2つの戦線ー3
(いつもの奴か)
ケプラーは敵の正体を予測した。
この場所で敵艦隊が見つかったということは、相手の目的は1つしかない。惑星ゲリュオンへの輸送に対する妨害である。
ゲリュオンに展開している『共和国』正規軍の戦力は約70万人である。この程度の数なら武器や弾薬を含む物資を現地調達できそうだが、残念ながらその生産設備がゲリュオンにはない。
兵器を生産できる設備は撤退する『連合』軍によって持ち出されたか、親『連合』派支配地域の地下に秘匿されているかだ。
従って食料や水はともかく兵器類については、『共和国』から輸送せざるを得ない。
しかも輸送しなければならない物資の量がまた、駐留軍の規模に見合わないほどに多かった。
ゲリュオン駐留軍の主力を勤める機動旅団は機甲部隊以上に機械集約的な部隊であり、1人当たりの活動に必要な物資量が群を抜いて多い。
しかもその機動旅団は当初の3倍近い出撃を行っており、膨大な物資を要求してきている。ゲリュオン戦における『共和国』の基本戦略では、民兵を主軸として『共和国』正規軍は補助に徹することになっているが、現状はそれと程遠かった。
こちらの民兵が親『連合』派と激突するとほぼ確実に敗北するせいで、親『連合』派の勢力拡大を防ぐには機動旅団を出さざるを得ないのだ。
その帰結が現在第41分艦隊が護衛しているような、膨大な補給物資及び補充部隊である。民兵と必要最小限の正規軍で勝負がつく筈だったゲリュオンは今や、『共和国』の希少な輸送力を吸い込むブラックホールと化していた。
そして前線に向かう船団というものは当然、敵軍の格好の標的となる。ゲリュオンに向かう船団もこの例に漏れず、航路周辺にはたびたび『連合』宇宙軍が妨害に現れていた。
レーダーが探知したのはほぼ間違いなく、その通商破壊部隊だ。第41分艦隊としては、船団護衛任務を全うする為、早急に排除する必要がある。
「空母部隊は偵察機を発進させた後、本隊から距離を取れ。本隊は隊形を警戒序列に変更。相手の出方を見る」
ケプラーは矢継ぎ早に指示を出した。今のところ分かっているのは敵の存在だけで、その規模や編成についての情報は無い。一刻も早くそれらを確認し、対応の種類を決める必要があった。
「敵は大型8、中型20。小型及び空母については不明」
巡洋艦と駆逐艦の一部が扇型の隊形を作って前方に展開していく中、偵察機からの報告は意外に早く来た。敵の規模はどうやら1個分艦隊、ないしはその増強版と言った所らしい。
(奇襲をかければ互角に戦えるか)
ケプラーはしばらく考えた後、結論を出した。空母部隊を除いた第41分艦隊の戦力は戦艦と巡洋戦艦が4隻ずつに、巡洋艦18隻と駆逐艦51隻。
発見された敵に比べてやや劣るが、絶望的な差があるという訳でもない。こちらの方が早く相手を見つけている以上、戦い方次第では勝利を収められるだろう。
「各艦は針路を方位角マイナス15に取れ。敵の後方から奇襲をかける」
ケプラーはレーザー通信で、第41分艦隊の各艦に方針を伝えた。
現在第41分艦隊と敵はほぼ真正面から相対する形で接近している。このままでは正面から激突する形となり、防御力で勝る『連合』軍が有利だ。
そこでケプラーは、針路をずらしていったん敵をやり過ごした後、後方から攻撃をかけることにした。
奇襲を受けた敵が不利を悟って逃げればその時点で船団護衛任務は達成できるし、戦闘を挑んできたとしても有利な態勢で戦える。どちらに転んでも損にはならない。
