白衛-9
それが起きた時、『共和国』地上軍第327師団を率いるサンテ・バルトーニ准将は師団の状況を視察している所だった。
長きに渡ったフルングニルの戦いはようやく終わり、『共和国』宇宙軍は同惑星を完全に制圧している。開戦時は閑職に回されていた万年大佐だったバルトーニはその中で昇進し、現在の地位に就いていた。
「艦隊は、戻ってくるのでしょうか? 部下の間では不安が広まっていますが」
バルトーニが視察の一環として訪問した歩兵大隊本部で、その大隊長はふとそんなことを言った。
惑星フルングニルに展開していた第2艦隊群が地上軍を残して出航していったことは、一応将官クラスにしか知られてはならないはずの機密だが、実際には師団中に広まっている。
バルトーニの師団はようやく作られた軌道エレベーターのすぐ近くに展開しているため、情報が嫌でも入ってきてしまうのだ。
「戻ってくるさ。軍が我々を見捨てるはずがない」
バルトーニは取りあえず型通りの答えを返した。部下の不安を抑えるのが師団の最上級者の務めだ。
それに実際にも、軍がフルングニルの地上軍を見捨てる可能性は低い。バルトーニはそうも思っていた。
小部隊ならそれも考えられるが、フルングニルには現在、800万もの地上軍が存在するのだ。『共和国』地上軍全体の1/3近くにあたる数であり、失えば取り返しがつかないはずだ。
フルングニルでの作戦は中止になるだろうが、地上軍自体は艦隊が迎えに来て、別の戦場に投入されるだろう。
「だといいのですが…」
大隊長は力の無い声で答えた。精神的な活力はもちろん、肉体的な力をも失ってしまった者の声だ。
もちろんその理由は、バルトーニにもわかっていた。食料が不足しているのだ。
スレイブニル陥落以来、地上軍への物資補給の為にフルングニルを訪れる輸送船の数は1/5以下に減少している。つまり地上軍は現在、手持ちの物資を食い潰して生活しているということだ。
敵の地上軍は制圧したので弾薬は訓練用と残党対策以外に必要ないが、問題は食料だ。
『連合』軍は撤退時にトラクターや穀物サイロを爆破、都市の食料生産プラントも破壊している。その為にフルングニルは深刻な食糧不足に見舞われていたのだ。
一応各部隊は手空きの人員を使って耕作を行い、海上部隊は漁を行う等の努力をしているが、軍人が800万人分の食料を生産できる道理がない。
軍隊は戦闘のための集団であって、農耕や漁労のために必要な知識も無ければ、訓練も受けていないのだ。
いっそ残っている『連合』の民間人から食料を奪ってはどうかという意見も出たが、却下された。民間人とて食料が余っているわけではなく、自分たちが食いつなぐので精いっぱいらしい。
その彼らから食料を奪ったりすれば、確実に大規模な暴動が起きる。それを鎮圧するには、また余計な物資が必要になるのだ。
かくしてフルングニルの『共和国』地上軍は、倉庫の食料と栽培した食料を合わせてちびちびと食いつなぐ惨めな生活を余儀なくされていた。
激戦の上にフルングニルを制圧した誇りある軍隊の筈が、現在の食生活は貧民同然である。
兵士の中には森で見つけた得体のしれない果物を食べて野戦病院送りになったり、禁止されている爆薬による漁を行って営倉送りになった者もいる。最強の軍隊も、飢えという敵には勝てないのだった。
「備蓄されている食料は後どれ位もちそうだ? 大体でいい」
「節約して3か月と言ったところですな。今行っている耕作が軌道に乗れば、もう少しもつかもしれませんが」
大隊長の答えにバルトーニは唸った。それまでに宇宙軍は救援に来てくれるだろうか。
