緑旗ー2
その日、『連合』内で惑星リントヴルムを中心とする主要星域と、開発が進んでいない辺境星域の中間地点に位置する惑星イピリアの首都ソロンは曇りがちだった。雨は降っていないが空気は湿っぽく、上空の至る所に灰色の雲が見える。
冴えない天候にも関わらず、街は軽度の躁状態とも言える賑わいを見せていた。『連合』で最大の国家行事である『建国祭』が、戦時中にも関わらず(あるいは戦時中だからこそ)大々的に行われていたのだ。
ソロン市中心部の惑星政庁と隣の国家保安隊本部、それを取り囲む巨大な広場には大勢の市民が集合し、広場で行われるパレードを眺めていた。
最初に『共和国』で言えば内務局直轄軍に当たる『連合』の政治警察の国家保安隊が、一糸乱れぬ行進を行って武威を示す。国家保安隊員は正規軍のような装甲服を纏っていないが、自動小銃を構えた制服集団が進む姿は市民に無形の威圧感を与えるに十分だった。
その後には軍の戦車部隊が続き、上空には航空部隊の姿も見える。彼らの威容はまさに『連合』政府が持つ力の象徴だった。
もっともパレードを見学する市民の中には、熱狂を装いながらも心中では醒めている者もいた。約2週間前に始まった『連合』-『共和国』戦争の成り行きが、どうやら思わしくないらしいことに、市民の相当部分が気付いていたのだ。
戦争の経過について政府からまともな発表は行われておらず、「忠勇なるわが軍将兵の働きにより、敵軍は大損害を受けている」というプロパガンダのみが、軍歌や国歌とともに毎日流されている。
そうでないことは市民の目からも明白なのに、政府の連中は嘘を言い続ければいつか真実に変わるとでも思っているのだろうかと、彼らは首を捻っていた。
実際、軍事に関する知識など全くなくとも『連合』がこの戦争に負けていることを理解することは可能だった。まず開戦直後に出撃していった艦隊が、半減した戦力で戻ってきた。
もちろん市民には詳細どころか艦隊の帰還すら伝えられなかったが、衛星軌道上の宇宙軍基地と、そこに軌道エレベーターで繋がれた地上基地に勤務する人々の口から、艦隊が大損害を受けたらしいという噂は急速に広まっていった。
さらに市民を意気消沈させたのが、艦隊が帰ってきた後に大量の避難民が押し寄せたことだった。ファブニル星域では我々が勝利した。避難民は万一のことを恐れて戦火から遠ざかっているに過ぎないというのが公式説明だったが、中流階級以上の人間でそんな説明を本気にする者はいなかった。
それが本当なら何故惑星イピリアだけでも数百万人が流入したのか、なぜ彼らは取るものも取りあえず、法外な金を払ったうえで貨物船に押し込まれるようにして逃げたのか。口コミや噂話によって大体の情報を得たソロン市民は、政府の言い逃れを冷笑していた。
もちろん、それを大っぴらに公言するほどの勇気、あるいは愚かさを持ち合わせる者はこの時点ではいなかった。『建国祭』は、そのどちらかを持つ者の末路を市民に伝えるための行事でもあったからだ。
例年より規模の大きな軍事パレードが終わった後、国家保安隊本部ビルから、12人の男女が引き出されてきた。年齢や背格好はまちまちだったが、全員が驚くほどによく似てもいた。刈りあげられた髪、派手派手しい囚人服、拘束状態にされて栄養チューブで生命を維持された事を示す不自然な太り方、そして感情を物理的に消去されたような濁った瞳。12人全員がこれらの特徴を持っていた。
12人は国家保安隊に囲まれながらヨタヨタと広場に設置された巨大な椅子に向かった。椅子の周囲には彼らの表情を捉えるためのカメラが設置されており、広場の観客席に多数設置されたモニターに映像を送り届けている。
不意に一人が絶叫して逃げようとしたが、国家保安隊員が持つ牛追い棒、高圧電流を帯びた棍棒で殴り倒された。彼が倒れてからも、国家保安隊員たちは執拗に電流を流し続ける。
男の肥大した肉体が痙攣する様がモニター群に映し出され、市民たちは歓声を上げた。群衆の中に国家保安隊員がほぼ確実に紛れ込んでいるという事実が、彼らが上げる歓声の声量を確実に大きくしている。
12人の囚人全員が通称で『祭壇』と呼ばれる鉄製の巨大な椅子に付くと、いよいよメインイベントが始まった。囚人にマイクが突き付けられ、ソロン市の市長が尋問を行うのだ。
「貴方の罪を述べなさい」
「はい、私は敗北主義者です。私は開戦以来、無敵の我が『連合』軍が敗れたというデマを流し続け、市民の安寧に対する脅威となりました」
一人目の囚人は奇妙に快活な口調で、自らにかけられた容疑について述べた。視力が残っているかも不明な濁った瞳を輝かせ、片側の頬にはおそらく笑顔と思われる何かを浮かべている。もう片方の頬は、筋肉が拷問で麻痺したらしくピクリとも動かなかった。