「第206駆逐隊より入電。『我、敵駆逐艦2隻と交戦中!』、以上です」
「遅かったか」
だが直後に入ってきた知らせに、ケプラーは舌打ちすることになった。『連合』側の警戒艦はこちらの想定より広範囲に展開しており、その一部と接触してしまったのだ。
敵駆逐艦2隻はすぐに逃げ去ったようだが、直後に当然ながら、敵艦隊の増速とレーダー起動が確認された。彼らは少なくとも、こちらの存在については気づいたのだ。
「計画変更だ。このまま前進し、奴らが戦闘態勢を整えないうちに撃破する」
ケプラーはやむなく、戦術を変えることにした。敵に発見された状態で奇襲の為の機動を行っても、相手を有利にするだけだ。
ここは速攻を取り、発見までの僅かなテンポ差を最大限に利用するしかない。
「戦艦と巡洋戦艦を前面に出せ。敵前衛は火力で薙ぎ払う」
「それでは本艦が危険に晒されます!」
ケプラーの次の命令に対し、旗艦ヴォルガストの艦長が仰天の声を上げた。ケプラーが指揮棒で指した戦艦と巡洋戦艦に、ヴォルガスト自身が含まれていた為だ。
指揮官先頭は下士官や下級仕官においては美徳だが、将官がやるべきことではないと言いたいのだろう。
「大型戦闘艦の1/8を遊兵にすることはできん」
ケプラーはぶすりと答えた。ヴォルガストは旗艦であると同時に、第41分艦隊に8隻しかいない戦艦、巡洋戦艦の1隻だ。それが後方で指揮に専念すれば戦場での火力が不足する。
(意外にアジャンクールの方が、旗艦任務には相応しかったのかも知れんな)
ケプラーはかつての乗艦の歪な艦影を思い出した。駆逐艦部隊の指揮を務める為に設計されたが建造後にその任には不適格と判断され、偵察任務に使われていた艦だ。
艦の規模の割りに攻防性能が貧弱だったことから、一般には成功作としては見られていない。平時に設計されたにも関わらず戦時急造艦並みにアンバランスな姿も、評判の悪さに拍車をかけていた。
だがアジャンクールには美点もあった。指揮通信能力だけは今乗っているヴォルガストに匹敵する上、大した戦闘力を持たないが故に戦闘参加の必要が無かったのだ。
戦闘力の割に高すぎると批判された建造費用も、巡洋戦艦と比較すれば格安だ。
旗艦に頑丈な大型戦闘艦を選ぶという発想は、もう時代遅れではないか。ケプラーはそんなことをふと思った。
戦艦、または巡洋戦艦に乗っての陣頭指揮というのは、通信技術が未発達な時代に生まれた伝統だ。当時は通信可能な距離が短かった為に、戦闘指揮を行う旗艦は自身が戦場に出張る必要があった。
その中で司令部全滅の危険を最小化するには、装甲の厚い大型艦を使うしか無かったのだ。
だが現代では、司令部は戦場のやや後ろで指揮を執るのが基本で、旗艦が戦闘に参加するのは基本的に禁忌とされている。それなのに旗艦に戦艦を使うのは無駄では無いかと、ケプラーは思うのだ。
フルングニル撤退戦では、司令部が機動力の低い大型戦艦に乗っていたせいで逃げ遅れ、危機に陥るという本末転倒の事態も起きている。
旗艦には巡洋艦もしくは軽空母を使い、その分多くの戦艦を戦場に出すのが、これからの戦力運用の基本となるかもしれない。
「レーダーより司令官。敵艦らしきものを発見しました」
「了解。各艦は敵を捕捉次第、発砲せよ」
だがケプラーはそこで思考を中断した。旗艦任務にはどの艦種が相応しいか等と言う議題は、後方での会議で考えればいい。今は目の前の任務を達成することに集中すべきだろう。
前方を監視するモニターの中では、ヴォルガストの前部主砲が微かなモーター音とともに小刻みに旋回し、発砲の合図を待っている。
