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救世教簡史

 救世教の歴史は遠く地球時代、人類が未だ生まれ故郷の一惑星の支配者に過ぎなかった時代に遡る。

 救世教開祖が最初に説いていた教えの内容自体は、既存の宗教を継ぎ接ぎしたような独創性の無い代物だったが、逆に言えばどんな宗教の信者にも受け入れやすいという美点があった。

 

 そして救世教開祖には、教義の矛盾を誤魔化せるだけのカリスマ性と話術の才があった。彼にはしばしば利害や思想傾向が食い違う信者集団に共通の敵を提示し、一時的に団結させる才能があったのだ。

 もっと露骨に言えば、救世教開祖は本来なら内部対立に向けられるエネルギーを、外部に向かって発散させる能力に長けていた。




 もちろん内部対立を棚上げにした代償として、外部との軋轢は大きくなった。開祖は教団を一つにまとめるため、救世教徒以外のほとんど全ての集団に攻撃を仕掛けざるを得なかったためだ。

 

 救世教徒が増えた国や地域では、常に暴力の応酬が発生した。その事がさらに救世教徒間の団結を強めたのは、故意かどうかは分からないが、常に信者同士の結束を心がけてきた開祖にとって好都合なことではあった。




 事態を見た当時の各国家は次第に救世教への態度を、無視と嘲笑から監視と攻撃に変更し始めた。開祖が布教を開始して以来、救世教徒の数は外部との国交がほとんど無いような孤立した独裁国家を除くほとんど全ての国で、ネズミ算式に増加を続けていた。

 しかも彼らは各国政府ではなく開祖に忠誠を誓い、国内の他の集団全てと衝突していたのだ。危険視されたのも当然である。

 

 なお開祖は教えを説き始めた10年後に逮捕され、秘密裏に処刑された。厳密に言えば法的根拠のない殺人だったが、救世教徒以外に異議を唱える者はほとんどいなかったという。



 


 だが遅すぎた。その時までに救世教徒の数は人類人口の1/10に達し、しかも当初より遥かに過激な思想を奉じる集団になっていた。

 開祖自身は暴力の使用を最低限に抑えるべきと考えていたようだが、結果的に彼は二重の意味で信徒たちを過激化させた。一つ目は内部対立解消のために外部に矛先を向けるよう促したこと、二つ目は処刑された事それ自体によって信徒の復讐心を呼び起こしたことだ。



 各国政府その他の敵対集団は開祖処刑で安堵するのも束の間、箍が外れて本格的なテロ組織と化した救世教徒と争う羽目になった。

 状況としてはある意味、かつての『連合』と辺境惑星の関係のミニチュア版と言えたかもしれない。各国は自らの領土内に、制御不能で敵対的ですらある巨大組織を囲い込む羽目になっていたのだから。



 幸いと言うことは出来ないが、この状況は『連合』と辺境惑星の確執ほど長くは続かなかった。救世教徒の存在が公的機関に認識されるようになってから約40年後には、当時の救世教最高指導者が既存の政府の否定と救世教による世界統一を掲げて、信者に大規模な武装蜂起を行わせたからだ。

 開祖が好んで救世教の旗に取り入れた色に因んで、後に『緑色革命』と呼ばれることになる、地球時代最大の内戦の始まりだった。そして『緑色革命』で当時の人類の6割近くを消滅させた末、救世教は地球の覇権を握った。

 その支配は6世紀にわたって続き、どんな時代だったかについて後に大規模な論争を生んだ。救世教寄りの人間にとっては、人類が一応は戦争や大規模な内戦と無縁で過ごした平和な時代であり、反神権論者にとっては無知蒙昧な聖職者が全人類を支配する暗黒時代であった。







 救世教体制は後に『連合』を作り出した反教権主義者によって覆され、人類は残忍な神政政治から解放された。あるいは救世教徒に言わせれば、神に従って生きる権利を奪われた。


 



 体制の消滅と共に救世教徒の数は激減していき、救世教はそのまま過去の迷信と化すだろうと、初期の『連合』政府を構成していた自由主義者たちは期待していたらしい。

 『連合』政府は『浄火祭』を始めとする救世教の祭事を幾つか引き継いだが、少なくとも当初は「無知と野蛮からの脱出」を合言葉に、自由主義的な政策を取っていた。



 だが残念ながら、救世教時代から唯一『連合』政府が引き継いだ政策が救世教、そして自由主義者が否定したはずの野蛮を復活させた。

 それは太陽系の人口収容力を超えた分の人間を他の星系に移りだすための、巨大宇宙船の建造である。初期の宇宙移民の立役者であり、地球時代と宇宙時代の間を繋いだ多世代宇宙船の胎内で、救世教は再生を始めたのだ。




 初期『連合』時代、あるいは多世代宇宙船時代と呼ばれるこの時代、宇宙船用の反応炉とワープ航法用のエンジンは今に比べて遥かに効率が悪く、目標とする星に到達するのに数十年単位の時間がかかった。

 

