攻防ー6
アイリスは疲れていた。「救世教開祖」なる人物の偉大さとその教え、それに政治に関する諸々の講義。物心ついてからというもの、それが彼女の人生の全てだった。
「やっと終わったの? いつも大変ね」
姉のリコリスが、心配そうに声をかけてくる。アイリスはこの姉があまり好きでは無かった。もっと正確に言えば、妬ましかった。
「お姉ちゃんには関係ないわ」
だからアイリスは冷たく答えると風呂場に向かった。鏡に自分の疲れ切った顔が映っているのが見える。
(どうして、私はこんな風に生まれたのかな)
自分の紅い瞳と白い髪を見つめながら、アイリスはこれで何度目になるかも分からない呟きを発した。
「開祖の再来だ」、「救世教を甦らせる聖人の証だ」、周囲の人間たちは口々にそう言って、アイリスの風貌を祝福する。遥か昔の救世教開祖も、アイリスと同じ白い髪と紅い瞳をしていたのだという。
しかしアイリスにとって、自分の風貌は呪いでしかなかった。
紅い瞳は陽光に耐えられないため、外出時は特殊なレンズを嵌めなければならない。白過ぎる肌も同じように、対策をしなければ容易く焼け爛れてしまう。
救世教開祖とか言う人物が本当に自分と同じような体だったと言うなら、アイリスとしては同情を禁じ得ない。
一方、姉のリコリスも色白なのは同じだが、遺伝的にアイリスよりは陽光に強いらしい。黒い髪と蒼い瞳を持つ彼女は、アイリスと違って何もしなくても外を自由に出歩けるのだ。
そして何より、リコリスはアイリスが被っているような苦しみを免れていた。
容姿も性格も救世教開祖に似ていないお蔭で、彼女は概ね周りに放置されている。「次世代の第一司教」とかいうものになるための英才教育を、朝から晩まで受けているアイリスとは対照的だった。
「本当に疲れているみたいだけど、お医者さんを呼ぼうか?」
風呂から出たアイリスに、リコリスがまた声をかけてくる。アイリスは無視してベッドに寝転んだ。本当にうんざりだった。
「その…アイリス」
「お姉ちゃんに何が分かるの? 開祖様の教えとか、聖ルイス様の神学とか。少なくとも私には分からない。全く分からないよ!」
なおも話しかけてくるリコリスに向かって、アイリスは思わず叫んでいた。我ながら意味不明な言葉だと言いながら思ったが、いったん口に出すと止まらない。
「どうして私なの? 私が第一司教とかいう人間にならなくちゃいけないの? 偉そうに講義しているあの連中がなればいいじゃない!」
アイリスは叫びながら、いつの間にか流れていた涙が頬を伝うのを感じた。強烈な感情が胸郭を荒れ狂い、全身が熱くなる。
リコリスに訴えても仕方が無いのは分かっているが、言わずにはいられない。どうして自分は、この忌々しい血を引き、呪わしい紅い瞳と白い髪を持って産まれてしまったのだろう。
「どうせ、救世教開祖の血を引いているのは名誉なことで、人類の領導者たる第一司教になれるのは素晴らしいことだとでも言うんでしょう! だったら、自分がなってみればいいのよ!」
心配そうに近づいてきたリコリスに向かって、アイリスは更に叫んだ。
教育係たちはいつも、アイリスがいかに恵まれているかの話をする。救世教開祖、人類の堕落に対する神の怒りを受けるため自ら堕天を選んだ大天使の血を引き、更にはその風貌の一部までを受け継いでいることが、いかに素晴らしいことかを。
しかしアイリス自身にとって、それは文字通りの呪いでしかなかった。
訳の分からない、教えている本人ですら理解しているか怪しい教義の数々を、無理矢理頭に叩き込まれ続ける生活。救世教開祖との繋がりがアイリスにもたらしたものはそれだけだ。
偉そうに訓戒を垂れる大人たちの顔を見る度に、アイリスは全てを呪いたくなってくる。
だがアイリスはどこかで諦めてもいた。何を言っても、他人には通用しない。この宇宙に、アイリスと同じ境遇の人間はいないのだ。
唯一の肉親である姉のリコリスでさえ、アイリスとは異なった立場にいる。誰かに理解を求めても無駄なことだ。
どうせリコリスも、アイリスを口先だけで宥めつつ、救世教の栄光の歴史を語るのだろう。アイリスはそう思っていた。
いやもっと酷いことを言ってくるかもしれない。この姉は後に産まれたアイリスのせいで籍を奪われ、殆ど厄介者のように扱われているのだから。
