白衛ー6
ソニア・フリートウッドは『連合』政務局庁舎に与えられた自室で艦隊戦チェスをしていた。
ソニアは最初このゲームのルールさえ知らなかったが、ここに移ってから非番の職員相手に練習を重ねたのだ。今では大抵の相手には負けない程の腕前になっている。
しかし今の対戦相手は話が別だった。ソニアが何をしても一手先を読み、鋭い反撃を返してくる。
ソニアもかなり粘ったが、やがて勝負はついた。盤上の全ての星を相手の駒が制圧し、何をしても挽回できない状態になってしまったのだ。
「アイリスさんは艦隊戦チェスのプロプレイヤーとしてもやっていけそうですね」
試合後の紅茶を淹れながらソニアは呟いた。
政務局ではたまにチェスのトーナメントがあるが、ソニアは高位有段者を含む相手にも滅多に負けたことがない。だが目の前の対戦相手には、一度も勝ったことが無かった。
ソニアの賞賛に対して、相手は不思議な微笑を浮かべた。照れ隠しのようにも、本当はチェスプレイヤーになりたかったという証のようにも見える。
実際、彼女が普通の家庭に生まれていた場合の職業選択はそれだったかもしれない。戦前の『連合』において平民階級の子女が出世する一番の方法は、艦隊戦チェスのスタープレイヤーになることだったからだ。
しかし現実には、目の前の女性が艦隊戦チェスのプレイヤーになる事は、ソニアがそうなる事以上にあり得なかった。彼女はそのようには生まれなかったのだ。
「暇になったら、子供たちにチェスを教えるのもいいかもしれませんね」
続いて相手は冗談めかした口調で言った。いや冗談ではなく、半分は本気なのかもしれない。
彼女は時々、『連合』新政府の構造の歪さに対する危惧を内密に語ることがある。
1人の人間に最高権力と最高権威が併存する現状は、他に政府を機能させる方法が存在しないのでやむなく続いているが、極めて不健全だ。
これが必要以上に長く続けば、『連合』新政府は最終的にかつて否定したはずの旧政府と大して変わらない存在になる可能性があると。
この危惧の中で最も悲劇的なのは、新政府要人の中で唯一それに気づいている人間がまさに「最高権力者兼最高権威者」であるという事実だろう。
救世教の信者からは神に近い存在として崇められている彼女だが、実は全知全能には程遠い普通の人間に過ぎない。自らが指導している国の何が問題で何が引き起こされかねないかを知っているにも関わらず、それを解決する手段を持たないような。
出来るなら単なる救世教の象徴になり、後はチェスのプレイヤーか先生のような無害な仕事をしたい。それが彼女の本音である可能性は十分にある。
チェスプレイヤーがミスをしても当人が賞金を失うだけだが、「神」が間違いを犯せば信者全員が絶望することになるのだから。
だが目の前の女性、救世教第一司教はそれ以上何も言わなかった。言っても無駄であることに気付いたのだろう。
神ならぬ人間には、魔術その他の方法で状況を変える事も、彼らが崇めている対象が神でない事を信者に納得させることも出来ないのだから。
彼女は代わりに紅茶を一口飲むと、チェスの駒を並べ直した。もう一戦しようという無言の誘いである。
「そう言えば、アイリスさんは何処で、艦隊戦チェスを習ったんですか」
自分も駒を並べ直しつつ、ソニアはふと疑問に思って聞いてみた。
第一司教はアイリスという名前で呼ばれていた頃から、救世教の高位聖職者からなる教育係に囲まれて育ったはずだ。
彼らが「現世における神の影」の候補者に、下層階級や中産階級の間で好まれる娯楽を教える気になるとは思えないのだ。
「ああ、姉上が教えて下さったのですよ」
第一司教はあっさりと答えた後、しまったという顔をした。公の場にいるときと違って、ソニアの前にいる時の彼女は時たまこういう失言をする事がある。
「え!? お姉さんですか? アイリスさんに?」
それはそれとして、ソニアは第一司教の言葉に硬直した。救世教第一司教は大抵の財閥の当主と同じく、長子相続制である。
もし彼女に姉がいたとすれば、その人物が第一司教の座に就いている筈なのだ。
