ファブニル後半戦ー17
「あの偵察機に対空砲火を集中して追い払え。そうすれば敵攻撃隊は我々を見つける事は出来ん」
敵機接近の報告を受けたグアハルドはそう命令した。
単座で搭載するレーダーの出力も低い艦載機が、宇宙空間でたった1隻の戦艦と3隻の駆逐艦からなる部隊を探すのは容易ではない。ドニエプル級戦艦は全長1000m近い巨大な構造物だが、それでも戦場の広さに比べれば針の先程の点に過ぎないのだ。
しかもドニエプル級は高速であるため、敵機が探さなければならない半径は、従来の『連合』軍戦艦を追う場合に比べて遥かに広くなる。敵攻撃隊がある程度近づいたところで針路変更を行えば、捕捉される可能性など零に等しいはずだ。
だがそのグアハルドも、次に受けた報告には耳を疑った。
「敵艦隊、一斉に砲撃を開始しました!」
「砲撃? 巡洋艦や駆逐艦がか?」
現在の彼我の位置関係では、戦艦の主砲ですらも有効射程外だ。それなのに、戦艦を含まない敵艦隊が発砲したというのだ。
遠距離砲撃のためのデータについては、外装型の偵察ポッドを搭載しているらしいあの戦闘機が送ってきているのかもしれないが、それにしてもこんな位置から砲撃しても碌に威力は無いはずだ。
グアハルド達が首を捻っている間に、『共和国』軍の砲撃はエニセイと駆逐艦3隻を捉えた。と言っても、その被害は無いも同然だった。長距離を飛んだために大きく拡散した荷電粒子は、軍艦の塗料を引きはがして装甲板の表面に掠り傷を付けただけだ。
ただし、数だけはやたらに多かった。たった5隻の護衛艦艇のみならず、小型空母の方も砲撃に参加しているようだ。
奇妙な光景はしばらく続いた。『共和国』側からは光の雨を思わせる砲撃が『連合』側目がけて放たれているが、それは文字通り雨粒のように砕け散っている。
各艦の艦長が回避の必要を認めなかったため、遠距離砲撃にしては異常な数の直撃弾が出ているが、『連合』側には1人の死傷者も出ていない。
エニセイ戦闘指揮所の何人かは、こちらも主砲で撃ち返すことを提案した。
特に被害は出ていないとはいえ、撃たれっぱなしは士気に関わる。この距離であれば戦艦はともかく、巡洋艦程度の艦にはかなりの損害を与えることが出来る。彼らはそう主張した。
だがグアハルド達はその意見を退けた。戦闘機からも射撃データを受け取っている『共和国』軍と違って、そのような支援が無い『連合』軍がこの距離から撃って当たるはずが無い。無意味な射撃を行ったせいで、まだ兵器として成熟しているとは言い難い主砲が故障でもしたらその方が問題だった。
「ところで、あの忌々しい戦闘機はまだ撃ち落とせないのか?」
ビドー少将が相も変わらず周囲を飛び回り、電波の発信を続けている敵戦闘機の映像を睨みつけながらそう言った。
こちらが盛んに対空砲火を浴びせているにもかかわらず、戦闘機は未だに近距離を舞っている。そればかりか、『連合』軍駆逐艦の機銃座やアンテナを搭載機銃で狙撃するという神業まで見せつけ、ビドー達を憤慨させていた。
「落ち着け、あの1機に大したことは出来ん」
グアハルドはそう言って、参謀長を宥めた。敵機のパイロットは確かに恐るべき技量の持ち主だが、それだけの事だ。あの機体の燃料が尽きるまで嫌がらせに耐えた所で、『連合』側の艦の戦闘力に目に見えるような衰えは出ないはずだ。
実際、彼らが憂慮すべきなのは別のことだった。うち続く『共和国』軍の砲撃が『連合』軍に、軽微だが極めて深刻な被害を与え始めていたのだ。
「第5機銃座、第22機銃座損傷!」
「左舷下部レーダーアンテナ損傷!」