「状況は分かった。師団としても出来る限りの協力はする。場合によっては、工兵の機材を投入した灌漑も行う余地があるかもしれない」
バルトーニはそう答えると、大隊長との話をいったん打ち切った。
工兵機材の部品も余っている訳ではないが、それ以上に切迫しているのは食料だ。食料生産のために出来ることは、何でもやってみるべきだった。
しかし最早、食料の生産その他の平時の問題を議論している場合では無いことに、バルトーニは突然気づかされることになった。上空から突然、数えきれないほどの風切り音が聞こえてきたのだ。
神経を掻き毟るような鋭い音は重奏と化しながら段々と大きくなり、耳を弄せんばかりの轟音に代わっていく。
反射的に空を見上げたバルトーニは、そこから黒い染みのようなものが何百と降ってくるのを見た。
「師団長殿、伏せてください!」
大隊長が絶叫すると、バルトーニの体を押さえつけた。
その数秒後、バルトーニは周囲の世界が燃え上がるのを感じた。鼓膜が破れそうな大音響、それ以上に感じられる地面の振動、そして空気を伝わる凄まじい熱。
いつの間にか目を閉じていたが、視界は赤く染まり続けている。
「爆撃…」
五感の全てを支配されながら、バルトーニは辛うじて機能している脳の片隅を使って呻いた。
連続する爆発は空中、いや空襲警報は発令されていないから、正確には宇宙空間から投下された爆弾によるものだ。
それが意味するところはただ一つ。『連合』宇宙軍の揚陸艦が、この惑星フルングニルの軌道上にいる。
爆発は延々と繰り返され、バルトーニを初めとする『共和国』地上軍将兵を圧倒し続けた。
運のいい者は防空壕に逃げ込んだが、運の悪い者はそのまま爆撃を受けて肉体を粉砕されている。爆弾が巻き上げる粉塵の中には、土とともに粉砕された兵士の肉体だったモノが多数混ざり、悪魔のお手玉のように空中を漂った。
(これだけではない)
為すすべもなく地面に伏せながら、バルトーニは思った。空爆だけを行って終わりということは無いはずだ。確実に『連合』の地上軍が降下してくる。
数分か数十分か、概算ですら不可能な時間が過ぎ去った後、爆撃は唐突に止んだ。気付いたバルトーニはすぐさま、大隊本部の通信室に走った。
師団司令部に戻っている時間は無い。ここで指揮を執るしかないと判断したのだ。
幸い、大隊の通信機は破壊を免れていた。バルトーニは師団を構成する全部隊に、大声で指示を出した。
「対空火力を有する部隊は可及的速やかに戦闘態勢。宙兵降下に備えよ。また歩兵は兵員輸送車に乗車し、これからの指示を待て」
その命令を受け、基地に備え付けの対空砲と対空自走砲が稼働を始めた。155㎜から15㎜までの各口径の銃砲が宙を睨み、上空からやってくる脅威に備える。
敵が投下した対レーダー爆弾によって照準用のレーダーはかなり破壊されていたが、幸い各砲は光学照準でもそれなりの命中精度が得られるように設計されていた。
『共和国』が世界最高を自負する光学技術は、元々宇宙戦闘において敵を先に発見する為に投資されたものだが、その技術は地上戦にも有効活用されているのだ。
なお『共和国』地上軍対空砲部隊は従来ミサイルを戦力の主軸としていたが、『連合』との開戦に伴って砲主体に変更されている。
『連合』軍が行う降下作戦で主役を務める宙兵に対してミサイルは殆ど効果がなく、また近頃活躍の場が広がっているモーター式の航空機に対する有効性も低いからだ。
「宙兵、降りてきます」
爆撃をかろうじて生き残ったレーダーから、バルトーニに報告が来る。現在の第327師団上空には分厚い雲が立ち込めているが、レーダーはその上にいる宙兵の姿を捉えたのだ。
(どうする? レーダー照準による発砲を命令するべきか?)
