第十四話 与えることは最高の喜びだ。他人に喜びを運ぶ人は、自分自身の喜びと満足を得る。
落ち着いた女性のアナウンスが広い空間に響き渡る。人々は重い荷物を引きずって忙しなく歩いている。その表情は期待や焦り、悲しみに満ち溢れ様々だ。
時たま外から轟音が響き渡るが誰もさして驚きはしない。この日常から切り離されたかのような世界は昔から私も好ましかった。
だからといって、この事態に未だ私は適応できていない。
「それではお客様、こちらがパークの入場チケット替わりになるバンドと特典のグッズとなっておりますので、無くさない様大事にしてくださいね。もうすぐ送迎バスも参りますから」
ただいま十六時四十五分、現地オーランド空港にて、私とカリムは皆大好き夢の国に向かうための送迎バスを待機中。
隣に立っているカリムは先ほどツアー案内のお姉さんからもらった夢の国のパンフレットをしげしげと眺めている。
私は自らの赤いスーツケースと、カリムの青いそれを見比べた。
どう数えても二つしかない。そうだ、キャンパスを出る前も、私は同じ行動をしたのだった。
◆◆◆
「真知子。今度の連休は、お前とカリムにオーランドに飛んでもらう。そこで、日本というものがどの様な認識を受けているのか視察して来い。これはJCCの活動の為だ。拒否は許さん」
「ちょっと待って突然すぎて理解が追い付いてないワンモア」
「課題だ。オーランドにはかの有名な鼠の国がある。そこには未来文化をテーマとするパークがあり、世界各国のパビリオンが存在している。万博の様なものらしい。
そこで、日本のパビリオンを訪れて、日本はどの様に見られているか、認識に誤りはないか、人気のある文化は何か、履き違えた部分はないか、それを確認して来い。
お前もいい勉強になる」
ほら、と投げ渡されたのは2枚の書類だった。中身を見ていると、航空券並びにパークの申し込み完了に関するものだ。
私の名前と、そしてカリムの名前が記載されている。
3枚目を探すも見当たらない。
何度も何度もページをめくるが、私とカリムの名前しか、無い。
「リストの分は抜いてあるの?」
「俺は行かん」
「ハイ?」
「お前と、カリムで、視察に行くんだ。俺は忙しい。そんな夢の国などに足を向けている暇はない」
私の手から2枚の書類がひらひらと地に落ちる。
冷や汗が止めどなく溢れてきた。マズイ。これは、マズイ。
「告白の舞台を用意してやると言っただろう。それに、もっと喜んだらどうだ。前からさんざんフロリダの夢の国に行きたい行きたいと言っていたではないか。
サプライズを受けた子供の様にもっと喜び勇んではしゃぎまわったらどうだ。せっかくカメラも回しておいたというに」
「何ちょっと動画サイトから影響受けてるの!? ちょっと待って……元々いつか一人でこっそり行こうって思ってた夢の国に行けるのはうれしいけど、嬉しいけども、この上なく心躍るけれども!
ふ、ふたりっきり!? カリムと!? 遠方に旅行だよ!?」
「視察だ」
「待って、ほんとに? リストは? リストは来ないの? 無理だよ。こんな気持ちで二人っきりはまだ無理だよ。四六時中二人っきりは心臓が止まるよ!」
慌てふためく私を見て、リストは自信満々に鼻を鳴らし、偉そうに長い足を組んだ。
「安心しろ。お前はあの鼠の国の中なら無敵だ。誰も適わん」
「な、なにを根拠に」
「俺は日本にある鼠の国でお前に連れ回された経験を今では忘れはしない。ああ、そうとも。忘れられるものか」
リストは自信満々だった。かなり自信満々だったけれども、何故目が死んでいるのか。
◆◆◆
キャラクターをモチーフにした可愛らしいデザインのホテルに到着すると、私は旅の試練を改めて実感させられた。
「……」
「俺のことは気にしないで、奥でも手前でも好きな方を選んでくれて構わないから」
「アリガトウゴザイマス」
せめて、部屋は別々にしてほしかったよ、リスト……。
まだツインルームなだけいいかもしれない。いや、その辺りの感覚がマヒしている。
大丈夫、大丈夫だ。真知子、これは視察。これは健全なる活動。これは節約。視察で二部屋取るなんてもったいないのだ。そうだ。
カリムの好意に甘えて、ベランダ側のベッドを選び、荷物を置く。
ベランダからホテルのあちこちに聳える夢の国のキャラクターたちの大きな銅像が見える。