 さらに機関の小型化も不可能だったので、当時の恒星間航行用宇宙船は全長10㎞近くある巨大な代物だった。初期の宇宙移民は、内部に社会生活に必要な全ての設備を備えた巨大船によって、場合によっては一人の人間の一生を上回る時間をかけて行われていたのである。



 宇宙船1隻には数百万人が居住し、結婚や出産を含む生活を営んでいた。また船内には公然たるヒエラルキーも存在した。

 船主とその一族は中央部の最も安全な場所に居住し、全ての資源を管理していた。旅費の一部免除と引き換えに危険な船外作業をやらされていた貧困層は、宇宙線漏れや隕石衝突による破壊の危険が最も大きい船体最外部の場所にいた。そこまで貧しくも豊かでも無い者たちは、その中間地点である。

 


 当然多世代宇宙船の船内には強烈な緊張関係が存在し、船内資源の配分を巡って衝突が起きる事がしばしばあった。

 宇宙船というものは当時から今に至るまで、いざとなれば閉鎖可能な多数のブロックで構成されている。多世代宇宙船内の住民は自然発生的にブロック単位で集団を作り、お互いを敵視し合った。

 「奴ら」は「我々」より多くの宇宙線を浴び、遺伝子が劣化している。だから奴らの生殖を許可せず、その分の資源を我々に回せ。これが各衝突において、滑稽な程反復して現れる思想と要求だった。 

 


 船主にとっては小規模な衝突はガス抜きになり、また矛先が自分に向かなくなるという点で歓迎すべき事態だったが、衝突は時に深刻な結果に繋がった。初期の多世代宇宙船の沈没原因の半数近くは、隕石や航法のミスでは無く暴動だったという推測もある。

 


 船の沈没を引き起こすような大規模衝突を回避するため、船主はしばしば、船を構成する各ブロック間の仲裁を行う羽目になった。

 その時に最大の武器となったのが、船の中央部に設置されている、隔壁閉鎖と酸素供給を調整するバルブである。仲裁に不満があるなら、お前たちのブロックへの酸素供給を止める。船主はそう言って、どんな条件で仲裁をしようが不満げな顔をする住民達を脅した。

 そのような手段を取る事に嫌悪感を覚えるような船主を擁する船は、たいていの場合暴動を生き残ることが出来なかった。

 



 数百年続いたこの多世代宇宙船時代の政治文化は、その後の宇宙時代に少しだけ形を変えながらも持ち込まれる事になった。

 船主一族の末裔である事が多かった財閥階級が、他の人間すべての生殺与奪権を握る体制。酸素供給停止より一段軽い懲罰として行われた、危険な船外労働と食料供給量削減の後継としての強制収容所制度。そして社会秩序の維持は正義に優先し、危険な個人や集団は抹殺しなければならないというある種の病的な政治的現実主義。全てが多世代宇宙船時代の産物である。

 当初は自由主義者の集団だったはずの『連合』政府が結果的に作り出してしまったものは、救世教時代の最悪期を思わせるような全体主義体制だったのだ。


 「神を否定した結果、人間が期間限定の神になってしまった」というのは、処刑されたとある救世教聖職者の最後の言葉だが、この言葉にはあながち愚かな狂信者の自己正当化とも言えない重みがあった。

 残酷な神のように振舞う船主一族や財閥階級に比べれば、精々金持ちの信徒を神罰で脅して金品を強請っていただけの後期救世教時代の聖職者など天使に等しかったのだ。





 船を統治する手段として、抑圧と合わせて考え出されたのが、特に貧困層の間では未だに根付いていた救世教を利用することだった。

 船内で起きる対立の大半は、貧困層が居住する最外層部で発生していた。船主達は救世教穏健派を最外層部に送り込んで仲裁を行わせることで、深刻な相互対立を防止することを学習した。

 船主の脅迫を無視して自暴自棄の行動をとる集団でも、救世教聖職者の言うことは素直に聞いたからだ。危険な対症療法だというもっともな反対もあったが、症状を抑えなければ死んでしまうという理由で、救世教という劇薬の使用は正当化された。




 多くの多世代宇宙船が救世教のお蔭で難を逃れたのだが、目的の惑星にたどり着いた子孫たちはその副作用をたっぷりと味わうことになった。

 各惑星、特に後の『連合』中心部となった場所では、唯一の教育機関が救世教の神学校で、大量殺戮以外の手段で秩序を維持できるのは救世教の聖職者のみという地区が大量に出現したのだ。

 


 救世教から人類の支配権を奪取した『連合』政府が、この状況を危険視し始めたのは当然だった。何といっても彼らは、一度既存の社会体制を完全に崩壊させた実績がある。

 『連合』政府にとっては反抗的な辺境惑星も問題だったが、彼らはどんなに悪質でも皮膚病に過ぎなかった。対する救世教徒の大群は『連合』政府にとって、重要臓器を蝕む癌細胞に見えた。

 