「第8光学索敵器損傷!」
次々に発生する小さな被害に、グアハルド達は次第に危機感を覚え始めた。艦の戦闘力はほとんど損なわれていないが、船体の外側に設置された脆弱な構造物には少しずつだが被害が出ている。
無論レーダーや光学索敵器全てが破壊されることはないだろうが、ただでさえ艦の数が少なく、索敵を行いづらい状況では危険な傾向だった。
「駆逐艦を敵艦隊に接近させ、射撃データを送らせろ」
業を煮やしたグアハルドはそう命令した。『共和国』側がこんな距離から曲がりなりにも砲撃を行えるのは、あの戦闘機からデータが送られているせいだ。
ならばこちらも駆逐艦を接近させれば、相手と対等以上の射撃精度での砲撃が可能になる。
命令を受けた3隻の駆逐艦は、これまでとは打って変わった高加速度で敵艦隊に接近していった。『共和国』側は接近を防ぐため、砲撃を駆逐艦に集中する。これまで主にエニセイを狙っていた光の雨が駆逐艦の小さな艦体に降り注ぎ、次々と命中光を生じさせた。
『共和国』側の個々の艦の火力は大したものではない。『連合』側はすぐその事に気付いた。彼らの隊列の中で最も大きい艦である巡洋艦ですら、『連合』のエルブルス級巡洋艦の半分以下の砲力しか持っていないようだ。
それでも25隻の艦からの砲撃がたった3隻の駆逐艦に集中されれば、火力の密度はばかにならない。戦艦に比べて装甲が無きに等しいと言っていいほどに薄い駆逐艦は、接近を行ったこととあいまって、『共和国』側の砲撃でかなりの被害を受けているようだ。
エニセイの光学装置には、駆逐艦3隻の船体表面で幾つもの光が弾け、砲塔やアンテナを吹き飛ばしていく様子が映っていた。
そして旗艦エニセイもまた、大きな脅威にさらされていた。『共和国』の巡洋艦と駆逐艦から、合計16発の対艦ミサイルが発射されたのだ。これまでに数多の『連合』軍艦を撃沈してきた青白い光の矢が、エニセイ目がけて凄まじい速度で伸びてくる。
「撃ち落とせ!」
エニセイの艦長は簡潔に命令した。16発のミサイル全てを回避することは不可能だ。ここは砲撃によって破壊するしかない。
幸い、ドニエプル級戦艦は主砲の威力だけでなく、対空火力にも優れている。左舷の対空砲が敵戦艦との砲戦でかなり破壊され、レーダーの一部も損傷しているのは痛いが、遥か遠方から飛んでくる(=対空砲火を浴びる時間が長い)ミサイル程度なら破壊できるはずだ。
エニセイは主砲から機銃に至るまですべての兵器を、直撃コースを描いている10発のミサイル目がけて発射した。
最初は中々直撃が出なかったが、距離が近づくにつれて射撃精度は向上していく。1発、また1発と、直撃すれば戦艦にも致命傷を与える威力を持つ『共和国』の恐るべき兵器は破壊されていった。
「後3発か」
グアハルドは接近してくるミサイルを睨み据えた。6発は回避し、7発は破壊したが、残りの3発はかなり近くまで迫っている。全てを撃ち落とせるかは微妙なところだった。
まず1発が電波妨害を受けてあらぬ方向に飛んでいく。
さらにもう1発はエニセイの直前で、凄まじい光とともに爆散した。ミサイルを監視していた兵はその結果、思わぬ受難に見舞われた。発生した光の大きさに対してモニターの光量調整が間に合わず、数十秒間盲目になったのだ。
一方でミサイルを破壊した機銃員たちは歓声を上げていたが、この破壊は予期せぬ副産物をもたらした。近距離で爆発したためにレーダーを狂わせ、射撃精度を低下させたのだ。
