フルングニル再戦ー8
今や戦場は混沌の巷と化していた。
精々が戦闘団や戦隊単位、甚だしい場合は個艦単位で軍艦同士が殴り合い、そこに偶然現れた別の艦が介入。戦闘の中である艦が退場したかと思えば、思っても見なかった場所から新手が出てくる。
近代軍同士の戦闘と言うより、パニック状態の群衆の乱闘を思わせる状況だった。
ストリウスの旗艦ベレジナには『連合』軍最高の通信設備が搭載されているが、そのベレジナにすら全体の状況は把握できていない。
各艦が送っているであろう電文は膨大な電子線に紛れてホワイトノイズと化し、通信室はごく至近距離以外との通信をとっくに諦めている。
また航宙科はベレジナが恒星を中心とする絶対座標においてどこにいるかは把握しているが、艦隊内部における相対座標については全く分からないと正直に述べている。
この惑星フルングニルに集まった宇宙軍艦たちは人類の最先端技術の結晶である筈だが、少なくともこの場での状況認識においては、船同士の戦闘史における最黎明期以下だった。
古代の帆船や手漕ぎ船を指揮していた者たちは目視という単純な手段により、少なくとも敵味方がどこにいるか位は把握していた。
対して通信機器とレーダーと航路コンピューターを備えた宇宙軍艦の指揮官たちは、戦場があまりに広く、敵味方の数が多すぎるせいで、自分の置かれた状況を知る事が出来ずにいる。
人類史においてしばしば観察される、技術進歩は利便性を高める一方で新たな不便を作り出すという法則の典型のような光景だった。
通信機やレーダーが纏めて役立たずと化す一方で、光学機器の方は断片的にだが戦況を捉えていた。
両軍の艦が曳く航跡と荷電粒子砲から放たれる光、それに致命傷を受けた艦の爆発。それらがひっきりなしに、各方向のモニターに映し出されている。
巡洋艦を主砲の一斉射で葬った戦艦が、内懐に入り込んだ駆逐艦のミサイル攻撃を浴びて沈没し、その駆逐艦もまた別の駆逐艦の攻撃で大破する光景。
駆逐艦同士の撃ち合いに突然戦艦が介入し、片方の駆逐隊が纏めて吹き飛ばされるという、巧妙な駆け引きによるものか単なる偶然か判断に苦しむ出来事。
大破して停止しながらも、何かを周囲に訴えかけるように一門だけ残った主砲を撃ち続ける損傷艦。
比較的主戦場から遠い場所にいる筈の旗艦ベレジナの周囲にすら、そのような情景が目まぐるしく展開し、将兵たちは思わず目を奪われた。
時折亡者が戸を叩くような音とともに艦が微振動するのは、沈没艦の破片が装甲板表面で弾き返された瞬間である。夜の歓楽街のように明滅する光と狂騒の中を、旗艦ベレジナは進んでいた。
もし真空が音を伝えるものなら、ベレジナの周囲は大音響に包まれていただろう。
(出来れば、このまま進んで欲しいものだが)
情報の不足ではなく過剰による奇妙な沈黙が支配する戦闘指揮所の中で、ストリウスは考え込んでいた。細かい戦術など立てようもない無様な戦闘だが、『連合』宇宙軍にとってはこれで構わない。
今回の『連合』宇宙軍の作戦目的は、『共和国』宇宙軍と戦術的手腕の競争をすることでは無い。目標はあくまで敵の船団及び地上軍であり、戦闘はその為の手段に過ぎないのだ。
今の状況が続けば七分三分の確率で目標達成は可能だと、ストリウスは判断している。
現在のような乱戦は、数と防御力に優る『連合』宇宙軍に有利な戦闘形式だ。双方が同等の技量と同じ位の運を持っているなら、先に力尽きるのは『共和国』宇宙軍の方となる。
そして『共和国』宇宙軍がいなくなれば、船団及び地上軍の撃滅は半自動的に達成されるのだ。
しかし不安もある。その代表が、この戦いに『共和国』宇宙軍が投入してきた新兵器群である。
最初の航空戦は、『共和国』宇宙軍が持ち出してきた防空巡洋艦や新鋭戦闘機の存在が一因となって、敗北に終わった。艦隊戦の序盤でも、『共和国』軍のミサイル巡洋艦によって出鼻を挫かれ、合計で1個艦隊相当の戦力を失っている。