それを見るとワクワク感が込みあがってきた。
逸る気持ちを抑え、これからどうするか話そうと後ろを振り返ると、目前にカリムが立っていた。
び、びっくりした。カリムも私の後ろから外の眺めを見ている。そういえばカリムはこういったテーマパークもとい遊園地に来るのは初めてだとバスの中で話していた。
前から思っていたが、カリムは極端に娯楽というか、遊びをあまり知らない様な気がする。
「少し早めに着いたが、どうする。買い物や食事が出来るパークもあるらしいが、そこで夕食でもとるか? それともホテルを見て回る?」
「……気のせいかな。なんかちょっと、ワクワクしてる?」
そう言うと、カリムは一瞬驚いた顔をして、顔に手を当てて少し赤くなった顔を隠した。
「……少し、楽しみにしてる」
バスの中でのパンフレットの読み込み具合からすると、少しどころではなさそうだ。
実際、バスの中からパークのウェルカムボードが見えたとき、身を乗り出して確認していた。
……人のことは言えないが。
だが嬉しい。浮足立っているのは、私だけじゃないのか。
「あの、めいっぱい、楽しもうね。……も、もちろん視察も、ね! よ、よーし! そうと決まればバスの出る時刻確認してご飯いこ。それからホテルの見学して、明日の予定も立てようね」
ああ、と返事をして柔らかくほほ笑むカリムに胸の鼓動が高鳴る。
私明日まで生きていられるだろうか。せめて夢の国を楽しんでから昇天したい。
◆◆◆
翌日。この日、俺は真知子の隠されていたパワーを思い知ることになる。
チケット代わりのバンドを揃いで装着した俺と真知子は、リストが指定したパークへと向かった。
盛大なオープニングセレモニーが行われ、気分も高揚したところで、バンドを翳してエントランスをくぐる。
「はああ……夢の国だぁ……」
パークのパンフレットを手にした真知子が、目の前の光景を見て、感嘆の声を上げた。
きらきらと輝く装飾に、入場者をお迎えする魅力的で愉快なキャラクターたち。
そこに現実の汚れ、疲れなどは微塵もなく、ひたすら夢に溢れていた。
これが真知子が好きだと言っていた、汚れも差別もない夢の世界。誰もが夢の時間を楽しもうという目的の下にひとつになれる世界なのだろう。
パンフレットを開き、リストが言っていた日本のパビリオンの位置を探す。
ここからだとなかなか距離がある。真ん中の湖を半周する必要がある。
確認を取っていると、突然力強く腕を引かれる。何事かと真知子を見ると、瞳はギラギラ輝き若干血走った目をし、興奮している。
「!? どうした急に。日本のパビリオンは向こう」
「パビリオンは逃げない大丈夫! 今はこっちのが最優先! 彼、神出鬼没! 今人少ない! グリーティング! ハグあんどキッス! サイン! 写真!!」
そして真知子が俺の腕を引っ張る方向に目を向けると、パンフレットにも大きく写真に写っていた夢の国の王の姿だった。
彼は陽気に、そして可愛らしくゲストを歓迎し、あいさつをしている。
真知子はそれを見て、顔をとろけさせるが、獲物を狙う狩人の様な目は変わらなかった。
これは本当に真知子なのだろうか。
「よ、よくわからないがわかった。それほどまでにお前が真剣になるというのは、彼と語るということは最重要な事柄なんだな」
「うん!! すっごく! だいじ!!」
今までみたことのない、満面の笑みで、俺をまっすぐ見つめる真知子の目は子供の様にきらきらと輝いていた。
とくんと胸が熱くなる。
待ちきれなくなったのか、真知子が俺の腕を引いてキャラクターの元へ急ぐ。
俺はその意気揚々とした後姿に、腕を引かれるままついていく。
さりげなく、取られた腕から手に移動させる。
……成程、これはたしかに魔法だな。
真知子は慌てふためくことなく、俺の手を力強く握り返した。
夢の国の王に対面した真知子はこれ以上なく興奮し、彼に抱きついていた。いつものおどおどしさはどこへ吹き飛んだのか、かなり積極的に王に話しかけている。本当にお前誰だ。
その興奮ぶりたるや説明できるものではない。ハグを受けると奇声を発し、キャラクターにサインをねだり、達筆にサインを書くキャラクターの姿を至近距離で真剣な表情で激写し始める。本当にお前誰だ。