何であれ反応炉を搭載した兵器は、破壊されると周囲に有害な電磁波を撒き散らすが、『共和国』のあのミサイルは特にその傾向が強いようだ。
破壊されたミサイルは、『連合』のホーネット対艦ミサイルより遥かに膨大な量の電磁波を瞬間的に撒き散らし、レーダーの電子機器に多大な悪影響を与えていた。
そしてその間に、最後のミサイルが着々とエニセイに接近していた。無論対空砲火は集中されているが、レーダー射撃が困難になったせいで命中率が落ちている。直撃前に撃墜できるかは微妙だった。
(これは命中するかも知れん)
グアハルドは内心そう思った。その横では同じ事を思ったらしい艦長が「1発なら」と呟いている。ドニエプル級戦艦は防御にも注意が払われた艦だ。余程当たり所が悪くない限り、1発のミサイルで戦闘不能になる事はないはずだ。
2人の密かな敗北主義に憤慨するかのように、対空砲を操る兵たちは当てにならないレーダー情報を捨てて、光学情報による射撃を続けた。毎秒数百発の光の束が、たった1発のミサイル目がけて集中される。
「敵機接近、本艦に銃撃を行っています」
「無視しろ。ミサイルの脅威を取り除くほうが先だ」
例の戦闘機がまた嫌がらせのような攻撃を仕掛けてきたという報告に対し、対空砲の責任者はそう答えた。対艦ミサイルを搭載していない戦闘機が、軍艦に重大なダメージを与える事は不可能だ。ここは艦にとって重大な脅威となる方に、火力を集中すべきだった。
「敵機接近!」
「またか。いちいち報告せんでもいい」
「いや、別の敵機です。機数は3機」
「何、誤報では?」
彼が聞き返そうとしたとき、最後のミサイルが両用砲からの砲撃を食らい、エニセイの至近距離で爆散した。
取りあえず直撃だけは免れたが、レーダーが完全に動きを止めたのを始め、光学装置の一部までが光量に耐え切れずに停止する。
「復旧を急げ」
艦長は落ち着いて指示した。この程度の被害なら、数十秒でかなり元に戻るはずだ。それから落ち着いて、何とか射撃データを送れる位置にたどり着いた駆逐艦群とともに、『共和国』の艦を1隻ずつ沈めていけばいい。
だが既に、その数十秒は残されていなかった。左舷側に僅かに残されている光学索敵器を覗き込んでいた下士官が、その事に気づいて絶叫する。
「敵機3、急速に接近。対艦ミサイルを発射しました!」
「そんな、いつの間に…」
対空砲の責任者は一瞬言葉を失った後、すぐに事態を悟った。少し前に報告されていた敵機は誤報では無かった。彼らは僅か3機と言う数の少なさを逆用してミサイルに紛れ、エニセイに接近していた。そしてエニセイのレーダーが止まったのを見て、一気に間合いを詰めてきたのだ。
3機のPA-25戦闘機が軽やかに引き返していく中、彼らが放った死の矢は回避不可能な地点まで接近していた。左舷側の対空砲が応戦するが、レーダーも光学索敵器もほとんど使えない状況ではまともな照準は不可能だ。
しかも悪い事に、『共和国』軍の艦載機が放ったミサイルは、何故か彼らが今まで使っていた航空機用ミサイルより飛翔速度が速かった。
この戦いで『共和国』軍は軍艦用と戦闘機用2種類のミサイルを使っており、後者はやや飛翔速度が遅くて撃墜しやすいと報告されている。だが目の前のミサイルは明らかに、軍艦用と同じ加速度を持っており、照準が合わない対空砲火では捕捉不可能だった。必死に放たれた砲撃は全て、ミサイルから遠く離れた場所をむなしく通過していく。
「たった3機、たった3機の艦載機だぞ! その程度の攻撃で、このエニセイが沈むのか?」
