2つの戦線ー2
大変長らくお待たせ致しました。これからもしばらくは不定期投稿ですが、気が向いたときに見て頂ければ幸いです。
惑星ファブニルから後退した『共和国』軍司令部は、現在惑星アクリスに居を置いている。この星はファブニルより前線から遠いので、突然の陥落と司令部全滅が起こりにくいという理由である。
なお世の大抵の決定にある事だが、この措置は楽観論者と悲観論者の両方の意見を汲んだ結果である。
楽観論者はそもそも後退の必要など無いと主張した。これまでの戦いで『連合』軍も大きく損耗しているというのが理由である。
対する悲観論者はもっと安全な場所まで退くべきと訴えた。これまでの戦いの戦訓を調べた結果、『連合』軍の長距離侵攻能力は戦前の予想より高いというのだ。
両者の意見を折衷した結果がアクリスへの後退であり、当然ながらどちらの派閥も、この決定が中途半端で利敵行為に等しいと感じた。
異なる意見を折衷した結果として、誰も満足できない決定が下される。アクリスへの後退はその典型例だった。
だがこの1週間ほどで、楽観論者と悲観論者の対立は拮抗から、後者の望まぬ勝利に向かって推移していた。
惑星スレイブニルへの偵察によって、惑星ファブニルがいかに危険な場所になりつつあるかが判明してきたのだ。
「現在、スレイブニルに建設されている軍事衛星の数は、大型が40に小型が300以上。4個艦隊程度の戦力を常駐させることが可能です。建造が今も進んでいることを考えれば、スレイブニルはいずれ、『連合』宇宙軍全てを収容できる巨大基地と化すでしょう」
会議室では、宇宙軍首席参謀のノーマン・コリンズ少将が、居並ぶ高官たちに向かって偵察機が送ってきた映像を示している。
そこでは軍艦より遥かに巨大な建造物群が恒星の光に照らされて鈍く浮かび上がり、周囲を輸送船及び工作艦と思われる艦船が囲んでいた。
「これは、ファブニルからの全軍撤退も視野に入れるべきかもしれんな」
宇宙軍第3艦隊群司令官のエゴール・コヴァレフスキー大将は、映像を見て呟いた。
現在ファブニルには、2個艦隊と地上軍3個軍が常駐している。司令部はアクリスに下がったが、『共和国』はファブニルを放棄した訳では無い。前線基地兼監視所、及び宇宙軍出撃の際の集合地点として、ファブニルは未だ重要基地であり続けているのだ。
しかしそれも、終焉の時が近付いているのでは無いか。コヴァレフスキーとしてはそう思えてならなかった。
『連合』軍が本格的な攻勢に出て来れば、2個艦隊程度の戦力では到底対抗できない。ファブニルにいる部隊は全て撤退させ、戦力分散の愚を防ぐべきではないか。
「肝心の艦隊戦力についてはどうかね? フルングニルで痛手を受けたのは、我が軍だけでは無い筈だが」
第2艦隊群司令官のレナト・モンタルバン大将が、コヴァレフスキーに対抗するようにコリンズに質問した。
いかに巨大な基地であっても、そこを根城とする艦隊がいなければ特大のドラム缶に過ぎない。実際の脅威を評価するには艦隊戦力の把握が不可欠と言うのが、モンタルバンの意見らしい。
「残念ながら、悪い方向に予想が当たりました。『連合』軍は急速に、我が軍がファブニルに展開させている以上の戦力を、前線に集積しつつあります」
コリンズが感情を抑えた声で説明した。現在の『共和国』宇宙軍で即応体制にあるのは、8個艦隊1900隻程。対する『連合』宇宙軍は、フルングニル方面に10個艦隊前後、ユトムンダス方面に4個艦隊前後がいると推測される。
無論これらは乏しい情報からの推定値だが、恐らくは実際の数値に近いとコリンズは述べた。
『共和国』はフルングニル戦における輸送船の大量喪失の傷が癒えておらず、兵器の生産に必要な国内流通網の維持にも苦労している状態だ。
対して『連合』は開戦以来、非戦闘艦船の被害を殆ど出していない。『共和国』宇宙軍は自国領付近での艦隊戦を指向して編成された軍隊であり、通商破壊戦に必要な装備もノウハウも持っていないからだ。