(さあ、恨み言を言ってみてよ)
姉妹の割にはあまり似ていないリコリスの顔を見ながら、アイリスは内心で語りかけた。
大人たちが浴びせてくる、不愉快な賞賛や恩着せがましい説教はもう聞きたくない。少なくとも正直な感情であるだけ、嫉妬からくる罵声の方がまだましだ。
「ごめんね、アイリス」
「え、お姉ちゃん… 何て!?」
しかしリコリスが発した言葉は、まるで予想外のものだった。
「私がいけないんだよね。私が失敗作だから、アイリスが第一司教にならなくちゃいけなくなったんだもんね。ごめん、アイリス。私… お姉ちゃんなのにね」
呆然とするアイリスに、リコリスは謝罪の言葉を述べ続けた。アイリスには訳が分からなかったが、何故か涙が更に溢れてきた。
凍りついたアイリスに、リコリスが更に近づいてくる。何か言う間もなく、アイリスはリコリスの腕の中に抱かれていた。暖かく柔らかい、そしてどこか懐かしい感触が全身を包む。
「…お姉ちゃん」
「私はね、アイリスに第一司教なんかになって貰いたくなかった。一緒に暮らして、一緒に遊びたかった。でも、何でだろうね? 何で私たちは、こんな風に生まれちゃったんだろうね?」
リコリスが震えながら、小さな声で言った。アイリスは泣きながら頷いた。リコリスも同じように苦しんでいるということが、ようやく分かったのだ。
「何も出来なくて、ごめん。私は失敗作だから、アイリスに代われなかった」
いつの間にかリコリスも泣いていた。全身から彼女の嗚咽が伝わってくる。
「ありがとう。お姉ちゃん」
アイリスはそっと言った。この姉だけは味方でいてくれる。何があろうと、ずっと…
少なくともあの時は、そう思っていた。
「どうなさいました、猊下?」
ソニアはおずおずと、呆然とした表情の第一司教に話しかけた。
2人は今、第一司教の執務室で『共和国』の国営放送を見ている。敵国の放送を視聴するのは厳密に言えば違法行為だが、国家元首が敵国のプロパガンダを確認するのは普通のことである。
今画面の中に映っているのは、第十五次フルングニル会戦と名付けられた宇宙戦闘に勝利した『共和国』側指揮官の姿だった。
ソニアと同じ長い黒髪に蒼い瞳をした若い女性で、顔だちも何となく似ている。第一司教はそれに驚いたのだろうか。
「いえ、少し… 昔を思い出しましてね」
第一司教は、こちらもおずおずとした口調で答えた。いつも冷静な彼女には珍しい反応である。
「昔ですか。猊下はどのような子供時代を」
言ってからソニアはしまったと思った。第一司教の紅い瞳に靄のようなものがかかり、完璧に整った顔が歪むのが見えたからだ。
「あの、すいません」
「謝るようなことではありませんよ。気になるのは当然ですし」
第一司教の顔は瞬時に、いつも見せているような穏やかな微笑に戻った。
彼女はどこでもこの表情をしている。ソニアは何となく思った。政府高官と話すときも演説の時も、第一司教がこの謎めいた微笑を崩すことはないのだ。
「え、えっと。フルングニル戦の戦況はどうなんでしょうか? 本当に『共和国』が言うとおりなんですか?」
ソニアは慌てて話題を変えようとした挙句、思わず国家機密を探るような質問を発してしまった。
フルングニルを巡る戦況について『共和国』と『連合』は、それぞれの国営放送で宣伝合戦を繰り広げている。『連合』は守備隊と船団襲撃部隊の勇戦敢闘を讃え、『共和国』は基地航空と船団護衛部隊の奮戦を喧伝しているのだ。
本当の所、どちらが正しいのかソニアは前から気になっていた。それが思わず言葉に出てしまったらしい。
「あ、いえ、外部に漏らしてはいけないことであれば、別に言っていただかなくてもいいですけど」
「どちらの国営放送も基本的には正直に戦況を伝えていますよ。正確には、戦況の一部をですが」
質問を撤回しようとしたソニアに、第一司教が穏やかな口調で答えた。『共和国』も『連合』も、国民に嘘は伝えていない。ただ自分が勝った時は大声で喧伝する一方、負けた時は何も言わないだけだという。
「まあ、我が国が瀬戸際にあるのは事実です。もしフルングニルが陥落すれば、次はこのリントヴルムですから」
第一司教があっさりと言った。星図を見れば誰にでも分かるがと言いたげだ。
「では最悪の場合、仮首都は地球になるのでしょうか?」
