開戦前史
偵察巡洋艦オルレアンの所属先である『共和国』の歴史は、原型である銀河第3自治区政府を含めて400年ほどだ。『共和国』建国当時は人類世界全ての統一政府だった『汎人類惑星連合』(もっとも、大抵の場合は『連合』としか呼ばれなかった)の主導による宇宙移民が開始されて300年以上が過ぎようとしていた。そしてこの時期、宇宙移民当初から指摘されていた問題点がどうしようもない程に顕在化していた。
その問題点とは、遠く離れた地球から他の有人惑星を統治することの困難さである。宇宙移民を可能にした技術、恒星間ワープとその原理を応用した超光速通信は、確かに宇宙を狭くした。だがそれにも、自ずと限界はあったのだ。
超光速通信と言えども、無限の速度で通信が可能になるわけではない。長距離通信には多数の衛星が必要であり、衛星を経由する毎に時間は消費される。
結果として、当時地球から最も離れた有人惑星であったケートスへの通信には、何と2週間以上の時間がかかったのだ。これでは、まともな情報交流など行えるものではなかった。
ましてや宇宙船を使っての活発な交流は困難を通り越して不可能であり、辺境の有人惑星の住民には生涯を通して一度も地球を訪れたことがない者が大半だった。
そんなことが起きたのも、銀河の広さに比べて人類が居住可能な惑星が少なすぎたせいだ。準有人惑星、地下都市の中なら居住できる惑星ならともかく、真の意味での有人惑星、少なくとも大規模な環境改造を行えば人類がその大気を呼吸できる惑星の発見は困難だった。
宇宙暦200年当時の『連合』には61個の有人惑星と282個の準有人惑星が書類上所属していたが、そのうち実質的な統治が可能だったのは半分ほどだった。残りは『連合』の名目上の首都が存在する地球と、実質的な首都となっている惑星リントヴルムから遠く離れた外宇宙に、無秩序に散在していたのだ。
これらの星系について、『連合』は基本的に各惑星の自治に任せていた。言い方を変えれば、宇宙海賊や軍閥が跋扈するままに放置していた。
この無政府状態が、『共和国』を含む辺境国家群の母体となった。宇宙海賊の跳梁や軍閥の跋扈に苦しんでいた各惑星の自治区は、その地に展開していた財閥の協力を得て自らの警察と軍隊を整備し、治安維持にあたらせた。
さらに『連合』政府から派遣されていた役人を完全に無視し、自治区の有力者を中心とする政府組織を作った。そのための経費を賄うため、彼らは単純な方法を取った。
即ち、『連合』への税の支払いを停止して、自治区政府の運営に当てたのだ。『連合』には辺境惑星を統治する意志も能力もない以上、こちらも『連合』に協力する気はない。それが自治区、後の辺境国家群の言い分だった。
『連合』はこれらの動きを抑えようとしたが、そもそも統治不可能という現実には勝てなかった。そして事実上の黙認状態が続く中、『連合』中枢では一大事件が起きていた。
救世教徒、『連合』内で貧困層を中心に勢力を拡大していた宗教集団が、現政府の打倒を掲げて反乱を起こしたのだ。今までのところ宇宙史上最悪の宗教紛争とされているこの戦いは、『救世教動乱』もしくはもっと一般的な名称として『大内戦』と呼ばれる。
『大内戦』勃発により、『連合』政府はついに辺境惑星の名目上の統治すら不可能になった。それまで辺境惑星対策として配置されていた軍隊を、救世教徒鎮圧のために地球やリントヴルムに戻さざるを得なくなったためである。
さらに『連合』政府が反乱軍によって当時の首都ペリクレスを追われるに及び、辺境にあった自治区たちは次々に国家としての独立宣言を出した。
『共和国』を始めとする辺境国家群誕生の瞬間である。なおこれらの国家群は統治下の有人惑星の名前を全て繋げたやたらに長い正式国名を持つが、一般には『共和国』、『自由国』、『民主国』、『連邦』などの略称で呼ばれる。
何しろこれら辺境国家群の住民でさえ、政府の高官と物好き以外は自国の正式名称を答えられず、かといって一つの惑星の名前に統一するのも政治的に不可能だったからだ。
国名の問題はともかく、『連合』のくびきを脱した辺境惑星は時には戦争、時には同盟を繰り返しながら、巨大化していった。辺境国家群の最初の領土に含まれる有人惑星は僅かだったが、技術の進歩によって彼らの領域内には新たな居住可能惑星が次々と発見されていた。
