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車輪の短編しりいず

今をかける少女

作者: 車輪

 

 ▽

 

 走る。風を切るような音が鼓膜を弾ませ、似たような速度で心臓が脈打つ。

 白い線が見える。踏む。駆け抜ける。

 ピッと電子の音がなる。その発信源はストップウォッチで、その大部分は顧問の大きな手によって覆われている。暑苦しそうだ。

 なんて同情しながらも、息を整えながら顧問のところまで戻ってくる。

 顧問がストップウォッチを掲げるようにして見せてきた。

 ……。

 自己記録更新ならず、だった。


 ▽


 私が陸上を始めたのは中学生の頃。

 走るだけの競技で、何が楽しいんだろうと戸惑いながらも、陸上部へと入部していた。


 その疑問は今でも変わらす持ち続けている。

 単純に、疑問を更新するだけの劇的な何かが起こりえなかった、というだけのことだ。

 現に今も落ち込んでいる。

 もう何ヶ月も記録が伸びていないのだ。


 高校二年生、夏。


 大学受験を考えると、本当に真剣に打ち込めるのはこれで最後かもしれない。

 そして、絶賛成長期中だ。ここで記録が伸びなかったら、いつまでも伸びないような気がする。そんな時期だ。

 練習はしている。

 毎日、それなりに一生懸命だ。

 でも、記録は伸びない。


 ▽


 グラウンドを覆うように設置された石段に腰掛け、タオルで頭をワシャワシャする。

 水を被ってきたので、流れ落ちるものは汗なのか水なのか判別できない。多分両方だ。

 頭にかかったタオル越しに、ピッと、聞き慣れた電子音が聞こえてきた。

 部活が終わり、帰宅する者、休息をとる者と分かれるなか、一人、グラウンドで息を切らしている人がいる。


 彼は高橋くん。


 中学校時代からの知り合いで、学校で会えば会話はするけど休日に約束してまで遊びに出かけたりまではしない。そんな間柄だ。

 そんでもって、私の初恋の人。

 そんでもってそんでもってそんでもって、もって、その恋は今でも継続中だったりする。

 

 ▽


 正直なところ、私が興味もない陸上を始めたのは、彼の影響が大半だった。

 中学校に入学してすぐに彼を好きになって、だから、彼が陸上部に入ると聞いた時には入部を即断していた。別に他にやりたいこともなかったしね。


 そして、近場の進学校ということで高校も一緒になり、その高校でも陸上部に入った。

 今度は彼への気持ちの他にも、陸上に対する愛着といったものも含まれていた。一度始めたものを簡単にやめるのももったいないかな、という程度の感情だけど、不思議と私は面白くもない陸上競技を続ける気になっていた。

 それからは、こうして彼の練習を遠目に眺めながら、私自身もそれなりに練習した。


 私が練習するのは、彼に見てもらいたいからだ。


 学校に行くのにオシャレをするのもそうだし、ちょっと料理を頑張ってみるのだってそう。

 こうして考えると、彼が私に与える影響は途方もなく大きくて、胸が苦しくなる。


 私は落ち込んでいる。

 私は足が遅く、そして彼は速かった。


 ▽


「ゴク、ゴク。ぷはぁっ!」

 高橋くんが水を勢い良く、喉を鳴らしながら飲み干す。


 みんなが練習を終えてから三十分が経ち、高橋くんはようやく走るのを止め、下校の準備を始めたのだった。

 高橋くんは誰よりも早く練習を始めるのに、練習を終えるのも一番遅い。

 一年生の時から大会に出ているし、同じ中学でずっと彼を見てきた私でも、やっぱりすごい人だと思う。

 才能もあるんだろうし、誰よりも努力していた。


 ……彼はどんな顔をして走るのだろうと、ふと思った。


 トラックはぶつかり防止のために同じ方向に向かって走るので、練習中は彼の顔を見れないし、遠目に眺めるのではハッキリしない。

 彼は誰よりも走っているのに、私はその時の顔をほとんど見たことがなかった。


 でも、きっと笑顔なんだろうと思う。

 

 ▽


「あ。そーいえば、今日、また靴がダメになっちゃったんだよー」

「また? 高橋くん、よく走るから、ペース早いよね」

「佐吹だって、よく走ってるじゃんか」

「私なんて、高橋くんに比べたら全然だよ。最近も、タイム伸びなくて」


 高橋くんがタオルを頭に乗せ、それを揺らしながら、私に右手に持ったシューズケースを掲げてくる。どうやら、またシューズが破れるなりしてしまったらしい。


「佐吹は十分、頑張ってると思うけどなー」

 左右にフラフラと忙しなく動きながら、少し小さい声で高橋くんが言う。

 どうやら、記録を気にしている私を励ましてくれているようだ。

 そのあまりの不自然さに、クスリと口が強張り、少し肩の力が抜ける。

 こういうところも、昔から好きだった。


 下校途中だった。

 夕日が照らす時間を通り過ぎて、辺りは薄暗い。

 そんな中を、二人で歩いていた。

 高橋くんと私は家が近く、一緒に帰ることもよくあった。


「佐吹は、なんで、毎日練習を頑張ってるんだ?」

 高橋くんが、何気ない顔で聞いてくる。シューズ入れの紐を指にひっかけて、くるくるとコマのようだ。

 高橋くんに見てもらいたいから、なんて理由を口から出すわけにもいかず、とっさに理由を考える。


「見てもらいたい人がいるから」

 うまい嘘も思い浮かばず、結局は近いところに着地してしまった。


 私は弱い。

 好きな人に好きとも言えず、そしてまた嘘をついた。

 それが悪意を持った嘘でなくとも、少し後悔してしまう。

 そんなところが弱い。

 そういう弱さから逃げるために、私は走るのかもしれなかった。


「高橋くんは、強いよね」

 心と体は繋がっているというのか、勝手に口が動き出して声を発する。


「俺が? なんで」

「だって、走るの誰よりも一生懸命で、それなのに楽しそうで。私、一生懸命と楽しいを両立できる人って、強い人だと思うの。一生懸命な人はいっぱいいるし、楽しんでいる人もいっぱいいるけど、高橋くんみたいな人は見たことないもん」