バルトーニは束の間躊躇った。敵宙兵部隊の現在の高度は、90㎜以上の対空砲の有効射程内にある。生き残ったレーダーで照準を合わせれば、それなりの被害を与えられるはずだ。
一方でレーダーを使えば、その位置を探知した敵艦が対レーダー爆弾を投下してくる可能性が高い。
電子戦の技術においては『連合』が『共和国』の一歩先を行っており、こちらのレーダーを破壊する能力に長けているのだ。
「了解、敵を光学的に確認次第、対空射撃を開始せよ。なおレーダーの使用は停止し、移動能力を保持している場合は直ちに移動させよ」
結局バルトーニは、レーダーの温存を決めた。
対空警戒から砲兵観測に至るまで地上軍の全ての任務で不可欠な電子の眼を緒戦で失ってしまえば、これからの戦いが著しく困難になるのが明らかだったからだ。
こうして『共和国』軍対空砲部隊は、『連合』軍宙兵部隊が雲の下に降りてくるまで待機することになった。
その周囲では時々思い出したように、『連合』軍艦から投下された爆弾が爆発しているが、直撃することは滅多にない。真剣に狙っているというよりは、嫌がらせおよび牽制効果を狙った爆撃だと、『共和国』側は推測していた。
散発的な爆撃が繰り返される中、その時は来た。第327師団上空を覆う雲海から、黒い染みのようなものが無数に降りてきたのだ。
「撃て!」
その姿を確認した瞬間、各対空砲部隊の指揮官は一斉に命令を出した。対空砲の細長い砲身が高速で旋回し、降下してくる宙兵たちに狙いをつける。
直後、数千発の砲弾が上空に撃ちだされた。幾重にも連なった雷鳴を思わせる爆発音が上空で轟き、無数の鉄片と衝撃波が宙兵たちの間で撒き散らされるのが、『共和国』側の光学機器で観測できる。
宙兵に対して無防備に等しかった開戦当初とは異なり、『共和国』地上軍の対空火力が長足の進歩を遂げている証のような光景だった。
「よし、いいぞ」
続いてまるで砲弾の返礼のように落ちてきた物体たちを見て、バルトーニは歓声を上げた。
前衛芸術のように捻じ曲がった複合素材の残骸、血と破壊された組織が入り混じった赤い粘液、砕けた生白い骨片。対空砲火が降下してきた宙兵多数を爆殺している証だ。
宙兵たちは出来うる限りの速さで旋回を繰り返して対空砲火を躱そうとしているようだが、無駄なあがきだった。
宙兵降下はやや極論すると統制された落下に過ぎず、宇宙空間から投下されてからのコース変更は殆ど出来ない。しかも多数が密集して降下している今の状況では、下手に動けば空中衝突する可能性がある。
彼らにとっての選択肢は、対空砲火が命中しないことを祈りながら概ね予定のコースで降下し続けることしか無かった。
宙兵たちが恐怖の表情で地上を見つめる中、『共和国』側の対空砲は咆哮を続ける。
一撃で装甲服を破壊できる大口径機銃弾、そして上空で炸裂して爆風と鉄片の嵐を撒き散らす時限信管付砲弾。膨大な対空火力は鉄の網となって、宙兵部隊を盛大に歓迎した。
宙兵のうちある者は胴体に30㎜弾の直撃を受けて上半身と下半身を分断され、無数の赤い滴を切断部から撒き散らしながら落下していく。
またある者は近距離で爆発した155㎜砲弾で全身を切り刻まれて姿勢制御が不可能になり、芸の披露に失敗したサーカス団員を思わせる格好で空中をのたうった。
降下は最終的に自由落下に早代わりし、彼は仲間より先に惑星フルングニルの土を踏むこととなった。無論、立ち上がることは無い。
「このまま全滅させてやれ。他の連中に俺たちの存在意義を見せるチャンスだぞ」
上空で展開される酸鼻な光景を見ながら、対空砲部隊の士官たちは部下を激励した。
