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紅炎と黒点ー1

 地峡会戦と名付けられた大規模な地上戦が惑星フルングニルで生起してから約4か月後、『連合』首都惑星リントヴルムの政務局庁舎には政府及び軍の要人が集結していた。


 「『共和国』軍はいよいよ、リントヴルム侵攻を計画し始めた」


 宇宙軍司令官のフェルナン・グアハルド元帥はそう言うと、最近惑星フルングニル軌道上で撮影された写真をモニターに表示した。約3個艦隊分の『共和国』軍艦が、同惑星に新しく作られた基地に展開している様子が映っている。

 リントヴルム侵攻を行うにはまだ基地の規模が足りないが、フルングニルには日毎に船団と工作艦が入港し、基地の拡張を続けていることが確認されている。

 そう遠くない未来、フルングニルは『共和国』宇宙軍のほぼ全軍を収容できる基地に変貌するだろう。




 「またこれらの艦隊の存在により、補給線攻撃は現在実質的に取り止められている。大規模なレーダー施設と基地航空隊に、艦隊まで展開している星への接近は不可能だ」


 グアハルドはフルングニル戦における宇宙軍の活動の停滞を批判する地上軍関係者の視線に晒されながらも、冷静な声で現状を説明した。



 フルングニルやスレイブニルに入港する船団を狙う通商破壊作戦は、当初かなりの戦果を上げていた。敵地への展開能力に乏しい『共和国』宇宙軍は船団に十分な護衛をつけることが出来ず、『連合』軍の船団襲撃部隊は容易に仕事をこなせたのだ。


 だが潮目は少しずつ変わり始めた。襲撃の隙をついて何とか入港した船団はレーダー衛星を作り、基地航空隊に必要な設備を運び込んでいった。襲撃部隊は次第に遠距離から探知されるようになり、生半可な戦力では基地航空隊によって蹴散らされるだけになった。

 そして遂には艦隊の整備が可能な基地までがフルングニル、スレイブニルの両惑星に出現し、『連合』宇宙軍は補給線攻撃の縮小を余儀なくされたのだった。



 正確に言えば、補給線攻撃は完全に中止された訳ではない。例えば1か月前の第二十六次攻撃では、軽空母の艦載機からなる索敵線を何重にも引くことでスレイブニルからフルングニルへ向かう船団の位置を探知、中途で攻撃をかけることに成功している。

 この攻撃で『連合』宇宙軍は輸送船150隻前後を撃沈、フルングニルにおける『共和国』地上軍の攻勢を半月ほど遅らせた。


 だが総体として、船団攻撃のコストとリスクは上昇を続けている。フルングニル戦の開始時には、補給線への攻撃だけで『共和国』軍のこれ以上の進撃を半永久的に止められるという意見もあったが、どうやら楽観的過ぎたようだ。

 補給線攻撃はかなりの戦果を上げて『共和国』軍のフルングニル占領及び基地化を遅らせたものの、押し止めることまでは出来なかったのだ。





 「地上軍の現状も、あまり楽観できるものでは無い。一応まだ、抵抗は続けているが先細りだ」


 次に地上軍司令官のエイナル・リングダール元帥が、地上戦における現状を説明した。

 

 4か月前の地峡会戦において、フルングニル守備隊は大損害を受けた。大規模な砲兵支援を伴う強襲に空挺降下を組み合わせた『共和国』軍の攻勢により、大地峡に展開していた守備隊主力は完全包囲されかけたのだ。

 守備隊を指揮するクロード・ジュベル大将は何とか状況に対処し、大地峡に展開していた部隊の半分を後退させたが、残り半分と蓄積されていた物資は失われた。

 『共和国』地上軍の方も地峡会戦でぼろぼろになり、しばらく活動を停止したのが唯一の慰めである。





 ジュベル大将はその後、残った兵力を遣り繰りして抗戦を続けている。各都市を要塞化して内部に民兵部隊を展開させ、分散した正規軍が時たま奇襲をかけるというのが主な方針である。

 この戦略は概ね成功し、『共和国』地上軍にかなりの損害を与えて進撃を遅らせている。時には熱帯性低気圧によって航空隊が活動できない時期を狙って攻勢を行い、土地を奪い返したことすらあった。


 しかし全体的に見れば、フルングニルの戦況は刻一刻と悪化の一途を辿っている。

 制宙権を握る『共和国』側が幾らでも次の部隊を送り込めるのに対し、フルングニル守備隊は元の兵力に若干の志願兵を加えることしか出来ないからだ。消耗戦になれば、後者は圧倒的に不利である。