この差は国力とともに、両軍の戦力再建速度に影響してくる。船の数に余裕が有る『連合』は、艦船の建造と並行して基地を作れる。一方の『共和国』は、艦船の建造だけでも思うようにいかない。
軍艦の喪失だけを見ればフルングニル戦の敗者は『連合』だが、潜在的により多くの被害を受けたのは、『共和国』だったのだ。
「何か打開策がある者はいるかね?」
重苦しい空気を振り払うように、宇宙軍司令官のベルツ元帥が声を上げた。現状の認識は大切だが、それだけならただの評論家と変わらない。
職業軍人なら、現状を認識した上で克服の手段を見つけ出す必要がある。ベルツはそう言いたいのだろう。
だが会議室の空気は淀んだままだった。戦略的な状況を改善するには、地上軍を送り込んでどこかの星を占領する必要があるが、その為の輸送力が『共和国』には無い。
このような状況では、どんな素晴らしい作戦も画餅にしかならない。集まった軍高官たちの眼はそう言っていた。
彼らの中には、『連合』が提示する条件を丸呑みしてでも戦争を終わらせた方がいいと思っている者が複数いることを、コヴァレフスキーは知っている。
一般的な先入観に反して、文官と武官では後者の方が慎重派でリスク回避的である。文官は失敗しても大抵責任を問われないのに対し、武官の失敗は自分と部下の生命で償われることになるからだ。
文官が「成功する」のを目標とする理想主義者なのに対し、武官は「失敗しない」を第一の行動原理とする現実主義者。大抵の国に当てはまる傾向である。
その為『共和国』軍人には、『連合』との講和、即ち実質的な条件付き降伏を内心で是としている人間が少なからずいた。
このまま戦争を続けて国を滅ぼす危険を冒すよりは、敗戦を受け入れた上で国の形を残した方が良いという判断である。賛同するかはともかく、一理あることはコヴァレフスキーも否定できなかった。
「小官に1つ案があります」
だがその空気を吹き飛ばすように、大声で発現した人物がいた。宇宙軍首席参謀のコリンズ少将である。
「言ってみたまえ」
ベルツが半信半疑の口調で続きを促した。先程悲観材料ばかりを提示していたのは、当のコリンズである。それが突然、まだ勝つ手段はあると言い出したのだ。ベルツならずとも、困惑して当然である。
「現在の状況で最大の問題は、実質的な二正面作戦を強いられている事です。戦線の幅が広くなる程、戦力に優る『連合』が有利になる。これを是正しない限り、我が国に勝ち筋はありません」
周囲の疑念の視線を物ともせず、コリンズは堂々と話し始めた。現在の両軍は、ファブニル・スレイブニル軸と、ユトムンダス・ゲリュオン軸という2つの戦線を抱えている。
そして複数の戦線がある事で利益を受けるのは一般に、戦力で優る攻撃側である。戦線の幅が広い程、防御側の意表を突きやすいからだ。
「それは分かったが、方法はあるのか? 我が軍には、スレイブニルやユトムンダスを占領して維持するような輸送力は無いぞ」
だがそれはそれとして、コヴァレフスキーとしてはコリンズの問題提起の仕方に疑問を覚えざるを得なかった。話している内容自体は正しいが、今ここで持ち出す理由が分からなかったのだ。
現在の戦線の構造が『連合』側に有利というのは、コリンズの言う通りだ。
だが現在の『共和国』軍は、大規模な地上軍を敵支配下の惑星に降下させる能力を持たない。つまりは戦線の構造を変えることが出来ないのだ。
その状況で何を言おうと、現実を無視した白昼夢にしかならないのではないだろうか。
「考え方を変えましょう。敵主力をこちらが用意した戦場に引っ張り出せば、二正面作戦の不利は無くなります」
対するコリンズは、相変わらず自信に満ちた口調で答えた。やや非礼とも言える言い方だったが、コヴァレフスキーは黙って続きを促した。
態度がどうであれ、『共和国」を救う方法をこの男が見つけたのであれば、素直に耳を傾けるべきだと思ったのだ。
