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臆病者と野獣の恋  作者: 金剛陸奥
第一幕
6/23

第五話 なるほど、あの娘は美しい。しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。




 時計の針は12と2を指している。丁度14時だった。

目の前に聳える館はそこそこの大きさは持つものの、独特な形と雰囲気を携えた館の周りの木々ーー庭だろうかーーがある以外、キャンパス内にある建物となんら変わりはなかった。

建物には看板が備え付けられており、異国の文字ーーやたらと力強く描かれた印象を持つーーで記されており、読めはしなかったが、その隣に英語で記載があった。


 ”The Japanese Cultural Center” 

つまりは、日本文化センター。ここに書かれている文字も日本語なのだろう。


 なるほど、だからJCCか。


 もう一度、近くの時計塔を確かめる。

とっくに14時は過ぎてしまっている。あの男が遅れるなというから、時間をきっちり守って来たというのに。


 中で待っているのだろうか。確か館の前で待て、と言っていた筈なのだが。


 ため息をつき、JCCの扉を少し開く。中を覗くと、とりあえずは誰も見当たらない。

そのまま中に入り込むと、そこは異文化の館と言うにふさわしく、独特な雰囲気があった。

これは香を使っているのだろうか。自身の国では嗅いだことのない、どこか質素な、しかし懐かしさを感じさせる匂いがする。

そのままあがろうとするが、入り口には不自然に段差があった。

段差の下には靴がきっちりと揃えて置いてある。替えの靴なのだろうか。

気にせず、段差を上がり、館の中を見渡す。


 意外に広さを感じさせる空間には、様々なものが配置されている。

看板で見たのと同じような横文字がところどころの壁に飾られている。

真白な小さな顔の、重量感のある衣服を着せられた人形が何体も階段の様なものに順序よく整列的に配置されている。それだけでなく、同じような恰好をした様々な人形が大小関係なくあちこちに飾られている。

紙で作られた、様々な彩を持つ大量の鳥もこれでもかと固められて吊るされている。

何かの儀式なのだろうか。


 そんな風に見て回っていると、棚の上にいくつかの写真立てやアルバムが置かれているのを見つけた。

JCCでイベントでも行われていたのだろう。地域の大人や子供がJCCで何かを体験していたり、遊んでいる写真が多かった。

その中でひとつ気になった写真立てを手に取る。

楽しそうにポージングをとっている子供たちの後ろで、あのリストが横目にこちらを見ている写真があった。たまたま写ったものなのだろう。

そのリストの隣で、写真を撮られないように顔を隠そうとしたのか、それとも慌てたのか、かなりブレブレになっている女がいた。

……この女だけが異様にブレており、かなりの存在感を放っている。まるで粗ぶったフラミンゴがそこに居る様な、そんな存在感だった。

写真立てを元の場所に戻すと、奥の方から微かに音楽が聞こえてくる。


 なんとなく、足音を立てないように、静かに音楽の聞こえる方へ進むと、こじんまりとした空間が別にあった。文化的なものが所せましに飾られているのは変わらない。

もう少し奥に足を進めると、音も近くになってきた。


 そこには大きな窓と、色とりどりの大量の小さな薔薇と、女が居た。

窓際に座る女は、手元を見ずに、特殊な透けた紙を使用して薔薇を作りながら、外を見つめていた。女の下には大量の薔薇が落ちている。

どこかで聞いたことのある柔らかい音楽は流れ続けていた。


 ……聖域の様だった。

太陽から差す光が柔らかく女を照らし、その足元の透明な薔薇がステンドグラスの様に様々な色を光が反射している。

女の居る空間は、神聖なものを感じさせた。


 生まれてから一度も、こんな光景を見たことはない。

一瞬にして目を奪われる。息が止まる。目を離せなかった。


 なんと美しきことか。


 これまで、汚らわしいものも美しきものも、この目に収めてきた。

だが、真なる美しさというのは、このことを言うのではないか。

呑まれ、惹き込まれ、囚われる、心地よさ。


 女がひとつの薔薇を折り終わった。やはり窓の外を見つめたまま、手元だけで新しい紙がないか探っている。しかし、新たな薔薇を作るための紙が無いことに気付いたのか、確かめる為にその窓に向けていた顔をこちらにふと向けた。


 俺の存在に気づいた女が、こちらを見て固まった。


 そして、動揺したのか手を置く位置を誤って、そのまま奇声を上げて窓際から滑り落ちた。

積もるようになっていた薔薇の山に女が埋まった。



「……、大丈夫か」



 返事はない。女は薔薇の山に顔を埋めたまま起き上がらない。

やがて、むっくりと女は起き上がり、顔は上げないもののーー俺を見ることなく、俺の足元らへんに視線を向けているのだろうーーくぐもった、本当に小さな声で大丈夫だと聞こえた。


 女のその言動に幾ばくか不審さを感じる。先ほどの身を抉るような衝撃は何だったのかと、単なる気の迷いかと振り払い、おそらくこのキャンパスの学生であろう女に声を掛ける。