 惑星を巡る戦闘というのは、地球時代の島嶼戦に似ている。地上軍が自力で行き来できない土地で起こる戦いの最終的な帰結は、常に攻撃側の勝利に終わるという意味でだ。

 フルングニルの『連合』軍守備隊もこの原則に漏れず、ゆっくりとだが確実に制圧されつつあった。




 「しかしまだ、フルングニルは完全には陥落していない。従って『共和国』のリントヴルム侵攻まで、まだ僅かな猶予があるということだ」


 戦況を淡々と説明していたリングダールが、不意に声を張り上げた。彼の表情は強張っているが、瞳には確かな光が宿っている。


 (そうだ。フルングニル戦は敗北だが、価値ある敗北だった)


 グアハルドはリングダールの言葉に内心で頷いた。地上軍及び宇宙軍の奮戦にも関わらず、フルングニルは『共和国』によって徐々に制圧されつつある。戦術もしくは作戦レベルで言えば明らかな敗北だ。

 

 だが戦略レベルで言えば、事はそう単純ではない。『連合』軍はフルングニルでの遅滞戦闘によって現在の戦略環境において最も重要な資源、すなわち時間を買うことに成功したからだ。

 そして土地と血によって贖った時間は、新たな戦力という形で『連合』の資産となっている。



 「フルングニルの状況は宇宙・地上両軍の司令官が説明したとおりです」


 席に着いたリングダールに促されるように、会議室の中央に置かれた古めかしい椅子に腰かけていた人物が、全体に向けて穏やかな口調で言った。事態の深刻さにも関わらず、作り物めいた美しさを持つ白い顔には微笑が浮かんでいる。



 「両軍の犠牲は我が国の未来を照らした光として、永遠に国民の記憶に刻まれることでしょう」


 その人物、救世教第一司教は続いて、高官を集めた会議というより一般向けの演説で使われるような言葉を発した。普通の人間が言えばただの場違いな戯言だが、彼女が言うと不思議な説得力を感じさせる。 




 「そして、時は来ました。我が国が再び飛躍する時が」


 第一司教が呟くような、だが不思議とよく通る声で言った。いつも浮かべている微笑が一瞬歪み、戦場で敵兵に止めを刺さんとする兵士を思わせる凄愴な表情に変わる。

 同時に銀白色の長い髪が空調の風に揺られて僅かに靡き、彼女の周囲に光を撒き散らした。まるで『連合』の前途を照らすように。


 


 「『紅炎』と『黒点』を発動します。中央航路に『共和国』軍主力が展開しているのは、むしろ我が国にとっての好機です。このリントヴルムに伸びる彼らの強欲な腕を、その付け根から断ち切ることが出来るのですから」


 第一司教がそう言った瞬間、会議室全体がざわついた。

 何度も延期を繰り返し、近頃は本当に実行されるかも疑問視されるようになった2つの反攻作戦が、突然現実のものとして姿を現した。彼らはそのことに戸惑いを隠せないでいるのだろう。



 「猊下の言われる通り、現在の状況こそが反攻作戦を発動する最善の機会だ。本戦争の帰趨はこの1か月で実質的に決定されるだろう」


 グアハルドやリングダールとともに、『紅炎』・『黒点』の発動を会議前に聞かされていた数少ない人間の1人であるダニエル・ストリウス大将が、ざわめきを抑えるように言った。彼は2つの作戦のうち『紅炎』を指揮することになっている。



 「我が国が超大国の地位を取り戻すか、或いは『共和国』の一地方に成り下がるか。全ては両作戦の成功如何に懸かっている」


 グアハルドはストリウスに続いて声を張り上げた。同時に『紅炎』・『黒点』両作戦の概念図を表示する。会議の参加者の多くにとっては、初めての情報だ。





 「…信じられない」


 概念図を見た高官の1人が呟き、周囲が同調するように頷いた。中にはあからさまな疑いの表情を浮かべている者もいるほどだ。


 それも当然だった。新部隊の編成状況とその配置は最重要の国家機密であり、政府及び軍の高官ですら殆どが今まで全容を伝えられていない。


 また『連合』軍は、各部隊の編成状況を意図的に低く見積もった偽情報を、政府の非軍事部門に流すという欺瞞工作まで実行した。

 『連合』軍はフルングニル戦で既に壊滅しており、リントヴルムは易々と取れる。ましてや反攻作戦の計画など存在しないと、必ず潜入しているであろう『共和国』の諜報員に錯覚させるためだ。