『共和国』の建艦能力や兵器開発能力は、『連合』側の予想より明らかに上だったのだ。この予想と現実のずれが、戦闘の結果自体に想定外の影響をもたらす可能性は否定できない。
歴史上、自分たちが敗者となることを予め知った状態で戦場に赴いた敗軍など、ほぼ存在しないと言ってよい。大抵は彼らなりに勝利を信じて戦いに臨み、現実に押し潰されたのだ。
今回の戦いにおける『連合』宇宙軍がその事例の1つとなるというのは、十分に有り得ることだった。
一方で楽観材料もある。戦場全体が、惑星フルングニル軌道上、即ち『共和国』軍輸送船団に向かって移動しつつあることだ。
『連合』軍は全体的に見れば『共和国』軍を押しており、『共和国』軍は彼らが守る船団に向かって後退していることが読み取れる。
この状況で警戒すべきは『共和国』軍が得意とする偽装後退からの逆撃だが、戦場が一定以上に船団に接近すればそれも不可能となる。
上手くすれば、『共和国』軍を船団に押し込んで行動不能にし、双方を同時に仕留めることさえ可能かもしれない。
そう黙考していたストリウスだが、右舷前方を監視するモニターに映し出された光景に、思わず目を見開いた。そこに存在した筈の『連合』軍戦艦及び巡洋艦が、白い閃光とともに纏めて砕け散ったのだ。
そして急激な膨張の後で消滅していく閃光の裏側からは、一群の『共和国』軍艦の姿が影絵のように浮かび上がっていく。
「何だ、あの化け物は?」
戦闘指揮所の誰かが、呆けたような声を上げた。出現した敵は4隻の戦艦を主力とする砲戦部隊のようだが、その戦艦の艦影はあまりに巨大だったのだ。
一瞬、『共和国』が鹵獲して運用している工作艦D型が、戦場に迷い込んできたのかと思った程に。
だがそれが自走ドック等ではなく戦闘艦艇である証として、4隻の巨艦は一斉に白い光の束を吐き出した。運悪くそれに捉えられた『連合』軍巡洋艦が、跡形もなく蒸発していく。
あまりに圧倒的な、プロの格闘家が5歳児を本気で殴り飛ばすような力の行使だった。
その後も攻撃を図る『連合』軍艦を無造作に蹴散らしながら、巨艦は軟岩に打ち込まれる楔のように前進を続ける。
その周囲には他の『共和国』軍部隊が集合を開始しており、巨艦を攻撃しようとする『連合』軍の駆逐艦や航空機を排除していた。
「まずいな」
ストリウスは呻いた。巨大戦艦を中心とする部隊は『連合』軍隊列に、狭いが極めて深い裂け目を形成しようとしている。
もし『共和国』軍に予備兵力があれば、そこから対艦ミサイル飽和攻撃と分断という展開に繋げられかねない。いやそれこそが、『共和国』側の狙いだろう。
「司令部直衛部隊前進、あの化け物を仕留める」
数瞬の逡巡の後、ストリウスは決断した。旗艦ベレジナを守る直轄部隊を以て、巨艦を排除すると決めたのだ。
通常の場合なら、これは現代戦において決してしてはならない愚行である。
現代戦では指揮官が先頭を切る事で味方の士気を鼓舞する効果より、指揮官戦死による指揮系統の混乱リスクの方が遥かに大きいからだ。
全体を統括する指揮官は後方で指揮に専念するべきであり、最前線で敵と戦うのは愚かなロマン主義の表れ、それが軍事的常識だ。
だが現在の状況において、その常識は当てはまらないとストリウスは判断していた。
どの道ごく近距離の味方しか統制できないこの状況下では、総指揮官は極論すればいてもいなくてもいい存在だ。
それよりも使える部隊を遊ばせ、挙句に味方を危機に陥れようとしている敵部隊を見逃すリスクの方が大きい。司令部の直轄部隊であろうと、敵を止めるのに必要であれば投入すべきだ。
かくして旗艦ベレジナは直轄部隊とともに、巨艦4隻を中心とする『共和国』軍部隊に突っ込んでいった。
同時に通信機が全力で稼働し、せめて近くにいる味方を呼び集めようとする。目の前の部隊が『共和国』の切り札であり、絶対に食い止めるべき相手だと、ストリウスは信じていた。
行き過ぎた悲劇は多分に喜劇的であり、逆もまた真である。