その様はどこか、獲物に飛びかかろうとする蛇が鎌首を上げる姿を思わせた。
もちろんヴォルガストだけではなく、残り3隻のブライテンフェルト級巡洋戦艦及び4隻のヘバト級戦艦も、前部主砲の発射準備を整えている。
どの艦も大きさの割に火力が小さいことで知られるが、居並ぶ長大な砲身の列からはそんな印象は全く感じられない。完璧に調整された機械のように進んでいく8隻の姿は、大型戦闘艦だけが持つ力強さに溢れていた。
そしてその時は唐突に来た。前方で複数の閃光が瞬き、それに合わせて敵艦の位置情報を示すデータがヴォルガストを含む戦艦群に送られてきたのだ。
偵察機、及び前衛の駆逐艦が敵と遭遇し、戦闘を開始した瞬間である。
「撃て!」
各艦の兵装科長が号令を出し、砲員たちがトリガーを引く。計数十本の発光性粒子の束が撃ち出され、各艦周辺が一瞬だけ光輝いた。
最初の一撃は逸れたが、各艦は結果が確認される前に第二、第三の斉射を放っていた。
従来の射法では一回の砲撃ごとに諸元を修正していたが、この方式では特に遠距離砲戦において射撃間隔が間延びする。
その為現在では、微妙に方向を変えながら数回の射撃を行い、その結果を総合して諸元を修正するという射法が主流になっていた。
幾ら厳密な計算を行っても、戦場の全ての不確定要素を網羅することは出来ない。ならばとにかく大量の試射を行い、その中から正解を探すという発想である。
元々『共和国』軍艦はレーダー技術で『連合』に半歩劣る代わりに、砲の速射性と旋回速度では優っている。新しい射撃法は、その特徴にうってつけだった。
『共和国』軍戦艦部隊の砲撃が連続する中、少し遅れて『連合』軍も砲撃を開始した。前方の4か所で発砲を示す閃光が瞬き、しばらくして鋭い光の筋が通り過ぎていく。
大半は大きく逸れるが、たまに至近距離を通過していく光も存在し、観測員の肝を冷やさせた。
「ウトゥルク級だな」
ケプラーはその様子を見ながら、相手の正体を推測した。この距離で砲撃を行えるということは大型艦だが、レーダーの反応はドニエプル級戦艦より弱い。
また砲から放たれる発光性粒子の密度と速度も、戦艦のそれにしては小さく感じられる。
であれば相手の正体は大体分かる。フルングニル撤退戦時に初めて姿を見せ、その後の調査でウトゥルク級という名称が判明した巡洋戦艦、またはその小改良型だ。
前衛という『連合』の大型艦らしくない位置にいるのも、完全な戦艦ではなく巡洋艦的な性格を持つ同級だからだろう。
「各砲員は奴を出来るだけ遠くで仕留めろ。決して接近させるな」
ケプラーは各艦に、命令とも助言とも付かない指示を伝えた。
ウトゥルク級は基本的にドニエプル級戦艦の小型版だが、単なる下位互換では無いことが分かっている。機動力では戦艦を大きく上回るし、攻撃力も必ずしも劣ってはいない。主砲1発当たりの威力ではドニエプル級が圧倒的に上だが、ウトゥルク級の主砲には速射性と言う強みがあるからだ。
実際フルングニル撤退戦では、『共和国』が世界最強を謳うウルスラグナ級戦艦でさえ、ウトゥルク級に苦戦を強いられた例がある。いずれも乱戦の中で至近距離に接近されて連続斉射を浴び、大損害を受けたというものだ。
1発の破壊力より弾量を重視するのは『連合』軍より『共和国』軍に馴染みのある発想だが、そのお株を奪われた形である。
ウトゥルク級の接近を許せば、その再現となりかねない。何としても遠距離砲戦で無力化し、脅威を取り除く必要があった。