これも機密かもしれないと思いつつ、ソニアは聞いてみた。リントヴルムが『共和国』軍の手に落ちた場合、どこかに仮首都を置く必要がある。
普通なら以前の首都惑星イピリアを選ぶところだが、同惑星では現在、侵攻してきた『自由国』軍との戦闘が行われている。位置的な利便性、そして何より象徴性を考えると、残りの候補は人類発祥の地である地球しかない。
「いえ、私はこのリントヴルムを離れません。私は国民を置き去りにして逃げ出した、旧政府の指導者とは違います」
「し、しかし猊下? それではリントヴルムが陥落した時点で戦争に負けてしまいます!」
だが第一司教の返事にソニアは凍りついた。
『連合』新政府に第一司教の代わりとなり得る人間はいない。第一司教の地位に就くには救世教開祖の直系で無ければならないが、それに該当する人間は『連合』国内に存在しないのだ。
もしリントヴルム陥落とともに第一司教が死亡すれば、『連合』新政府は最高指導者を失って消滅してしまう。つまり戦争に完全に負けるということだ。
国民を見捨てないというのは一見立派だが、それは最高指導者として一種の責任放棄ではないか。ソニアとしてはそう思う。
首都惑星を落ち延びてでも戦い続けるのが、戦時の最高指導者が真にやるべきことでは無いだろうか。
「どの道リントヴルムが陥落すれば、我が国が戦争に勝てる可能性は無いに等しいものとなります。ならば無用な抵抗を続けて血を流すべきではないでしょう」
「しかし…」
ソニアは言いよどんだ。第一司教の考えも分からないではないが、だからと言って新政府の消滅を甘受するのはどうかと思う。
それはつまり、『連合』国民に『共和国』の傀儡政権を受け入れさせるということではないか。
一方で、どうせ負けるなら犠牲が少ないほうがいいというのも正論だ。ソニアとしてはどう答えるべきか分からなかった。
「ああ、貴方はリントヴルムを離れても構いませんよ。チケットと一生不自由しない程度の資金は用意できます」
「馬鹿にしないで下さい! 私は絶対に、猊下のお傍を離れたりしません!」
だが続いて第一司教が口にした言葉に、ソニアは思わず叫んでいた。「スペア」としてフリートウッド家の独房に監禁されていた忌まわしい日々が脳裏に蘇る。
殺風景なコンクリート壁を眺めながら、やがて来る処刑の日を待つだけの生活。新政府軍がリントヴルムに降下してくるまで、それがソニアの生活の全てだった。
そう、他の人間にとってどうであろうが、第一司教は少なくともソニアにとっては救世主だった。彼女はソニアをあの地獄から解放してくれた人、初めてソニアと一緒に紅茶を飲みながら笑ってくれた人だったのだ。
その第一司教を見捨てて、他の星に逃げるなど、ソニアには考えられなかった。
「…そうですか」
第一司教が目を伏せる。その表情は泣いているようにも、笑っているようにも見えた。
そして彼女は突然立ち上がると、ソニアの傍に来た。華奢な腕が触れ、細い指が絡んでくる。
ソニアはそれだけで全身に痺れが走り、鼓動が激しくなるのを感じた。第一司教と会ってから初めて覚え始めた不思議な感情が電流のように全身を貫く。
「猊下、いえ、アイリス様」
ソニアは小さく呼びかけた。それは第一司教の地位に就く前の彼女の名前だった。
「ソニア」
第一司教は向き直ると、躊躇いがちに腕をソニアの背中に向かって絡めてきた。ソニアも恐る恐る、自らの腕を彼女の背中に回す。優しい体温が伝わり、全身に恍惚が走った。
ソニアは少し上を向き、目を閉じた。唇に柔らかい感触が伝わる。2人はそのまま、しばらく抱き合っていた。
「安心してください。私は絶対に貴方を守ります。今度こそ、守って見せます」
唇を離した第一司教が、どこか遠い目で呟いた。「姉上」という言葉が微かに聞こえた気がしたが、錯覚だったかもしれない。
アンドレイ・コストフ曹長たちの分隊は、歩兵戦闘車の内部で出番を待っていた。外ではしきりに鈍い爆発音と、鉄片や石屑が装甲板の表面をたたくとき特有の甲高い音が聞こえる。
「本戦争の帰趨は、この決戦の結果に懸かっている。各員は奮励努力せよ」
『連合』軍の砲弾が炸裂する音を掻き消そうとするかのように、兵員室内に据え付けられた通信機からは、今回の攻勢において総指揮を執るバルテス大将の訓示が響いていた。
「また、大袈裟な」