フルングニルの『共和国』軍対空砲部隊は、それまで他の部隊から継子扱いされてきた。砲を中心とした編成に変更された後に鳴り物入りで実戦投入されたはいいが、『共和国』側が初期段階で制空権を確保したため、あまり活躍の場が無かったためだ。
対空砲本来の任務は時々飛んでくる無人機や小型機を迎撃するくらいで、後は無聊をかこってきた。
中にはいったん解隊されて、装備を他の砲兵部隊に引き渡すことを余儀なくされた部隊さえある。対空砲特有の高初速と旋回速度の速さを利用して、敵地上軍への直接照準射撃に使用されたのだ。
このような用法は意外な戦果を上げたが損耗も多く、対空砲部隊は苦々しい思いを味わっていた。
死蔵されるよりはましとはいえ、他の兵科の指揮下に置かれたうえで自分たちが積んできた訓練とは全く違う任務に投入されるのは、屈辱そのものだったからだ。
しかし今、対空砲部隊はその本来の任務に投入され、多大な戦果を上げている。『連合』軍のエリート部隊である宙兵と真っ向から対峙し、大損害を与えているのだ。
そのことは対空砲部隊に属する将兵の士気を大いに高めた。
だが『連合』軍もやられっ放しでは無かった。『共和国』側の対空砲が多数生き残り、照準も予想に反して正確であることを確認した彼らは、対空砲対策として宙兵部隊内部で立案されていた戦術を使うことにしたのだ。
最初にそれを確認したのは、光学照準器に取り付いていた兵たちだった。宙兵に照準を合わせていた彼らは、画面の中に宙兵よりずっと高速で降りてくる黒い影を確認したのだ。
「爆弾です!」
兵たちは慌てて、直属の上官に報告した。対空砲を破壊するため、軌道上にいる『連合』軍揚陸艦が大規模な爆撃を仕掛けてきた。彼らはそう判断したのだ。
「いったんやり過ごせ」
それを聞いた上官たちは、光学機器をいったん格納し、自走能力を有する砲は移動を行うよう命じた。
『共和国』側はレーダー射撃ではなく光学射撃を行っている。ということは、投下された爆弾は対レーダー爆弾ではない。
おそらくは普通の誘導爆弾を大量に投下し、破片効果による光学機器の破壊を狙ったものだ。
ならば光学機器を防楯内部に仕舞い込んで破片を防げば、爆撃による被害は最小限に抑えることができる。対空砲部隊士官たちはそう判断していた。
レーダーと違って光学照準器は電波を発信しないため、その正確な位置を突き止めるのは不可能に近い。あの爆弾もヤマ勘で投下されているだけで直撃の可能性は零に等しく、警戒すべきは破片効果のみ。彼らの常識はそう告げていたのだ。
しかし残念ながら、この認識は誤っていた。
『連合』側の爆撃精度についての予測はその通りだったのだが、爆弾の種類が違っていたのだ。破片爆弾にしては異常に高い高度で爆発したそれは、大量の鉄片の代わりに濃密な白い煙を吐き出した。
「煙幕弾!?」
『共和国』軍将兵は愕然とした。『連合』軍が行った爆撃は『共和国』側の対空砲を破壊するためのものでは無かった。彼らはその代わりに、煙幕で視界を奪うことを意図していたのだ。
「そういうことか。考えたな」
まだ大隊指揮所にいたバルトーニ師団長は、上空を覆う白い煙を見て呻いた。これでは光学射撃を行えない。
レーダー射撃なら一応は可能だが、レーダーを稼働させた瞬間に対レーダー爆弾が降ってくるのが目に見えている。
『共和国』軍は『連合』軍の宙兵降下という戦術に対し、光学照準式の対空砲多数を束ねて上空で射殺するという戦術で対抗しようとした。だが『連合』軍は既に、その対策を考えていたのだ。
『共和国』軍対空砲部隊は視界を奪われながらも発砲を続けたが、その命中率は著しく低下していた。 さっきまでは高確率で宙兵を捉えていた砲弾は、今では空を切り続けるばかりだ。