直後、ケプラーの声に応えるように、遥か前方に巨大な爆発光が観測された。砲撃のタイミングから言って、6番艦の位置にいるアクハトの戦果だ。
続いてヴォルガスト自身の砲撃が敵1番艦を直撃し、前部主砲塔の一部を沈黙させた。
(勝てるな)
ケプラーはその様子を見ながら内心で呟いた。戦力比は2対1で、最初の直撃もこちらが得た。後は慎重に討ち取っていけばいい。
対する敵艦は、直撃に怒り狂ったように連続斉射を開始した。まだ十分な射撃諸元は得られていない筈だが、悠長に試射を行っている場合では無いと判断したのだろう。或いは『共和国』軍の撃ち方を模倣したのかもしれない。
「怯むな。このまま押し切れ」
ケプラーは砲員たちを激励した。ウトゥルク級巡洋戦艦の連続斉射は一見脅威だが、この距離で偵察機の支援も受けないままに砲を乱射しても、滅多に当たるものではない。
見かけ上の迫力に騙されず、落ち着いて仕留めればいい。そんな思いを込めたつもりだった。
その激励が通じたのは不明だが、続いて敵の2番艦と4番艦の艦上にも命中光が煌めき、何かが吹き飛ばされていく様子が偵察機から送られてきた。
これで『共和国』軍は、敵全艦に手傷を負わせた事になる。
「敵3番艦、脱落します!」
続いて更なる朗報が届けられた。最も先に直撃を受けた敵艦が、度重なる被弾に耐えきれずに隊列から落伍していったのだ。
敵3番艦は艦橋と前部主砲塔全てが吹き飛ばされて幽霊船のような姿になり、電線の短絡によるものと思われる小爆発を起こしながら、虚空をよろめいている。
沈没するかは微妙な所だが、少なくとも今回の戦闘で『共和国』軍の脅威となることは2度と無いだろう。
「巡洋戦艦の弱点ですな」
これまで黙っていたジョン・ウィルキンス義勇少将が敵艦の惨状を見て評した。
巡洋戦艦という艦種は、正面からの砲戦には弱い。機動力と攻撃力を活かした一撃離脱を本分とする為、守りに入るとすぐに無力化されてしまうのだ。
戦艦ならその分厚い装甲によって不利な状況から持ち直すことも出来るが、巡洋戦艦にはその体力が無い。
敵3番艦の運命はその典型だった。あれがドニエプル級戦艦なら被弾に耐えて前進を続け、こちらを蹂躙したかもしれないが、ウトゥルク級巡洋戦艦では無理だった。
防御力の低い同級は、最初の被弾から短時間で戦闘力を失ってしまったのだ。
「巡洋艦部隊より入電、『戦果5隻撃沈。8隻撃破。損害はイッソス、トラパニが戦闘不能。他3隻損傷あるも戦闘可能。敵は遁走せり』、以上です」
「よし、巡洋艦はそのまま駆逐艦の支援に回れ」
次の報告に、ケプラーは会心の笑みを浮かべた。
戦艦、巡洋戦艦とほぼ同時に戦闘に突入した巡洋艦部隊は、1足先に勝利を収めた。索敵用に傘型の隊形を組んだままだった敵巡洋艦に縦陣で攻撃を仕掛け、火力を集中して蹂躙したのだ。
小規模戦闘とは言え、戦争の初期以来久々に見た、ほぼ完全な勝利だった。
「巡洋艦に負けるな。戦艦乗りの力を見せてやれ」
報告を聞いた各艦では、艦長や兵装科長が砲員たちにはっぱをかけている。
『共和国』宇宙軍は中小型艦主兵の傾向が強いが、やはり戦艦や巡洋戦艦と言った大型艦は宇宙軍の花形だ。少なくともそれらの艦の乗員たちはそう思っている。
巡洋艦が鮮やかな勝利を収める中、その戦艦がもたもたしていては花形の名折れだ。早急に決着を付けろ。彼らはそう部下を煽った。
この手の言葉はともすれば逆効果になりかねないが、勝っている時には非常に効果的だという事を、経験を積んだ佐官たちはよく知っていたのだ。
