の戦力を使い尽くさせるという勝ち方だ。名手同士の戦いは大抵、『星』の奪い合いではなく駒の奪い合いで決まる。戦略予備を先に使い尽くし、相手の攻勢に対処出来なくなった方が負けである。盤上の自分に有利な場所に、いかに相手の駒を引っ張り込むかという駆け引きを楽しむゲームなのだ。
対してリコリスが決め手として使った戦術は『侵攻能力破壊』、相手の輸送艦への集中攻撃である。理論的にはあり得る戦い方だが、実際に使用された所は初めて見た。
「それがこのゲームの欠点かもね」
「どういう事ですか?」
リーズの質問に対し、リコリスは艦内の売店で買ったクッキーの袋を開けながら答えた。
「『共和国』風のルールだと、輸送艦が弱すぎるから前に出られなくて、『消耗勝ち』が主流になるのよ。『連合』風のルールだと、『侵攻能力破壊』もよく使われる手になるのだけど」
リコリスによると、『連合』の艦隊戦チェスでは輸送艦部隊の行動範囲が広く、より重要な駒になっているらしい。そのため互いに輸送艦を攻撃し合う展開がよく見られるという。
リコリスはクッキーを口に運びながら、リーズにも勧めた。有難く受け取りながらも、リーズは少し疑問を感じた。
「ところでどうして、『連合』風のルールなんか知っているんですか?」
ゴルディエフ軍閥領紛争の前、両国の仲が良かった時代には、互いの軍人が親善訪問を行ってその際に自国軍の習慣を教えあったりもしていた。だがリコリスが任官した宇宙歴696年には、既に両国の仲はかなり険悪なものになっていたはずだ。
当時強大化していた『自由国』を相手にするための友好中立条約は結ばれていたが、どちらも内心では互いを最大の敵と見做していた。そんな時代に、リコリスが『連合』軍人と交流して、彼らの艦隊戦チェスのルールを学べたとは思えなかった。
「ああ、私は元々『共和国』人では無いから」
「は?」
リーズは数秒間凍りついた。リコリスが何を言っているのかさっぱり理解できなかったのだ。リコリスは『共和国』宇宙軍に勤務し、若くして多大な戦果を上げた人物だ。ファブニル星域会戦での実績を考えれば、恐らく近日中に将官になる。
そんな人物が『共和国』人で無いとは、一体どういう事だろう。
「じゃあ艦長は、『連合』人なんですか? でも『共和国』宇宙軍士官学校を出ていますよね?」
宇宙軍士官学校が受け入れるのは当然のことながら自国民だけである。友好関係にある国の軍人が時々留学してくる事はあるが、これは例外に近い。
「だから私は」
リコリスが説明しようとした時、艦長室の呼び出し用ベルが鳴った。輸送船団の指揮官が何か話をしたいらしい。
他人とやり取りする事が大嫌いなリコリスは舌打ちしながら部屋を出ていった。リーズも慌てて彼女に続いた。
「対レーダー爆弾…」
対空砲部隊の壊滅を聞いたカレル・アージェンス、イピリア方面軍司令官は、「敵」が使用した兵器の正体に気付いて舌打ちした。
マンティス艦対地誘導爆弾。衛星軌道上の軍艦から投下されて目標の頭上で炸裂する半自動誘導兵器である。
敵軍事基地のレーダー、その他の脆弱な設備を破壊するために作られたもので、諸外国が保有する同種の兵器に比べて精度が非常に優れている。やろうと思えば衛星軌道から地上の車両一台を狙う事も可能だ。
『連合』軍は敵惑星への攻撃、占領を主目的に編成された軍隊であり、諸外国には無い宙兵部隊を始めとする優れた降下作戦能力を持つ。敵が使用した対レーダー爆弾はその一例だった。
『共和国』を始めとする辺境国家が侵攻作戦を行う場合、まずは降下予定地(普通は赤道上)に絨毯爆撃を行って敵軍の戦闘力を奪い、そこに工兵とその護衛が乗った大気往還艇を降下させる。次に工兵がその場所に軌道エレベーターの発着場を作って、本隊を送り込むのだ。
なお軌道エレベーター発着場は当然敵軍のいい的になるので、敵兵力の配置情報を知る事が、侵攻作戦において最も重要な事柄になる。