コヴァレフスキーの内心を知ってか知らずか、コリンズはそのまま自らの構想を説明し始めた。
話が進むにつれ、会議室の空気は3層に分かれ始めた。敗北主義を抱えたままの者が2割、半信半疑が5割、コリンズの案を採用すれば逆転できると考える者が3割と言った所だ。
無論それが現実の勝率を反映しているのかは、コヴァレフスキーには分からなかったが。
惑星アクリスの人工衛星で光年を単位とする戦略についての論戦が行われていた頃、惑星ゲリュオンの地上では、mを単位とする戦闘が行われていた。
農耕用水の為に作られた溝の1つ1つを巡って、猟銃やスポーツ銃を握り、迷彩服ならぬ作業服に身を包んだ歩兵が撃ち合っているのだ。
その上空では、複葉でプロペラ式という、古式ゆかしい姿をした航空機が飛び回り、敵兵に向かって火焔瓶やダイナマイトを投げ落としている。
ここだけを切り取れば、人類文明が地球時代のレベルにまで後退したかと思える光景だった。
複葉機はやがて飛び去ったが、次に登場した「兵器」はもっと不条理な、笑おうとしても笑顔が自然に引き攣るような代物だった。農耕用の馬車に機関銃を搭載した車両が、廃屋の陰から姿を現したのだ。
馬車の群れは馬のいななきと共に戦場を大きく迂回すると、前線に向かおうとしていた敵の隊列に射撃を浴びせている。
なお馬たちには騒音が原因で暴れ出すのを防ぐ為の耳栓がされており、この光景が纏う目を覆いたくなるような滑稽さを上塗りしていた。
機銃弾を浴びて赤い霧と化していく兵士たちの姿が無ければ、一切合切が喜劇と化していただろう。
しかし現実に撃たれる側にとっては、馬車を笑っている場合では無かった。馬車から放たれる15㎜弾の雨は、咄嗟に伏せることも知らない素人兵士たちをほぼ一瞬で刈り倒していったのだ。
頭部に被弾した者は斬首刑にあったかのように首から上を綺麗に吹き飛ばされ、一瞬硬直した後で崩れ落ちる。
右腕に弾を食らった者は過剰なアドレナリンのせいで撃たれたことにしばらく気付かずにいたが、銃の引き金を引こうとした所で絶叫した。引き金を引く指どころか、肘から先の腕全体が消えていたのだ。
その兵は銃を放り出して、残った左腕で辺りを探った。消えた右腕を無意識のうちに見つけようとしているらしい。
上官はその行動を咎めようとしたが、新たな銃弾が降り注ぐ方が先だった。さっきより密度の濃い弾雨が上官を肉と骨が入り混じった断片に変え、兵の残った三肢を纏めて切断したのだ。
頭部が装着されたトルソーと化した兵は、自らの血と肉に塗れた地面に横たわりながら、「何故」と呟いた。
何故自分がこんな目に遭わなければならないのか。そもそも自分は何の為に誰と戦っているのか。その他一切合切が分からなかった。唯一分かるのは、疑問の答えを知るだけの時間が自分には残されていないという事実だけだった。
「畜生」、彼は呻き声を上げた。自分が憎むべき存在が敵なのか自称味方なのか、それとも他の何かなのかすら分からなかった。
訓練の合間には戦いの意義について村長の息子が何か言っていたが、字も読めない自分に分かる筈もない。猟銃を新調してやるし白蟻に食われて崩れかけた家を建て直す為の金も支給するという甘言に乗せられ、気づけばこの有様だった。
不思議と痛みは感じなかった。ただ視界の中に白と赤の閃光が点滅し、それが黒い点に変わっていくのが見える。心臓が鼓動する毎に黒い点は増殖し、視界と意識を塗りつぶしていく。
もうすぐ全部が黒に染まるのだろうと、彼は何となく思った。視野が急速に狭まり、残っている部分の解像度も落ちていくのが分かる。
その中を緑色の旗が横切っていったが、その旗の意味について何かを思い出す前に、彼の意識は無へと還っていった。
同じ光景は随所で見られた。緑色の旗を掲げた馬車からの銃撃は、ほぼ何の抵抗も受けずに敵兵を薙ぎ倒していったのだ。
馬車に装備されている機銃は狩猟用散弾銃や競技用ライフル等よりずっと射程が長く、歩兵単独での反撃は出来ない。
