ファブニル後半戦ー5
「艦載機隊に連絡、必ず本艦を光学装置で確認できる位置につくこと。敵味方の電波妨害により、レーダーに頼った飛行は危険と」
「通信科より報告、敵戦闘機一個小隊、本艦に接近中!
リコリスが艦載機への指示を伝え終わる間もなく、切迫した報告が来た。スピアフィッシュ4機、おそらくは対艦装備の機体がオルレアンに向かっているというのだ。
「まあ、それ位なら心配はないか」
リコリスは少し考えた後、心配するのをやめた。何しろオルレアン艦載機隊には、腕だけで言えば『共和国』随一かもしれないパイロットがいる。
「…4番機より入電、敵全機を撃墜したとの事です」
「流石というか…」
アリシアが敵を数秒で全滅させたことを知ったリコリスは、微妙な表情を浮かべるしかなかった。対艦装備(対艦ミサイル2発搭載)の機体は、対空装備(追加ガンポッド搭載)や偵察装備(外装型偵察ポッド搭載)の機体に比べて、非常に動きが鈍い。
アリシアの例は極端だが、対空装備で出撃した普通のパイロットなら、まず撃ち漏らすことは有り得なかった。
そしてそれは… 同じく対艦装備で出撃した味方機もまた、さっき全滅した敵の小隊と同じ目に遭っていることを意味する。いや、戦艦の装甲を破壊する事を狙った『共和国』のASM-16対艦ミサイルは連合のホーネット対艦ミサイルより大きくて重い以上、さらに良い的になっているだろう。
リコリスは航空戦の状況を示すモニターに目をやった。Cシップから発艦した艦載機のうち400機前後がこの宙域に追加投入されたようだ。彼らは敵機の迎撃によって多大な損失を出しながらも、敵艦を攻撃している。
折しも30機あまりのPA‐25が、オルレアンの横を通り抜けて行った。恐らくは前方の巡洋艦部隊を攻撃しにいくのだろう。
(まずい…)
リコリスは顔をしかめた。前進するPA‐25隊の後方に、『連合』軍のスピアフィッシュ戦闘機の群れが忍び寄っていたのだ。味方機はデータリンクで情報を受け取って逃げようとしたが、明らかにスピアフィッシュのほうが早い。
「艦長より艦載機隊。あの敵機に一撃離脱をかけて編隊を乱すこと。攻撃後は速やかに撤退せよ」
オルレアンが出来ることはそれくらいだった。現在使える艦載機が3機しかない以上、20機以上の敵機を全滅させることなど到底不可能といえる。
命令を受けたオルレアン艦載機隊は、一目散にスピアフィッシュの編隊に襲い掛かった。一部は慌てて変針しようとしたが、その前にアリシア機が一撃を加えていた。常識ではありない程の遠距離射撃が敵一機を捉え、瞬時に火球に変える。
さらにその隣の機体も、身を翻そうとした所を撃たれた。致命傷は免れたようだが、スラスターの一部を破壊されたらしく、ぎこちない動きで遁走していく。
「惜しかったなあ…」
アリシアの残念そうな声が他の機体のコクピットやオルレアン通信室に響いた。一撃で落とせなかったのが不満らしい。それを聞かされた者は一様に思った。そもそもあの距離で射撃を命中させる事自体が人間業ではない。そのうえ、一機目はちゃんと撃墜したではないか。
ともあれ、アリシア機の一撃でPA‐25隊を攻撃しようとしていた敵の編隊は大きく崩れた。ある者はオルレアン艦載機隊に向かう動きを見せ、ある者は僚機がいきなり撃墜されたことに怯えて逃げ出す。結果として味方の対艦攻撃隊への圧力は大きく軽減された。
「両用砲、機銃、射撃開始!」
バラバラになった敵の一部がオルレアン艦載機隊に向かっているのを見たリコリスは、急いでそう命令した。どうせこの距離で命中は期待できないが、牽制にはなるだろう。
「後は対空砲火と距離。これは私たちにはどうしようもないのよね」
リコリスは取りあえず作戦が図に当たったことを喜びながらも、対艦攻撃隊を待ち受ける過酷な運命を思わずにはいられなかった。重い対艦ミサイルを抱えた戦闘機は対空砲の格好の的だ。
しかも彼らは攻撃後、敵戦闘機が乱舞し、レーダーが所々で使えなくなっている宙域を抜けて、遥か後方にいる母艦まで戻らなくてはならない。相当数の機体が母艦を探している間に燃料切れになることが予想された。
