ファブニル後半戦ー2
「問題はこの状況から抜け出すことが可能かということだが…」
ベルツは考え込んだ。当初の作戦案が崩壊した以上、『共和国』軍はこのままでは敗北する。それは明らかな事だ。
だが状況は絶望的という訳でもない。現状なら、第1が失敗した場合の保険だった第2の作戦案を実行する事は可能なはずだ。
第2案を採用した場合、ただの敗北が惨敗に代わる可能性はある。だが一方で、敵の連携の悪さを考えれば、逆転勝利の可能性もあるとベルツは判断していた。
「右舷に敵戦艦1、駆逐艦4、戦艦はアンガラ級と思われます」
索敵科からの切迫した報告が、ベルツの思考を中断させた。アンガラ級、『連合』軍の主力戦艦の一隻が、第1艦隊群アストライオスに砲戦を挑んできたのだ。
「戦艦までが浸透してくるとは」
アストライオス艦長のワシリー・レベデフ大佐が絶句した。艦隊群旗艦であるアストライオスは、直接戦闘に関わらない位置にいる。
もちろん宇宙戦闘においては陸戦のようにはっきりした前線は存在せず、敵の巡洋艦や駆逐艦が部隊の間をすり抜けていく事はよくあるが、巨大な戦艦までが艦隊群旗艦がいる位置に接近するとはゆゆしき事態だ。
「主砲射撃開始。目標敵戦艦。撃て!」
レベデフ大佐が絶叫する。数秒後、アストライオスの主砲である18門の対艦砲のうち、右舷に指向できる12門が一斉に発射された。2年前に量産が始まったばかりのこの砲は、巡洋艦クラスの艦なら一発の直撃で廃艦にする威力を持つ。
さらに周辺ではアストライオスの護衛にあたる巡洋艦部隊が、敵駆逐艦から旗艦を守る動きを取っている。アストライオスが属するクロノス級戦艦は『共和国』の戦艦の中で唯一、『連合』の艦に匹敵する重防御を誇るが、それでも多数の対艦ミサイルを食らえば危ない。
砲撃の結果についての報告が入る前に、アストライオスの艦体が微かに震え、CICの照明が一瞬消えた。アンガラ級の砲撃が、アストライオスを直撃したのだった。
「被害状況知らせ!」
レベデフ艦長の声が響く中、各所から報告が届き始めた。被弾個所は二か所、一か所目では兵員居住区が破壊されて40名前後の兵が戦死、もう一か所については少し深刻で、右舷副砲群の1/4が破壊されて小型艦に対する迎撃能力が低下したらしい。
「司令官、ここは一部の部隊を後退させて護衛に当たらせては」
「いや、それはできん」
レベデフが意見を具申してきたが、ベルツは却下した。レベデフの主張が怯懦ゆえのものではないことを、ベルツは知っている。
万が一この艦が撃沈されて第1艦隊群司令部が壊滅した場合、『共和国』軍の指揮系統は深刻なダメージを受ける。最悪の場合、統制を失った各艦隊が各個撃破されることもあり得るのだ。
それでもベルツが前線からの兵力引き抜きを拒否したのは、現状でそれを行えば戦力バランスが崩れ、間違いなく戦線が崩壊するからだ。旗艦沈没のリスクと戦線崩壊のリスクを天秤にかければ、後者のほうが大きい。ベルツはそう判断していた。
(この艦の戦闘力なら一対一の砲戦には勝てるはずだ)
ベルツはそうも計算していた。ゴルディエフ軍閥領紛争の戦訓から、『共和国』の戦艦は『連合』の戦艦と正面から撃ちあえないとされてきたが、クロノス級は違う。攻防ともに『連合』の戦艦の推定性能を上回り、それでいて機動力も高い。乗員も成績優秀な者が優先的に配属されている。
司令官の期待に応えるかのように、アストライオスの主砲が火を噴く。アンガラ級の砲撃でレーダーの一部が破壊されたが、護衛の巡洋艦から射撃データを受け取っているので、砲戦に支障はない。砲塔内で加速された荷電粒子の束は、弾着観測用の光をまき散らしながら敵戦艦に殺到した。
逆にアンガラ級の主砲射撃もアストライオスを捉える。敵の発砲が確認されるたびに白い閃光がアストライオスの巨体を直撃し、艦上の設備を破壊する。クロノス級の強靭な装甲は今のところ主要防御区画への貫通を許していないが、今後どうなるかは予断を許さなかった。
「敵戦艦の主砲塔2基を破壊した模様」
歓声交じりの報告が届いた。アンガラ級の主砲塔は6基だから、主砲火力の3割を奪った計算になる。一方アストライオスはこれまで兵員居住区画や副兵装を大分やられ、推進機にも若干のダメージを受けた。旗艦に不可欠の通信能力が失われていないのは、不幸中の幸いだが。
「敵戦艦、後退します」
「何とか切り抜けたか」
先ほどよりさらに弾んだ口調での報告を受けたレベデフ艦長は安堵した。アンガラ級は砲戦の継続は不利と見なし、撤退することにしたらしい。これでアストライオスの沈没と第1艦隊群司令部の全滅という、最悪の事態は避けられた。
一方のベルツ司令官は艦の状態には目もくれず、戦闘指揮所のモニターの一つに乗っている情報、航空部隊の状況を見つめていた。戦況は未だにほぼ互角のようだ。
空母の数は『連合』が勝るのに『共和国』が善戦している理由は、今回出撃した両軍の戦闘機の性能と装備によるものだった。