事態に気付いた下士官の1人が絶叫した。確かに艦載機は上手く使えば強力な兵器だが、それは大量投入が前提のはずだった。たった3機、偵察役の1機を入れても4機の艦載機によって、『連合』が誇る最新鋭戦艦が沈むなど、決してあってはならないことのはずだった。
だがそのような泣き言を嘲笑するかのように、ミサイルは全弾が直撃コースを描いて向かってきていた。後方から延びる青白い光は今や、手を伸ばせば触れられそうな程近くにある。
(こんなものか)
グアハルド大将が感じたのは恐怖というよりも後悔だった。もともとグアハルドは軍令ではなく、軍政畑の人間だ。それが戦闘の指揮を執ったばかりにこの有様だ。
まず指揮していた3個艦隊を壊滅させられ、その復讐の為に実行した敵空母部隊攻撃も失敗した。『連合』が誇る新鋭戦艦は、敵空母に指一本触れることもないままに沈もうとしている。最悪の恥辱であり、救世教徒が言う神なり悪魔なりが存在するなら、魂を売り払ってでも目の前の事態を取り消したいところだった。
もちろん神や悪魔は現れなかったし、物理法則はグアハルドの後悔など考慮しなかった。対艦ミサイル群はあくまで設計通りにエニセイに向かって進み、『共和国』の技術者が意図した通りの性能を発揮しようとしていた。
「当たります!」
索敵科員の恐怖に満ちた叫びが終わる前に、合計6発の対艦ミサイルは、間隔をほとんど置かずにエニセイを直撃した。
1発目は命中角度が浅かったために弾き返されたが、残りの5発は全て艦内に侵入し、周囲にあるもの全てを破壊していく。
高熱と衝撃、破片が艦内隔壁を貫通しながら暴れまわり、機器を破壊するとともに兵員を殺傷した。多くの区画が電路を切断されて停電状態になり、暗闇の中では破片で重傷を負った将兵のうめき声のみが響く。
ミサイルの直撃を確認した『共和国』軍は、盛んに行っていた砲撃を停止した。慈悲などでは無論なく、これ以上の攻撃は無用と判断したのだろう。
「敵艦隊より発光信号。『降伏せよ』、以上です」
辛うじて電源が生きている戦闘指揮所の中で、通信科からの報告が虚ろに響いた。普通降伏勧告はもう少し修辞的な言葉を用いるはずだが、相手の指揮官は随分と簡潔な物言いを好む人物らしい。グアハルドは意味もなくそんな感想を抱いた。
「応戦は…」
「不可能です」
グアハルドが質問を終える前に、被害状況を確認した応急科長が感情を押し殺した声で返答する。
何とか沈没は免れたものの、エニセイは完全に戦闘不能に陥っていた。電路がずたずたにされた事で主砲への電力供給は不可能になり、機関出力も1/3以下に落ちている。
今のエニセイは前に叩きのめした2隻の『共和国』軍戦艦と同じ状態、辛うじて自力航行が出来るだけの無意味な金属塊に過ぎなかった。
「追加の信号が送られてきました。『貴隊の僚艦は既に降伏した。同じように賢明な判断を取られる事を期待する』、以上です」
『共和国』軍に接近中だった3隻の駆逐艦に関する情報はまだ入ってきていないが、彼らが降伏したというのはおそらく事実だろう。頼みの新鋭戦艦がほぼ一瞬で戦闘不能になった光景は、彼らの士気をどん底まで落とすに十分だったはずだ。
「艦長。敵艦隊に降伏信号を」
グアハルドは辛うじてそう命令した。航行不能になったエニセイは、敵艦隊にとって射撃訓練の的でしかない。乗組員の生命を救う方法は投降しかなかった。
もっとも、まともな待遇を受けるかは怪しいものだ。戦時国際法は有名無実な上に、そもそも『連合』は批准していない。『連合』は公式には自国のみが人類全体を統治する政府であるとしており、辺境国家群の主権を認めていない。よって複数の国家の存在を前提とする国際条約には建前上署名できないのだ。