「リストという男を知らないか。銀髪の、少し変わった男で、ここの館長の筈なんだが、」



 問いかけられた女はびくりと身体を振るわせた。

勢いよく立ち上がるものの、女は顔を上げない。

それでもやはり、か細い、聞こえるか聞こえないかの声量で俺の問いに答えた。



「り、リス……教授は、今、で、出てて、その、もう少ししたら、戻ってくると思う、……んですけど」

「そうか。なら、ここで暫く待たせてもらってもいいか」

「え……」



 女は明らかに、嫌そうな声を発した。

不快感を隠せず、俺は眉を寄せた。その雰囲気に気が付いたのか、女は身体を更に縮みこませて、ぼそぼそと「すいません。嘔吐いただけです……」と、俺の気を遣っているのかいないのかわからない言葉を呟いた。


 女は俺に背中を向けて、流していたCDを止め、足元に散らばった紙の薔薇を片付け始めた。

執拗に、こちらに顔は向けない。

俺が見たのは、あの呆けたような、驚きに強張った表情だけだ。


 JCCに所属している学生だろうか。リストのことを教授と呼んでいたので、彼の助手かも知らない。

女は肩まで切り揃えられた茶色の髪をサラサラと揺らしながら、たどたどしく薔薇をかき集めている。


 ぼんやりとその様子を見ていると、女がたくさんの薔薇を抱えて、突然こちらを振り返った。

震える唇をぎゅっと噛み締め、目を限界まで開いている。怒っているようにも見える表情で、俺を見るその顔はお世辞にも美人とも、可愛いらしいものとは言えない。

着ている服も、タートルネックに長いスカート。キャンパスの女学生の恰好に比べると、肌の露出もほぼ無く、身体のラインもわからず、控えめで、どこか古めかしさを感じさせる野暮ったいものだった。

そして何よりも、この女の態度、無愛想極まりない。



「あ、ああ、あの、その」



 何をそんなに緊張しているのか。



「お茶でも、出した方が、いい、ですか」

「いや、いい」

「アッはい」



 女は簡単に引き下がった。しかし、まだ口をもごもごとさせて、こちらに何かを訴えたいのか、迷いの表情を見せている。



「あ、ああ、あの、その」

「……何か?」

「その、非常に、言いにくいことなんですけど、いや、別に気にしてないですけど、畳が、その、汚れ」

「タタミ?」

「アッすいません。気にしてません。大丈夫です。やっぱりいいです。忘れて下さい。私が後で落とします。お茶淹れます。行ってきます」



 女は、逃げるように俺の横を通って、どこかへ向かった。

茶はいらないと先ほど言ったはずなのだが。

随分と挙動不審な女だ。一瞬でもあの女に見惚れた自分はきっとどうかしていた。疲れているのかもしれない。


 ふうと息をついていると、JCCの入り口から聞き覚えのある、高すぎない、かといって低すぎない丁度いい声が誰かの名前を呼びながら、こちらに向かってくる。



「真知子、真知子! どこに居る。畳が無残に汚されているぞ。……賊でも入りこんだか?」



 マチコ、という女の名を呼んで、リストがこちらの部屋に向かってきているのがわかった。


 そうか、あの女はマチコというのか。



「まち……、なんだお前か。何をしているんだ、こんな所で」

「14時にJCCに来いと言ったのはどこの誰です」

「そのことを言ってるんじゃない馬鹿者。いいか、このJCCは土足厳禁だ。おかげで畳が泥だらけだ。どうしてくれる」

「土足厳禁? 靴を脱いで上がるのか?」

「まさか、そんなベタベタな展開を出してくるとは予想外だ。もういい、玄関で靴を脱いで来い。……いや、いや、此処で脱いでから靴を置いてこい。これ以上被害を拡大してくれるな」




◆◆◆




 靴を置き、何も履かぬまま室内を歩く慣れぬ感覚に戸惑いながらも、先ほどの部屋へと戻ると、そこにはリストと、お茶のセットを抱えた顔面蒼白のマチコの二人がいた。



「ま、待って、リスト。は、話がちがう。私は今日男の子がやってくると」

「俺は嘘はついていない」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って。待って。ねえ待って」



 何やら揉めている。

リストは俺が戻ってきたのに気が付き、真知子は俺を見て慌ててお茶の準備を始めた。


 見たこともない、珍しい容器だった。ポットに似ているが、ポットよりも一回り小さい。

茶を注ぐ容器もカップとは言いづらいものだった。

取っ手が無い。



「カリム、紹介しよう。真知子だ。このJCCで寝泊まりしている。一応このキャンパスの学生だ。……まあ、外で真知子を見かけることは滅多に無いとは思うがな」



 紹介されている本人は、軽く頭を下げて「真知子です」と早口で小さく声を発すると、すぐにお茶を淹れる作業に戻った。



「もう看板を見たと思うが、此処は日本文化センター、日本を見て触れて、感じる為の館だ。主に日本文化を学び、定期的に地元の人間を招いて、イベントを催し、文化理解を施すために在る。