更に質問をぶつけようとしたソニアだが、第一司教の表情を見て黙り込んだ。彼女が公には絶対に浮かべない表情、今にも泣きだしそうな顔をしている事に気づいたのだ。
その理由は容易に推測できた。長子相続制度において姉ではなく妹が即位したという事は、姉が死亡したか職務を遂行できない状態になったという意味だ。
或いは何らかの政治的な理由で、存在自体が無かったことにされたか。
「……ああ、忘れてください。今はいませんから」
その推測を裏付けるように、第一司教が相変わらず悲しそうな表情のまま言った。
ソニアを無視するか軽蔑の視線を向けてくるかだったフリートウッド家の兄弟姉妹と違って、第一司教の姉は少なくとも惜しまれる程度には良い印象を遺したらしい。
「……どのような方だったのですか?」
ソニアは恐る恐る聞いてみた。思い出させることで第一司教に更なる悲しみを与えてしまうのでは無いかという危惧はもちろんあったが、このまま記憶を封印させるよりはましだと思ったのだ。
何しろ第一司教の周りを普段囲んでいるのは、彼女を人間ではなく天使だと思っている救世教徒や、彼女を『連合』が戦争に勝つための必要悪と見なしている軍人たちだ。
彼女が自らの過去を語れる相手はソニア位しかいないというのは、多分ソニアの自惚れではない。
「そうですね。優しくて頭のいい方でしたよ。教育係の好みには合わなかったようですが」
第一司教は遠い目をしながら言った。それはそうだろうとソニアは思う。救世教の教義を学ぶことより妹と艦隊戦チェスをするのが好きな人間というのは、到底救世教高位聖職者に好かれそうにない。
「共にあれば、私たちは無敵だったでしょうに。姉上」
第一司教は唐突に呟いた。その視線の先にあるモニターには、人類世界全体の星図が表示されている。
そのうちカトブレパス、フルングニル、スレイブニルは、姿を消して久しい筈の赤色に染まっている。かつて『連合』旧政府を表していた色だった。
「旧政府は、本当に戻ってくるのでしょうか?」
それを見た瞬間に最悪の記憶がぶり返してくるのを感じながら、ソニアは恐る恐る話題を変えた。惑星カトブレパスを占領し、『連合』正当政府を僭称している集団についてである。
この集団は要するに旧政府関係者を中心とした、『共和国』の傀儡政権だ。もし自称正当政府が、彼らが豪語するようにリントヴルムに乗り込んで来れば、ソニアは確実に裏切者として処刑される事になる。
「分かりません。彼らが正当政府を名乗るに相応しい実力を持っている可能性は非常に低いですが、零ではありませんから」
第一司教は非常に率直な答えを返してきた。ソニアは恐怖が膨らむのを感じた。
以前であれば、投獄と処刑という運命を簡単に受け入れることが出来ただろう。ソニアの生活は、生きながら死んでいるに等しい程に惨めなものだったからだ。
だが今のソニアは生きるに値する生活を知ってしまっている。かつては人生そのものだった、独房の中で処刑の日を待つという生活を思い描くだけで、ソニアは全身に悪寒が走るのを感じた。
無意識のうちに全身が痙攣し、心臓の鼓動が痛みを伴う程に激しくなる。喘息の発作のような浅く速い呼吸のせいで喉と肺が痛み、視界に光が点滅した。
「大丈夫ですか?」
ソニアの異変に気付いたらしく、第一司教が心配そうに聞いてくる。彼女に心配をかけてしまったという罪悪感と、気にかけられている事の幸福感で、ソニアは胸がいっぱいになるのを感じた。
「……大丈夫です。少し、怖かっただけで。ご迷惑をかけてすいません。私、弱くなりましたね」
ソニアは羞恥心に苛まれながら正直に答えた。
新政府軍と初めて対峙した時でさえ、もっと毅然とした態度を取った自分なのに、今は銃を突きつけられている訳でも無いのに怯え切っている。ソニアはそんな自分が恥ずかしくてならなかった。
「謝る必要はありませんよ。それに、貴方は弱くなった訳ではありません。絶望した人間は恐怖を感じませんが、それは強さではありません。恐怖を恐怖として感じる事が出来る人間の方が、本当は強いのです」