 これらの努力が実り、『連合』政府職員の多くは『連合』軍の現有戦力を知らないか、大幅に過小評価している。『紅炎』と『黒点』に投入される部隊の規模は、その彼らの度肝を抜いたのだった。

 だがそれは確かな現実だ。概念図にある艦隊と軍は書類上にしか存在しない訳でも、戦闘に適さない部隊で水増しされている訳でもない。実際にそれらの戦力を用いて演習を繰り返してきたグアハルドは、その事をよく知っていた。
























 惑星フレズベルクは『共和国』-『自由国』戦争において最前線となり、戦後に『共和国』領となった有人惑星である。豊富な鉱物資源と水資源を有するために重工業が盛んで、約15億の住民が居住していた。

 

 歴史の話をすると、『共和国』・『自由国』戦争緒戦において『自由国』の艦隊がこのフレズベルクから出撃し、『共和国』の工業地帯への侵攻を試みたことが有名である。

 当時のフレズベルクはいわば、『共和国』の心臓に『自由国』が突き付けた剣であり、為に両軍は同星を巡って3度の大規模な宇宙戦闘を行った。そしてフレズベルクが完全に『共和国』の占領下に置かれたことが、戦争の帰趨を決定したとされている。

 

 


 そのフレズベルクには現在、2個艦隊相当の『共和国』宇宙軍が駐留している。

 と言っても、第1から第3の各艦隊群に属する部隊では無い。予備役や訓練中の兵を旧式艦に乗せて作られた後方部隊であり、装備は一世代前から二世代前、兵については若すぎるか歳を取り過ぎていた。

 実際、部隊の主任務は訓練及び海賊対策であり、正規軍との戦いは不可能と見られている。

 


 フレズベルクのような重要拠点にこの程度の宇宙軍部隊しか置かれていない事には不安の声もあったが、そのような声は概ね無視される傾向にあった。

 フレズベルク方面には現在は同盟国として戦争に参加している『自由国』軍がいる。同方面の警戒は彼らに任せておけばいい。『共和国』はそう判断していた。

 対『連合』戦争における主作戦は全てファブニル・リントヴルム軸で行われており、補助作戦の根拠地に過ぎないフレズベルクに大軍を置く意思も余裕も、『共和国』には無かったのだ。

 



 だからこの宇宙軍部隊、フレズベルク方面艦隊という大袈裟な名が付いていた、の将兵は基本的に戦争を差し迫った出来事と考えていなかった。

 彼らの一部は訓練終了後に第一線部隊に配属される事になっていたが、それもあくまで未来の出来事だった。

 この先数か月は訓練とたまの海賊退治の日々が続く、将兵たちはそう思い、遥か彼方で繰り広げられる『共和国』ー『連合』戦争に思いを馳せるだけだったのだ。

 

 


 「司令官、気になる情報があります」

 

 そのフレズベルク方面艦隊において参謀長を務めるアーバン・ザイフェルト少将は、司令官のマーティン・ベーカー大将に報告を行おうとして眉を顰めた。司令官室からようやく出てきたベーカーが、酒と香水の臭いを漂わせていたためである。

 数年前までは堂々たる美丈夫だったはずだが、今のベーカーにその面影は全くない。あるのは酒色に溺れ、脂肪と倦怠に浸りきった肉塊に過ぎなかった。

 

 「どうした? 参謀長?」

 

 ベーカーは酒臭い息を吐きながら、充血して濁りきった目でザイフェルトを一瞥した。

 


 「惑星ゲリュオンから出撃した偵察部隊の1つが未帰還となりました。そのため他の部隊を送ってみたところ、惑星ユトムンダスにおいてこのような写真が撮影されました」

 

 ザイフェルトは嫌悪感を隠しながら、新しく入ってきた情報をベーカーに伝えた。

 

 惑星ゲリュオンは『自由国』領であるが、『共和国』は前の戦争の後で結ばれた協定によって同惑星の宇宙港を自由に使用できる。さらに恒星間通信衛星も『共和国』が管理しているので、実質的には自国領同然だった。

 現在のゲリュオンは現在の戦争における『自由国』軍出撃基地となる他、小規模な『共和国』軍部隊が駐留している。フレズベルクに対する『連合』軍の攻撃という万一の事態を回避するため、及び『自由国』の裏切り行為が無いかを監視するためだ。

 

 そのゲリュオン駐留部隊は先日、『自由国』から送られてきた情報を受けて、『連合』領惑星ユトムンダスの偵察を試みたのだが、部隊は何故か未帰還になった。

 慌てて追加の部隊を送ってみたところ、思いもよらない情報が得られたのだ。

 