兵の誰かが呟いた。この戦争の帰趨を決める戦いがあるとすれば、それは『連合』首都惑星リントヴルムで起きるはずだ。その手前にあるフルングニルでの地上戦を決戦と呼ぶなど、士気高揚のためにしても言い過ぎだと、言葉の主は思っているのだろう。
「いや、意外に正しいかもしれんぞ。もし負ければ、かなり厄介なことになる」
コストフはたしなめるように言った。確かに今回の戦いに勝っても、『連合』に致命傷を与えることは出来ない。首都惑星リントヴルムを陥として中央航路全体を制圧しない限り、『連合』の工業と軍隊は存在し続けるのだ。
だが一方で、バルテス大将の言葉は『共和国』側にとっては厄介な真実を衝いてもいた。もしこの攻勢が失敗すれば、『共和国』の戦略全体に重大な影響が発生するのだ。
惑星フルングニルにおいて人類が居住する大陸は主に3つあり、『共和国』地上軍は緒戦でそのうち赤道付近にある1つを制圧した。
より正確に言えば、『連合』軍はその大陸を最初から放棄していた。監視のために配置されていたと思しき僅かな部隊は形ばかりの抵抗を示した後、他の大陸に避難していったのだ。
地上軍上層部の中には、これで地上戦を終了し、守りを固めようという意見もあったらしい。
『共和国』軍の目的はフルングニルの完全制圧ではなく、あくまでリントヴルム攻略に向けての足掛かりを得ることだ。軌道上の宇宙軍基地を維持するための食糧と地下資源さえ運び出せれば、完全占領に拘る必要は無い。
だがその思惑を悟ったかのように、『連合』地上軍は『共和国』側の占領地に執拗な妨害をかけてきた。
長距離砲と巡航ミサイルが工場や鉱山設備を叩き、艦船の部品や燃料の生産を妨害する。農地には時限信管付砲弾が撃ち込まれ、農作業を不可能にする。更には小規模な部隊が絶えず侵入しては、一撃離脱をかけて逃げていく。
1つ1つの攻撃の被害は小さいが、何分にも数と頻度が凄まじく、とても正常な生産活動を行える状況ではない。フルングニルで食糧と軍用機械を生産することで補給線を短縮するという計画は、完全に暗礁に乗り上げていた。
このような事態を見た『共和国』軍上層部は、やむなく方針を全星制圧に変更した。『連合』地上軍、そして彼らに物資を提供している農地や工場がある限り、フルングニルの基地化は不可能だと悟ったのだ。
そこで計画されたのが今回の攻勢である。『連合』地上軍は3つの大陸のうち2つをつなぐ大地峡に戦力を集中していることが、これまでの偵察結果から判明している。
この大地峡を攻撃して『連合』地上軍主力を殲滅するとともに占領地を拡大、全星制圧の足掛かりを作るのだ。
構想としては非常に単純な作戦で、降下作戦後すぐに検討は始まっていた。それがこの時期までずれこんだのは、一にも二にも物資が足りなかったからだ。
フルングニルで生産活動を行えない以上、地上軍が消費する膨大な物資は全て『共和国』本国から輸送するしかない。
そしてファブニルからフルングニルに向かって伸びる長い補給線は、『連合』宇宙軍の格好の攻撃目標になっている。そのことが物資の輸送、ひいては攻勢開始を遅らせる原因になっていたのだ。
特に宇宙軍が十分な護衛戦力を用意していなかった初期は酷いもので、約束されていた補給量の半分も届かないことが頻繁にあった。
一時は車両と装甲服の予備部品が足りないからという理由で訓練が中止され、将兵は自主的な運動を行って体力を維持するようにという命令が出たほどだ。
しかもようやく物資が集積され始めたところで、『連合』地上軍による限定的な反撃があった。
この攻撃による被害自体は比較的少なかったが、攻勢に準備されていた物資が破壊されたり迎撃に使用されたため、攻勢開始はまた遅れることになった。
最近の輸送作戦が2回続けて成功したことでようやく大地峡への攻撃は開始されたが、集まった物資は1回の攻勢分しかない。
もしこの攻勢が失敗すれば、『共和国』地上軍はまた長期の待機を余儀なくされる。必然的にフルングニルの占領と基地化も遅れるということだ。
そしてフルングニルの基地化が遅れれば、中央航路制圧という『共和国』の戦略もまた挫折する可能性がある。フルングニルの制圧に時間がかかればかかるほど、『連合』軍はリントヴルム防衛のための戦力を蓄積できるからだ。