第一司教が優しく声をかけてくる。ソニアは目頭が熱くなるのを感じた。
第一司教が天使ではないことは知っている。国家の指導者として彼女は、一部住民の見殺しや反乱分子の弾圧など、過酷な決定も下さなければならない立場だ。
しかし少なくとも、ソニアの前にいる時の第一司教はこの上なく優しかった。
「安心して下さい。私は絶対に貴方を守ります。旧政府の亡霊などには、決して手を触れさせはしません」
第一司教が宣言するように言った。ソニアは更に胸が熱くなるとともに、少し疑問を覚えた。第一司教は何故、旧政府の娘であるソニアにこれ程優しくしてくれるのだろうか。
だがソニアが疑問を口にする前に、第一司教はソニアを柔らかく抱きしめてきた。いつの間にか冷えていた身体に温もりが染み渡り、全身に恍惚が走る。
「アイリスさん…… 何故?」
「理由が必要ですか?」
恐怖に取って代わった幸福感で半ば茫然としているソニアに対し、第一司教が優しく囁いてきた。ソニアは更に恍惚が強まるのを感じた。身体の芯が熱くなり、肌が火照る。
第一司教はそのままソニアと唇を合わせると、華奢な手でそっと、ソニアが着ているブラウスのボタンを外した。そのまま隙間に手が差し込まれるのを感じる。
素肌をなぞる細い指の感触に、ソニアは殆ど声を上げそうになった。触れられた場所全てに微弱な電流が流れたような心地よい衝撃が走り、全身が痺れる。
それをもたらしているのが第一司教の指の動きの巧みさなのか、自分の心なのかも分からない。ソニアはただ、初めての感覚に戸惑いながら同時に酔いしれるだけだった。
だが懸命に押し殺していた声が耐えきれずに飛び出しそうになった所で、第一司教はソニアの肌から手を離した。
ソニアは安堵と不満の両方を感じたが、それも第一司教が次の動きを取るまでの事だった。彼女は相変わらずソニアを抱きしめたまま、ゆっくりと部屋のベッドに向かっていったのだ。
そのまま倒れ込むようにベッドに横になると、ソニアはぼんやりと第一司教の顔を見上げた。
銀白色の長い髪と綺麗な紅色の瞳が印象的な端正な顔立ち。いつもは雪のように白いが、今は少し上気して僅かに赤みを帯びた肌。全てが完璧で、この上なく愛おしかった。
ソニアは躊躇わず、先ほどの第一司教と同じように彼女の服のボタンを外した。華奢だが柔らかさを含んだ体の線が見え隠れする。その肌も顔と同じく、仄かに上気していた。
「ソニア」
第一司教が甘い声で囁く。ソニアは再び、彼女の唇に自分の顔を近づけると目を閉じた。柔らかい感触がして、次に熱い舌が口の中に入って来る。
もちろんソニアはそのまま舌を絡めた。口から、そしていつの間にかあちこちが触れ合っていた肌から、蕩けるように甘い感触が燃え上がる。
「……宜しいのですか?」
唇を離した第一司教が今度は少し不安そうに言ったが、ソニアは応えなかった。
代わりに彼女の身体に下からしがみつくと、再び唇を合わせる。密着した肌から伝わってくる僅かに湿り気を帯びた温かさと心臓の鼓動の感触に、ソニアは頭が真っ白になった。
「アイリスさんこそ、宜しいのですか。私は旧政府の娘で、アイリスさんに相応しい人間では」
その中で僅かに残っていた理性を総動員して、ソニアは第一司教に聞いてみた。
ソニアは傍系とはいえ、旧政府の血を引く人間だ。惑星カトブレパスに現れたサイモン・フリートウッド、自称正当政府の最高指導者は、ソニアの親戚筋に当たるのだ。
「おや? 新政権指導者と旧政権指導者の縁者の婚姻は、国内を纏めるのによく使われてきた方法ですよ」
第一司教が悪戯っぽく言った。確かにそのような行為が歴史上普遍的と言っていい程によく見られることを、ソニアは知っている。
ただそれは新政権があくまで旧政権の後継を自称する場合で、旧政府の支配自体を負の歴史と見做す救世教政権に当てはまるかは疑わしいが。
「もっとも、これは建前ですが。私は別に、貴方の血筋を好きになった訳ではありませんから」
しかしソニアがそれを指摘する前に、第一司教はふわりと笑った。ソニアは胸がいっぱいになり、全身の力が抜けるのを感じた。