歩兵側には急造の迫撃砲も一応存在するが、照準装置も無ければ専任の観測員もいない大砲で移動目標を撃つのは無理だ。
射程の長い武器と最低限の機動力を持つ兵器は、訓練と装備が劣悪な歩兵部隊の天敵。この類の兵器の元祖であるチャリオットの時代から続く、地上戦の原則だった。
対する相手側、こちらは青い旗を掲げている集団からは、これまでより少しだけ文明の雰囲気を纏った部隊が現れた。馬車と同じく機関銃を搭載した四輪駆動車の集団が、砂埃を巻き上げながら登場したのだ。
この手の車は正規軍では飛行機を使うまでも無いような短距離の連絡任務に使われるが、青い旗を掲げた集団では主力の戦闘車両として使われていた。
未舗装路を走行できて申し訳程度だが装甲もあり、何より本格的な軍用車両と違って整備が容易だからだ。
先ほど馬車からの銃撃で壊滅的な打撃を受けた歩兵部隊の生き残りは、四輪駆動車の姿を見て歓声を上げた。
文字による歴史の記録が始まったばかりの時代の産物である馬車など、人類文明の象徴の1つである自動車の敵ではないと、彼らは直感的に思ったのだ。
だがこの場合、その直感は部分的だが極めて重要なところで外れていた。どんな道具も、結局は使用する人間次第であるという正しいが故に陳腐な原則が、四輪駆動車の群れに襲い掛かったのだ。
それは突然起きた。先頭を走る車両のタイヤに破裂音が響き、速度が急激に低下したのだ。
ハンドルを取られそうになった先頭車は姿勢を立て直そうとしたが、スピードを抑え切れなかった後続車が追突するほうが先だった。
2台はそのまま横転すると、隣の芋畑に落下していく。発火したバッテリーが地中の芋を焦がしたらしく、戦場に似つかわしくない芳香が周囲に漂い始めた。
「マキビシ?」
その光景を見た歩兵たちは、呆けた声で呟いた。相手が何を使ったかは簡単に分かったが、それを現実の光景として理解することが出来なかったのだ。
惑星ゲリュオンを含む『自由国』の農村地帯では警察権力が碌に機能していない為、村同士の小競り合いは日常茶飯事だ。
大抵は酔っ払い同士の殴り合いで事は済むが、時には銃で武装した襲撃隊による夜襲で数十人の死者が出ることもある。
その手の攻撃に対する抑止力として、多くの村では林道の幾つかに毒を塗ったマキビシを設置している。
マキビシの位置を知っている村民が昼間に通る分には問題ないが、他の村の人間が夜に来た場合、運が悪ければ毒にやられるという寸法だ。
四輪駆動車を倒したのは、そのマキビシだった。棘がタイヤを傷つけてパンクさせたのだ。
蹄鉄を履いた馬の足と木で出来た馬車の車輪はマキビシにかからないが、ゴム製のタイヤは簡単に引き裂かれてしまうのだった。
先頭車両の運命を見て泡を食った四輪駆動車乗員たちは、一斉に車両を止めた。マキビシを撤去してパンクを直さないと走れないと思ったのだ。
当然の反応ではあるが、この場合は明白な誤りである。軍用の四輪駆動車はタイヤ内にスポンジを封入しており、パンクしても低速なら走れるように出来ている。
これまで自転車にしか乗ったことが無い運転手たちはその事を忘れ、パニックになって車両を捨ててしまったのだ。
「ば、馬鹿。止まるな!」
それを見た四輪駆動車の指揮官は絶叫した。軍に勤務したことがある彼には、この後何がおきるかが手に取るように分かったのだ。
だが次の言葉を発する前に、彼の脳および声帯は胴体から分離していた。馬車から放たれた機銃弾が、やや斜めになって停車した指揮車両の後部座席を駆け抜けていったのだ。
機銃弾の中に混ざっていた焼夷榴弾はついでのように内装を発火させ、車を即席の火葬場に変えている。
指揮車両だけではない。停止した車列全体が破壊され、業火に包まれていた。
車両というものは動くからこそ相手に脅威を与えられるのであり、いったん停止してしまえば歩兵より遥かに巨大で脆弱な的でしかない。
