ファブニル後半戦ー1
「よし、やったわね! 全艦最大戦速でこの宙域より離脱」
その少し前、第33分艦隊の兵力の一部を別働隊として臨時に指揮していたリコリスもまた、歓声を上げながら後退命令を出していた。困難な任務はやっと終わった。
無論、今まで後方にいた敵部隊を突破しなければ脱出できないが、これまでの死闘に比べればずっとましだ。敵は中央部隊を攻撃されて弱体化しているし、第33分艦隊はもはや独力で戦っているわけではない。上位部隊である第2艦隊の本隊が、敵艦隊と戦闘を開始しつつあるのだ。
「後方より大出力の電磁波を確認。対艦ミサイルが命中している模様」
「前方からも電磁波が確認されました。第2艦隊本隊と、敵艦隊が交戦しているようです」
「司令部に意見具申。針路をx2、z1程度ずらすべきと判断」
通信科からの報告を聞いたリコリスは、すかさずコヴァレフスキー少将に意見を出した。このまま直進すれば、第2艦隊本隊との戦闘に加わろうとする敵部隊と正面衝突する可能性がある。対して針路を多少変更すれば、敵に対して逆丁字とも言うべき位置につき、一方的に砲撃することが可能となるのだ。
数十秒後、意見を容れるという返信が旗艦ロスバッハから来た。リコリスは安堵すると、椅子の背もたれを大きく倒そうとした後、ふと思い立って部隊への放送を行うことにした。指揮権を強奪したに等しい行為への、せめてもの謝罪である。
「全艦に通達。困難な状況をよく切り抜けてくれた。感謝する。後少しで敵艦隊を殲滅できる。それまでは、私の指示に従ってほしい」
10隻の巡洋艦、駆逐艦はクレシー級の最高速度に合わせて戦場を離脱していく。各艦の機関は奇跡的に無事だが、兵装はかなり破壊され、ミサイルも撃ち尽くしている。それなりの戦闘力を残しているのはオルレアンのみだった。
しばらく進んだ後、左舷に敵部隊を発見したという報告が届いた。リコリスが正面衝突を懸念した集団である。
「…思い切りがいいみたいね」
リコリスは舌打ちした。敵は自らの後方に出現した第33分艦隊を見ても、そのまま直進を続けたのだ。相手が無理に針路を変えようとすれば、こちらの思う壺だったのだが。
結局第33分艦隊は数回の砲撃を行い、残っていたミサイルを全て放ちながら敵の後方を最大戦速で抜けた。相手は戦艦を含む30隻ほどの艦で構成されており、今の第33分艦隊が正面からぶつかったのでは勝てない可能性が高いと、コヴァレフスキー少将は判断したのだろう。
なおリコリスも全くの同意見である。敵が狼狽してミスを犯してくれる事を期待していたのだが、そうならなかった以上は、形ばかりの攻撃を行って逃げるしかない。
敵艦隊から逃げ切ったことを確認した後、リコリスは各艦に指示を出すと艦長席に力なく座り込んだ。とにかく出来るだけの事はしたのだ。少し位休んでも罰は当たらないだろう。
「左舷に味方艦隊、第2艦隊本隊です。敵艦隊、潰走しつつあり」
微妙に弛緩した空気が漂う戦闘指揮所に、見張り員の歓声が響いた。これまで後方にいた戦艦部隊は、コヴァレフスキーの第33分艦隊の攻撃によって混乱した敵艦隊を殲滅しつつある。
「これで完全に勝ったわね。とりあえずこの宙域では」
言いながらリコリスはこれまで無視していた全体の戦況モニターに目を向け、吐き捨てた。
「ああ…勝っているわね。『この』宙域では」
『共和国』宇宙軍第1艦隊群旗艦アストライオス艦上では、司令官のディートハルト ベルツ大将が苦虫を噛み潰したような顔で指揮を執っていた。さっきリコリスが評した通り、勝っていると言えるのは第2 艦隊だけだったのだ。
他の5個艦隊は、負けてはいないが決して勝ってもいない。彼らは皆、高速部隊の襲撃が不発に終わった挙句に、敵艦隊との消耗戦に巻き込まれていた。
『共和国』がこの戦いに投入した第1艦隊群は同国が保有する3個の艦隊群の一つであり、6個艦隊、約1400隻の艦で編成されている。中規模国家の全宇宙軍戦力に匹敵する大部隊ではあるのだが、相手は人類世界最大の国家である『連合』である。各艦隊の交戦記録から判断すると敵戦力は1800隻から2400隻に達すると、第1艦隊群司令部は見なしていた。