リコリスが不安の目で見守る中、敵戦闘機隊の攻撃を振り切った味方機は敵艦隊に突入していく。その動きには微塵のためらいもなかった。
ついでにアリシアが彼らとともに前進し、性懲りもなく付きまとおうとする敵機を次々に撃ち落している。このような積極攻撃は正確には命令違反のような気がしなくもないが、リコリスはとりあえず良しとした。ちゃんと味方への支援にはなっているので、文句を言う筋合いも無いと思ったのだ。
リコリスが不安げに見ていた攻撃隊の1機を操縦するエルシー・サンドフォード飛行兵曹は、『連合』軍のラスダシャン級巡洋艦が放つ凄まじい対空砲火を見て息を呑んだ。それは光の雨を通り越して、光の吹雪ともいうべき密度を持っていたのだ。
エルシー所属の中隊は、さっき敵戦闘機との交戦で3機を失った。敵戦闘機は友軍機の牽制攻撃を受けて取りあえずいなくなったが、対空砲火もそれに劣らない脅威だ。
対艦攻撃の訓練は何度もやったが、視界一杯に致死的な光が押し寄せる恐怖は、いかに良く考えられた訓練でも再現が不可能なものだった。
そして対空砲火は、着実に味方機を捉えつつあった。エルシー達が突撃を始めた時点で、中隊の残り機数は5機だった。それがラスダシャン級に接近を始めた途端、続けざまに中隊長を含む2機が撃墜された。
「散開しろ、散開して接近するんだ」
中隊長が戦死した結果最上級者となった第2小隊長が、予想以上に熾烈な対空砲火を見て焦ったように命令を出す。エルシーはそれに従い、機体を大きく旋回させた。
(右、左、上、右)
対艦ミサイル2発を搭載した身重の機体を、エルシーは必死で蛇行させながら、敵巡洋艦部隊に接近していった。直進を続ければ、対空砲火の的にしかならない。
対艦装備の機体は重い分巨大な慣性が付きやすく、制御が困難だが、エルシーは何とか機を不規則に動かしながら敵巡洋艦に接近していった。
彼女の視界の隅を、数機の味方機が通過していく。彼らもまた、敵巡洋艦に攻撃をかけようとしているようだが。
「あ、それじゃ…」
エルシーは味方機の動きを見て、思わずそう言ってしまった。一応蛇行しようとしてはいるようだが、旋回角が浅すぎるし動きも単純すぎる。あの程度では対空砲火を避けきれない。
案の定、1機がすぐに対空砲火を浴びて爆散する。エルシーはそれを確認して唇を噛んだ。やはりCシップから発艦した攻撃隊のパイロットは素人ばかりだ。まだ15歳のエルシーにも劣る技量の持ち主しかいない。その事を思い知らされたのだ。
もっとも、単純に年齢で比較するのは公平さを欠いているかもしれない。エルシーはその名の通り、『共和国』の大財閥の一つであるサンドフォード家の出身であり、アリシア・スミスと同じく幼少時から宇宙航空機に乗っている。つまり民間機と軍用機の違いはあれど、飛ぶことには慣れているのだ。
一方、Cシップから発艦したパイロットのほとんどは、軍に入るまで宇宙航空機に乗る所か見た事もないような人間だ。彼らは数か月間の基礎訓練を施されただけで出撃したのだ。戦場でまともな動きが出来ないのも当然だった。
エルシーが何とか対空砲火をかいくぐりながら敵艦に接近する中、他の『共和国』軍機は次々に撃ち落されていった。
機体の後方に曳かれる高温ガスの青白い帯の先端に、両用砲や機銃から放たれる発光性粒子が一筋突き刺さるや否や、暴力的な閃光が宇宙空間に膨張する。そしてその光が消えた後は部品の一つ、細胞の一片さえ残らない。これが宇宙軍兵士、特に艦載機のパイロットにとっての戦争だった。
攻撃隊が装備する対艦ミサイルがASM-15であれば、状況は違ったかもしれない。高速と長射程を誇るこのミサイルなら、対空砲の有効射程外から敵艦を攻撃できるからだ。
だが残念ながら、現時点で『共和国』はASM-15を空母格納庫で大量に運用することに成功していない。攻撃隊は射程が対空砲より短いASM-16で、敵艦を攻撃せざるを得ないのだ。
