ファブニル後半戦ー10
先程壊滅した『連合』宇宙軍3個艦隊がいた宙域を、不格好な形状の航空機が1機飛行している。
ずんぐりした胴体にとって付けたような長いコクピット、翼端近くに取り付けられた胴体と同じ位長大な構造物。胴体から突き出したグロテスクなまでに巨大なアンテナ。
PA-25やスピアフィッシュのスマートさからは程遠い、幼児の落書きを具現化したようなデザインの機体だった。
だが兵器の価値は外観とは無関係である。この珍妙な姿の航空機、RE-26電子偵察機こそが、ある意味ではファブニルにおける『共和国』軍の勝利に最も貢献した兵器だった。巨大なクロノス級戦艦や、世界最良の小型軍艦と呼ばれたパラス級駆逐艦の活躍も、全く見栄えのしないこの機体あっての事だったのだ。
RE-26は失敗作に終わったRPA-26戦闘偵察機を改造して四座機とし、RPA-26以上に高出力のレーダーと通信機を装備した機体である。当然機動性は原型機以上に劣悪で、対戦闘機戦闘や対艦戦闘は全く不可能だ。
だがRE-26は優れた航法能力と索敵・通信能力を持ち、一方で排熱量やレーダー投影面積は軍艦より遥かに小さい。そのためにこの機体は、戦闘が始まって通信が混乱した後に出撃し、軍艦だけではカバーしきれない場所を監視したり、艦隊間の通信を補助するのに使われていた。
もちろん敵機に襲われれば確実に撃墜されるが、混戦の中で航空機1機を発見するのは容易な事ではない。艦隊の防空システムの内部に侵入せず、敵を遠巻きにして大体の動きを確かめるだけの事であれば、鈍重なRE-26でも十分可能だった。
そしてRE-26は、実戦デビューとなった『共和国』ー『自由国』戦争の時と劣らない活躍を見せた。敵艦隊が出現しうる場所全てに索敵の網を張る事で『連合』宇宙軍の奇襲を阻止し、また艦隊間の通信を中継する事で、味方同士の確実な連携を可能とした。同機の活動によって、『共和国』宇宙軍は大胆な機動を行う事が出来たのだ。
そのRE-26の乗員たちは、自国の軍隊が成し遂げたことに目を見張っていた。彼らの周囲では飛行の妨げとなる程に大量の金属片、それに微細な人体の破片が虚空に散乱し、所々では未だに搭載兵器あるいは反応炉の誘爆が続いている。レーダーが使えないために光学的に確認するしかない外の様子は、宇宙黎明期の混沌を思わせた。
「こんな場所を監視する必要があるのか?」
敵艦隊が再集結して向かっていないか監視するように命じられていたRE-26の機長は首を捻った。見れば見るほど、『共和国』軍がどれ程徹底的に『連合』軍を撃破したかが分かる。こんな状況で立ち向かってくる敵艦はおろか、生き延びた者さえいそうに無かった。
「敵駆逐艦を発見!」
過度に楽観的な意見に抗議するかのように、レーダーの代わりに光学モニターをのぞき込んでいたレーダー員が報告した。確かに1隻の駆逐艦が、彼らのRE-26の横をのろのろと航行していた。
おそらくは損傷艦が撤退しようとしているのだろうと、機長は判断した。どれ程の激戦であっても、生き残る艦は必ず出るものらしい。
機長はとりあえず、駆逐艦から離れる方向に機体を動かした。駆逐艦1隻の対空火力などたかが知れているが、万が一という事もある。警戒するに越したことは無かった。
「もう一隻、今度は巡洋艦と思われます」
変針してすぐに、また敵艦を発見したという報告が来る。その時初めて、機長は嫌な予感を覚えた。その巡洋艦がさっきの駆逐艦と同じ方向に、もっと言えば、協調しているように動いていたためだ。
