第三話 「嫌いなものは殺してしまう、それが人間のすることか?」「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね」
ざわめき、騒音、噂話、浮世話、ざわつく観衆。
耐える、堪える。それらが絶えるのを待ち続ける。
まだ動き出してはいけない。まだその時ではない。
彼らの五感を全て支配してから行動するのが胆なのだ。一瞬の隙も見逃してはならない。
徐々に静まりを見せ始めた。視線が刺さる。
ざわめきが止んだ。
蛇口からポタポタと落ちていた水がその動きを止めたように。
「諸君」
檀上に上がり、突っ立っている案山子共に声を掛ける。
「今日、俺は、皆の心中を抉る真実を、このアレックス・オーウェンが恐れなく言葉にしよう。
諸君!
我々は、自由を愛するアメリカに生まれた。様々な民族溢れる巨大組織の中で、その血肉を育んできた。
大人も老人も、若者も、そして子供も、隔たりのない世界のターミナルで生まれ育ったことに、誇りを抱くものがほとんどだろう。
確かに、誇り高きことだ。たとえアフリカ系、アラブ系、ヒスパニック系、アジア系、そしてユダヤ系に我が国の文化が凌辱されてるとしても!」
息を呑む音が、空間に響き渡る。
「諸君、俺は決して誤魔化したり、嘘などつきはしない。
本心だ。今ここで、俺が発する宣言は、諸君らの心の奥底に、雁字搦めに抑えつけられた本心なのだ!
批判や差別は苦く、苦しいものだ。だが、これは必要なことなのだ。誰かが口にせねばならない!
思い出してほしい、我々の誇り高き自由の国、アメリカは独自の文化があるか?
食は? ファッションは? 建築は?
全て、全て流れ着いたものだ。オリジナリティなどない!
我々は批判差別を口にすることの愚かさを知識として植え付けられ、主張の自由さえ奪われた。
いいか、諸君。アメリカは今、全てにおいて他の劣等国よりも下に位置している。もはやこの国は自由の国ではない!
それを恥じることを覚えるべきだ。他の移民族は排除し、我らのアメリカを取り戻すべきだ。
新しい国を作ろう。本来の自由を取り戻そう。
その国に相応しい人間が、相応の努力し、相応の自由と文化を得られる国を作ろうじゃないか。
そのために、我々は他国の手は借りてはならない。それは難儀で、苦難なことだろう。
それらを乗り越えるために何が必要か。互いに手と手取り合うことだ。同じ肌の色を持つ同族と共和し、触れ合うことだ。
これ以上混ざり合わせてはならない。交配することで、新たな種族を、哀れなこどもたちを生み出してはならない。
仮初の自由という言葉に甘ったれた政治家がこの国を作るのではない。
我々が、次世代のアメリカの運命を担う我々が、この国を繁栄させるのだ。
それは俺一人の力では出来ない。諸君らの力だけが必要なのだ。
俺という存在、俺という言葉は諸君らが在る限り不滅なのだ!
虚偽の自由ではなく、本来の自由をつくりあげよう。
隔たりのない広大なハイウェイを走り抜ける様な自由を。
移民共に犯されたホワイトハウスを、もう一度、我らのホワイトに塗り直そう。
異なる水を吸った種族と大地を分け合うことなど出来るはずがないのだから。
俺は諸君らに誓おう! 諸君らはただの学生ではない。
諸君らが居なければ、未来のアメリカは在り得ない。
今を必死に生きることだけを考える大人に何ができる。安寧に余生を生きることだけを重視する老人たちに何ができる。
諸君らには未来がある。未来を、自由とは何かを考えろ!
俺はただのアメリカ国民として終わるつもりはない。
諸君らの未来の為に、この命の限りを尽くそう!」
腕を振り上げれば、はち切れんばかりの喝采。
閉じ込められた感情の解放は、斯様なまでの開放感がある。
人々はそれを得るために、先導者の後ろを歩いていくのだ。
◆◆◆
「お疲れ様、アレックス。学生とは思えない、壮大な演説だったわ。皆があなたに目が釘点けだった」
「あれぐらい大げさに言わないと、皆退屈になって忘れてしまうからな。実際、言ってる内容に中身なんて無いんだ。大げさなジェスチャーと、抑揚のあるテンポ。これが重要なんだ」
「それでも、来賓席の市のお偉いさんも身を乗り出して、感動してたわよ。これで卒業後の市長は誰になるか確定的ね」
「大学のお偉いさんにはこってり絞られたけどな。教育の場でなんてことを発言してくれたんだって」
可憐な美貌を持つ大学のマドンナ、ダイアナが屈託なく笑う。
しかし、その笑顔もすぐに翳りを見せた。
そんなダイアナの態度に疑問を覚えながらも、気になっていた試験の結果を尋ねると、彼女は言いづらそうに上目で俺を見た。
「あの、アレックス。今季はアメフトの試合があってあなたも忙しかったじゃない? 本来の実力を出せなかっただけよ。次はきっと」
「いいから見せてくれ。持ってきてるんだろう」
強く言うと、ダイアナはため息をついた後、意を決したように鞄から封筒を取り出して、俺に差し出した。
受け取り、封筒の中から一枚の紙を取り出して中身を確認する。