運転手たちはその事を知識としては教えられていたが、知識を咄嗟の場合に生かせる段階に達する前に、彼らの学習は終わりを迎えたのだった。
「う、うわああああ!」
その光景を見た歩兵たちは、前線に張り付いている者もこれから向かう者も関係なしに逃げ始めた。上官たちは止めようとして殴り倒されるか、或いは兵と一緒に逃げているかだ。
現金収入に釣られてやってきた農民と都市の不安定労働者からなる即席軍にとって、一見して頼りになりそうな味方がいとも呆気なくやられたという事実は重すぎた。
緑の旗を掲げた軍はそれを確認すると青い旗を掲げた軍の陣地を占領しようとしたが、直前で彼らの歩みは止まった。水平線の向こうの空から、黒い影のような集団が出現したのだ。
「正規軍だ! 逃げろ!」
それが確認された瞬間、緑色の旗を掲げた側の指揮官たちは一斉に号令を出した。
無線機が不足しているため、その一部は太鼓とラッパを用いて発せられている。切迫した必要性は、時に牧歌的光景を作り出すという例である。
戦場音楽ならぬ本物の音楽が響き渡る中、黒い影たちはそれをかき消さんばかりの轟音と共に戦場上空に侵入を開始した。
エンジン音と風切り音が異様に巨大なのは、航空機の尺度では非常な低空を飛んでいる為だ。
そしてそれ故、来襲した航空機の姿は簡易的な双眼鏡だけで十分に確認できた。僅かに後退角が付いた長い翼と太く短い胴体に、T字型の尾翼。全体的に鈍重な印象で、あまり最前線に投入される軍用機らしくない姿だ。
迷彩塗装を剥がして客用の窓を付け、空港に並べた方が似つかわしく見える。
だが緑の旗を掲げた側も青の旗を掲げた側も、それが民間機等では無いことをよく知っていた。
青い旗を持っている方は歓声を上げて追撃の準備をし、さっきまで優勢だった緑側は戦場から逃げ出そうとしている。実際に見かけたのは初めてでも、彼らはその航空機の登場が何を示すかをよく理解していたのだ。
不意に、風切り音が大きくなった。接近したからだけではない。航空機の側面に格納されていた長い筒のようなものが、空気抵抗に逆らって大気中に突き出されたのだ。
1本だけではない。少ない機でも数本、多い機に至っては数十本の突起が機体からハリセンボンのように飛び出していく。
その少し上空では巨大なアンテナとカメラを搭載した飛行機が、各機に地上の状況を知らせていた。
「始まったぞ!」
両軍の将兵はほぼ同時に叫んだ。航空機群の前面及び側面が爆発したように瞬き、そこから鬼火を思わせる曳光弾の光が放たれたのだ。
一瞬遅れて、先程まで緑の旗を掲げた軍が展開していた場所は閃光と硝煙と粉塵で包まれた。航空機から放たれた機銃弾と砲弾が辺り一面を掃射し、局地的な大破壊をもたらしたのだ。
無論緑の旗を掲げた軍は塹壕及び周囲の遮蔽物に身を隠しているが、上方から降り注ぐ40㎜弾、75㎜弾、105㎜弾の雨にはその程度の小細工を余裕で粉砕するだけの力があった。
急角度で落ちて来る徹甲榴弾の雨は塹壕内部に飛び込んで内部に鉄片を撒き散らすか、或いは塹壕自体を破壊してしまったのだ。
後に残ったのはモグラが移動した跡のような轍と、土埃で黒く汚れた無数の肉片である。数分前まで勝ちかけていた将兵たちはこうして、誰とも見分けがつかない残骸としての最期を迎えたのだった。
なお航空機からの銃砲撃が抹殺したのは塹壕の浅い部分にいた将兵だけで、地下の退避壕にいた予備隊は無事だった。
塹壕というものは見かけより遥かに頑丈に出来ており、近距離から大角度で放たれた砲弾も深部は破壊できなかったのだ。
だがそれで十分だった。銃砲撃が止んだ後の塹壕には、青い旗を掲げた軍が殺到していたからだ。退避壕から出てきた将兵たちは入り口で射殺されるか、絶望的状況を悟って降伏するかしている。
たまに塹壕が制圧される前に反撃の銃火が飛ぶ時もあるが、発見されるや否や後続の航空機の攻撃を受けて沈黙した。絵に描いたような火力制圧である。