規模を縮小した『連合』領内でも新たな有人惑星は見つかっていたが、相対的には辺境国家群の有人惑星の方が増加のペースは速かった。地球とリントヴルムが人類世界の中心だった時代は終わり、世界は多極化を迎えつつあったのだ。
とはいえ、『大内戦』を何とか克服して再び膨張を開始した『連合』の国力はやはり強大だった。人口と国力がほぼ比例するこの時代にあって、現在、宇宙歴701年において約870億という人口は全人類の半分弱を占めていたのだ。宇宙暦698年に『自由国』を屈服させ、少なくとも同国の主張では最大最強の辺境国家とされた『共和国』の人口がおよそ280億人であることを考えれば、『連合』の圧倒的な国力が理解できるだろう。
そして『連合』は辺境国家群に対する領土的な野心を隠そうとしなかった。『連合』に言わせれば、辺境国家群は全て『大内戦』による『連合』の混乱に付け込んだ火事場泥棒であり、その領土は本来『連合』に属するものなのだった。実際、辺境国家群は何の法的な裏付けもなしに成立した存在である。
そして技術的にも、『連合』の言い分が通る余地は出来つつあった。『大内戦』以来400年の技術進歩は、週単位や日単位ではなく時間単位の恒星間通信を可能にしていた。
ワープ技術は通信技術ほど急激に進んでいなかったが、それでもかつてのように、人類世界の端から端に移動するのに年単位の時間がかかることはなくなっていた。つまり人類全てが一つの政体に(今度は実質的な意味でも)属するという『連合』の理想は、400年前と異なって技術的には実行可能になっていたのだ。
もちろん辺境国家群にも彼らの言い分があった。『共和国』の某政治家に言わせれば『連合』の主張は、「子供を捨てた親が、成人したその子供にたかろうとするようなもの」だった。
辺境惑星は統治者の義務を果たさない『連合』に代わって自らの政府を作ったのであり、『連合』は『大内戦』前に実質的支配が可能だった領土で満足すべきだ。それが辺境国家の主張である。
政治レベルでの法律論議、あるいは非難合戦が続く中、『連合』を含む各国はある時は協力し、ある時は衝突した。例えば宇宙暦697年に起きた『共和国』ー『自由国』戦争では、体制の変更によって政治的混乱が生じていた『共和国』に、貿易上の条件を巡って対立していた隣国の『自由国』が侵攻している。
なおこの戦争では極めて愚かしく馬鹿げた事態が発生し、後の更なる悲劇への火種がばら撒かれた戦いとなった。
『共和国』ー『自由国』戦争緒戦で『自由国』が大勝したのを見た『連合』は、勢力均衡の原則に則ってまず『共和国』側に力を貸した。それはいいのだが、その次に起きた事態が『連合』の計算を狂わせた。
『連合』の援助がなければ崩壊するほどに政情が混乱しているとみられていた『共和国』が迅速に体制を立て直し、一度は大打撃を受けた艦隊戦力を短時間で再建したのだ。そして『共和国』は開戦の約1年後に起きたヒュドラ星域会戦とフレズベルグ会戦で、『自由国』の宇宙軍戦力を壊滅状態に追いやってしまった。
これを見て『連合』は焦った。彼らにしてみれば『共和国』であれ『自由国』であれ、あまりに強大な国力を有する辺境国家が存在するのは好ましくない。具体的には1/2ルール、『連合』の半分以上の国力を持つ辺境国家を作らないのが、彼らの対外政策の基本だった。
ましてや『共和国』と『連合』は20年前から、かつて軍閥の領土だった両国の国境地帯の線引きを巡って対立していた。
そこで『連合』は一転して『自由国』側を支援することに決定、『自由国』に大量の戦略物資を供給するとともに、『連合』と『共和国』の係争地だった旧ゴルディエフ軍閥領、中でも最も資源が豊富な惑星ファブニルへの軍隊派遣をちらつかせた。
露骨な共倒れ狙いに『共和国』は激怒したが、どうにもならなかった。当時の戦力比であれば『共和国』は『自由国』の有人惑星の半数以上を制圧できたはずだが、それには『連合』が友好的か、少なくとも中立を保っている場合という但し書きがつく。結局国境沿いの有人惑星3個と8個の準有人惑星を占領しただけで、『共和国』は『自由国』との講和を選択する。
一方、『連合』にとっては、『共和国』のこの妥協は予定外だった。彼らの狙いは、『共和国』が『自由国』と戦争を継続し、国力と軍事力を消耗することであったからだ。その思惑は完全に外れ、『共和国』ー『自由国』戦争終結時の『共和国』の軍事力は開戦前より巨大化していた。