リントヴルム前面で押し返されるという無様な事態を防ぐためには、今回の攻勢を必ず成功させなくてはならない。その意味で、戦争全体の帰趨がこの戦いに懸かっているというバルテス大将の言葉は正しいと、コストフは思っていた。
(問題は、敵にはこっちの事情に付き合う義理は無いということだが)
コストフは内心で呟いた。今回の戦いが重要なのは『連合』軍にとっても同じことだ。結果がどうなるにせよ、かなり厳しい戦いになるのは確実だろう。
「大丈夫なんですかね?」
スレイブニル戦以来コストフの下についているアラン・イザード一等兵が、外部の音を聞きながら話しかけてきた。
ようやく始まった大攻勢だが、周囲に響く砲弾の落下音を聞く限り、『連合』軍の反撃は予想以上に激しい。彼はそのことを危惧しているのだろう。
「大丈夫だろう。制空権と制宙権はこちらが握っているんだ。いくら敵の防御陣地が強力でも、地中貫通爆弾の連打には耐えられん」
コストフは気休めのような返答を返した。『共和国』軍揚陸艦部隊は降下作戦前、フルングニルに存在した『連合』軍航空基地を徹底的に叩き、その後も基地再建の動きが観察されるや否や爆弾を降らせ続けた。
結果として『連合』地上軍航空部隊の働きは非常に低調なものになっており、大規模な基地や滑走路を必要としないヘリコプターや軽飛行機が、たまに嫌がらせ程度の攻撃を加えてくるだけとなっている。
一方の『共和国』地上軍は、大陸に60か所以上の航空基地を建設し、2個航空軍を配備している。
40㎜機関砲を標準装備している上に12tの爆弾搭載能力を持ち、「破壊鳥」と恐れられるA-8対地攻撃機。正確には攻撃機では無いがそのステルス性と低空飛行性能によって対地攻撃にも絶大な威力を発揮するC-17多目的機等が、いつでも前線に出現して『連合』地上軍に爆弾の雨を降らせる準備を整えているのだ。しかもそこに、軌道上の揚陸艦から投下される爆弾も加わる。
『連合』地上軍が大地峡に用意している防御陣地がどれ程強力であれ、空から降り注ぐこの破壊の雨を食い止められるほど頑強ではあるまい。コストフはそう考えていた。
陣地の破壊に戦術核兵器が使用される等という噂も軍内では流れているが、そんな事をするまでもなく通常兵器で片が付くだろう。
その予測を補強するように、前方から数百の雷鳴を一つにしたような轟音が聞こえ始めた。A-8が敵装甲車両やトーチカを攻撃し、C-17が塹壕に籠る敵兵に機銃掃射と小型爆弾の投下を行っているのだろう。
爆撃の音には、いつの間にか酷似しているが微妙に質の異なる音が混ざり始めていた。爆弾の炸裂に比べて一つ一つの音は小さいが、数は桁外れに多く、しかもいつまでも続いている。
「砲兵射撃か。と言うことは、我々の前進ももうすぐ始まるな」
コストフは誰に聞かれるでもなく、何となく呟いた。口が酷く乾いていることに気づき、水筒の水を一口飲む。
第4軍集団は今回の攻撃のために6個砲兵師団、野戦砲1500門以上と多連装ロケット発射機200基以上を投入したらしい。しかもそこに、歩兵師団や機甲師団の砲が加わる。砲撃目標にされた場所は、戦術核の直撃に匹敵する被害を受けるだろう。
そして爆撃に続いて砲兵による攻撃が始まったということは、いよいよ攻勢開始ということだ。戦車と歩兵戦闘車が弾幕の後方から前進し、叩き伏せられた『連合』地上軍を殲滅するのだ。
コストフの予測を裏付けるように、歩兵戦闘車のモーター音が高まった。いよいよコストフたちの師団が、前進を開始するのだろう。
「どんな状況なのか」
速度を上げていく歩兵戦闘車の中で、コストフは部下たちに聞かれないようこっそりと呟いた。
歩兵戦闘車の兵員室に窓はなく、乗員は外で何が起きているのかを知ることができない。作戦が順調に進んでいるのかは、降ろされて戦闘に加わる時まで分からないのだ。
(成功してくれなきゃ困るがな。失敗すれば、当分同じ規模の攻勢は行えないんだから)
続いてどこか弱気な考えがこみ上げた。近頃の輸送作戦の成功率は初期より向上しているが、それがずっと続くと思うほど、コストフは宇宙軍を信用していない。
『共和国』宇宙軍は本来自国領周辺での艦隊決戦の為に作られた軍隊で、敵性地域での輸送作戦にはあまり向いていないのだ。
今回の作戦が失敗すれば、再準備には長い長い時間がかかるだろう。恐らくは『連合』軍が再建を完了するに足る程の。