前線を制圧した航空機の群れは次にその背後に向かっていった。その機体側面からは落下傘を背負った装甲歩兵が降下している。
緑の旗を掲げた軍の退路を空挺部隊で切断し、全滅させる。軍事に少しでも通じている者なら、その意図は手に取るように分かった。
しばらくすると、前線背後の山地及びその背後から銃声と爆発音が響き、硝煙の筋が天に昇っていくのが確認できた。空挺兵が撤退する敵に待ち伏せを仕掛け、航空機が支援しているのだ。
ただ、どれ程の戦果が上がっているのかは、様子を見守る青い旗を掲げた軍どころか航空部隊自身にも分からなかった。
前線と比べて後背の山地はあまりに広大であり、そこに逃げた敵のうちどれだけを捕捉できているのかの把握は不可能だったのだ。
やがて弾が尽きた航空機は飛び去り、空挺兵は後続の小型機に回収されていった。
惑星ゲリュオンでは今や当たり前となった、救世教派民兵対親政府派民兵、それに後者を支援する『共和国」地上軍の戦いの1つが終わりを告げたのだった。
「決定打は出せず、か」
『共和国』宇宙軍第41分艦隊を指揮するクラウス・ケプラー少将は、目的地の惑星ゲリュオンから送られてきた通信の内容を見て独白した。
惑星ゲリュオンは相変わらず、親『共和国」派の支配地域が6割、親『連合』派の支配地域が4割程度で拮抗している。正規軍の本格投入が無ければ、この状況はいつまで経っても終わらないだろう。
惑星ゲリュオンは楽観的な言い方をすれば第二戦線における『共和国』軍の前哨基地、悲観的に言えば前線である。制宙権と制空権、それに陸地の半分強は『共和国』のものだが、陸地のもう半分は『連合』のものなのだ。
こんな状況が生じた理由を理解するには、これまでの歴史を振り返る必要がある。
ゲリュオンは元々、『共和国』の属国である『自由国』の領土だったが、『連合』軍の陽動作戦の際に一時『連合』軍に制圧された。
その後『共和国』軍の奪還作戦によって、ゲリュオンは『共和国』の軍政下に置かれ、現在に至っている。
普通ならここで話は終わりだが、ゲリュオンは事情が違っていた。『連合』が置き土産として残していった諜報員と『自由国』軍内の親『連合』派が『共和国』への徹底抗戦を訴え、住民の一部も賛同したのだ。
彼らは『連合』新政府の国旗と同じ緑旗をシンボルとして掲げ、『共和国」軍の進駐前に広大な地域を支配下においてしまった。そしてその中には、ゲリュオンの産業に不可欠な資源地帯と水源の多くが含まれていたのだ。
『共和国』側は最初、状況を楽観していた。親『連合』派の数がいかに多くても、その装備は小火器と農業用の小型飛行機、それと四輪駆動車の荷台に武器を取り付けたテクニカル等だ。
それで正規軍の装甲歩兵と装軌車両の大群に立ち向かうのは、野良犬が獅子に吠え掛かるようなものである。
だがその予測は、ゲリュオンから遠く離れた場所で起きた出来事によって覆されることになった。惑星フルングニルからの撤退戦である。
この作戦の為に本来ゲリュオンへの地上軍を輸送する筈だった輸送船が流用され、更にその4割が未帰還になってしまったのだ。残った輸送船では到底、親『連合』派を制圧するだけの地上軍を輸送することは出来ない。
こうしてゲリュオンでは、制宙権を握る正規軍が民兵しか持たない勢力を制圧できないという、歪な状況が生じていた。
「機動旅団はある程度の戦果を上げたようですが」
傍らにいる参謀の1人が口を挟んできた。報告によれば『共和国』側は今回の戦いで、民兵1万と正規軍900の被害と引き換えに、敵民兵4万人以上を死傷ないし捕虜としている。
これは『共和国』地上軍の新部隊が、対ゲリラ戦に有効である証拠では無いかというのだ。
機動旅団とは言ってみれば、火力支援付きの小規模な空挺師団である。中心となるのは輸送機を改造したガンシップと空挺部隊で、そこに飛行場の警備部隊を加えて構成される。