互いに支援できる位置についた『連合』の巡洋艦と駆逐艦が放つ対空砲火は凄まじかった。機銃や対空モードの両用砲から放たれる荷電粒子は発射直後から大きく拡散していくが、その威力は無装甲の航空機を撃墜するには十分だ。
そして拡散する分、危害半径は対艦モードで撃った時と比べてはるかに大きい。軍艦相手なら駆逐艦程度にすら大した打撃を与えられない対空砲だが、航空機に対しては無類の威力を発揮した。
エルシーは回避運動を続けながら、手早くモニターを見渡した。所属中隊に属する他の機はもう見えない。撃墜されたのか、散開した後光学センサーの視察範囲外に出たのかは不明だ。
と言っても、おそらく光学センサーの視察範囲内にいても、僚機を確認する事は出来なかっただろう。敵の対空砲火は恐ろしく熾烈であり、砲や機銃から繰り出される光の吹雪によってほとんど前が見えない程だった。
その光の吹雪の合間を、時折青白い帯が横切っていく様子がモニターに映っている。味方攻撃隊は大損害を受けているが、敵艦への接近に成功しつつある機体もいるのだ。
そして不意に、前方右横にこれまで見たことがない程の巨大な爆発光が走った。エルシーが狙っていた巡洋艦部隊のうち1隻が、対艦ミサイルを受けて轟沈したのだ。
「やった!」
エルシーは歓声を上げた。味方の戦果に対する喜びでもあり、これで攻撃がやりやすくなったという喜びでもある。巡洋艦が沈没した付近の宙域は電波状態が悪くなり、レーダーに管制された対空砲火の精度が下がる。さらにその巨大な光は、光学装置をも眩ませて発見と照準を困難にするはずだ。
敵艦隊は対空砲による相互支援を行うための密集隊形を取っているようだが、それは僚艦が沈没した時の巻き添え被害を食らいやすい隊形でもあるのだ。
エルシーは機体を少しずつ敵艦の沈没位置に寄せながら、目標とする巡洋艦に接近していった。対空砲火の数と精度はさっきより低下している。僚艦沈没に加えて、多数の『共和国』軍機がミサイルの射程内に接近しつつあるため、敵は対空砲火を分散せざるを得なくなっているためだろう。
「当たれ!」
エルシーはそう叫ぶと、対艦ミサイルの発射ボタンを押した。『共和国』の航空機用主力対艦ミサイルであるASM-16が2発、敵巡洋艦目がけて飛翔していく。搭載してきたミサイルが確かに2発とも発射された事を確認して反転した彼女は、直後に自分が乗っている機体が大きく振動するのを感じた。
数十分の一秒後にその意味に気づいたエルシーは、心臓に血液の代わりに氷水を流されたような感覚を覚えた。被弾した?
しかし予期していた次の感覚、エンジンの爆発による衝撃と灼熱した無数の金属片で全身を切り刻まれる激痛は、いつまで経っても来なかった。どうやら被弾はしたが、掠るように当たっただけらしい。
震える手で、それでも素早く機体を翻したエルシーは、途中でまた友軍機が撃墜されるのを見た。そのパイロットは彼女ほどの幸運に恵まれず、対空砲火をもろに食らってしまったらしい。
直後、戦闘機の墜落より遥かに巨大な光が後方で煌めいた。さっき発射した対艦ミサイルがラスダシャン級巡洋艦を直撃したのだ。他の機と合わせて命中数は3発、おそらく撃沈は確実だろうが、今のエルシーは戦果を喜ぶ気にはなれなかった。
「これで一人きりか」
ようやく対空火器の有効射程外に出たエルシーは力なく呟いた。7人いた中隊の仲間は、今どこにいるか全く分からない。撃墜されたのか、あるいは別途帰路についているのか。
とにかく帰還しようとした彼女は機器の状態を示すランプを見て絶句した。レーダーと航法用コンピューターが操縦系の一部と共に使用不能になっている。おそらくさっきの被弾によるものだろう。これでは母艦まで帰れない。
宇宙で迷子になった戦闘機程悲惨なものはない。母艦や基地に戻れなくなった戦闘機の乗員は宇宙に取り残され、餓死かガス交換機の故障による窒息死を迎えるしかないのだ。
人類が経験しうる中で最悪の孤独の中、じわじわと自らの生命力が尽きていくのを待つ。それが航法装置が使用不能になり、周囲に誘導してくれる友軍機もいない宇宙航空機の運命だ。
(ここ、どこ?)