時折だが命中はしているようだが、それは出鱈目に発砲した結果生じた確率論的偶然に過ぎない。そして偶然に頼って、宙兵の大軍を止めることは出来なかった。
「発砲を中止し、砲弾を温存せよ。各部隊は敵の降下が予想される位置に照準を合わせ、発砲の準備」
やむなくバルトーニは砲撃中止を命じた。現在最も不足しているものは食料だが、対空砲部隊の砲弾もそう潤沢にある訳ではない。命中が殆ど期待できない対空射撃で射耗するのは愚策だ。
むしろ宙兵が降りてきてから、本格的な勝負をかけるべきだ。バルトーニはそう判断していた。
これまでの戦例から見て、敵の降下目標は司令部及び交通の結節点。そこに予め照準を合わせ、降りてきた瞬間に集中砲火を浴びせれば、大量の宙兵を爆殺できる。それまでは砲弾を温存するべきだった。
しかしいつまで経っても、敵の宙兵が師団司令部や軍司令部に降りてきたという報告は無かった。鉄道駅や幹線道路の交差点にも現れない。
「一体、どういうことだ?」
バルトーニは視界を完全に奪う白い煙幕を意味もなく見つめながら困惑した。時間的に見て、そろそろ降下は完了したはずだ。敵宙兵は白い煙で覆われた地上のどこにいるのだろう。
「敵宙兵、出現しました!」
緊急信が来たのはその時だった。バルトーニはその発信場所を見て顔色を変えた。
(まさか、そんな場所に降りてくるとは…)
惑星ファブニルに帰還したリコリスとコヴァレフスキーを待っていたのは、4個艦隊の救出作戦に成功した英雄を称える声では無かった。
宇宙軍基地にいる皆が重苦しい表情を浮かべながら、広域星系図を覗き込んでいる。
「誤解しないでくれ。救出作戦自体は見事なものだった。これからの戦争遂行に不可欠な戦力を連れ帰ってくれたことについては感謝している」
リコリスとコヴァレフスキーを出迎えた『共和国』宇宙軍司令官のベルツ元帥は引き攣った顔でそう言うと、将兵たちに労いの言葉をかけた。
「状況が変化したようですね」
リコリスが口を開く前に、コヴァレフスキーはベルツに声をかけた。舌禍が服を着て歩いているようなリコリスと、宇宙軍司令官を直接会話させるのは得策とは言えない。
ベルツは少々不愉快な思いをした程度で有能な司令官を解任するほど狭量な人間ではないが、念のためということもある。
今にも何か言おうとしていたリコリスは、それを見てとりあえず口を閉じた。
他人が代わりに会話してくれるなら、わざわざ自分が口を出すことも無いと思ったのだろう。彼女が少なくとも交渉下手を自覚しているらしいことに、コヴァレフスキーは安堵した。
ベルツは2人を見つめながら、第2艦隊群の期間中に変化した戦況を手短に説明した。
「状況が変化したというのはその通りだ。貴官らが救出作戦を行っている間に、『連合』軍が惑星フルングニルに降下した。戦力は400万と推定されている」
「それ程、急を要する状況でしょうか? 」
コヴァレフスキーは訝しく思った。どうやら『共和国』の重要惑星に敵軍が侵攻してきたとか、第1艦隊群が大打撃を受けたとかでは無いらしい。
既に放棄が決まっている惑星に、敵地上軍が降りてきただけだ。
もちろん楽観すべき状況では無いが、それほどの重大事件でもない。『共和国』側としては、やがて行われる地上軍の救出作戦において、敵地上軍による妨害という要素を考慮する必要があるというだけだ。
「それがな。どうも救出作戦の日程を大幅に早める必要がありそうなのだ」
「何故ですか? フルングニルのわが軍地上戦力は800万。『連合』軍の2倍に達するはず。制宙権を取られていることを考慮しても、フルングニルが早期に陥落するとは考えられません」
苦い表情を浮かべるベルツに、コヴァレフスキーは疑問をぶつけた。半分の敵によってすぐさま殲滅されてしまうほど、『共和国』地上軍は弱くないはずだ。
