ファブニル星域会戦ー14
リコリスが思いを巡らしている間に、オルレアンを初めとする各艦は大きく変針した。追撃をかけている敵艦隊は泡を食ったように、自らも回頭を開始する。
それを確認したリコリスは次に来る光景を待った。第33分艦隊のコヴァレフスキー少将であれば、この機会は逃さないはずだ。彼が失敗すればリコリスの戦術眼か人物鑑定眼のどちらかが間違っていたことになるが、少なくとも前者について彼女には自信があった。
「全艦、ミサイルを除く全兵装を持って、エイブリング隊を追撃する敵艦を攻撃せよ」
エゴール・コヴァレフスキー少将は大音声で命令を出した。凄まじい錯誤と流血の末ではあったが、第33分艦隊は活路を開きつつある。そしてそれを成功させたのは。
(まったく、信じがたい事をやってくれる)
コヴァレフスキーは、現在旧シュペール隊の指揮を執っている人物の顔を思い浮かべながら苦笑した。彼女は昔からそうだった。状況がどんなに悪くても、涼しい顔でその状況での最適解を出してくる。彼女にとっての最初の戦いだった、惑星アスピドケロンからの絶望的な撤退戦で見せたように。
コヴァレフスキーが考えを巡らせる中、彼の直轄部隊、巡洋戦艦1、巡洋艦9、駆逐艦17は一斉に主砲から機銃に至るまでの全ての火器を発射した。
まずロスバッハの主砲が敵巡洋艦1隻を捉え、機関にまで大打撃を与える。それに続く2回の射撃は、推進力の大幅な損失による急激な加速度低下を過小評価していたために外れたが、第4射は再び直撃して敵巡洋艦に致命傷を与えた。
さらに巡洋艦、駆逐艦の砲撃も敵艦隊を着実に捉えている。敵艦隊が放つ砲火もあるが、その光は『共和国』側の砲撃が直撃する際の閃光によって、視覚情報としても実質としてもほとんどかき消されていた。
多くの艦が被弾によって戦闘力を削がれ、残りも隊列を大きく乱す中、リコリス隊が再度変針し、急激に回頭した結果孤立した艦に襲い掛かる。敵艦隊は司令部直轄部隊からの砲撃を回避するか、リコリス隊に応戦するかの二者択一を迫られた。
(これがアジャンクール級巡洋艦の使い方か。意外に成功した艦だったのかもしれないな)
コヴァレフスキーはさらに苦笑するしかなかった。リコリスが使った戦術は追撃してきた駆逐艦をロスバッハと合同して始末した時と基本的に同じだが、さらに巧妙になっていた。敵の運動の癖を掴んだ彼女は、司令部直轄部隊が最大の火力を集中できる点に敵を誘い込み、そこでの回頭を強要したのだ。
普通ならこんな距離からの支援砲撃など命中しないのだが、オルレアンからは自隊が変針した時の敵の予想針路のデータが送られてきていた。アジャンクール級の高度な索敵能力と、戦場全体を統括できる強力な通信能力の賜物である。そしてもちろん、リコリス・エイブリング大佐の戦術能力の。
しかもオルレアンからはさらに重要な情報も届いていた。「敵電波の送信方向を調べたところ、敵巡洋艦2番艦の通信量が最も多い。同艦が旗艦であると推定される」、リコリスはそう報告してきたのだ。
その巡洋艦2番艦は最初にロスバッハの主砲で吹き飛ばされ、敵部隊は指揮官を失った。今の彼らは戦闘部隊というより、ただの船舶の集合体に過ぎない。
「砲撃やめ。これより敵主力を攻撃する」
リコリスが臨時に指揮する部隊を追撃していた敵部隊が戦力の過半を失い、逃亡し始めたのを確認したコヴァレフスキーはひとまずの戦闘中止を命じた。止めを刺すことは可能だが、戦意と戦闘力を失った部隊への更なる攻撃など貴重な時間の浪費でしかない。
砲撃を中止した第33分艦隊残存兵力の前方には、待ちに待った光景が広がっていた。『連合』宇宙軍主力の砲戦部隊、20隻以上の戦艦の群れが。
「これより1分後、エイブリング隊と合同しての対艦ミサイル飽和攻撃を実施する。目標はx2、y8、z1に存在する敵戦艦部隊」
その命令が伝わった瞬間、ロスバッハだけではなく第33分艦隊を構成する全ての艦で歓声が上がった。『共和国』軍の悲願であった対艦ミサイルによる敵戦艦部隊の撃滅、その成功は今や手の届くところにあった。
(もっとも、これっきりかも知れんがな)
喜びに沸く艦内を見ながら、コヴァレフスキーはどこか冷めたものも感じていた。少なくともこの場にいる部隊と戦った感触では、『連合』軍はかなり優秀な軍隊だ。その彼らなら、戦訓の分析は怠らないはずだ。次の戦いで、戦艦が単独行動を行っていい的になってくれる可能性は非常に低い。
さらに言えば、今回の攻撃の成功ですらまぐれのようなものだ。どこか一つ歯車が狂っていれば、全滅するのは第33分艦隊の方だっただろう。いや、リコリスが狂った歯車を無理やり元に戻してくれたと言うべきか。