つまり極端な話、敵艦隊が降伏信号を無視して砲撃を続行しても、グアハルドたちは文句を言えない。まあ『連合』が戦時国際法を批准していたところで、強制力のない条約の効果など知れたものなのだが。
大体『連合』は過去に占領した国(政治的には旧領の回復)の為政者や戦争捕虜を、「国家反逆罪」の科で大量に処刑や流刑に処してきた歴史がある。
人類が居住する惑星は全て『連合』のものである以上、『連合』以外の政権を支えたものは全て違法なゲリラや反逆者であるという理屈である。そのようなことをしてきた国の軍人が投降したところで、まともな処遇が期待できるとは思えない。
それでもグアハルドが降伏を命じたのは、確実な死よりは死の可能性の方がましだという判断からだった。彼は絶望の中で、『共和国』軍の返答を待った。
「艦長、お見事です!」
『連合』軍の戦艦が降伏信号を発したのを見て、リーズ准尉がリコリス大佐を激賞した。戦闘力で圧倒的に劣る部隊が、全く被害なしに敵を全滅させたのだ。『共和国』軍史に残る快挙と言える。
リコリスはその言葉を聞き流しながら、敵艦に対して降伏を受諾するという内容の信号を送るように命じた。正直言って『共和国』の収容所に送られるよりは、ここで戦死した方が彼らにとって幸せかもしれないが。
(まあ、私が気に賭けるべきことではないか…)
リコリスは、これから内務局直轄軍に引き渡されるであろう彼らの事を考えながらも、最終的にはそう結論付けた。降伏を受け入れることは出来るが、その後の事についてはどうすることも出来ない。
そしてリコリスは、自分では左右しようがない事柄について他人の幸運を祈るというような、偽善的かつ非生産的な習慣は持たなかった。
各艦に敵艦の生存者を救助するための艦載艇を出すように命じた後、リコリスはたった今の戦闘結果を反芻していた。
結果的には圧勝となったが、薄氷を踏むような戦いだった。何かが一つ違っていたら、宇宙の塵になっていたのは『共和国』軍の方だっただろう。
敵戦艦の接近を聞いたリコリスはまず、砲戦での勝利は不可能と判断した。『共和国』軍で戦闘艦艇と呼べるのは、オルレアンと4隻の護衛駆逐艦のみ。束になってかかっても巡洋艦1隻に勝てるかも怪しい。
唯一の勝機はミサイルが命中することだが、そのミサイルの発射可能数は全艦合わせて16発。この程度の数を遠距離から発射しても、戦艦を仕留められる可能性は低い。オルレアンの艦載機が発射できる最大8発を加えても、確実な戦果は期待できない。
この状況の中リコリスが編み出した戦法は、一種の二段階攻撃だった。最初の一撃で目を潰し、次に心臓にナイフを突き立てる戦術。彼女は「コリンズ准将流の下品な比喩」だがとリーズに言いながら、後の戦闘詳報にそう書いている。
具体的には最初の「目を潰す」攻撃を担当するのが艦隊、本命の「心臓にナイフを突き立てる」攻撃を行うのが艦載機だ。
まず艦載機のうち1機を敵艦隊に接近させ、長距離射撃に必要な位置情報を送信させる。勇気と非常に高度な操縦技術が必要と判断されたこの任務を、リコリスはパイロットの中で最も優秀なアリシア・スミス飛行曹長に割り振った。
両用砲で長距離射撃を加えても艦上の脆弱な設備を破壊することしかできないが、リコリスにとってはそれで十分だった。彼女が標的にしたのは敵艦のレーダーや光学機器であり、砲戦による敵艦撃沈など初めから考えていなかったからだ。