単純な艦の数以上に問題なのは、戦艦や空母などの主力艦の数において大差があることだ。『共和国』でいう「艦隊」は戦艦20隻から25隻、空母6隻から8隻を中心に編成されるのに対し、『連合』の「艦隊」は戦艦30隻以上、空母8隻から10隻を含んでいる。だから艦隊数の差と主力艦の割合を考えると、両軍の主力艦の数には下手をすれば倍近くの差が存在する可能性があった。
「第3艦隊より入電、戦艦5、巡洋艦12、駆逐艦31隻が沈没ないし戦闘不能、戦果は戦艦4、空母1、巡洋艦10、駆逐艦38隻を撃沈破」
「第5艦隊より入電、新たな敵部隊と遭遇。敵戦艦2隻を撃沈するも、巡洋艦3、駆逐艦5を喪失。」
旗艦アストライオスの戦闘指揮所には次々と報告が入ってくる。ベルツの前にあるモニターには、これまでに報告された戦果と被害の一覧が表示されていた。
こちらは戦艦17、空母3、巡洋艦42、駆逐艦82を戦列から失う一方、敵の戦艦28、空母1、巡洋艦49、駆逐艦95を撃沈するか戦闘不能にしたということだ。
戦果の多くは第2艦隊によるものだ。事前に考えられていた以上の敵戦闘機が飛び交う中、第2艦隊は唯一敵艦隊の早期発見と襲撃に成功し、対艦ミサイル飽和攻撃で大混乱に陥った敵艦隊を戦艦の主砲射撃で次々に討ち取っていた。
一方その他の艦隊の状況はひどいものだった。ほとんど情報もないままに前衛が敵と衝突し、そこからなし崩し的に戦闘に突入している。ミサイル戦闘群も敵戦艦に対艦ミサイル飽和攻撃を行うどころか、逆に敵駆逐艦の突撃を防ぐために悪戦苦闘している。各指揮官はとにかく目の前にいる部隊に対処するので精いっぱいで、それぞれの戦場では無様な消耗戦が繰り返されていた。
艦隊による戦いと合わせて、その周辺部では航空戦も生起している。探知能力や航法能力に欠ける艦載機は敵艦隊への先制攻撃には向かないが、味方と衝突してはっきり位置を暴露した部隊への攻撃では威力を発揮する。対艦ミサイル2発を搭載した状態で出撃すれば、理屈上は単機で巡洋艦クラスの艦を撃沈できるのだ。
特に空母の数で優る『連合』は、はっきりとそれを狙って来ている。対して、『共和国』軍は対空装備の機体多数を出撃させ、対艦装備の『連合』軍機を次々に撃ち落としている。
こちらの戦いは優勢と言えば優勢だが、どちらも敵艦への有効な攻撃が出来ていないという点では引き分けだろう。『共和国』軍は本来、戦艦戦力の差を他の兵器で埋めなければならない事を考えれば、敵艦への航空攻撃を放棄している現状はどう見ても勝ちとは言えない。
もちろんベルツというか第1艦隊群司令部にとって、このような状況は全くもって不本意だった。彼らが狙っていたのは、『共和国』-『自由国』戦争におけるヒュドラ星域会戦の再現だったからだ。
同会戦において『共和国』は艦艇数で『自由国』を上回っていたが、戦艦の数においては少なかった。緒戦で多数の戦艦が撃沈ないし撃破され、その後の建艦計画においては短時間で建造できる駆逐艦の建造が優先された結果である。
総合戦力では『自由国』が若干有利だった戦いだが、『共和国』には数字に表れない強みがあった。艦載機及び観測機器の性能において『共和国』は『自由国』に優っており、敵よりずっと早く、相手の位置と進路を把握できたのだ。
『自由国』の艦隊群を早期に発見した『共和国』軍は、その未来位置に多数のミサイル戦闘群と支援部隊を集中させた。
結果は一方的だった。『自由国』の艦隊はだしぬけに対艦ミサイルの雨を浴びて大損害を受けた後、混乱しているところに『共和国』主力部隊の攻撃を受けた。
損害に耐えかねて撤退しようとした彼らは、その帰路でまたもやミサイル戦闘群に襲われ、最終的に8割以上が沈没ないし鹵獲されたのだ。一連のフレズベルク会戦とこの戦闘によって『自由国』の艦隊戦力は壊滅状態に陥り、数か月後の降伏に繋がる。
だがファブニル星域会戦はヒュドラ星域会戦とはほど遠かった。まず偵察に出した艦載機隊は、性能で互角かつ数で上回る敵機に迎撃され、ほとんどが敵艦隊の正確な位置を掴めなかった。次に艦隊前衛の巡洋艦と駆逐艦による偵察が試みられたが、両軍の艦艇の偵察用装備の性能はほぼ同じであり、こちらが相手を発見したときには相手もこちらを発見していた。その結果がこのような消耗戦である。