「敵戦艦、発砲!」
見張り員が緊張した面持ちで報告する。合計22隻の戦艦の砲撃をもろに食らえば、戦力が激減した第33分艦隊など1分と持たずに消滅するが。
「うろたえるな。こんな距離では当たらん」
コヴァレフスキーの前に参謀長がそう指摘した。確かに戦艦主砲は現在の距離からでも巡洋艦を撃沈できる。だがそれはあくまで、威力の面での話だ。観測機もいないのにこの距離から砲を撃っても、単なる脅し以上の効果はない。戦艦同士の砲戦ならともかく、こちらは高速の巡洋艦と駆逐艦が主力なのだ。
敵が巡洋艦や駆逐艦と戦艦の混成部隊だったら脅威だったかもしれない。補助艦艇を突撃させてこちらの運動を制限し、そこに戦艦主砲を撃ちこむという手が使えるからだ。
だが現実には敵は戦艦だけの集団、同じ戦艦相手の砲戦なら強力だが、高速艦艇に対しては有効とは言い難い編成となっている。正確に言うと、第33分艦隊が外郭を固めていた敵の高速部隊や混成部隊を撃破するか迂回したため、敵中央部には砲戦部隊だけが取り残される形となったのだ。
『連合』軍の戦艦は今、単なる無防備な標的として第33分艦隊の前に差し出されている。むろん彼らはそう思ってはいないだろうが、実際のところは既に勝敗は決まっていた。
『連合』が思いもしなかった形態の戦いを、『共和国』軍は始めようとしていたのだ。『連合』が誇る戦艦部隊の火力と防御力が、完全に無化される戦闘を。
「発射!」
戦艦からの砲撃が正確さを増しつつある中、旗艦ロスバッハを含めて27隻の司令部直轄部隊が、現在発射可能なミサイルをまとめて撃ちだし、同時にリコリス隊からもあらん限りのミサイルが発射される。両部隊を合わせて300発を超える光の矢が、中央にいた10隻の敵戦艦に向かって殺到した。
この攻撃は、対『連合』戦争において『共和国』が誇るASM-15対艦ミサイルが初めてその真価を発揮した瞬間と言えた。これまでもASM-15は戦艦を含む『連合』艦艇にしばしば致命傷を与え、その大威力で彼らを驚愕させてきた。
しかし実のところ同ミサイルの最大の特徴はそこではなく、他国のミサイルよりずっと高速で飛翔するという点にあるのだ。
確かに高速性能は威力にも寄与しているのだが、さらに重要な事として、ずっと長い有効射程をも担保している。そしてこの長大な有効射程こそが、ASM-15の開発に成功した『共和国』軍が、このミサイルがあれば『連合』の戦艦に勝てると確信した理由だった。
宇宙戦闘における有効射程の意味は、惑星上での戦闘とはかなり違う。惑星上で発射された砲弾やミサイルは重力と空気抵抗によっていつかは落下するのに対し、宇宙空間で発射されたミサイルの運動を妨げるものはない。つまり飛距離だけを考えれば、宇宙空間におけるミサイルの射程は無限ということになる。
このため宇宙戦闘におけるミサイルの有効射程は、その速度とセンサー性能によって規定される。飛翔速度が大きく、敵艦を捉えるためのセンサーの性能が高いほど、そのミサイルはより遠くの敵艦に命中する確率が高くなる。
また有効射程とはかなり流動的な概念で、ミサイルの特徴だけではなく撃たれる側の特徴によっても左右される。例えば戦艦のような巨大で運動性能の低い艦には遠距離からの発射でも命中する確率が高く、逆に駆逐艦にはより近距離から撃たないと当たらない。
そして何に向かって撃つにせよ、ミサイルの有効射程は砲の有効射程より短いというのが常識だ。砲から放たれる荷電粒子にはもちろんセンサーも誘導装置も付いていないが、飛翔速度がミサイルより桁違いに速いためだ。
特に戦艦主砲は、補助艦艇の砲よりずっと膨大な電力を使用してとてつもない高速で荷電粒子を射出するため、長大な有効射程と大威力を持つ。『連合』を初めとする各国が戦艦を宇宙戦闘の王者と見なしているのは、この艦種が他艦よりずっと強大な火力を、ずっと広い範囲に投射できるからに他ならない。
ASM-15はこの常識を打ち砕き、補助艦艇が戦艦と同等以上の距離から火力を投射できるようにするために開発された。『連合』に正面から建艦競争を挑んでも勝ち目がない『共和国』は、補助艦艇に戦艦並みの攻撃力を与えようとしたのだ。
ゴルディエフ軍閥領紛争で得られた、「当時の主力ミサイルASM-13は威力だけではなく射程も足りず、戦艦への攻撃は事実上の特攻となる」という戦訓が、開発に拍車をかけた。
そして完成したASM-15の性能を確認した『共和国』軍は狂喜した。言わば貧乏人の思い付きから生まれたこの兵器は常識外れの高速性能ゆえに、「戦艦に向かって撃つ限りにおいて」、戦艦主砲と同等以上の有効射程を持っていたのだ。