「いったんこの宙域を出て、通信状態がいい場所に向かう」
機長は決断を下した。まだ断定する事は出来ないが、『連合』軍の生き残りは何らかの意図をもって動いている。もしかしたら、もう一つの敵と交戦中の味方艦隊を襲うつもりなのかもしれない。
だが彼らが『連合』軍の動きを『共和国』軍に伝えることは無かった。彼らの背後には既に、巡洋艦から誘導されたスピアフィッシュ戦闘機が忍び寄っていたためだ。逃げようとする間もなく、RE-26の奇妙な形状の機体は火球に代わった。
「敵偵察機1機を撃墜しました。通信波は確認されておりません」
『連合』軍第六十二分艦隊旗艦オンタリオの司令部に報告が届く。その瞬間、オンタリオの艦内では小さく歓声が上がった。屈辱的な敗北の中で得た勝利は、いかにちっぽけであっても士気の立て直しに貴重なものだった。
第六十二分艦隊はさっき壊滅的な打撃を受けて潰走した『連合』軍第三艦隊に所属していた。8隻の空母を中心として構成されたこの部隊は、艦載機の収容のために主戦場から少し離れた場所にいたため、第三艦隊を舐め尽くしたミサイルのシャワーを避けることが出来たのだ。
そして第六十二分艦隊旗艦オンタリオの艦上では、髭を蓄えた筋肉質の大男が仁王立ちになってモニターを睨み付けていた。ケネス・ハミルトン少将、空母部隊の運用においては『連合』宇宙軍随一と謳われた指揮官だ。
「何とかここまでは進めたか。ようやく、あの馬鹿どもに縛られずに反撃を開始できるな」
正規軍の指揮官と言うより海賊の頭目を思わせるいかつい顔を歪めながら、ハミルトンは取りようによっては反逆罪扱いされかねない言葉を口にした。彼は上級司令部が航空兵力の運用法を誤ったのが、この戦いに敗北した原因だと判断していた。
「参謀長、現在の出撃可能機数は?」
ハミルトンは唐突に、参謀長のベルトランド・パレルモ准将に質問した。
「約280機ですな。それ以外の機体は整備が必要です」
「分かった。稼働全機を出撃させる。だが、タイミングは見計らおう。僅か230機で正面攻撃を行えば、何の戦果も挙げずに撃退されるのが落ちだからな」
ハミルトンはこの会戦を通じての不本意な戦術展開を思い出しながらそう命じた。
彼はまず対空装備の機体を出撃させて制空権を握り、それから対艦攻撃を行うべきだと主張したのだが、第三艦隊司令部はその意見を完全に無視した。司令部の命令の元、第六十二分艦隊を含む各航空戦隊の艦載機は大部分が対艦装備で出撃させられ、『共和国』軍の戦闘機によって大打撃を被ったのだ。
その結果戦力が激減した『連合』軍の戦闘機隊は、会戦後半になって行われた『共和国』軍の航空攻撃を阻止できなかった。旧司令部の愚かな命令が、艦隊の壊滅を招いたと言える。
第六十二分艦隊は慎重に戦場に接近していった。この部隊の戦力は8隻の空母の他には2隻の巡洋艦と9隻の駆逐艦しかなく、敵の一個分艦隊にでも遭遇すれば全滅は必至だ。本来はもっと多くの護衛艦艇がいたのだが、他は第三艦隊司令部によって艦隊戦に抽出された挙句、通信途絶状態になっていた。
(とにかく、重要なのは奇襲と集中だ。『共和国』軍の指揮官が理解していたような)
彼が動かせる程度の戦力では逆転勝利など到底望めないが、『共和国』軍の完全勝利を防ぐ程度のことは出来るはずだ。
そのためにハミルトンは、あえて味方艦隊が壊滅した宙域を、レーザー通信で相互の位置を確認しながら進むように命じていた。そこには敵艦が踏み込んでこずレーダーも利かないので、奇襲効果が期待できる。『共和国』軍はいわば、闇の中から突然出現した戦闘機に襲われる事になるのだ。