 高橋くんは疑問顔だけど、それはさておき私は言う。

 早口で捲し上げながら、私は彼に嫉妬にも似た感情を抱いているのを初めて自覚した。


 私は、彼みたいに走りたいのかもしれない。

 そう思うと、私が彼に恋しているのにも不思議と納得できた。

 それと同時に、強く不安にもなる。思いが足を引っ張る影になったようだった。


「俺って、そんな風に見える?」

 私の長台詞が終わると、彼はきょとんとしていた。まるで、自分がそんな風に見えているなんて思ってもみなかった、と言わんばかりだ。


「見える」と私が答えると、彼は頭をかきながら、

「俺は走るのが好きだよ。自分で言うことでもないけど、一生懸命やってるとも思う。でも、それは嫌なことから逃げてるだけなんだ。不安も、迷いもいっぱいあって、だから、走るんだよ。走って、逃げてるんだ」

 と答えた。


 その顔や雰囲気は走っている時の高橋くんとはまるで違って、そうか、私は高橋くんの走ってるところしか知らなかったんだと思った。

 何年も見つめてきて、初めて見た表情だった。

 

 ▽


 高橋くんは、自分の弱さから逃げるために走っているといった。

 私も、自分の中の不安から逃げるために走っている。

 でも、高橋くんは速くて私は遅い。

 高橋くんは弱さを振り切れても、私は違う。

 私のすぐ後ろにはいつも、私自身の弱さが張り付いていた。

 だったら。

 

 ▽


 練習が始まっていた。

 顧問がストップウォッチを構え、合図を口に出す。

 それよりも早く。


 よぉーいっ、どん!


 私は走り出した。

 トラックを反対向きに。

 顧問の怒鳴り声も無視して、強風に巻き上がる砂埃も無視して、逆走している私を驚いた顔で避ける部活仲間を無視して。


 私のすぐ後ろには私の弱さが常に張り付いている。

 そんなもんが張り付いてたら、そりゃあ、タイムも伸びないわけだ。


 でも私には、高橋くんみたいにそれを振り切るだけの秒速がない。

 だったら、正面切ってぶっ壊すしかないだろ!

 敵は後ろにいる。だったら逆走すればぶち当たるはずだ。


 走る。

 ドッと何かに邪魔をされる感覚を覚える。

 いつもは後ろから引っ張られているような感じだったけど、今は正面から抑えられている、まるで壁のような感じだ。


 負けないよう、歯を食いしばって、足を前へ。

 前へ。

 転びそうになる。

 前へ。

 歯をくいしばる。

 前へ、前へ、前へ。


「……え?」

 目を挙げると。


 目の前に高橋くんがいた。ポンっと、肩を叩かれる。

 ただすれ違いざまに肩を叩かれただけなのに、何かが劇的に変わったような衝撃があった。

 途端に、恥ずかしくなる。


 私、今、絶対とんでもない顔してた! よね! 


 目が激しく揺れるが、それでも結局視線は高橋くんに収束して行く。

 すれ違う。

 その時の高橋くんの顔は、昨日予想した通りの、笑顔だった。


 今まではっきりと見たことがなかった、彼の走る時の表情を、

 逆走すれば、すれ違うたびに見ることができるということに気付いて、

 途端、二周目が楽しみになる。


 もう、壁のようなものは感じなかった。


 走る。

 胸を張る。笑顔を準備する。すれ違う時のための準備だ。

 次の周も、彼はきっと笑顔だろう。

 彼との距離が縮んでくる。

 風に砂埃が舞う。

 その砂塵が伸びてきて、私たちの間を塞いだ。

 彼の顔はまだ見えない。


 私は走る。

 砂埃ごしに彼の顔を見るには、まだ距離が遠い。

 惜しむらくは私の秒速が遅いこと。


 でも、私が進めば彼も進む。差は倍縮まる。

 私は逆走を続ける。

 気のせいだろうけど、ずっとつきまとっていた壁のようなものが、私の体を後押ししてくれているような錯覚を覚えた。

 私は逆走を続ける。

 彼も走る。

 彼が初めての表情を私に見せてくれたように、私も今、生まれて初めての表情を浮かべているような気がした。


 砂埃が晴れる。

 高校生の『意味がわからないけどなんか勢いがすごい』みたいなところを表現してみました。

 彼女も数分後にはきっと、顔真っ赤にして涙目で恥ずかしがっていることでしょう。

 でも、そういうのって、たまらなく羨ましいんですよねー。

 まったく。自分が書いたのにこんな後書きもなんですが、二人とも、羨ましい爆発しろ!

 

 作者は小説修行中です。ご意見等ありましたら、遠慮なくお願いします。

 これからの作品作りに役立てたいと思います。もちろん、普通の感想もカモカモですよ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  読み進めていくうちに、10代だった頃の日々がひどく懐かしく思え、ウルっときてしまいました。  若さゆえの瑞々しさが、良く表現されている作品だと思います。 [一言]  面白かったです。  …
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