まず『共和国』は戦闘機やミサイル用の小型反応炉の開発においては最先進国であり、PA-25戦闘機に搭載されているエンジンは、『連合』のスピアフィッシュ戦闘機に搭載されているエンジンより、出力重量比において優れている。お蔭でPA-25は、スピアフィッシュと性能は互角でありながら、よりコンパクトな機体となっているのだ。
小さいということは同じ大きさの格納庫により多く積めることを意味する。つまり両軍の空母部隊が戦場に投入できる戦闘機の数の差は、空母の数の差程には大きくない。
加えて『共和国』軍の空母から発艦した戦闘機は、対空装備の機体が不釣り合いに多くなっている。一方の『連合』軍は対空装備と対艦装備の機が同数か、やや後者のほうが多い。
その結果、こと対空戦闘を行う機体の数に関する限り、機数は『共和国』有利となっている。彼らは『連合』軍の制空隊を牽制しながら、ホーネット対艦ミサイル2発を抱えて飛んでくる攻撃隊を次々に撃ち落としていた。
「やはり、ガラスのナイフですか。航空攻撃は」
航空参謀のマイケル・シェファード准将が戦況を見て呟いた。「ガラスのナイフ」とは艦載機隊、特に対艦攻撃を行う部隊を表す言葉で、鋭いが折れやすいという意味である。
対艦装備の艦載機は対艦ミサイル2発という、兵器自体の大きさと単価を考えれば異常な程の対艦攻撃力を持つ。全長40mで1人乗りの艦載機が、全長300mで200人近くの乗員がいる駆逐艦の1/5から1/4の火力を、敵艦に対して投射できるのだ。
だがその代償として、艦載機は極めて脆い兵器でもある。駆逐艦にも一応は存在する防御装甲を全く持たず、しかも実は機動力も大して高いわけではない。
推進方法も押しのけなければならない抵抗の量も大差がある惑星上における船と飛行機の関係とは違って、宇宙では軍艦も艦載機も同じ機関を使って真空中を進むためだ。
むろん艦載機の方が出力重量比は大きいのだが、船に対する飛行機のような圧倒的な差がある訳ではない。特に重い対艦ミサイルを搭載する場合は、せいぜい正規軍艦と魚雷艇程度の機動力差しかなくなってしまう。
『連合』軍航空隊の状態は、この事実を反映していると自らもパイロット出身のシェファードは思っていた。
『共和国』軍航空隊の善戦は、戦術の成功と言うよりも対艦装備の艦載機の脆さによるものだ。圧倒的な数の制空隊を投入して敵戦闘機を排除するか、あるいはこれまた圧倒的な数の攻撃隊を投入して敵の対空システムを飽和させない限り、「ガラスのナイフ」は折れてしまう。
「確かに艦載機は脆い兵器ですが、うまく使えば強力です。もっとも、航空参謀にこのような事を言うのは釈迦に説法でしたな」
司令部幕僚の中で一際若く、異彩を放つ男がシェファードの言葉の裏を読んだように、皮肉っぽく言った。中背でやや痩せた体格、金色に近い茶色の髪を靡かせた美しい顔立ちの男だ。
宇宙軍人と言うより映画俳優のような優雅な風貌と仕草をしているが、実際には軍のエリート中のエリートだった。
ノーマン・コリンズ准将、リコリス・エイブリング大佐と同じ年に士官学校を首席で卒業し、『共和国』-「自由国』戦争において大活躍した軍の俊英である。そして彼は当初の作戦計画が失敗した場合の、第2案を考え出した人物でもあった。
シェファードはコリンズの作戦案の独創性に感心したが、航空の専門家として出来れば使いたくないとも思っていた。
投機的な要素が強い上に、成功してもかなりの損害が出るのは避けられないと感じたからだ。司令官のベルツ大将も、コリンズの作戦案の実行には二の足を踏み、最初は艦隊戦力のみで勝利を掴み取るつもりだった。
だが当初の作戦が崩壊した以上、コリンズの案を使わざるを得ない事はシェファードも頭では納得していた。味方も甚大な損害を被るだろうが、このまま敗北するよりは遥かにましだ。
「第11から第13までの輸送隊に命令、発艦可能な全機で敵補助艦艇を攻撃せよ」
ベルツ大将はしばらく戦況を見つめた後、複雑な表情で指示を出した。この第11から第13までの輸送隊、名称からすれば航空戦とは何の関係もなさそうな部隊こそが、今回『共和国』軍が用意した切り札だった。補給部隊としか思えないその名に隠された実態については、各艦隊の司令官クラスしか知らない。
当初の作戦が成功すればこの部隊は投入されなかったし、第2案採用の場合でも味方が制空権を確保してから使用されるはずだった。
だが航空戦の戦況はなかなか変化しそうになく、じっと待っていては兵力に劣る味方艦隊が壊滅してしまう。そのためベルツは、やむなく現時点での出撃を命じたのだ。
「見るがいい『連合』軍。持たざる者の策をな」
一方、自らの作戦案が採用された事を確認したコリンズ准将は、白皙の端正な顔に似合わない凄惨な笑みを浮かべていた。国力で劣る『共和国』がその劣勢を覆すために編み出した奇策が、今から『連合』軍に牙を剥くことになる。