「貴方が実際に行った行為と、協力者について説明しなさい」
「私は3か月に渡って、ファブニルで我が軍が敗北したという根も葉もないデマを流しました。『共和国』の手先として、宣伝ビラを配った事もあります。ビラは幸いにして既に逮捕されている仲間と協力して印刷しました」
茶番である事は演者全員が理解していた。そもそも戦争が始まったのは2週間前なのだ。敗戦のデマを3か月流せる筈が無い。
他の11人の囚人にもマイクが突き付けられ、罪の告白が行われる。ある者は公金を横領したと告白し、またある者は宇宙港で破壊工作を行ったと述べた。
最後に自白を命じられたのは、連れてこられた時に逃げ出そうとした男だった。電流の後遺症なのか時々体を震わせている。
「私は『共和国』のスパイです。私が軍事機密を流出させたことにより、わが軍はファブニル星域で敗北しました」
男は前の11名と同じく快活な口調で自らにかけられた嫌疑を読み上げた。その後は型どおりに市長が容疑についての質問を行い、男が答えていく。もうすぐで尋問全体が終わるか、見物していた市民たちがそう推測したとき、男は不意に絶叫した。
「おかしいと思わないのか? 貴様ら? 前の連中はファブニルでわが軍が勝ったと言った。俺は俺のせいでわが軍が負けたと言った。どちらかが真実なのか、不思議に思ったりはしないのか?」
市長は慌てたようにマイクのスイッチを切ったが、男は広場中に響き渡るような大声で糾弾を続けた。
「こんな茶番に何の意味があるんだ? 何が『建国祭』だ。もとは救世教徒のまじないじゃないか」
市長を含む数人は、男が言う事が事実であることを知っていた。『建国祭』はもともと遥か昔、救世教時代に行われていた祭事であり、『連合』政府は名前を変えて内容を借用しただけだったのだ。
救世教が全人類を支配していた時代には、『浄火祭』という宗教行事が毎年行われていた。この行事は救世教開祖の命日とされる日に行われ、共同体が1年間に重ねた罪について神の許しを請うという目的があった。
『浄火祭』では救世教聖職者が聖歌を演奏した後、メインイベントとしてその年に捕まった異端者の公開処刑が行われたとされている。異端者は群衆の前で罪を告白した後聖職者に心臓を抉り出され、その心臓は祭壇の上で燃やされた。最後に残った灰を共同体の指導者が飲み干すことで、異端者を出した事その他の罪に対して神に詫びる。それが『浄火祭』である。
ただし救世教時代も半ばになってくると、『浄火祭』における公開処刑は中止され、代わりに家畜を解体して肉を市民に振る舞うという平和な行事に変わった。
もともとあった贖罪の意味は薄れ、単に市民が集合して共同体の団結を高めるだけの儀式になったのだ。これは人々が救世教支配に慣れたことで反乱が少なくなり、政治犯を大量処刑して見せしめにする必要性が薄れてきたからである。
その後、『連合』政府によって救世教政権は打倒されるが、『浄火祭』は『建国祭』と名前を変えてそのまま続いた。この行事は市民に非常に人気があったので、下手に廃止すると大規模な暴動が発生する可能性があったのだ。
また『建国祭』に名を変えた『浄火祭』は、ある意味本来の姿を取り戻した。『建国祭』では聖歌の詠唱の代わりに軍楽隊の演奏と軍事パレードが取り入れられ、また異端者の公開処刑も再び行われるようになったからだ。
ただし処刑される「異端者」はかつてのような救世教に対する反逆者ではなく、救世教徒や一惑星一国家主義者その他の反『連合』分子に変わったが。
その後の『大内戦』時代に救世教の支配下に入った惑星では、名前が一時的に『浄火祭』に戻ったりもしたが、いずれにせよやる事は同じだった。当地の権力に対して反抗した人間を群衆の目前で処刑し、市民の団結を高めることである。
だから男の言う通り、『建国祭』の本質は救世教徒の呪術に過ぎない。異端者が本当に異端者かどうかなどどうでもよく、ほとんど茶番じみた形式で尋問が行われるのもその時からの伝統である。
祭事の目的は身近な危険分子に対する市民の恐怖を高めることであって、処刑される人間に実際に罪があるかは無関係だった。
そしてまさにそれ故に、男の抗議は全くもって無意味な行為だった。男は抗議することによって既に、儀式の予定調和の中に組み込まれていたのだから。
「黙れ! スパイが!」
市民の一人が絶叫すると、数百人、最終的には数万人が後に続いた。
「スパイは黙れ! スパイは黙れ!」
観客席が熱気を帯び、掛け声に合わせて罵声が飛ぶ。そして市民たちは口々に、自分の不平不満をぶつけ始めた。