さらに『連合』を不安がらせたのは、『共和国』がいつまで経っても戦時体制を解かなかったことだった。消費財の生産を抑えて国家の生産力を軍備に回す戦時体制が長引けば、国民の不満は大きく高まる。だから戦争が終われば速やかに戦時体制が解かれるというのが常識なのだが、『共和国』はひたすらに軍備増強を続けた。
猜疑心と後ろめたさに取りつかれた『連合』政府は『共和国』の動きを侵略の前準備と判断した。『共和国』は『自由国』との戦争を妙に寛大な条件で切り上げ、戦時体制を続行している。『連合』への侵攻を計画しているからに違いない。それが『連合』政府が出した結論だった。
一方の『共和国』にとっては、このような被害妄想は全く持って迷惑な話だった。『共和国』最高指導者のローレンス クラーク政務局長は冷徹(あるいは冷酷)な現実主義者であり、3倍近い国力を持つ国への侵攻などを考える人物ではなかった。むしろ彼は『連合』の方が侵攻してくる可能性に怯えていたのだ。
実際、敵国への支援、係争地域への派兵の脅しなどの『連合』の行動は、機を見て宣戦布告してくる可能性を考えるに十分だった。『共和国』が『自由国』とあっさりと講和したのも、二正面戦争と言う最悪の事態を回避するための苦肉の策である。
戦時体制を解かずに軍隊、特に艦隊戦力の増強に明け暮れたのも、クラークにとってみれば単なる予防措置だった。『連合』は歴史上、自国の半分以上の軍事力を持つ国に戦争を仕掛けたことはない。だから軍拡を続ければ、『連合』は侵攻してこないはずだとクラークは判断したのだ。
だがその判断はこの人物らしくもない誤りだった。『連合』は逆に、戦時賠償で得た『自由国』の軍艦まで加えた『共和国』の軍事力が、どこまで肥大するか疑心暗鬼になっていた。しかも『共和国』国内で『連合』と接触したことがある人間が次々に拘禁されているという情報が入るに及び、『連合』政府の疑いはますます濃くなった。
それでも宇宙暦701年初頭の段階では、戦争が回避される可能性があった。この年クラークは『連合』に対し、『共和国』は係争地となっている惑星ファブニルを譲渡し、引き換えに『連合』はファブニル程重要ではない惑星を譲渡するという妥協案を出し、交渉はまとまりかけていたのだ。
だが和平の可能性は、交渉の争点となっていた惑星ファブニルで起きた事態によって覆されることになる。交渉が大詰めを迎えていた頃、ファブニルでは『連合』国籍の住民と『共和国』国籍の住民がそれぞれ結成していた民兵部隊が蜂起し、後に『ネックレスの夜』と呼ばれる虐殺事件が発生していた。
この名前の由来は民兵によるリンチの犠牲者の多くが針金で絞殺されたからだとも、一部がタイヤを体に掛けられたうえで火を付けられたからだとも言われている。いずれにせよ、双方の民兵が行った殺戮により、ファブニルの14億の住民のうち約90万人が一夜にして殺害されたのは事実である。
『連合』政府は『ネックレスの夜』事件の報告を受けて激怒し、先に手を出したのは『共和国』側と決めつけた。口では譲渡すると言っておきながら、裏では実効支配を諦めていない証拠だというのだ。
一方の『共和国』側は街頭暴力とリンチを開始したのは『連合』側が先だと主張し、それを裏付ける資料を提出した。『連合』の方は資料自体が捏造されたものだとして『共和国』の主張を退けたのは言うまでもない。
その後も一応の交渉は続いたが、もはや決裂の色は隠せなくなっていた。互いに相手を全く信じられなくなっていた上に、内戦状態に陥っていたファブニルからは、毎日のように相手側陣営が行った残虐行為の報告が来ていた。内戦の犠牲者は『ネックレスの夜』以降の一か月で1200万人に達し、どちらの民兵組織も正規軍の介入を熱望していた。
この期に至って両国は戦争やむなしと決断した。『共和国』は『連合』が戦時体制に入る前に叩くべきと考え、『連合』の方は、量的に膨張した『共和国』の軍事力がそれに相応しい質を手に入れる前に戦争に突入した方が有利と判断した。両国の利害は極めて皮肉な形で一致したのだ。
かくして宇宙暦701年9月、両国は惑星ファブニルに主力艦隊を進めることになる。リーズ セリエール准尉にとっての最初の戦争で、リコリス エイブリング大佐にとっては2度目の戦争、通称『共和国』ー『連合』戦争はこうして始まった。