その声に応えるように、各艦の砲は吼え続けた。1斉射ごとに最低1発が敵巡洋戦艦の艦体を抉り、上部構造物を吹き飛ばしていく。
しかも1隻に対して2隻ないし3隻が同時に砲火を浴びせている為、敵巡洋戦艦の艦上では絶えず光が爆発し、溶融した破片が花火のように飛び散っていた。
「っ、食らったか?」
だが残り3隻の敵巡洋戦艦の最期を確認しようと身を乗り出したケプラーは、目の前のモニターで不意に巨大な光が爆発するのを見て声を上げた。
これまで空振りを繰り返していた敵の砲撃だが、とうとう命中したのだ。しかも旗艦であるこのヴォルガストに。
約15秒後、次の爆発が起きた。今度は主砲塔を直撃したらしく、反撃の砲火の数が目に見えて減少する。更に15秒後には3発目が命中し、右舷前方の副武装群を薙ぎ払っていった。
「流石の速射性だな」
ケプラーは半ば本気で感心した。敵巡洋戦艦はこれまでの被弾により、砲撃のための電力も砲を動かす人員の数も不足気味の筈だ。にも関わらず15秒おきの斉射を放ち、ヴォルガストに手傷を負わせている。
もし相手が無傷の状態で正面から殴り合っていれば、2対1の戦力比でも負けていたかもしれない。敵巡洋戦艦の奮戦は、ケプラーをしてそう思わせるに十分だった。
(だが、もう遅い)
戦闘指揮所がざわめく中、ケプラーは敵巡洋戦艦の姿を睨み据えた。
あの状況下で直撃させて見せたのは見事だが、あまりにも遅すぎた。ヴォルガストが沈むより、こちらの砲撃によって相手が沈黙する方が圧倒的に早い。
数秒後、その予測を裏付けるように、ヴォルガストを砲撃していた敵1番艦の艦上に連続した閃光が煌いた。敵2番艦と撃ち合っていたこちらの3番艦、4番艦が加勢し、計4隻による集中砲火が敵1番艦を襲ったのだ。
ケプラーは僅かに首を捻り、敵2番艦がいた場所を見た。そこでは艦の代わりに巨大な光の塊が浮かんでおり、元が何だったかも分からない残骸がそこから無数に飛び散っている。
多数の被弾によって機関の制御が不可能になるか、単純に機関ないし電気系統が破壊されるかしたのだろう。
そして敵1番艦もまた、同じ運命を辿ろうとしていた。4隻のブライテンフェルト級巡洋戦艦の主砲が放たれる度にその艦容は崩壊し、先ほどヴォルガストを苦しめた連続斉射の勢いも急速に失われていく。
ウトゥルク級は単艦での戦闘力において恐らくブライテンフェルト級を上回るだろうが、4対1の状況においてそんな事実は何の慰めにもならない。
既に逃げる為の力さえ失った敵1番艦に残されているのは、このまま巨大な有人標的として滅多打ちにされる運命だけだ。
「敵1番艦、完全に沈黙しました」
3番艦と4番艦が加わってから約2分後、『共和国』側の砲撃は唐突に止んだ。その前方には原型を留めない程に打ち砕かれた敵1番艦が、海流に揉まれる流木のように漂流している。
「巡洋戦艦2隻撃沈確実、他に1隻を大破と言った所か」
ケプラーは戦果をそう評価した。1番艦と2番艦は間違いなく沈む。最初に落伍した3番艦は微妙だが、戦果というものが過大評価されがちであることを考えれば、撃沈ではなく撃破と考えるべきだろう。
最後の4番艦は不利を悟ったのか途中で逃げ出した。敵前逃亡の咎で更迭されるか、戦力を温存するための苦渋の決断として処分保留になるかは、艦長の運次第だ。
いずれにせよ第41分艦隊への脅威はこれで消滅し、ゲリュオンへの輸送を再開できる。
「逆探が敵レーダー波と思われる高出力電波を探知しました! レーダーにも反応。恐らくは敵大型艦です」
「何だと、馬鹿な!?」