エルシーは必死でモニターを見渡した。その中では漆黒の空間の所々で時折白い閃光が走っている。敵味方の艦艇と航空機が交戦を繰り返し、運の悪い艦が直撃弾を食らったり爆沈したりしているのだ。
それは分かるのだが、肝心なことが全く分からない。母艦の位置から見た時の現在の自機の位置が何処なのか、どの方向に向かえば母艦と言わずとも味方の後方部隊と会合できるのか。
せめて誘導電波が出ていないかと無線の受信機を調べたが、電波妨害のせいか、そもそも発信されていないのか何も探知できなかった。
エルシーは力なく、操縦席の脇の小箱を見つめた。そこには宇宙で帰還不能になったり、敵の捕虜になりそうになった場合の自決用に支給されているカプセルが入っている。宇宙軍用語で「退職手当」などと呼ばれている代物だ。
取り出したそれは意外なほど小さくて軽くて真っ白だった。服用するとまず外側の麻酔薬が意識を失わせ、次に内側の毒薬が心臓を停止させる。死刑囚を用いた実験では30分ほどで何の苦痛もない死をもたらすことが確認されたらしい。
何も感じない。それはどういうことなのか、エルシーには分からなった。ただ何となく、初めて宇宙を飛んだ時のことが思い浮かんだ。何の意味も目的もない暗闇、その中に一人だけ自分が浮かんでいるときの孤独と恐怖。
あるいは、何も感じなくなるとはあの暗闇の一部になることかもしれない。人間の卑小な営みなどとは全く無関係な存在に。
指が無意識のうちに痙攣し、小さなカプセルはコクピットの床に落下した。摘み上げて箱の中に戻す気力も湧かず、彼女はそれが転がるのをただ見ていた。
周りの計器は相変わらずいろいろな情報を表示しているが、見る気にはなれないし、無論見た所で意味もない。エルシーの視線はしばらく、意味もなくコクピットの壁を埋め尽くす電子機器の上を彷徨っていたが。
(あ!)
彼女はようやく気づいた。レーダーは壊れたが無線機は生きており、近くに味方機がいれば交信を求めることができることに。戦闘中のパイロットには無視されるだろうが、自分のように戦闘を終えたパイロットが近くにいれば、母艦まで誘導してもらえるのではないか。
一片の希望を見出して、彼女は無線機のスイッチを押した。
すると、無線機の信号灯が緑を示した。エルシーの全身を安堵と喜びが満たした。近くに交信可能な友軍機がいる。急いでエルシーは、その機に交信を求めた
「あ、あの。レーダーが故障して、母艦がいる方向が分からなくなったんです。そちらは分かりますか」
「助かったかもしれない」、そう思っていた彼女だが、続いて飛び込んできた声を聴いて、再び自分が絶望に突き落とされるのを感じた。応答した相手の声に聞き覚えがあったのだ。
言葉を交わしたことはほとんどないが、絶対に忘れることはできない相手だ。
「ふーん、それは大変ね。あれ? あんたって、もしかして…」
こんな状況でなければ耳に心地よかったかもしれない澄んだ声は、飛行学校時代に散々聞いていた。そして、その声の主が現在交信中の友軍機のパイロットらしい。
エルシーが絶対に会いたくない相手、どうやらそれと出会ってしまったようなのだ。エルシーは覚悟を決めて応答した。
「…本機はCシップ26号の第2中隊6番機、エルシー・サンドフォード飛行兵曹機」
この期に及んで嘘をつく気はない。どうせ相手も自分の声に聞き覚えがあるはずだ。