護衛部隊は工兵が発着場を完成させるまで、周辺にいる敵地上軍を撃退し続けなければならないためだ。相手の兵力配置を見誤って大軍が近くにいる場所に大気往還艇を降ろせば、作戦はその時点で失敗となる。
また大気往還艇自体が大きくて鈍重で被弾しやすいのも、降下作戦計画を立てる者にとって悩みの種だった。敵地上軍の対空砲陣地が最初の爆撃を生き残れば、ゆっくりと降りてくる大気往還艇は的にしかならないのだ。
例えば『共和国』-『自由国』戦争後期のゲリュオン攻防戦で、『共和国』軍は最初に降下させた大気往還艇1500隻のうち900隻を対空砲火で喪失し、2週間の攻略延期を余儀なくされている。
また現在行われている惑星ズラトロクの攻防戦でも似たような事態が発生し、『連合』側に小規模な凱歌を上げさせていた。
『連合』軍の降下作戦における戦術も元は同じような物だったが、『大内戦』で救世教側に付いた惑星の奪還に散々苦労した経験が、新たな戦術を生む起爆剤となった。
『大内戦』初期から中期の戦術では、降下予定地にいる敵地上軍を大規模な爆撃によって力づくで粉砕する、という考えが取られていた。
だがこのタイプの作戦は経験上、上手くいく事が少なかった。最初の爆弾が投下された時点で敵部隊が散開して難を逃れ、大気往還艇が降下したところで集結して襲ってくるという失敗が相次いだのだ。
幾ら大量の通常爆弾を投下しても、降下予定地の全ての敵軍を機能不全にする事は不可能。それが数百万の流血と引き換えに得られた戦訓だった。
結局『大内戦』後期には、非常に野蛮な解決策が取られるようになった。降下予定地周辺に通常爆弾では無く戦術核爆弾を輪状に投下し、周辺の敵軍を蒸発させるとともに放射能汚染された遮断帯を形成するのだ。
この戦術は非常に効果的であり、救世教徒に占領された惑星を奪還する時の切り札となった。『連合』が有人惑星上でのNBC兵器使用を禁止する戦時国際法を批准していないのも、一つにはこの時の記憶がある。
惑星の占領・奪還作戦において、核兵器ほど頼もしい物は無い。それが軍人たちの偽らざる実感だった。
だがいつまでも核兵器に頼るべきではないというのもまた、軍人たちの総意だった。民間人の巻き添え被害を抜きにしても、核攻撃は国家にとって最も貴重な財産である有人惑星を損壊させる。
『大内戦』の激戦地となった幾つかの星では、未だに放射線量が高すぎて居住不可能な地域が存在するという有様だ。出来れば住民を含めて惑星を無傷で手に入れたいという『連合』政府の考えに、核攻撃は全く合致してなかった。
幾つもの研究と失敗が繰り返された後、『連合』軍は新兵科の宙兵部隊を使って敵の戦闘能力を一時的に麻痺させるという構想に辿り着いた。
『大内戦』の時には敵軍の手足を鉈で叩き切るような戦術を取っていたが、出し抜けに神経系をメスで切断する事で、同等以上の効果が得られる。重要なのは破壊の総量では無く、何をどう破壊するかである。一連の降下作戦演習の結果を見て、『連合』軍はそう結論して新たな戦術を作り上げていた。
新戦術では、まず大気往還艇に頼らずに身一つで降下する能力を持つ宙兵部隊を、短期間の準備爆撃の後で降下させる。
彼らに対して向けられる対空砲火への対策としては、揚陸艦から投下される無人偵察機、そして艦対地誘導爆弾がある。敵軍は宙兵を攻撃する際にはレーダーを使用せざるを得ないが、これを無人偵察機で探知して艦対地誘導爆弾で無力化するのだ。
隠匿されている場合も多い対空砲を全て破壊するのは困難だが、巨大で脆弱なレーダーアンテナなら比較的楽に破壊できる。そしてレーダーが破壊された対空砲陣地など、盲目になった狙撃手と同じで何の役にも立たない。