「エルブルス、戦場の位置を確認しました」
第六十二分艦隊で最も前にいた巡洋艦エルブルスから、レーダーと通信機が使えるようになりつつあるという報告が届いた。続いて、現在の戦況がオンタリオの戦闘指揮所に表示される。
「やはり、そう動くか」
ハミルトンは味方艦隊の動きを見ながら唸った。予想は当たったが、全く嬉しくはない。総司令部が指揮する第一艦隊と第八艦隊の動きはそれなりだが、彼らに合流しようとしている他の部隊の動きは鈍すぎる。このままでは、敗北を上塗りするだけの結果に終わるだろう。
(よし、そろそろか)
戦況を見ながら、ハミルトンは艦載機を出す時だと判断した。本来はもう少し接近してからのつもりだったが、戦場は予想以上に錯綜している。これ以上近づけば、空母が敵艦隊に襲われる可能性があった。
ハミルトンの命令一下、第六十二分艦隊のオンタリオ級空母8隻は出撃可能な合計232機のスピアフィッシュ戦闘機を射出した。全長800mを超える巨大な空母からカタパルトで艦載機が打ち出される様は、どこか卵胎生の魚類の出産を思わせ、勇壮と言うより滑稽だった。
だが一見無力に見える稚魚は恐るべき牙を秘めている。会戦後半で『共和国』軍が示したように。
ダニエル・ストリウス中将は『連合』軍第二統合艦隊旗艦ユーフラテスの戦闘指揮所で、必死の形相を浮かべながら指示を出していた。
その隣にウィリアムソン司令長官の姿はない。彼は既に大敗という現実に耐えきれなくなっていた。現実離れした楽観論を繰り返した挙句に、意味のある命令を何も出せずに呆然と椅子に座りこんでいるだけの木偶と化していたのだ。
とうとう業を煮やしたストリウスは、他の幕僚と協力して強硬手段を取った。硬直して意味もない言葉を繰り返しているウィリアムソンを医務室に軟禁したうえで、「司令官が負傷し、副司令官も行方不明であるため、緊急措置として参謀長の自分が指揮を執る」と全艦に伝えたのだった。指揮系統を無視したに等しい行為だが、現実に全軍の指揮を取れる人間はストリウスしかいなかった。
ここでようやく『連合』軍にとっての災厄の一つが取り除かれたのだが、根本的な問題、数で勝り、勝利に意気上がる敵の攻撃を敗残兵の群れで食い止めなくてはならないという事態は何も変わっていない。ストリウスはいっそ、自分もウィリアムソンのように思考を停止してしまいたかった。
「せめてグアハルド大将が総指揮官であれば」
ストリウスは第二統合艦隊の副司令官の名を思い出さずにはいられない。彼の派閥に属しているという贔屓目もあるかもしれないが、ストリウスはグアハルドの方がウィリアムソンよりはましだと思っていた。少なくともグアハルドが第二統合艦隊を指揮していれば、これ程無様な状況には陥らなかったとストリウスは思う。
多少の才気はあるが傲慢で現実を無視する傾向があるウィリアムソンより、グアハルドの方が統合艦隊司令官という地位には相応しかった。グアハルドは艦隊指揮においては特に有能な人間では無かったが、少なくとも第二統合艦隊が戦闘部隊として機能していない事を認めるだけの現実性があり、対策を行おうともしていた。
第二統合艦隊は編成後すぐに実戦投入されてしまったため、彼の努力が実を結ぶことは無かったが。
いずれにせよ、そのグアハルド大将の部隊は既に壊滅し、司令官の生死さえ明らかではない。