「お前のせいだ。お前のせいで運賃が暴騰したんだ!」
「食料品が値上がりしたのもそのせいだ!」
「街では既に餓死者が出始めているぞ。恥ずかしくないのか?」
これらの声はいずれも、開戦後の恒星間航行運賃がそれこそ天文学的に跳ね上がった事を反映していた。惑星イピリアは工業惑星であり、食料を完全に自給することはできない。そして開戦後に運賃が暴騰したことで、イピリアは深刻な食糧不足に陥っていたのだ。
運賃の暴騰を見たイピリアの住民たちは、『共和国』軍が『連合』領内をうろつき、目にした船を片っ端から撃沈しているからに違いないと内心で思っていた。イピリアの宇宙港を訪れる船が極端に減ったのは、『連合』宇宙軍が国内の制宙権を維持することに失敗したからだと。
実はこれは間違いで、単に政府が大量の船舶を軍用に振り向けたのが民間運賃暴騰の原因だったのだが、彼らにその事実が伝えられることはなかった。物資の不足に対する市民の不満は、原則として失敗を犯さない事になっている『連合』政府以外の何者かに向けられる必要があったためだ。
会場の熱気はますます加速していく。市民たちは消費財の不足から労働時間の延長まであらゆる問題を、引き出された囚人たちのスパイ行為で軍が敗北したからだと言って非難した。
そもそも『連合』政府の公式見解では敗北を認めていないのだが、そんな事は国家保安隊員を含めて誰も気にしていない。市民たちはただ思いつく限りの罵声を浴びせ続けた。
市民の大部分は理性においては自らの行為の馬鹿馬鹿しさに気づいていたが、それを指摘して水を差すような人間は一人もいなかった。そんな事をすれば、広場に引き出された12人もろとも公開処刑の対象になってしまう。
彼らに出来るのは、悪質な敵性分子を攻撃する善良な市民という、なかなか演じるのが心地よい役柄を務める事だけだった。
「誤解だ! 俺はスパイじゃない!」
男は弱弱しく叫んだが、もちろん市民達はそれを無視した。国家保安隊が彼らの思いに答えるように男を取り囲むと、牛追い棒でその体に再び電流を流す。男の声は声帯の痙攣による無意味な呻き声に変わった。
「もう一度、貴方の罪を述べなさい」
ひとしきり電撃が行われた後、市長がむしろ優しげな声で質問する。男はうなだれて自らのスパイ行為を告白し、罪に対して最も厳しい処罰を受ける事を望むと述べた。
市民たちはその言葉を聞いて、全員が立ち上がって大きく拍手した。重罪人が自らの罪を認めてそれを謝罪する光景を目撃したのだから、拍手するのが市民の義務だった。
「市民たちよ。この反逆者どもに対しては、どのような刑罰が適当だろうか」
男の思わぬ抵抗のせいで長引いた告解が終わった後、市長がそう呼びかける。もちろん答えは最初から決まっているのだが、質問するのが儀式の重要な部分なのだ。
「死刑だ。死をもって償わせるしかない!」
市民たちが絶叫する。『建国祭』は要するに市民参加型の演劇である。市民、市長、国家保安隊にはそれぞれの役割が割り振られており、市民が嘆願、市長が受理、国家保安隊が執行を行う事になっていた。そして市民たちは、自らに割り振られた役割を果たしたのだった。
市民たちは静まり返ると、広場あるいはモニターを注視した。これから行われる事を目に焼き付けるためだ。
国家保安隊員が鉄製の椅子に縛り付けられた囚人たちを取り囲むと、『祭壇』の周囲に固形燃料をセットしていく。『連合』での死刑は銃殺によって執行されるのが普通だが、『建国祭』では火刑が行われるのだ。
『連合』政府は公式に認めていないが、明らかに救世教の「火によって罪を浄化する」という教義をそのまま移植したものであった。
だが火刑は執行されなかった。代わりに国家保安隊員たちは、どこか慌てた様子で拳銃を抜くと、囚人たちにありったけの銃弾を撃ち込んだ。そして彼らは慌てたように本部ビルに戻っていく。
思わぬ事態に、市民はブーイングを浴びせた。火刑を見物することを期待していた者もいれば、儀式が滞りなく執行されなかった事に原始的な不安を抱いた者もいる。
『連合』市民が物心付いた時から見物している『建国祭』は悪趣味な見世物であると同時に、市民に体制の盤石さと日々の生活の安定を確認するための行事でもある。その『建国祭』が予定通りに行われなかった事は、想像も出来ないほど不吉な事態が起きていることを暗示していた。
「緊急事態が起きた。解散だ。解散しろ!」
ブーイングの中、市長が大声で市民に指示した。市民たちはすぐにその理由を目にした。あるいは聴いた。ソロン市郊外の軍事基地から轟音と黒煙が上がり始めたのだ。明らかに大気圏外から投下された爆弾によるものだった。




