ファブニル星域会戦ー1
4番機が敵艦隊を発見したという報告を聞いた瞬間、『共和国』英雄であり、軍人失格レベルの怠け者であり、リーズの上官であるリコリス大佐はようやく気だるげに椅子から身を起こした。
どうでもいいが、そんな仕草でさえいちいち様になっていて、普段の言動がなければ生まれながらのエリート軍人のようにさえ見えるのが、リコリスの卑怯なところだとリーズは思う。
「艦長より航宙科、艦を前進させる。針路はxマイナス4、y15、z5」
「艦長、敵艦隊に戦闘を挑まれるおつもりですか?」
リーズはリコリスに命令の真意を尋ねた。普段はとてもそうは見えないが、リコリスは紛れもない『共和国』英雄であり、軍歴のほとんどを最前線で過ごしてきた人物だ。2年ぶりの実戦に、闘志を奮い立たせたのかと思ったのだ。
「まさか。こんな半端な巡洋艦一隻で、敵艦隊に突入できるわけがないでしょう」
だがリコリスは、交戦の意図を言下に否定した。
「では、何故敵への接近を?」
「艦載機を収容するためよ。本艦の艦載機は敵艦隊への接近と離脱を繰り返したせいで、推進剤が残り少なくなっているわ。こちらから迎えにいってやらないと、身動きが取れなくなる可能性がある」
「では、艦載機を収容した後は?」
「逃げるに決まっているでしょう。私にはあなた達と心中する趣味はないし、英雄だの軍神だのになることを喜ぶ趣味はもっとないわ」
「艦長… もう少し言い方というものが」
リーズはリコリスの物言いにため息をついた。リコリスが言っていることは多分正しいのだろうだし、彼女が部下の生命を気遣っていることもわかる。だがそれにしても、「この艦で敵と戦えば無駄死にになるから逃げる」というセリフは、軍人としていかがなものか。
「出来れば少しの嫌がらせくらいはやりたいけどね。戦意不足で軍法会議にかけられない程度には」
リコリスの次の言葉は、これまたとんでもない内容だが、敵と交戦する意思が全くないわけではないらしいことを伺わせた。動機が酷すぎるのは別として。
続いてリコリスはモニター上に表示された4番機を表す光点を見ながら、どこか沈んだ口調で言った。
「4番機、アリシア飛行曹長か… 本当に優秀ではあるのよね… とりあえず、4番機によくやったと伝えて。それと、他の艦にも4番機からの情報を送信。向こうも傍受していると思うけど、念のためにね」
リコリスが指示を出している間に、オルレアンの機関出力が全開まで上げられ、艦は虚空を貫く矢を思わせるスピードで前進し始めた。元々艦隊の最前面に配置されていたため、まるで敵艦隊に単騎で突っ込もうとしているように見える。
「あの… 意見具申いいですか?」
「いいけど、何?」
「作戦中は無線封鎖を行うべきではありませんか? 特に本艦は現在、主力部隊から突出しているわけですし」
リーズが士官学校で受けた教育によると、戦闘突入前は余程のことがない限り無線やレーダーなどの電波兵器の使用を控え、敵に自己の位置を悟られないようにしなければならない。それを考えると、大して重要でもなさそうな通信を行えというリコリスの命令は、理解に苦しむものがあった。
「主力部隊から突出しているからこそよ。今敵が本艦の位置を掴んでも、後方にいるほかの艦の位置までは分からない。むしろ本艦の位置が敵に伝わることで、主力部隊がどこにいるかの判断を混乱させる効果が期待できるわ」
「成程、自らを囮にして主力部隊の戦闘を優位に運ぼうということですか」
「まあ戦闘詳報にはそう書いておいて。本当の理由は、無線封鎖しても意味がないからだけど」
「意味がないって…」
一瞬リコリスの説明に感動と悲壮感を覚えかけたリーズは、次の言葉に目を剥いた。無線封鎖に意味がないという発言は、彼女が学んだ戦術の常識を完全に否定しているように思えたのだ。
「だって意味がないでしょう。本艦はこれから広範囲に散らばった艦載機を短期間で収容する必要がある。そのために必要な行動は?」
「誘導電波で艦載機を呼び寄せること… って。 あ、そういうことですか?」
オルレアンの搭載機であるPA‐25戦闘機は単座機であり、通信能力や航法能力に乏しい。一旦発艦してしまえば、艦載機側が自力で母艦を発見して戻ってくるのはかなり難しいのだ。特に母艦側が高速で動いている場合、帰還は不可能に近くなる。
今回のような状況で艦載機を呼び戻すには、母艦から高出力の誘導電波を出すしかない。そしてその電波は当然、敵艦隊からも盛大に傍受される。即ち…
「その通りよ、准尉。本艦はどうせ敵に発見されることが確定している。であれば、今更無線封鎖に拘る意味はない。味方に情報を送ることを優先すべきなのよ」