そして消耗戦は『共和国』にとって極めて不利な戦いだ。単純な数の差だけでなく、両軍の戦術思想と艦の性能の問題が絡む。
『共和国』の戦術思想は、対艦ミサイルによる最初の一撃で敵に深手を負わせることを重視する。そうして優位を確立した後、隊列が乱れた敵を艦隊運動で翻弄しながら戦力を削っていくという考えだ。だからその軍艦は高速で長い行動可能時間を持ち、他国のミサイルに比べて大型かつ格段に強力なASM-15を搭載する。
相手を数で圧倒するという戦術思想を持つため、特に軽艦艇は性能より建造期間の短さを重視した設計になっているのも特徴だ。
一方で最初の一撃に必要ない機能、例えば砲火力や防御力などは設計における優先順位が低い。ミサイルを食らって戦闘力が低下した艦や隊列が混乱した部隊を、機動力を生かして数と態勢の有利を確保しながら叩くのが基本戦術とされ、一対一の殴り合いなど考えていないからである。
その『共和国』と比較すると『連合』の艦は火力と防御力が格段に充実している。つまり同数兵力で正面から撃ち合えば、『共和国』の艦は『連合』の艦に勝てない。ましてや今回は、相手の方が数で優っているのだ。このまま消耗戦が続けば、力尽きるのは間違いなく『共和国』の方だ。
だがベルツ司令官、いや『共和国』軍は、全滅を覚悟で自暴自棄の戦いを継続しているのではない。彼らには艦隊戦力での劣勢を覆すための策があった。ベルツを始めとする司令部要員の顔は青ざめているが、絶望している者はいない。
「ふん、まあこうなるだろうとは思っていた」
ベルツは凄愴な笑みを浮かべた。今回を含めて4回の戦争に従軍した彼は、こちらの思い通りに戦闘が進むことなど、敵がよほど無能でない限りは有り得ないことを知っていた。
そして『連合』は『大内戦』で分裂したとはいえ未だに人類世界で最大の国家であり、軍隊は曲がりなりにもその版図をこれまで維持してきた連中だ。無能であるはずがない。
彼が気にしているのは実のところ、被害や戦果ではなく全体の状況だった。現在両軍はほぼ乱戦に近い状態になりつつある。前衛にいた巡洋艦と駆逐艦が目についた相手と無秩序に戦闘を開始し、それに戦艦部隊が巻き込まれた格好だ。
『共和国』軍のみならず『連合』軍にとってもこの状況はおそらく不本意だろうが、やむを得ないことと言えた。そもそも「艦隊群」(なお『連合』では同じ規模の部隊を「統合艦隊」と呼ぶ)という宇宙軍の最大単位同士で撃ち合う戦闘そのものが、かなり稀な現象である。
小国はそもそも艦隊群を持てないし、中規模以上の国家同士の戦いも、国境の分艦隊や艦隊同士の激突で片が付くことが多い。双方が艦隊群を繰り出した戦争など、『共和国』におけるこの100年間では『共和国』ー「自由国」戦争が初めてのはずだ。
その『共和国』ー『自由国』戦争でも、艦隊群がぶつかったというより、両国の艦隊同士がばらばらに戦ったような印象が強い。1000隻以上の艦の統一指揮など、『共和国』の歴史上いかなる指揮官もやったことがないのだ。
相手の『連合』も『共和国』と同じか、さらに酷い状況だろう。彼らは少なくともこの100年間、大規模な戦争を行っていない。やっているのは小規模な国境紛争や宇宙海賊、軍閥の討伐くらいのものだ。艦隊以上の戦闘単位を繰り出しての大規模な軍事行動における経験不足は、『共和国』より深刻なはずだ。
実際そのせいか、『連合』の行動にはぎこちなさが目立ち、『共和国』はそれに随分と助けられていた。敵はこちらより2個艦隊多いのに、その利点を生かし切れずに単なる消耗戦に終始している。
分艦隊より上のレベルにおける『連合』の連携が甘いため、『共和国』は今のところ、ある宙域での敗北がそれ以上の惨事に拡大するという事態を何とか回避できていた。
来週から数か月、筆者が多忙で週一更新するだけの執筆時間が取れそうもないため、今回以降は2-3週間に1回の不定期更新とさせて戴きます。連載を楽しみにして頂いている方々にはまことにご迷惑をお掛けします。状況が落ち着き次第、週一更新に戻すつもりです。
それと同じく時間の不足により、ご意見・ご感想を頂いても回答できない場合があります。これもご了承いただけると幸いです。本当に申し訳ありませんが、細く長く更新は続けるつもりなので、今回以降もお付き合い頂けるとありがたいです。