人員の数では増強連隊程度だが、付属の参謀組織と後方部隊を擁する為、独立行動能力を持つのが特徴だ。
ゲリュオンに十分な地上軍戦力を送れない『共和国』軍は、この機動旅団に期待をかけていた。
航空機のみで移動する機動旅団は、地上を進む通常の地上軍部隊と比べて数十倍の速度で移動できる。この特徴は対ゲリラ戦に最適だった。
対ゲリラ戦で最も厄介なのは、敵の捕捉が難しいことである。
ゲリラと正規軍が正面から激突すれば前者が絶対に勝つが、ゲリラはまさにそれを知っているが故に正規軍との戦闘に乗ってこない。
彼らは正規軍が存在しない場所でのみ行動し、報告を受けた正規軍が到着するころには逃げ去ってしまっているのだ。
これを阻止するにはゲリラが行動する可能性がある場所全てに正規軍を配置する必要があり、莫大な費用がかかってしまう。
だが機動旅団なら、ゲリラが逃げる前に戦場に到着出来る。飛行機は車両と違って地雷原に阻まれることも、泥濘に嵌って動けなくなることも無いからだ。
1つの地域に飛行場が1つあれば、機動旅団は地域全体をカバーできる。
この機動旅団と親『共和国』派民兵を使って、親『連合』派を制圧する。これがゲリュオンにおける『共和国』側の戦略である。
民兵を親『連合』派支配地域に向かわせて相手の出撃を誘い、出てきたところを空挺旅団で攻撃するのだ。
政府系の民兵を盾、機動性の高い地上軍を剣としてゲリラに対抗するという発想であり、十分な戦力を用意できない場合の対ゲリラ戦の王道に近い。
「機動旅団は戦果を上げているが、あくまで対症療法だからな」
だがケプラーはあまり楽観的になれなかった。空挺旅団の威力についてはこれまでの戦いで証明されているが、問題は対となる『共和国』派民兵の方だ。
彼らが弱すぎる為、『共和国』側の作戦計画は思うように進んでいなかった。
『共和国』側民兵は装備の点では、親『連合』派より勝っている筈だ。親『連合』派最大の武器が『自由国』軍の武器庫から盗んだ機関銃なのに対し、『共和国』側民兵には軍用装甲車や野砲が与えられている。
戦いの勝敗は火力と機動力で決まるという原則に照らせば、『共和国』側民兵はとっくに勝っていて然るべきなのだ。
だが『共和国』側には1つ大切な資源が欠けていた。人間である。
親『連合』派には元『自由国』軍人が多く存在し、『連合』から派遣されたゲリラ戦専門家がアドバイザーとして付いている。
他の構成員も中農や工場労働者等、少なくとも文字の読み書き位は出来る人間が中心だ。彼らはそれなりの信念を持って戦っており、大筋では命令に従いつつも細部ではその場の状況に合わせるということが自然に出来る。
対する『共和国』側民兵は、最悪の意味での寄せ集め集団である。
各員は単に金が貰えるからという理由で集まった人間たちであり、『共和国』や『自由国』の現政府に対する好感情など全く抱いていない。書類の国籍欄に自分が育った村や町の名前を書いたり、そもそも文字が書けなかったりは日常茶飯事だ。
当然ながら戦いが不利になればすぐに逃げ出すし、考えうる限り最も単純な命令しか遂行できない。
これでは装備の差がどうであれ、勝てる訳も無い。
親『連合』派民兵と『共和国』側民兵の戦いは後者の百戦百敗であり、『共和国』正規軍の介入が無い限り自らの支配地域を守ることも出来ないのが現状だ。
「今のところ、現状維持しかないだろうな」
ケプラーは誰に言うとも無く呟いた。民兵が当てにならない以上、『共和国』側としては機動旅団で親『連合』派のこれ以上の領土拡大を防ぐ位しか出来ることは無い。
輸送力が回復して正規軍の本格投入が可能になるまで、ゲリュオンが完全に『共和国』側の手に戻ることは無いだろう。
(敵は、それまで待ってくれるだろうか)
ケプラーの内心には続いて惑星ユトムンダスに展開する『連合』軍艦隊の姿が浮かんだが、それを口に出す前に緊急信が来た。
敵艦隊を疑わせる反応が確認されたと、レーダー室から報告が入ったのだ。