補給線を切断されているという不利は無論あるにせよ、数か月は持ちこたえられるのではないか。
「或いは、大気往還艇の発着に適した場所全てを敵軍が抑えてしまったとでも?」
コヴァレフスキーは続いて聞いた。地上軍の大気圏突入及び離脱に使われる大気往還艇は、発着にある程度の広さの平地を必要とする。
そのような平地全てを降下してきた『連合』軍が占領したというなら、『共和国』軍上級司令部の憂慮も納得できる。
しかし現地の地上軍は当然、補給物資の投下に備えてそのような平地を重点的に守っていたはずだ。それら全てが短時間で撃破されるとは信じられなかった。
「いや、『連合』地上軍は大気往還艇の発着場には来なかった。司令部にも、交通結節点にもだ」
「では、どこに降りたのですか?」
「食料をはじめとする物資を保管していた倉庫。及び地上軍が建設中だった農場だ。それらの場所は警備が緩かったため、展開していた部隊は簡単に撃破された。逆襲及び奪回は不可能だと、現地の地上軍は報告している」
「なるほど…」
コヴァレフスキーはようやく、ベルツの危惧を理解した。『連合』軍は降下作戦の定石を捨てて、『共和国』側の弱点を衝いてきたのだ。
スレイブニルが陥落して以来、フルングニルの『共和国』地上軍では特に食料が不足している。武器弾薬は戦闘が無ければ消耗しないが、食料は毎日消費されるからだ。
このままでは数ヶ月で食料がなくなり、略奪に頼るしかなくなると地上軍は報告していた。
敵はそれを把握し、『共和国』側の食料不足を更に悪化させる作戦に出た。普通に言うところの戦略上の要所ではなく、食料に関連する場所を狙って降下作戦を行ったのだ。
『共和国』地上軍が800万いるといっても、その多くは交通の要所や大気往還艇発着場に配置されている。倉庫や農地といった場所に展開している戦力は少ない。半分の戦力でも、それらを抑えるのは容易だろう。
「地上軍によれば、食料は後1か月分しかないらしい。それが尽きれば、後は分かるな」
ベルツが苦渋の表情で言った。どれ程強力な軍隊でも、食料が無くなれば無力だ。
まとめて餓死するか、或いは統制を失って民間人を襲う山賊と化すか。いずれにせよ碌でもない結末を迎えるしかない。
「つまり1か月以内に、フルングニル救出作戦を行わなければならないと。ユトムンダス攻略を放棄して」
コヴァレフスキーは愕然とした。『共和国』軍は確かに第2艦隊群の救出に成功した。
だが『連合』軍は次なる手を打ち、『共和国』軍の戦略全体を狂わせたのだ。
『連合』軍の反攻作戦の後、『共和国』軍は対応策としてまず、惑星ユトムンダスの攻略を実行する予定だった。
陽動作戦のために惑星ゲリュオンに来寇した艦隊はいったん去ったが、同惑星には『連合』軍の巨大基地が存在することが確認されている。
これを放置すれば、いずれはその先にあるゲリュオンが今度こそ完全に占領され、『連合』軍の根拠地になってしまう。今回は陽動だった『共和国』工業地帯への攻撃だが、ゲリュオンの根拠地化が完了すれば次こそ現実のものとなりかねないのだ。
フルングニルに残存する地上軍の救出作戦も行われる予定だったが、それはユトムンダスの後に予定されていた。
フルングニル戦の戦訓を考えると、両惑星の地上軍は数か月は粘れるはずだ。地上軍には気の毒だが、ユトムンダスという巨大な爆弾の処理が優先されなければならないのは明らか。宇宙軍はそう主張し、地上軍も概ね理解を見せていた。
だが今、地上軍救出のタイムリミットはわずか1か月に縮まってしまった。これではユトムンダス攻略など不可能だ。それどころか、救出作戦に必要な宇宙軍戦力を揃えられるかも怪しい。