ある程度の砲撃を行った後で行われるのは艦隊からのミサイル攻撃。ここまではグアハルドが見たとおりだったが、リコリスの戦術はさらに一捻りを加えていた。
実は艦隊からのミサイルは囮に過ぎなかった。命中すればそれに越したことはないが、期待はしていなかった。この攻撃の目的は敵の注意をミサイルに集中させること、そしてミサイルが破壊されたときに出る大量の電磁波によって、敵のレーダーシステムに過負荷を掛けることだった。
艦隊からの砲撃とミサイルで敵の索敵能力を破壊した後、初めて本命の艦載機隊が攻撃する。彼らは対艦装備で発進した後でCシップ群の陰に隠れておき、艦隊からのミサイル発射を合図に敵艦目がけて突入するのだ。
オルレアンの航空機格納庫には扱いやすいが性能の劣るASM-16では無く、軍艦と同じASM-15対艦ミサイルが搭載されている。スペースの無駄遣いとしか思えなかった装備だが、この状況では好都合だった。 ASM-15はASM-16より有効射程が長く、より遠距離からの攻撃が可能だ。威力も上回っているので、たとえ相手が新鋭戦闘機でもその装甲を貫通できる可能性は高い。
対艦攻撃は本来非常に危険な任務だが、相手が「目」を潰された艦なら演習と変わらない。3機のPA‐25が搭載する合計6発の対艦ミサイルは、相手が戦艦であっても撃沈ないし戦闘不能に出来るはずだ。
リコリスはこのような戦術を組み立てて戦闘に入った。結果としてはほぼ計画通りになったが、危うい場面はいくらでもあった。
『連合』軍戦艦の対空砲火は開戦前の予想より強力であり、操縦者がアリシアでなければ観測機が撃墜されていた可能性がある。さらに言えば、敵のレーダーがミサイルで麻痺するというのも確実な事ではなかった。少し運が悪ければ、両軍の立場は逆転していただろう。
なおこの後でオルレアン乗員から選抜された陸戦隊員が、降伏した敵戦艦を確保したが、彼らがもたらした情報を聞いて、リコリスはさらに青ざめる事になった。
敵戦艦は確かに1基を除いて主砲塔を使用不能にされ、速力もがた落ちしていたが、完全に戦闘不能になっていたわけでは無かったのだ。
損傷した戦艦は未だに輸送船ベースのCシップよりは高速での航行が可能だったし、副砲の一部も生き残っていた。副砲と言っても流石は新鋭戦艦。その威力はオルレアンの主砲より上で数的にも多かった。
つまり、敵戦艦の指揮官がそのままCシップ群に突入して蹴散らすという道を選べば、ミサイルを撃ち尽くしたリコリス達には対抗不能だった。
いずれは他の部隊を呼び寄せる事で撃沈できただろうが、それまでにどれ程の被害が出たかは想像するも恐ろしい。彼らがこちらの戦力を過大評価して降伏を決めたのは、僥倖としか言いようが無い。オルレアンは後に幸運な艦と呼ばれるが、これが最初の一つだった。
「終わった、みたいね」
完全に停止した敵戦艦と駆逐艦を見ながら、リコリスの口から出たのはその言葉だった。
この宙域での戦闘だけではない、ほとんど全ての場所で戦いは終わっていた。しぶとく交戦していた敵主力部隊は後退し、終盤で『共和国』軍に手痛い一撃を食らわせた空母部隊も、遥か遠距離で艦載機を収容している。『共和国』-『連合』戦争初めての大規模艦隊戦は幕を閉じたのだ。
後はこれを最後の戦いにできるか。すなわち、戦いの結果を利用して『共和国』有利な形での講和に持ち込めるかだ。ただし、それは政治家の仕事であって軍人の仕事では無い。
リコリスを始めとするオルレアン乗員に残っているのは、うんざりするが血は流れない作業。要するに、捕虜にした敵兵の人数や消費した物資についての集計だった。