どちらも人間という存在の不完全性と相互理解の困難を描くものであり、登場人物間の齟齬は疑似的な全知者である観客のみによって認識される。
この原則は人間にとって最大の悲劇の1つである戦争という現象においても、しばしば見られるものだ。戦史という演劇の台本は、観客たる後世の人間が見れば唖然とするような、無知と思い違いと誤判断に彩られている。
そのページを彩る文字が血で書かれていなければ、戦争は無数の喜劇の集合体と化すだろう。
ストリウスは無論気付いていなかったが、彼とその敵手はまさにその、喜劇的な悲劇を演じようとしていた。
どちらの部隊も積極的に戦闘を望んでおらず、むしろ回避を望んでいた。
だが同時に、両者は自らが重大な危機に陥っていると認識していた。しかもその想像上の危機とは、目の前の相手を排除しなければ除去できないものだった。
その結果両者は戦意ではなく、自暴自棄と一体の使命感に基づき、どちらもやる気もやる必要も無かった戦いを全力で行うことになってしまったのだ。
悲喜劇のもう一方を演じる羽目になった人物、『共和国』宇宙軍司令官のディートハルト・ベルツ元帥は、当然のことながらストリウスとは全く違う認識を持っていた。
4隻のウルスラグナ級戦艦を中心とするベルツの直轄部隊は、別に『連合』軍内部に浸透したのではない。周囲の『共和国』軍部隊が後退した結果、『連合』軍内部に取り残されていたのだ。
その結果偶然にも、『連合』軍隊列中央にいたストリウスの直轄部隊と出会ってしまったというのが、事の真相である。
これはウルスラグナ級戦艦の性能特性上、仕方のないことだった。ウルスラグナ級は絶大な攻防性能を持つ反面、運動性が『共和国』軍艦とは思えない程に低い。
従来の戦艦の2倍の質量を持つ巨艦には、機動において当然ながら2倍の慣性がかかる。『共和国』、いや人類世界のどの国の技術力を以てしても、この単純な物理法則には勝てなかったのだ。
ウルスラグナ級は『共和国』軍どころか『連合』軍の基準に照らしても異常に厚い装甲を持つが、これも機動力の低さと裏返しである。
ウルスラグナ級はこれまでの『共和国』軍戦艦のように巡洋艦や駆逐艦と共同しての機動戦を戦うのではなく、敵の矢面に立って火力を吸引する為の艦だ。
敵のあらゆる兵器の標的にされることが予め予測されている艦には、強大な防御力が必要だったのだ。
その防御力は旗艦として最適とされたが、少なくとも今回においてはウルスラグナ級の特徴は完全に裏目に出ていた。
運動性が低いウルスラグナ級は迅速な後退が出来ず、総司令部が敵司令部に突っ込むという、艦隊戦史に残る椿事を生み出してしまったのだ。
なおベルツを始めとする『共和国』側の将兵は全員、相手が敵司令部直轄部隊であることを知らない。
普通の状況なら通信パターンを解析する事で相手の正体が分かったかもしれないが、戦場全域で通信が混乱している現在の状況では不可能だ。
後世において司令官同士の一騎打ちとして英雄譚の如く語られる戦いは、どちらの側もそれと知らない状態で始まったのだ。
「周囲の部隊に救援を要請しろ! とにかくここから抜け出すんだ!」
旗艦ウルスラグナの戦闘指揮所では、ポラック参謀長が血相を変えて通信科に向かって叫んでいる。
ウルスラグナ級がいかに強大でも、数倍の敵に袋叩きにされては生還の可能性は絶無に近い。何としても増援を呼び、司令部を全滅の危機から救う必要があった。
その横ではコリンズ首席参謀が、極めて少ない情報から周囲の敵味方の位置を読みとろうとしている所だ。今や『共和国』宇宙軍司令部全体が半ばパニックに陥りながら、状況の打開策を探していた。
「第1戦艦戦隊、砲戦開始。目標は左舷の敵巡洋艦群」
幕僚たちが必死で情報を収集する中、『共和国』宇宙軍司令官のベルツ元帥は戦闘の指揮を執っていた。
司令部直轄部隊の実際の指揮は次席指揮官が取るのが普通だが、その次席指揮官とは連絡が取れていない。