加えて、宙兵部隊を対空砲火だけで撃破すること自体がかなり困難だ。200人が乗った大気往還艇を撃墜するのは容易だが、その200人がばらばらに降りて来れば全員を降下中に射殺するのは不可能に近い。『連合』軍が宙兵部隊の為の技術開発に巨費を投じたのもその為である。
「高い金と膨大な時間をかけただけの事はあったな。実によく機能している」
アージェンスは敵に出鼻を挫かれ続けている悲惨な戦況を見ながら、半ば本気でそう呟いた。敵軍の降下作戦は、明らかに『連合』軍の装備と戦術研究の結果を最大限に活用し、そしてその有効性を示していた。
比較的短い準備爆撃、宙兵降下、対レーダー爆弾、全て『連合』軍士官学校の教科書にあるような戦術であり、これだけでも反乱軍にストリウス中将を始めとする、『連合』の高級士官多数が含まれている事が伺える。そしてイピリア方面軍は、自国が生み出した戦術にほとんど対抗できないままだった。
輪をかけて喜劇的な事実だが、これは『連合』軍の降下作戦能力が実証された最初の例だった。
『連合』が最後に敵が支配する惑星への大規模降下作戦を実行したのは20年前のゴルディエフ軍閥領併合作戦の時だが、この時には宙兵部隊はプロトタイプが試験的に使用されただけだし、軍艦からの対レーダー爆弾投下も行われなかった。
代わりに、他国が同様の降下作戦を行う場合と同じ方法、即ち大気往還艇による強襲によって占領が行われたのだ。もちろん核兵器も使用されなかった。
ゴルディエフ軍閥領併合で降下部隊に予想以上の被害が出たことから、『連合』では宙兵部隊の為の技術開発と訓練に巨額の予算が投じられ、宙兵降下を支援するための艦対地兵器の配備にも拍車がかかった。しかし莫大な投資の果てに『連合』が獲得した降下作戦能力は、まず自らに向けられたのだ。
アージェンスが余りの皮肉にほとんど笑い出したくなっている間にも、戦況は進んでいる。宇宙空間から降り注いだマンティス誘導爆弾の雨によって、剥き出しのレーダーと対空砲はほとんど破壊された。それはつまり、宙兵部隊を防ぐ為の最初の盾が使えなくなったことを意味する。
さらに破壊されたのはレーダーだけではない。滑走路や駐車場、格納庫には既に爆弾が投下され、やはりその多くが被害を受けている。
特に航空部隊の被害は深刻だった。軍事パレードで大規模な編隊飛行を行った後、機体がそのまま滑走路に並べられていたためだ。
平和ボケそのものの失策により、即時の出撃が可能な航空機のほとんどが地上撃破された。宙兵による攻撃に対抗するには、地面に降り立った瞬間に上空から機銃掃射を浴びせるのが一番なのだが、今のイピリア方面軍はその能力を完全に失っている。
しかも酷い事に、イピリア方面軍の一部はソロン市内に囚われて戦闘に介入できずにいる。『建国祭』の軍事パレードに参加した部隊が、市内で蜂起した救世教徒に足止めされて動けなくなっているのだ。
救世教の軍事部門である信仰防衛隊は『大内戦』で皆殺しになったはずだが、数百年かけて再建を果たしていたらしい。彼らは市内に車でバリケードを築き、突破しようとする軍の車両に対戦車ミサイルを撃ち込んでいた。
合わせて市中心部の星庁と国家保安隊本部も、市民に紛れていた信仰防衛隊に包囲されており、軍に救援要請が来ている。
敵が『建国祭』の日を狙ったのは政治的理由からだと国家保安隊は言っていたが、むしろ軍事的な理由で今日を選んだのでは無いだろうか。麾下の部隊群が容易く無力化されたのを見たアージェンスはそう思っていた。
「残った対空自走砲を格納庫から出せ。爆撃を生き残った戦車部隊は歩兵と合流し、降下してきた敵兵を狩り出せ」
アージェンスはレーダー基地と固定式の対空砲、それに格納庫のほとんどが破壊されたという報告に愕然としている幕僚たちに、生き残っている部隊で迎撃を加えろという指示を出した。
普通なら司令官がわざわざ指示しなくとも実行される程度の内容だが、イピリア方面軍の幹部にそんな期待は出来ないことを、アージェンスは身を以て学んでいた。