「いっそ、地上軍に降伏を命じては」
「それは出来ない。少数ならともかく、地上軍800万を失えば回復は困難だ」
コヴァレフスキーの咄嗟の思いつきに対し、ベルツが苦衷の表情を浮かべながら言った。
星間戦争の主役は宇宙軍だが、地上軍もまた不可欠な存在だ。地上軍が存在しなければ、敵国の惑星を占領することもできないし自国の惑星を保持することもできない。
その地上軍を800万も失えば、これからの戦争遂行は著しく困難になってしまう。ここは戦略計画を曲げてでも、地上軍の救出を行うしかない。ベルツはそう言いたいらしい。
「しかし、宇宙軍の戦力回復が終わっていない段階で救出作戦を行えば、宇宙軍までが消耗してしまいます。ここはより被害の少ない選択肢をとるべきではないでしょうか?」
これまで黙り込んでいたリコリスが冷徹な口調で指摘した。地上軍が大事なのは分かる。しかしだからと言って無理な作戦を行えば、地上軍と宇宙軍の両方を失うことになりかねないと言うのだ。
「確かにそうだが、地上軍に対する宇宙軍の立場もある。宇宙軍が地上軍800万を死地に送り込んで見捨てたということになれば、これからの共同作戦が危うくなってしまう」
ベルツはそう言い返したが、その口調には力が無かった。内心では彼もリコリスに賛成しているのかもしれないと、コヴァレフスキーは思った。
『共和国』宇宙軍主力部隊は書類上では戦闘艦艇4600隻を擁しているが、現在戦闘可能状態にあるのはそのうち2500隻に過ぎない。
他は訓練中もしくは艦自体がまだ出来上がっていないか、ドックで整備中であるかだ。
このような痩せ細った戦力で大規模な救出作戦を実行すれば、その乏しい戦力がさらに損なわれてしまう。ここは地上軍を捨ててでも、宇宙軍の戦力回復を待つというのが純軍事的には正しい可能性は大いにある。
「宇宙軍の立場と仰いますが、敵軍がそんなものを考慮してくれる訳では無いでしょう」
そう考えていたコヴァレフスキーは、リコリスの次の言葉を聞いて内心で頭を抱えた。内容的には全くもって正しいのだが、辛辣に過ぎる指摘だ。
「まあ待て。貴官の言うことももっともだが、宇宙軍司令官閣下は地上軍との関係も考えなくてはならない。それに政略上も、ここで多数の地上軍を包囲殲滅されれば問題になる」
コヴァレフスキーはリコリスを制した。彼女にこれ以上発言を許せばベルツが激怒するのではないかという危惧もあるが、本心もあった。
作戦レベル、もしくは下位の戦略レベルにおいてはリコリスが正しい。しかし国際関係を考慮すれば、ここで地上軍を見捨てるのは愚策かもしれない。コヴァレフスキーはそう思ったのだ。
現在『共和国』政府は、各国に対『連合』戦争への参戦を呼びかけている。
表向きは救世教の危険についての警告、裏ではこれを機に『連合』領土を切り取れるとの誘惑を行い、他国を戦争に引っ張り込もうとしているのだ。
だが今のところ、参戦について色よい返事は得られていない。
これまでの外交的成果はせいぜいが好意的中立。すなわち低利子の借款の提供及び『共和国』側に有利な貿易協定の締結、国境沿いの惑星を巡る紛争の期限付き凍結と言ったところだ。
自称義勇部隊の派遣は別として、国家の政策として対『連合』戦争に加わった国は1つもない。
理由は単純で、他国が『連合』軍の侵攻能力を恐れているところにある。『連合』軍は『共和国』軍と異なり、非常に攻撃的な編成とドクトリンをもつ軍隊だ。
その侵攻能力は内戦における新政府の電撃作戦、及び今回の戦争における『連合』軍の反攻作戦において証明されている。
そのような国を敵に回せば、領土を切り取るどころか全てを失うかもしれない。他国はそう恐れているのだ。