だがケプラーは、そこで思わぬ報告を聞いて愕然とした。敵の巡洋戦艦も巡洋艦も、沈むか遁走するかした筈だ。それなのに、どこからその敵大型艦とやらは現れたというのだろう。
(戻ってきたのか。いや)
ケプラーは考えを巡らせた。敵は敗北を悟って逃げたとこちらは考えていたが、実際には再集結して復讐戦を挑んできたのだろうか。
しかし敵の残存戦力はたかだか巡洋戦艦1隻と巡洋艦7隻、それに駆逐艦が30隻前後だ。対するこちらには、戦艦4、巡洋戦艦4、巡洋艦13、駆逐艦41がいる。
航空戦力を加味すれば、戦力差はもっと広がるだろう。その状況で再戦など、無意味な自殺に過ぎない。
「いや、待て」
ケプラーは思わず声に出した。最初に偵察機が存在を伝えてきながら、未だ姿を現していなかった敵が1つ存在する。その後全く報告がなかった事から誤報と判断したが、もしや…
ケプラーの予想は最悪の形で当たった。ゲリュオンの外側を回る第3衛星の陰から、「それ」は姿を現したのだ。
「敵戦艦4、発砲しました!」
索敵科員が報告というより悲鳴を上げる。直後、複数の光の筋が4隻のヘバト級戦艦周囲の空間を貫いていった。
「考えたな」
ケプラーは呻いた。あの場所は宇宙の基準ではほぼ衛星の地上と言ってよく、それ故に索敵を行っていなかった。
強い重力に引っ張られた状態で船を動かすのは危険極まりない行為であり、少しでも間違った方向に舵を切ればそのまま地面に吸い込まれる。戦艦のような大型艦なら尚更だ。
衛星の至近距離にいればレーダーでも光学装置でも滅多に見つからないというメリットはあるにせよ、敵がそんなリスクを負うはずがないと、ケプラーは推測していたのだ。
だが現実の敵は、その危険を堂々と冒して見せていた。4隻もの戦艦を衛星の表面すれすれに展開させ、こちらを待ち伏せしていたのだ。
操艦技術に自信があるのか単なる賭けなのかは知らないが、いずれにせよ『共和国』側が窮地に追い込まれたことは確かだ。
敵戦艦が完全に照準を合わせているのに対し、こちらは砲塔さえ向けていない。これでは反撃できないまま、一方的な砲撃を浴びてしまう。
「回避運動を行って時間を稼げ。各艦砲員は可及的速やかに照準を合わせろ」
ケプラーは動揺を抑えながら命じた。このままでは先ほど一方的に撃沈された敵巡洋戦艦の2の舞だ。何としてでも敵の攻撃を凌ぎきり、態勢を立て直すしかない。
「皆、落ち着け。この状況は敵にとっても想定外の筈だ」
ケプラーは次に部下たちを落ち着かせるべく言った。はったりでもあるが本心でもある。4隻の敵戦艦にとっても、現在の状況は不本意なものと思われるのだ。
何故こんな状況が生まれたのか、ケプラーには大体理解できる。予想より早い接触に驚いたのは敵も同じだったのだ。
彼らは隊列を戦闘用に組みなおそうと焦り、その過程で他の艦より動きが鈍い戦艦が後方に取り残されてしまった。孤立した戦艦は身を潜めながら戦場に赴こうとしたが、その前に戦闘が終わってしまった。
細かい部分は違うだろうが、概ねそんな所だろう。
ならば過度に恐れることはない。突然の砲撃を受けたのは驚いたが、戦艦と巡洋戦艦を同時に相手にするよりはずっとましだ。各個撃破の機会を得たと思えばいいだろう。
「アクハト、被弾!」
「回避運動、急げ!」
だがケプラーが部下に植え付けようとした楽天的思考は、現実の悲報によって圧倒された。先ほどの砲戦で最初に直撃を得た殊勲艦が、敵戦艦の砲撃に捉えられてしまったのだ。
(この距離で、この段階で直撃だと?)