「私も……」
ソニアは幸福感に染まった頭の中で何とか言葉を紡ごうとしたが、第一司教はその前にソニアのブラウスの残りのボタンを外すと、それを脱ぐように優しく促した。
ソニアは目を閉じると小さく頷いた。初めての体験への不安はあるが、幸福感の方が圧倒的に大きい。ソニアの全身は、恐怖とは違う感情で震えていた。
(自分だけは、この人の理解者でいよう)、ぎこちない手つきで服を脱ぎ捨てながら、ソニアは心の中で誓った。
神でも天使でも完璧でもない、普通の人間の感情を備えた1人の女性としての彼女を受け入れる事。それが同じく禄でもない血を引いてしまった人間としての自分の使命だと、ソニアは直感的に思っていた。
「それにしても短い天下だったわね。『連合』正当政府とやらは」
旧『連合』政府の要人たちを白衛軍団とともに輸送艦に収容するよう指示しながら、リコリスは自らが置かれている状況を嗤った。
カトブレパスを占領することでスレイブニルの『連合』軍艦隊を引っ張り出す作戦は見事に奏功した。後はそのカトブレパスから逃げなければならない。
リコリスがでっち上げた『連合』正当政府なる国は、その唯一の役割を終えて消滅しようとしているのだった。
なおこの疑似国家が成立を宣言した段階でカトブレパスにいた『共和国』軍艦隊は、リコリスの白衛艦隊102隻と白衛軍団を運んできた揚陸艦だけだったが、現在は戦闘艦艇だけで400隻、補給艦を加えれば1000隻以上の大所帯となっている。
コヴァレフスキー中将が臨時に指揮する300隻に、『共和国』各地から集められてきた補給船舶700隻までが加わった結果である。
その補給船たちは現在、占領した『連合』の宇宙軍基地から鹵獲した食料と燃料の積み込み作業を終えたところだった。
自分が立てた作戦ながら、正規軍の脱出作戦というよりは流賊のような所業だ。出港準備の進捗状況を確認しつつ、リコリスは内心で溜息をついた。
何しろ今回の作戦は最初から、惑星カトブレパスの宇宙軍基地に蓄積されていた物資を奪うことを前提にしていたのである。
こんな作戦が取られた理由は、一口で言うと船が足りないからである。
第3艦隊群と白衛艦隊をフルングニルに移動させ、さらに同惑星の4個艦隊をファブニルに戻すには、輸送船1300隻分の物資が必要。脱出作戦を研究する中で、第3艦隊群臨時司令部の参謀組織はそう結論した。
純粋に艦隊を動かすだけならせいぜい500隻分で済むのだが、問題はファブニル・フルングニル間の距離である。
中継基地のスレイブニルを失った今、救援の艦隊は無補給で行動しなければならない。となると艦隊に物資を供給する船だけで無く、「艦隊に物資を供給する船に物資を供給する船」まで必要になってしまうのだ。
「補給の手間は距離の自乗に比例する」という格言はやや大げさだが、当たらずとも遠からず。分析結果を見てコヴァレフスキーとリコリスはそう思い知らされた。
1300隻という船舶必要量は普通の手段での救援作戦を不可能にした。敵の第2弾作戦が始まる前に、1300隻もの輸送船を出撃基地の惑星ファブニルにかき集めることは不可能だったからだ。
そのような状況で救出作戦を行うには、敵の物資を奪うしかない。リコリスがカトブレパスの攻略と敵宇宙軍基地の占領を命じたのはその為だった。
カトブレパスに常駐している部隊の規模はごく小さいが、同惑星はフルングニルへの輸送作戦を妨害する『連合』軍艦隊の出撃拠点の1つだ。
ならば艦隊への整備と補給を行うために、同惑星の宇宙軍基地には大量の物資が集積されているとリコリスは判断していた。
しかも同惑星の位置はスレイブニルと同じく、ファブニルとフルングニルの中間地点であり、艦隊と船団はカトブレパスで物資を補給してからフルングニルに向かうことが可能だ。
お蔭で第3艦隊群は行きの燃料については心配しなくても良くなり、その分必要船舶数を削減できる。参謀組織がはじき出した1300隻の半分強の船団で、救出作戦が実行されつつあるのもその為だった。