実際、『連合』政府は「卑劣な火事場泥棒を試みる国があれば警告する。そのような行為に対しては忠勇なるわが国軍が正当な裁きをもたらし、不当な支配者を玉座から追い出すであろう」と発表し、外国政府を牽制していた。
この状況で『共和国』が地上軍800万喪失という敗北を喫すればどうなるか。他国の参戦はますます遠のくだろう。
それどころか、『共和国』寄り中立から『連合』寄り中立、さらには『連合』側に立っての参戦に政策を変更する国も現れるかもしれない。
それを考えると、地上軍は見捨てられない。『共和国』は敗れたが大敗はしていない。まだ勝つ可能性はあるという印象を外国に与えるためには、彼らを無事に撤退させるしかないのだ。
(目先の危険しか考えない愚か者どもめ)
コヴァレフスキーは内心で外国政府を罵った。
高みの見物を決め込むという彼らの対外政策は短期的な意味では正しいが、長期的に見れば病巣を摘出せずに放置するにも似た危険な行為なのだ。
『連合』政府は諸外国の国民に対して陰で、「我らが兄弟たちよ。我らに続いて財閥の桎梏を打ち破り、自らを解放せよ」と扇動している。
彼らは自らの国を、「神のもとでの平等が保障された平民階級の祖国」と喧伝し、他国民も『連合』に続いて同じような救世教国家を作れと呼びかけているのだ。
比較的教育が行き届いている『共和国』の国民はこれを単なるプロパガンダとして聞き流すだけの分別があるが、世界にはそんな国ばかりがある訳ではない。
『共和国』に敗れて政府の権威が地に落ちている『自由国』や、国全体が富裕な15の一族の私物と化している『連盟』、主要輸出品の価格暴落が原因で失業率が20%を超えている『諸惑星連邦』などの国民は、『連合』の主張をかなり真剣に受け止めているようだ。
それらの国の反政府組織に『連合』が支援を送っているという、かなり確度の高い情報もある。
『連合』の目的は明らかだった。まずは政府への不満度が高い国で革命を起こさせて『連合』に好意的な新政権を樹立させ、自国の経済圏に入れる。ゆくゆくは連邦化も視野に入れているだろう。
そうして国力を増強した後、残った敵対国家を軍事力もしくは経済力で恫喝し、飲み込んでしまうつもりなのだ。
これが成功すれば、旧政府時代からの『連合』の国是である『国土再統一』、全ての辺境国家を併合して人類世界を再び1つの国に戻してしまう、が完成する。ただし旧政府の不倶戴天の敵であった救世教徒の手によって。
『共和国』側に立っての参戦を拒否している諸外国は、その危険を無視することで、『国土再統一』に手を貸しているも同然だった。
『連合』と対峙している『共和国』は、言わば洪水をせき止めている堤防だ。それが決壊すれば、人類世界の全てが救世教に飲み込まれてしまう。
辺境国家の歴史は幕を閉じ、人類が居住する全ての惑星には緑旗が翻って『連合』公用語を話す国民が居住することになるだろう。
「具体的な作戦の実施時期については、これから地上軍と協議するつもりだ。貴官らはとにかく、指揮下の部隊を最善の状態に保つよう努力してくれ」
ベルツは最後にそう言うと、ファブニルに設けられた両軍の統一指令部に軌道エレベーターで降りて行く。その背中を見ながらコヴァレフスキーはこっそりと、リコリスは堂々と溜息をついた。
第3艦隊群は奇跡的に、第2艦隊群救出に成功した。だがその成功は状況を最悪から多少改善しただけであり、『連合』側に向かって大きく揺れた振り子を元の位置に戻すことは出来なかったのだ。
戦争の流れを『共和国』側に押し戻すには、後何回の勝利が必要なのか。2人にその答えは分からなかったが、容易な作業でないことだけは簡単に想像出来た。