「またあいつか」
紙を握りつぶし、近くのゴミ箱に放り投げた。
荷物を持ち、歩き出した俺の後をダイアナが慌てて追いかけてくる。
「ねえ。本当に今回は調子が悪かっただけよ」
「調子の悪さが二回も三回も同じ結果を招くのか。あいにくと二回目の俺の調子は人生最大の好調ぶりだったよ」
「アレックス」
「あいつは何なんだ。ことごとく俺の邪魔をしてくる。気に食わない。あんな混血に俺が劣るだなんて」
「劣るって言っても、それでも2位よ。すごいことじゃない」
「奴がこのキャンパスに来る前は俺が1位だった」
カフェテリアに向かう途中の廊下で、ふと庭の方を見ると、話題の人物が呑気にも女と居た。
ダイアナもそれに気が付き、足を止めた。
◆◆◆
「お兄様、お兄様、起きて」
身体を揺すられ、閉じていた瞼をうっすらと開けると、長くきらめく黒髪を揺らした妹のオリヴィアがこちらを覗き込んでいた。
ゆっくりと体を起こすと、途中まで読んでいた本が栞も挟まれることなく、地面に落ちてしまった。
「お兄様、こんなところで寝ていると風邪を引いてしまうわ」
「そんなにやわじゃないよ」
本を拾い上げ、纏わりついてしまった草や土を払う。
オリヴィアは服が汚れるのも気にせず、俺の隣に座りこんだ。
「試験の結果、すごかった。また1番だなんて。ヘイデン様やゼタ様も驚かれるわね」
「あの人たちはそんなちっぽけなことじゃ驚かない」
「お兄様は謙虚」
そう言って微笑む妹を横目で盗み見る。
”お兄様”と呼ばれる様になったのはいつからだろう。昔は、無邪気にカリムと呼んで後ろを追い回すじゃじゃ馬娘だった筈なのに。少なくとも、こんな風に穏やかな笑みを浮かべる様な子ではなかった。
今は、昔の姿はすっかり息を潜め、良家のお嬢様の様だった。それに寂しさを感じてならない。泥に塗れて、それでも力いっぱい遊んでいた幼い妹が、消えてしまった様で。
どこまで読んでいたのか思い出そうとページを捲っていると、自身とオリヴィアに影がさした。
見上げると、太陽の光を受けて輝く金髪を持つ男の青い瞳がこちらを見下ろしていた。
本を捲る手を止め、閉じた。
「今回も健闘をしたな、カリム。本当に羨ましい限りだよ。お前はこうして昼寝をする程の暇があるから、試験でも十分な準備をして、全力を投球出来る。
俺はそうはいかない。大学長から大学の経営の一端を任されているし、アメフトのクオーターバッグも務めてる。TCO--the Chosen One、アレックスが所属し、先導している社交クラブーーのメンバーも引っ張っていかなければならないんでね。
さっきも、大学に来ていた市の権力者共の集まりに、学長に急きょ呼び出されてスピーチしてきたところだ」
「お前は随分と精力的なんだな。俺とは大違いだよ」
自分とは天と地ほどの差があると言うと、アレックスはその整った顔を歪ませた。白い肌は少し赤らんでいる。
アレックスの後ろに控えている女はオリヴィアに鋭い視線を向けている。オリヴィアがびくりと震えているのがわかった。
オリヴィアを背中に隠してやり、アレックスをもう一度見上げる。
「自分は努力せずとも一番を勝ち取れる、という態度だな。傲慢な奴め」
「思考が飛躍している。そんなことは微塵も思っちゃいない。ただ、」
「ただ、なんだ」
「俺とお前は相容れない。平等にはなれない。何もかもが違いすぎるんだ」
「カリム、お前が何を言いたいのかわからない」
「わからないさ。わかる筈もない。……安心しろ。お前はその生まれからして俺に勝っている。俺はお前に出だしから負けているんだ」
アレックスがイラついているのを感じ取ることが出来る。怒鳴り散らされる前に、退散してしまおう。
オリヴィアの手を引き、アレックスに軽く声をかけてからその場を立ち去った。後ろから、冷たい感情を乗せた視線が未だ刺さる。
しかし、視線だけでなく、アレックスと同じ金髪の女がオリヴィアに声をかけた。
「ねえオリヴィア! 今夜TCOのハウスでパーティーがあるって話したでしょ」
オリヴィアが足を止め、勢いよく後ろを振り返る。その表情は期待に満ち溢れたものだった。
「貴女を招待するわ」
「い、いいの!? 本当に? あたしを?」
「ええ、勿論よ。オシャレして来てね」
「わかった。ありがとう、ダイアナ」
満面の笑みを浮かべてオリヴィアが何度も何度も頷く。ダイアナと呼ばれた女は控えめに笑って「今夜20時にハウスでね」と言った。
オリヴィアは俺の手を喜び勇んで力強く引く。俺は若干戸惑いながらも、かつてのオリヴィアの無邪気さを思い出し、懐かしくなっていた。
当然、俺たちが去った後に、アレックスとダイアナが何を話していたのか、俺には知る術などなかった。
第三話 「嫌いなものは殺してしまう、それが人間のすることか?」「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね」
ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』より