 「ご覧ください。やや不鮮明ですが、明らかに『連合』宇宙軍の基地です」

 

 ザイフェルトはベーカーに、ユトムンダスで撮影された映像を指し示した。軍事施設は殆ど存在しないとされていた惑星の軌道上に箱形の構造物がいくつも浮かび、その周辺には数えきれないほどの光点が乱舞している。

 『連合』軍の大艦隊と、それに物資を補給するための基地がユトムンダスに出現している。少なくとも映像からはそう読み取れる。

 


 「ユトムンダス? 何だってあんな場所に? 現在の主戦場とは離れすぎていないか?」

 

 ベーカーは魂が抜けきったような口調で写真を眺めると、そんな言葉を吐いた。彼の言うとおり、惑星ユトムンダスは現在の攻防の焦点となっている惑星フルングニルからはかなり遠い。 

 



 「これは陽動だよ。我が軍を騙すためのな」

 

 ベーカーは決めつけるように言うと、部屋に戻ろうとした。ザイフェルトは慌てて止めた。

 

 「お待ちください。司令官!」

 「うん、何だね?」

 

 ベーカーがあからさまに不快そうな視線を向けてきたが、ザイフェルトは無視して話を続けた。

 

 「ユトムンダスは確かにフルングニルからは遠いですが、ゲリュオンに対する攻撃圏内にあります。敵はゲリュオン攻撃を意図している可能性があります」

 「下らないな。そんなことをして何になる? 徒に戦力を分散させるだけじゃないか?」

 

 「ゲリュオンが攻撃された場合、現在惑星イピリアに取りついている『自由国』軍主力部隊は、根拠地を失って孤立します。それが彼らの真の狙いかもしれません」

 

 ザイフェルトはユトムンダスへの『連合』軍集結という事態が持つ意味を、ベーカーがまるで理解していないらしいことに失望したが、驚きはしなかった。この男の軍事的才能などそんなものであることは最初から分かっている。彼は忍耐の限りを尽くして、想定される危機について説明した。

 


 現在『自由国』軍は『共和国』軍に呼応する形で、『連合』領侵攻に参加している。まずは『連合』との係争地だった惑星カルキノスを攻略、次に新政府が蜂起時に仮の首都惑星としていた惑星イピリアに取りついた。現在はイピリアに主力を展開させて戦闘中である。

 その『自由国』軍だが、出撃基地はほぼゲリュオンのみだ。つまりゲリュオンがユトムンダスから出撃した『連合』軍に占領された場合、イピリアとカルキノスの『自由国』軍主力は本国から引き離される。

 

 問題は『自由国』軍だけに留まらない。『自由国』軍はファブニルーリントヴルム軸を狙う『共和国』軍の側面を援護する役割も担っている。

 もしユトムンダスからの攻撃で『自由国』軍が壊滅すれば、現在ほぼなりを潜めている『連合』軍の通商破壊作戦が、再び活発化する恐れがあるのだ。


 「『連合』軍にそんな力などありはせんよ」

 

 ベーカーは眠そうに言うと、また部屋に戻ろうとした。ザイフェルトは思わず彼を怒鳴りつけたくなったが、あらん限りの忍耐力を持って罵声を飲み込んだ。目の前の男に対して以前から抱いていた軽蔑と不信感は、今や深刻な憎悪に変換されつつあった。

 


 


 ベーカー大将は『共和国』・『自由国』戦争開戦前は、『共和国』最高指導者のローレンス・クラーク政務局長の政治的な盟友であり、最も信頼されている軍人でもあった。

 背の高いがっしりした体格と良く通る低い声、端正さと威厳を絶妙なバランスで合成したような顔立ちは、これぞ宇宙軍上級将校という印象を与えるに十分だった。士官学校の席次も悪くなかったし、何よりクラークが無名の一議員に過ぎなかった時代からの知己であった。

 

 だからクラークは政務局長に就任するや否や、ベーカーを宇宙軍総司令官に任命し、防衛計画の作成を任せた。ベーカーは平時において最も昇進した軍人となり、一時は新財閥の創設者となるかも知れないとまで囁かれたのだ。

 

 だが残念ながら、頼もし気な容貌にそれなりの知能を兼ね備えていたベーカーには、重要な能力が一つだけ欠けていた。軍人としての才能である。

 彼はそれなりの軍事的素養を有していたが、その用い方は災厄と言うしか無かった。彼の立てる作戦計画はあまりに教科書的で敵にすぐ意図を読み取られるか、あるいはあまりに巧妙であるために実行不可能かのどちらかだった。