ケプラーは焦りとともに困惑を感じた。幾らこちらが油断して直線的な動きをしていたからと言って、被弾が早すぎる。
偵察機の支援もいない戦艦が主砲の有効射程ぎりぎりで命中させるには、後10回は試射が必要というのがこれまでの経験則だ。
だが目の前の戦艦はその経験則に反し、たった5回の試射から直撃させた。余程腕のいい砲員が乗っているのだろうか。
ケプラーは混乱しながら、知らせを受けて急行した偵察機のカメラが捉えた敵戦艦の姿を見据えた。
殆どは衛星からの反射光の中に浮かぶ影絵のような代物だが、1枚だけ比較的ましな写真があった。斜め後ろから撮られたその画像には、敵艦後部の様子が鮮明に映っている。
「これは?」
「主砲の配置が違う」
画像を見た者たちがざわめき始めた。『連合』軍のドニエプル級戦艦の主砲塔の数は、前方に4基と後方に2基だ。改装その他で艦上構造物の形状が変化しても、主砲の位置と場所は変わらない。
だが写真の戦艦の後部には、どう見ても3基の主砲塔が存在する。後部艦橋の形状もドニエプル級のような台形ではなく、完全な箱型に近い。
そして何より、大きさが違った。ドニエプル級戦艦の全長は960m。改装しても大きくは変わらない筈だ。
対して複数の偵察機による三角測量を行ったところ、目の前の敵戦艦の全長は1200mを超えている。測定誤差では説明がつかない差だった。
リコリスはオルレアン、及び姉妹艦のアジャンクールとともに、『共和国』領惑星ペルーダ近傍の宙域にいた。
演習という名目だが、実際の目的は別にある。宇宙軍が開発中の新兵器のテストが今からここで行われるため、その監視を行わなければならないのだ。
この任務にオルレアンとアジャンクールの2艦が選ばれたのは、その構造故である。
アジャンクール級巡洋艦は優れた通信能力を持つので、テスト中に不測の事態が起きた時も回線がパンクしにくい。また広大な後部格納庫は、テストに同行する技師や技術士官の居住スペースや、使用機器の置き場として利用できる。
戦闘艦としては微妙と言う評価が下されたアジャンクール級だが、試験支援艦としては理想に近い特徴を持っているのだった。
「遅いわね。何かあったのかしら」
リコリスはテストの時刻表と時計を交互に見ながら少し顔をしかめた。予定では40分前には到着している筈だが、未だに連絡も反応も無い。
特例で戦闘指揮所に立ち入っている技術士官及び民間技師たちの顔も、段々と青ざめてきていた。
遅刻の理由は幾つか考えられる。何らかの不手際があって解決中なのか。実験は中止になったがまだ連絡が入っていないのか。
「それとも、実施中の事故で連絡が取れないか」
リコリスは小声で呟いたつもりだったが、隣の技術士官には聞こえたらしく、彼は露骨に嫌な顔をした。
不吉な予測を口にするとそれは現実になるという原始的信仰の信奉者は、時代及び本人の知的能力に関わらず一定数存在するものらしい。
いずれにせよこの場面では、古来からの迷信の正しさが証明されることは無かった。アジャンクール、少し遅れてオルレアンのレーダーが、「来客」の到来を感知したのだ。
「試験機らしき反応を捉えました」
戦闘指揮所に知らせが伝わり、テストに関わる各員が安堵と喜びの入り混じった表情を浮かべる。遅れの原因は、少なくとも致命的な事故では無かったらしい。
ただ現れた方向は、リコリスが事前に聞かされていた所から10°ほどずれていた。機密保持の為わざと偽情報を渡したのかと一瞬思ったが、周囲も揃って首を傾げている所を見ると、単なるミスなのだろう。
(何かと先が思いやられる)、リコリスは他人事のように思った。
A号機械と名付けられた新兵器は上層部が鳴り物入りで作っている「決戦兵器」の1つだが、この様子で次の戦闘、いや戦争に間に合うのだろうか。