俺は茫然としてキャラクターの前に一歩を踏み出せないままいたが、真知子に手を引かれ、王を挟んで写真を撮った。
王は俺にもハグをし、陽気な仕草を繰り返す。……確かにこれは癒されるかもしれない。
真知子は王に最後にワンショットを撮らせてくれと王に頼み込み、陽気にOKを出した王を、また真剣な表情で、まるでプロカメラマンの様にアングルを確認しながら激写していた。本当にお前誰だ。
あいさつを終え、王から離れる。
真知子は自分から俺の手を力強く握った。
俺は戸惑う暇なく、真知子の宣言を受ける、。
「あっちにも居る! どんどん行くよ!! どしどし行くよ!!」
そのときの真知子の勇ましさ、頼りがいは凄まじいものだった。
というか、人格が変わっていた。
◆◆◆
王とその姫の耳がついたカチューシャを真知子に取り付けられる。
何故真知子が王で、俺が姫の耳なんだ真知子に尋ねることは出来なかった。
それから、パビリオンのある方へ行く前に少しアトラクションに乗っておこうということで、真知子が、時間が来たらすぐに乗車可能のチケットを取りに行くと言って券売機に向かっていった。
しかし、戻ってきた真知子の表情は驚愕に満ち溢れていた。
どうしたと声をかけると、真知子は恐れおののく声で答えた。
「スタンバイが10分で即乗りもらう必要なかった……人気アトラクなのに……日本じゃ1時間待ちは必須なのに……アメリカすごい。というか開演直後にダッシュしない素敵……早起きできないアメリカ人大正義……」
「日本にも同じパークがあるのか?」
「うん。他の国にもあるけど、ここまでは大きくないよ。というかフロリダが規格外すぎるから、」
それじゃあアトラクションこのまま乗りに行こうと手を引かれる。
旅立つ前、JCCでリストに言われた言葉を思い出した。
『とりあえず、夢の国についたら真知子に全て任せておけ。あいつについて行けば間違いはない』
それからいくつかアトラクションを周り、時に軽食をとり、またキャクターに会いにーーグリーティングというらしいーー行く。
比較的グリーティングの優先順位が高いが真知子が嬉しそうなので気にしない。
新しいアトラクションに並んでいると、派手で愉快な恰好をしたキャストに話しかけられ、真知子は王の形をした風船はいかがと誘われていた。
キラキラと風船を見上げているあたり、こういうものが好きなのだろうか。
俺はひとつくれとキャストに声をかけると、隣で真知子が慌てている。
「あら~優しい彼氏さんね。お嬢さん幸せものだわ~」
「かれっ!? ちちちがうちがう! かれしちがう!!」
「うふふ可愛らしいわねえ。さてハンサムな王子様、お姫様にあげる幸せのバルーン、何色がいいかしら」
「赤色をひとつ」
真知子が好きな色を選択し、風船を受け取り真知子に差し出す。
先ほどの積極性はどこへ行ったのか、真知子はおずおずと俺から風船を受け取った。
そして照れた様子で礼を言った。
可愛いと、思った。
キャストはそれではよい一日を、と大量の風船を抱えて立ち去ろうとしたが、真知子がそれを引き留めた。
真知子は俺に少し待っていてほしいと声をかけ、列を抜ける。
そして小走りでキャストに近づき、ひとつの風船を受け取っていた。
鮮やかな青の風船を。
戻ってきた真知子は赤と青の風船を頭上で跳ねさせながら、俺の隣に戻ってきた。
本当は青色の風船が欲しかったのだろうか。
「はい。これ、君に」
「……俺に?」
「うん。これでお揃い。その、せっかくだからと思って、」
真知子が俺に差し出したのは青色の風船。
しかし、俺は受け取ることなく、真知子の持つ赤を指差した。
「なら、交換してもいいか」
「? いいよ。はい、どうぞ」
赤と青の風船が交差する。俺は、空中でふよふよと浮く赤い風船を見上げた。
「でも以外だね。私、君は青い色が好きなのかなって思ってた。なんとなく、身の周りのものは青が多かったから。本当は赤が好きなの?」
「ああ。好きだよ」
笑顔で青い風船をつつく真知子を見て、呟く。
赤を好む真知子は、今日は赤のワンピースを着ている。
赤は真知子の色だった。
「だから、赤が欲しかったんだ」
赤と青の風船はときたま離れながらも、ときに互いに触れ合っていた。
第十四話 与えることは最高の喜びだ。他人に喜びを運ぶ人は、自分自身の喜びと満足を得る。
ウォルト・ディズニーより