此処にあるものは好きに触れ、活用してもらって構わない。備品が無くなれば、すぐに手配させよう」

「此処での俺の役目は何です。日本の文化理解を楽しめ、ということだけに俺を引き込んだ訳ではないでしょう」

「それに関しては直にわかるさ。今はその時じゃない。

あとはこの書類に署名さえ書いてもらえば、お前は正式のJCCの一部となる」



 リストが最後の言葉を放った瞬間、真知子の悲鳴が上がる。



「あ、あつ、あづううう!!」

「おい、阿呆。自分の手に熱湯を注ぐとは何をしているんだ。自分のダシでもとる気だったか」



 口では毒を吐きながらも、リストはさっさと洗面所に行って冷やして来いと声を掛けた。

真知子は走ってどこかへ行くと、水音が聞こえ、すぐにバタバタと慌ただしく戻ってきた。

そして彼女は血走った眼でリストに詰め寄った。



「リ、リスト、リストサン、リスト氏、新しいメンバーって、こ、こここの、この人……」

「ああ。カリムだ。お前でも名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。優秀な生徒だ」

「いやいやいやいや……」



 真知子がリストの隣に立つ俺をおもむろに見た。

数秒後に真知子の顔は顔面蒼白になって、おびただしい汗を垂れ流し、すぐにリストに視線を戻した。



「いやいやいやいや! 待って……タンマ、タンマ……」

「何が嫌なんだ。隣のカリムに失礼だろう」

「ごめんなさい!! あ、ちが、そういう意味の嫌じゃなくて、だ、だからその」

「カリム。この通り、真知子は挙動不審な阿呆女ではあるが、とりあえず、何かわからないことがあれば真知子に聞け。あとセンターにはもう一人居るのだが今日は休みでな、今度紹介しよう」



 真知子はまだ状況を呑みこめていないのか、魚が酸素を求める様にみっともなく口の開閉を繰り返している。


 この様子だと、歓迎はされていないのだろう。

それどころか怯えられている。


 しかし、こちらも妹の為に約束を反故にするわけにはいかない。



「よろしく」



 こちらから、手を差し出す。

上辺だけでもいい。関係性は円滑に保たれれば、それほど苦労することなどない。


 真知子は差し出された俺の手を見て、自身の手を見た。

そして俺の目を見ることなく、差し出した手だけを、何か恐ろしいものを見るかのようで見つめている。

その光景をリストは黙って見つめていた。

握手も嫌なのか、それならばもういい、と手をひっこめようとするが、真知子が異様に震える手を出した。

が、いつまでたっても触れられはしない。触れるか触れないかのところで止まっている。


 ……俺は、手をひっこめた。

行き場をなくした真知子の手が戸惑いに揺れたのに気付かないフリをして。

不思議と、リストの纏う空気が冷たくなった気がした。



「リスト、これで俺は貴方の言うとおり、このJCCの一員になった。……例の約束は守っていただけるんですね」

「もちろんだ。俺は嘘はつかん」

「そうでしたね。今日はもうこれで失礼します。俺が入ったことにより、戸惑いを隠せない人が居る」



 言外に真知子のことを指すと、真知子はわかりやすいほどびくりと震えた。



「これからの関係を円滑にするためにも、リストから話しておいていただきたい。……それでは失礼します」



 二人に背を向ける一瞬、真知子が何か言いたそうに口を開いたのが見えたが、俺はそれでも背を向けた。

JCCに入っても、成すべきことは同じだ。

今までと何も変わらない。


 全てを一転の陰り無く、完璧に務めを果たす。


 そのために弊害となりうるもの、障害になりうる可能性のある者は、必要ないのだ。




◆◆◆




「おい、そんなところに屈みこんでいつまでも陰気に沈んでいるな」

「男の子が入るって、子供が入るって聞いてたのに、男だった……まごうともなき男の人だった……しかもめっちゃ美人、イケメン、怒らせた、ドン引きされた……こわい、怖い……」

「俺は確かに言ったぞ。男が入るとな。俺の年からすれば、あれもまだまだ”男の子”だ」

「リストのばかぁ、もっと、わかりやす言って、ほし、ずび、かったぁ……」



 真知子は涙目になって、ずびずびとみっともなく鼻を啜る。決壊しそうになる涙を何とか踏ん張らせているのだろう。

座り込む真知子の隣に座り、頭をがしがしと撫でてやる。

すると真知子は、それに我慢の糸が切れたのか、大きな涙の粒をぼろぼろと流し始めた。



「嫌われた……握手できなかった……絶対、おかしなやつって思われた」

「そんなことで嫌われはしないさ。握手のひとつやふたつ、出来ると思ったときにすればいい話だ」



 真知子がとうとう黙り込んでしまった。

俺は語り始める。



「なあ、真知子。今度こそ幸せになってくれ」

「……?」

「もし、お前がカリムを手に入れることが出来れば、お前の未来は変わる。幸福に満ち溢れたものになる」



 真知子は俺の言ったことを理解出来なかったのか、涙も鼻水も拭わず茫然としていた。

そしてか細く「何、言ってるの。無理に決まってる。在り得ない。何でそんなことが言えるの」と俺に問う。


 真知子の両頬を手の平で包み、目線を合わせる。



「真知子のことは、一番俺がわかっているからだ」




第五話 なるほど、あの娘は美しい。しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。

クセノフォンより


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