同じグアハルド閥に属していたライナー・クランツ中将は、緒戦で戦死した。指揮していた第九艦隊が序盤で奇襲を受け、クランツが座乗していた旗艦は対艦ミサイルを食らって沈没したのだ。
そればかりではなく、指揮官を失った第九艦隊がその後の戦艦部隊との交戦で壊滅したため、彼の指揮下にあったそれなりに有能な士官の多くまでが失われてしまった。
もはや、『連合』軍には碌な指揮官がいない。第二統合艦隊は『連合』軍の中では優秀な指揮官を集めた部隊だったが、それでも『共和国』軍に対抗し得なかった。と言うよりも、自ら敗北した。現在本国に残っている部隊では、到底彼らに対抗できないだろう。
ストリウスが見つめる戦況モニターの中で、味方艦艇を表す光点が一つまた一つと消えていく。今度は巡洋艦一個戦隊が、敵戦艦の砲撃によって壊滅したようだ。
「あの戦艦部隊に駆逐艦部隊を叩き付けろ。少しでも時間を稼ぐんだ。第八分艦隊は接近中の敵高速部隊を迎撃しろ。敵の予想針路は恐らくこうだ。側面に回り込んで戦艦主砲を撃ち込んでやれ」
惨憺たる戦況の中、それでもストリウスは指揮を執り続けた。彼は政府が主張するこの戦争の大義など認めていなかったし、『連合』政府閣僚の大半が嫌いだったが、『連合』という国家自体は愛していた。人類の故郷である地球、最初の宇宙移民が行われた惑星リントヴルム、美しい景観に恵まれ保養地として名高い惑星ラミア、それが成り上がりの辺境国家群の手に渡るなど、想像したくもなかった。
「第五十五駆逐隊より入電、敵戦艦3隻にミサイル命中、一隻撃沈確実とのことです!」
「第二十一戦艦戦隊より入電、敵巡洋艦1隻を撃沈するも、ミシシッピー、ヴォルガが敵戦艦との交戦により大破。戦線を維持できず」
ユーフラテスの戦闘指揮所には朗報と悲報が引っ切り無しに飛び込んでくる。それは全体としては、『連合』側が劣勢と言うことだ。兵力比は今や逆転し、消耗戦となったときに先に力尽きるのは『連合』軍の方なのだから。
(後どれくらい耐えられるかな?)
ストリウスはどこか他人事のようにそう思っていた。やがては戦力を削り取られて失血死するか、陣形が乱れたところで対艦ミサイル飽和攻撃を食らうかだ。
「敵巡洋艦4隻、突っ込んできます!」
悲鳴のような報告が届いた。外郭防衛線を突破した巡洋艦が、ストリウスの本隊に向かってきたのだ。 『共和国』軍の巡洋艦は厄介な相手だった。大量のミサイルを積んでいるうえに駆逐艦並みに高速であり、駆逐艦よりは打たれ強い。この会戦でも『連合』軍の多くの艦が、『共和国』の巡洋艦が放った対艦ミサイルによって沈められている。
「落ち着け。たった4隻だ。その程度なら対処できる」
ストリウスは全員に言い聞かせるように指摘した。出まかせではなく、客観的な事実だ。4隻の敵巡洋艦はとてつもない速度で突入してきたが、彼らの前には戦艦部隊の副砲群と、『連合』側の巡洋艦部隊が待ち構えていた。
まず戦艦群によって射すくめられ、方向転換しようとした敵の頭を巡洋艦が抑えて針路を妨害する。4隻は巡洋艦にしては妙にか細い砲で反撃するが、火力では『連合』軍の方が圧倒的に上だった。
一しきり光の雨が虚空を薙ぎ、直撃を知らせる閃光が走る。その閃光はすぐに膨張し、戦場全体を照らそうとするかのような大爆発に変わった。
「よし!」
敵巡洋艦部隊全艦の撃沈を確認したストリウスは快哉を上げた。この会戦では敗れたが、『連合』軍は決して弱くはない。無能な指揮官から解放され、財閥同士の対立意識を棚上げさえすれば優れた戦いぶりを見せることもできるのだ。彼はその事を確信した。