「分かりました、艦長。失礼しました。艦長があの一瞬でそこまで考えていらしたとは気づきませんでした」
リーズはリコリスを改めて見直していた。普段の生活態度は出鱈目で軍人らしからぬ暴言もよく口にするが、やはりリコリス・エイブリング大佐は優れた指揮官だ。自分はこの艦に配属されて良かった。リーズはそう思った。
リコリスはそんなリーズの方を見もせずに、通信科に向けて次の命令を出した。
「レーダー妨害の準備をしておいて。艦載機が収容される時間と、敵味方の交戦が始まる時間はギリギリになるから、逃げるための手段が必要になると思う」
「逃げるって、せめて撤退するとかそういう言葉を… というか先鋒を任された艦が勝手に逃げ… 撤退していいんですか? 艦長は『共和国』英雄でしょう。全軍の期待を背負う艦がそんな」
感心したのもつかの間、リーズはリコリスの態度に少し反発も覚えた。この艦長の言動と彼女が士官学校でさんざん教育された軍人精神は、地球と冥王星ほどもかけ離れている。
20代で巡洋艦一隻を預かり、アスピドケロン星域会戦では『共和国』英雄勲章を受けたほどの軍人が、戦闘においてよく言って慎重、悪く言えば臆病そのものの態度を取るのはいかがなものだろうか。
「准尉は勇敢なのね」
リコリスが呆れたように肩をすくめた。
「私にはその全軍の期待とやらも、それを背負う義務も感じられないのだけど」
(…こういう人だからなあ)
艦長の暴言は聞かなかったことにして、リーズはモニターに目を移した。味方艦隊を表す光点とこれまでに発見された敵艦隊を示す光点が、急激に接近しつつある。
もう少しでこのファブニル星域は戦場になる。宇宙最大の国家である『連合』と宇宙第二の国家である『共和国』が激突する、史上最大の艦隊戦闘の場になるのだ。
「航空科より艦長、1番機及び5番機との交信が途切れました。敵機に撃墜された模様です」
「了解…」
そこに突然入ってきた悲報に、リコリスは素っ気なく応答したが、その声は憤りと自己嫌悪を隠しきれていなかった。元々彼女は、邀撃体制を整えている敵に少数機での偵察を行っても、撃墜されるだけだと主張していた。偵察を行えという命令が来たとき、リコリスが思いっきり顔をしかめたのをリーズは覚えている。
命令とあってはやむを得ず、渋々稼働全機を発進させたが、やはり多数の敵戦闘機に邀撃された挙句、オルレアン初の戦死者を出した。彼女はそのことに後悔が入り混じった怒りを覚えているのだろう。
だがリコリスはすぐにモニターに向き直って戦況を確認し… さらに顔をしかめた。
「敵艦隊の前進速度が予想より早いみたいね」
リコリスは焦ったように呟いた。リーズはすぐにその理由を理解した。艦載機の収容中に攻撃を受ければ、オルレアンは抵抗もできずに撃沈されてしまう。
続いてリコリスは自棄になったようにリーズに言った。
「これは戦闘になるかもしれないわ。とりあえず、覚悟はしておいて」
「は、はい。『共和国』英雄が指揮する艦の乗組員の名に恥じないよう、頑張りたいと思います」
リーズは慌ててそう返答した。
「…『共和国』英雄ねえ」
リコリスは何か言いたげだったが、彼女が続きを言う前に戦闘指揮所にブザーが鳴り響いた。艦載機が戻ってきたらしい。
着艦のためにオルレアンの機関出力が落とされた。敵艦隊が近いことを考えれば危険極まりない動きだが、機体を無事に収容するためにはやむを得ない。焦って衝突事故でも起こせば、飛行機も艦もお陀仏だ。
僅かな振動が戦闘指揮所まで伝わった。オルレアン艦載機のPA‐25戦闘機が着艦用アームに無事捉えられ、後部射出甲板上に設置されたエレベーターまで移動しつつあるのだ。
1分も経たないうちに2番目の艦載機が戻ってくる。この機体は敵の攻撃を受けたらしく翼端が捥ぎ取られていたが、何とか事故もなく着艦した。
「後1機ですか」
リーズは、戦闘指揮所中央の3次元モニターを今までに見たこともないほど緊張した顔で眺めているリコリスにそう話しかけた。
オルレアンはこの戦いに5機の艦載機を積んできている(本来8機搭載可能だが、機体とパイロットが足りなかったためこの機数)。そのうち2機は敵の直衛機に執拗な追撃を受けて撃墜され、2機は収容を完了した。残りは1機。この1機が着艦するまでオルレアンはここを動けない。
「あ、これはまずいわね」
隣のリコリスが急に慌てたような声を上げた。彼女の視線の先には艦載機の位置と情報を示す別のモニターがある。そこに映っていたものを見てリーズも息を呑んだ。4番機、さっき敵艦隊を発見した殊勲機が急速な機動を繰り返している。
「敵機に…追われているみたいですね」