軍はすぐさま、サイズが巨大な上に艦内に専用の格納設備が必要という欠点には目をつぶり、ASM-15の制式採用を決めた。その威力と長射程は「補助艦艇に搭載できる戦艦主砲並みの武器」という構想に叶っており、搭載数の減少を補って余りあると考えられた。
そして今、ASM-15の雨は戦艦主砲の射程外から敵艦隊に投射されつつあった。少なくともこの場においては、『共和国』の技術が、ミサイルは基本的に艦砲より有効射程が短いという『連合』の常識を覆したのだ。
「全軍回頭、進路xマイナス2、yマイナス15、z1。この宙域から離脱する」
ミサイル攻撃の結果を見もせずに、コヴァレフスキーは撤退を指示した。指示した脱出方向には敵部隊がいくつか存在するが、既に第2艦隊の本隊が敵艦隊に取りつき始めている。彼らと合同すれば、突破は十分に可能だった。
第33分艦隊後方では、『連合』の戦艦部隊が恐慌を来している。常識外れの距離から発射されたミサイルの大半が、彼らへの直撃コースを描いていたからだ。
しかもそのミサイルが戦艦を撃沈し得ることは、これまでの戦いで判明している。彼らはそれまで、「補助艦艇だけで戦艦を含む艦隊に挑んだ無謀な『共和国』軍」を嘲笑していたが、その嘲笑は恐怖とパニックに代わっていた。
(何が敗因なのだろうな)
『連合』宇宙軍第九艦隊、第33分艦隊と対戦していた部隊を率いるライナー・クランツ中将は、旗艦ルアプラの艦上で黙考していた。第九艦隊は30隻以上の戦艦を擁していたにも関わらず、戦艦を含まない70隻ほどの敵に敗北した。
各艦の通信能力を過信して艦と艦の間を広げすぎ、各個撃破を招いたのが原因か、戦艦部隊を単独で中央に配備したのが悪かったのか。あるいは指揮官の能力の差、兵器の性能の差なのか。
だがいずれにせよ、第九艦隊の敗因をまとめて上層部に報告するだけの時間は、クランツに残されていなかった。旗艦ルアプラには20発以上のミサイルが向かってきている。対空砲火とジャミングで半数以上は無力化したが、残りは数秒以内に直撃する見込みだった。
(人類世界最大最強の国…か)
モニターに映るミサイルの軌跡を眺めながら、クランツは『連合』上層部の口癖を思い出して自嘲するしかなかった。その国は今、ここファブニル星域で醜態を晒しつつある。
クランツの第九艦隊は1/3の敵に敗北した。他の艦隊の戦況はろくに入って来ないが、どうも数で劣る敵に対してせいぜい互角の戦いしか出来ていないらしい。
(願わくば、今回の敗北を糧とし、我が軍が再建されんことを)
それが虚しい願いである事を知りつつ、クランツはそう祈らずにいられなかった。『連合』宇宙軍にも、クランツが完敗した敵分艦隊の指揮官に劣らない有能な軍人はいる。
特に第二統合艦隊参謀長のダニエル・ストリウス中将や、第六十二分艦隊司令官のケネス・ハミルトン少将は本来なら統合艦隊司令官や艦隊司令官を務めるべき逸材だ。自分のような人間に代わって彼らが司令官席に座れば、このような敗北を喫することはなくなるだろう。
だが問題はそれが可能かどうかだ。現行の『連合』の政治体制では、ストリウスのような人間は真っ先に敗北のスケープゴートにされるだろう。そしてまた、今回と似たり寄ったりの人間が、艦隊を指揮することになる可能性が高い。
「ミサイル、当たります!」
報告というより悲鳴のような絶叫とともに、ルアプラの艦体が連続して大きく震動する。そしておそらく4発目で、艦の奥底からこれまでにない異様な音響が発生した。
「終わりか」
クランツは生涯最後になるであろう言葉を口にし、そのあまりに単純な内容に我ながら呆れるのを感じた。いやしくも高級軍人なら、「汎人類惑星連合万歳!」とでも叫ぶべきではないのか。
だがあるいは正鵠を射ていたのかもしれない。機関の爆発による高熱で蒸発する寸前、クランツの精神の一部は自らにそう語りかけていた。
おそらく『連合』はもう「終わり」なのだ。既に瓦解しかけている国民の結束を高めるためにほとんど無意味な戦争を開始し、しかもその尖兵としてクランツや第二統合艦隊司令官のウィリアムソン大将のような、血筋だけが取り柄の人間を送り込むようでは。
(せめて、内乱だけは…)
それがライナー・クランツ中将の最後の思考だった。
次回より「ファブニル後半戦」、第33分艦隊の奇襲が終わった後の戦いを描写します。「ファブニル後半戦」では主に『共和国』軍全体の戦況を描くので、これまでに比べてオルレアンの出番は少なくなると思われますが、ご了承ください。