分かりやすく言うと、マラソンにおける給水所を思い浮かべるといい。レース中の補給に必要なドリンクと軽食を選手が背負って走る場合と途中の給水所で受け取れる場合では、負担が大きく違ってくる。
カトブレパスは第3艦隊群というランナーへの、給水所の役割を果たしているのだった。
もちろんカトブレパス攻略の意義はそれだけではない。副次的な効果として、『共和国』側が自由に使える戦力を過大評価させ、ファブニル侵攻を思い止まらせることも意図していた。
フルングニルの艦隊を救助しても、出撃基地のファブニルが占領されてしまっては意味が無いからだ。
『共和国』に亡命してきた『連合』旧政府要人を使って新しい国家をでっち上げ、軍事的な脅威に加えて政治的な脅威を与えたのは、後者の効果を増大させる為である。
更に『共和国』軍は、第3艦隊群と白衛艦隊の合計戦力が実際よりずっと多いように見せかけるため、輸送船団を混ぜることで水増しされた艦隊の映像を流すことまでした。
現在使用できる軍事的な手段がたった400隻の艦隊である以上、軍人と言うよりは奇術師ないしは詐欺師の手段で戦う必要がある。それが『共和国』の現実だった。
考えてみればお寒い話だとリコリスは内心で嘆息した。
『共和国』が2400隻の軍艦とそれに倍する数の輸送船団を連ねて『連合』領への侵攻を開始してから、まだ1年も経っていない。しかもあの時は、後詰として1000隻が待機していた。
それが今はどうだろう。これまでの消耗と『連合』軍の反攻作戦による被害、敵の陽動作戦に引っかかったことが相まって、『共和国』が現在使用できる艦隊戦力はこの400隻しかいない。
もちろん本国には建造中もしくは整備中の軍艦多数が存在するし、あちこちに散らばっている艦隊をかき集めれば今でも3000隻近くの稼働軍艦が存在する。だから『共和国』の艦隊戦力が1/8になった訳では無いのだが、やはり落剝の感は免れなかった。
何しろ『連合』はスレイブニルに2000隻以上、ゲリュオンにも1500隻を展開させており、侵攻作戦開始時の戦力比を既に逆転させている。そしてこの差は開くことはあっても、縮まることはありそうに無い。
「アスピドケロンの奇跡再びですな。ああ、もう少し不敵に笑った顔をして下さい。国民に今回の大勝利を印象付けなければいけませんから」
一方、そんな感情とは無縁、もしくは職務上無縁を装っている集団もオルレアン戦闘指揮所に姿を見せていた。
本国から派遣された従軍記者、要は軍の活躍を国民に喧伝して戦争への支持を高めるのを仕事とする人々である。
リコリスは相手に聞こえるように思い切りため息をついた。ただでさえ負けが込み始めている戦争を続けるには、彼らのような連中が必要であるのは分かる。
しかしだからと言って、前線の現実を無視した美辞麗句を書き連ねる相手を好きになれるものでは無い。戦闘指揮所にまで乗り込んできたとなれば尚更だ。
「それで司令官、作戦成功のご感想を頂きたいのですが」
非好意的な対応にもめげず、従軍記者はなおも話しかけてきた。リコリスはうんざりしながら答えた。
「その質問には2つ欠点があるな」
「はあ、何でしょうか?」
「1つ目に、作戦はまだ成功していない。艦隊を本国に戻すまでが今回の作戦であり、今はまだ通過点だ」
「なるほど、なるほど。流石は『共和国』英雄たる方。最後まで気を抜かないという訳ですな」
別に『共和国』英雄でなくても、今の状況にある軍人なら当然のことだ。相手をそう怒鳴りつけたくなる衝動に駆られたが、リコリスは辛うじて自制して言葉を続けた。
「2つ目の欠点だが、質問自体が無意味だ。私の感情の動きなどを国民が知ってどうする? 何の意味もないだろう」
「はあ? しかし我々としては、若き『共和国』英雄のお考えを是非拝見したいのですが」
「私は自分を英雄だと思ったことはないし、なるつもりも無い」
リコリスは段々と頭痛を覚え始めた。どうして従軍記者どもは中将のコヴァレフスキーではなく、少将のリコリスに群がるのだろう。