 完全な素人考えであれば、まだ敵の意表を突くこともあるのだが、中途半端に正統的なベーカーの作戦は、士官学校を出たばかりの人間でも看破する事が出来たのだ。

 


 かくして『共和国』・『自由国』戦争緒戦は、『共和国』にとっての災厄となった。

 まずは不適切な位置に配置されていた4個艦隊が、開戦直後に『自由国』軍の奇襲攻撃で撃破され、重要な工業地帯の一部が占領下に置かれた。

 しかもベーカーが自分と気の合う人間、すなわち似たり寄ったりの人間ばかりを要職に付けていたため、その後も宇宙軍は敗走を重ねた。

 『共和国』がこの時期に崩壊を免れたのは、地上軍の英雄的な戦いと設備の疎開によって、残った工業地帯を何とか守り切る事が出来たためである。

 

 この事態を見たクラークは流石に、ベーカーに見切りをつけた。ベーカーをフルングニル方面艦隊司令官という現在の閑職に回し、代わりに彼の体制下で冷遇されたり収容所送りになっていた士官たちを要職に付けたのだ。

 幾ら昔からの盟友であっても、無能力を露呈した時点で躊躇なく切り捨てることが出来た点で、クラークはそれなりに有能な政治家ではあった。

 


 「お部屋にお戻りになるのは構いませんが…」

 

 だが左遷先の人間にとっては溜まったものでは無い。ザイフェルトはそう思いながら、感情を極限まで抑えた声でベーカーに話しかけた。

 

 「艦隊に臨戦待機を命じて下さいますか? それと恒星間通信衛星の使用許可を。本国にこの事態を報告しなければなりませんので」

 「報告?」

 

 気の抜けたような声でのオウム返しが、なおさらザイフェルトの怒りを高めた。ベーカーは閑職に回されてからと言うもの、腑抜け同然だった。かつては少なくとも権力を維持する努力はしていたが、今ではただ酒色に溺れているだけだ。

 

 覇気を失ったのならお飾りに徹してくれればいいものを、始末に負えないのは中途半端に決定権を握りたがる事だ。艦隊の大規模行動や通信衛星の使用にはベーカーの許可が必要であり、それがフレズベルク方面艦隊の行動にとって多大な障害となっている。

 


 「そうです。報告です。さっきも申しあげたとおり、『自由国』軍が危機に陥っている可能性があるので」

 

 ザイフェルトは泥酔に近い状態にあるベーカーにも理解できるよう、噛んで含めるような口調で言った。いくら酒を飲もうと女と戯れようとこの男の自由だが、せめて盲判を押す位の仕事はしてくれと心から思う。

 

 

 「うーん、しかし。誤報だった場合… どうせこんな基地など、我が軍を欺くための作り物に決まっている。そんなものをわざわざ報告するのは…」

 「例え偽装だとしても、とにかく情報自体は本国に送るべきです。それからどうするかは、本国の上層部が決めることです」

 

 ザイフェルトは渋るベーカーを半ば叱責するように言った。ベーカーの言うとおりユトムンダスの基地は偽装かもしれないが、それは通報しなくていい理由にはならない。

 偽装された基地が作られたという事自体が、『連合』軍が他の方面で何かを企んでいる可能性を示唆しているからだ。

 

 またベーカーは偽装と決めつけているが、ザイフェルトはこの基地が本格的な作戦の為に用意されているのでは無いかと考えていた。

 『共和国』軍を混乱させるために偽装工作を行うなら、もう少しもっともらしい場所に基地を作るはずだ。『連合』軍はユトムンダスに新しく作られた基地を使って、本当に何かを企んでいるのでは無いだろうか。

 


 「…ああ、分かった。一応、本国に連絡を送っておいてくれ。それと艦隊の指揮権は君に預けよう」

 

 ザイフェルトの剣幕に押されたのか、ベーカーは最後に不本意そうな口調でだが、報告と臨戦態勢への移行を認めた。ザイフェルトはひとまず安堵すると、フレズベルク方面艦隊の戦力と可能な行動について考え込んだ。

 

 フレズベルク方面艦隊は500隻ほどの旧式艦や小型艦で編成された弱小部隊だが、1個艦隊くらいは相手に出来るだろう。そこにゲリュオンに存在する『自由国』軍2個艦隊。『共和国』側がゲリュオン・フレズベルク方面で使える戦力はこんなものだ。

 

 ユトムンダスで『連合』軍が意図しているのがベーカーの言うような偽装、或いは限定攻勢程度なら対処できる。しかし、彼らがそれ以上の何かを計画しているとすれば… 

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