 宇宙暦132年、『連合』政府は社会秩序保全法と呼ばれる悪名高い法律を制定し、救世教の非合法化を行った。

 指導部は非合法化の発表と同時に一斉検挙され、幹部は死刑、その他の聖職者は準有人惑星の鉱山や熱帯作物の農場に強制労働者として送り込まれた。救世教はこれによって大打撃を受け、消滅するかに思われた。

 



 だが救世教は死ななかった。それどころかますます信者の数を増やしていった。「腐肉がある限り、蠅は湧き続ける」という諺がある。多世代宇宙船時代をそのまま惑星上に持ち込んだ『連合』の政治制度は、救世教徒という蠅を無限に生み続ける腐肉そのものだったのだ。

 


 宇宙暦138年には救世教徒が軍の一部隊を乗っ取り、『連合』の国会議事堂にミサイルを撃ち込むという事件まで発生している。自らの健在を誇示する以上の意味はない行為だったが、逆に言えばその一点に限れば効果は圧倒的だった。

 


 この事態に対し、『連合』政府の政策は過激化していった。社会秩序保全法の適用範囲は末端信者にまで拡大され、死刑判決の頻度も高まっていった。さらに救世教関係者と思われた者が、法に依らずに即決処刑されたり強制収容所送りを申告される事例も急速に増加していった。

 


 一方で『連合』政府の行動は下層階級や一部の中産階級の離反を招き、その教義に懐疑的だった層ですら次々と入信し始めた。政府が救世教徒を検挙するために編成した国家保安隊という政治警察が、捜査と称して大規模な暴力事件を起こしていたからだ。


 この問題に関して軍を信用出来なくなった政府が無頼漢や元犯罪者を集めて作り上げた国家保安隊は、救世教徒に対して苛烈であると同時に、一般市民に対しても極めて攻撃的だった。国家保安隊による略奪や街頭でのリンチの被害にあった一般市民は、私怨と絶望に導かれるように救世教の洗礼を受けた。

 




 だが、経済力も政治力もない下層階級だけが構成員であるうちはまだ良かった。細々とテロ活動が行われるだけで、財閥を主体とした政府による支配体制自体に影響はなかったからだ。『連合』政府にとって予想外だったのは、財閥の一部が救世教に手を貸し始めたことだ。

 


 救世教と財閥、本来水と油だった両者が結びついた理由は、社会秩序保全法が余りに杜撰な法律だったせいと言える。何しろこの法律の条文はたった一行だったのだ。「反社会的団体の構成員、ないし構成員と疑われる者は死刑、もしくは無期懲役、もしくは20年以下の懲役刑に処する」という。

 

 このような曖昧な法律が、不当逮捕の温床にならないはずがなかった。社会秩序保全法の公布後すぐに一部の財閥は警察や国家保安隊を買収し、敵対する財閥の幹部を「救世教徒」として逮捕・処刑させ始めた。その大半は無実だったと言われている。

 

 当然不当逮捕の対象となった財閥は怒り狂い、救世教に資金援助を行って、敵対財閥への攻撃を行わせた。最初はただのテロリスト集団だった救世教は、財閥からの資金援助によって、正規軍並みの装備を持つようになっていく。

 

 かくして『連合』最大の内戦、辺境国家の人間は救世教動乱、『連合』の人間は『大内戦』と呼ぶ戦いが始まることになった。

 これは財閥対救世教徒の戦いというよりは、その時に権力についている者対それ以外の戦いと言った方が近い。一際熱心に救世教徒を攻撃していた財閥の私兵部隊が、その財閥が権力闘争に敗れた途端に救世教の一部隊と化したという事例は少なくない。


 戦力的には救世教側より圧倒的に有利だったはずの『連合』政府は、内憂のために中々救世教徒を殲滅できず、終いには自国の首都ペリクレスを追われるという醜態を晒すことになる。

 なおこの時、『連合』政府の権力の象徴であった天秤と剣、正義とそれを実行する力を表す宝物は行方不明となった。そのため現在の『連合』政府は正統政権ではないという説も存在する。

 天秤と剣、そして2つの宝物が象徴していた正義も力も、『大内戦』以後の『連合』にはないからというのだ。むろんこの説を唱えた者は政府に粛清されたが。

 



 いつ終わるとも知れない泥沼の戦いに業を煮やした『連合』は、救世教徒との戦いの為にどの財閥からの影響も比較的小さかった辺境部隊を投入、結果として彼らが監視していた辺境星系の完全な独立を招いた。

 

 内戦がどうにか『連合』政府の勝利で終わった時には、『連合』は開戦前に所有していた星系の半数近くを失っていたのだ。

 



 現在は『連合』でも『共和国』を始めとする辺境国家群でも、救世教を信じる事は固く禁じられている。領主が開祖の末裔を名乗り、事実上最後の救世教国家だったゴルディエフ軍閥領の滅亡以来、救世教を合法的に布教できる国家は存在しない。

 

 例えば『共和国』の危険思想取締法では、救世教の聖典を所持していただけで10年間の強制収容所送り、布教を行おうとした場合は死刑と定められていた。社会秩序保全法の教訓を生かし、取り締まりの方法は比較的慎重なものになっていたが。

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