またウルスラグナは宇宙軍旗艦である為、他のどの『共和国』軍艦をも上回る通信能力を持つ。この混乱した状況においては、ベルツ自身が指揮を執るのが最も合理的だった。
旗艦ウルスラグナが主砲の斉射を新たに出現した敵巡洋艦に浴びせ、一瞬遅れて残り3隻も続く。1-2斉射目は空振りに終わったが、3斉射目で命中した1発は巡洋艦1隻を跡形もなく吹き飛ばした。
「第3巡洋艦戦隊、敵駆逐艦群を迎撃せよ」
残りの敵巡洋艦が羆に威嚇された猟犬のように逃げていくのを確認したベルツは、続いてウルスラグナにとって最も脅威となる存在である、敵駆逐艦の群れを排除するように命じた。
ウルスラグナ級戦艦が巡洋艦の砲撃で沈む事は有り得ず、戦艦主砲に対してもかなりの抗湛性を持つ。
軍艦としては最小だがそれ故に主砲での迎撃が難しく、数が集まれば戦艦を超える攻撃力を持つ駆逐艦の方がむしろ危険なのだ。
その命令を受け、これまでの『共和国』軍艦と比較すると直線的で不愛想な形状の巡洋艦が動き始めた。この戦闘に初めて投入された新鋭巡洋艦、ブレンハイム級である。
ブレンハイム級はアクティウム級とバラクラヴァ級を無造作に混ぜたような外見を持つ大型の巡洋艦で、現在『共和国』各地の造船所で建造されている。
特徴としては戦時の量産の為の、徹底的な簡略化がまず挙げられるだろう。
船殻材料は軍艦規格ではなく安価で加工しやすい商船規格を使用し、機関は耐用年数が短いが安価な駆逐艦用。内装は居住区画を含めて金属が剥き出しで、艦内には食堂設備さえ無いという徹底ぶりだ。
劣悪な居住性のせいで航続距離は艦体規模から見て有り得ない程に短く、巡洋艦というよりは巨大な駆逐艦だった。
だがブレンハイム級は単なる粗製乱造の戦時急増兵器ではない。
アクティウム級より更に速射性が増した主砲は巡洋艦以下の艦なら最初の直撃を得てから1分で廃艦にする事が可能であり、対空火器も充実している。
従来の4連装発射筒から5連装に強化されたミサイル火力も相まって、航空機から戦艦まであらゆる敵に対応できる万能艦と言えた。
そのブレンハイム級6隻はウルスラグナ級への接近を試みる駆逐艦群の前に立ちはだかると、主砲と両用砲の一斉射撃を浴びせた。
航空機の迎撃を最初から考慮して設計された砲システムは、それより遥かに巨大で機動性の低い駆逐艦を次々に捉える。艦の航跡に混ざって爆発光と溶解する破片が放つ光が混ざり合い、ウルスラグナ側方を電飾のように彩った。
「敵巡洋艦及び駆逐艦、前方より接近中。後方には戦艦の姿も見えます!」
「左舷より敵戦艦部隊が接近。明らかに、我々を狙っています!」
だが司令部直轄部隊の試練は始まったばかりだった。戦果を確認する間もなく、四方八方から敵艦が押し寄せてきたのだ。
まずはブレンハイム級の猛射を突破した駆逐艦群がミサイルを一斉に発射し、そのうち3発がウルスラグナを直撃した。
主要装甲帯に命中した2発は弾き返されたが、残り1発は非装甲区画に大穴を開け、不運な乗組員を跡形もなく吹き飛ばす。後方の残り3隻も大なり小なり被害を受け、雄大な艦容がやや損なわれていた。
ベルツたちが損害を把握する間もなく、次の敵がやって来る。今度は10隻の巡洋艦が、主砲による連続斉射を浴びせてきたのだ。
巡洋艦による砲撃の多くは主要装甲帯表面で弾けるだけだったが、艦上の脆弱な構造物には被害が続出した。戦訓によって設計時より増設された機銃座が纏めて吹き飛ばされ、通信用アンテナが飴細工のように歪んでいく。
「何という事だ!?」
ベルツは顔を歪めた。これでは司令部自体が敵中に孤立した砦同然だ。今の所は耐えているが、いつか限界が来るのは目に見えていた。
「何か、おかしいですね」
一方、コリンズ首席参謀には、全く別の景色が見えているらしかった。彼は焦燥ではなく、困惑の表情を浮かべていたのだ。
「何が言いたいのだね?」
ベルツは半ば反射的に聞いた。旗艦が敵に包囲されて嬲り者になっている今の状況のどこに、そのような感想を抱く要素があるというのだろうか。




