第十三話 もし、世界の終わりが明日だとしても、私は今日、林檎の種を蒔くだろう。
たとえば、その首に手をかけて、やんわりと力を入れ続ければ、簡単にその呼吸は止まるのだろう。
赤いリボンを首に回し、前できちんと結んでやる。形を整えれば完成だ。
首筋を撫で、張り付いていた甘栗色の髪を除けてやる。
日課を終わらせると、真知子の様子がいつもとおかしかった。
もじもじと何か言いたげにこちらを見上げている。
「もよおしたのか?」
「ちがう! も、もよおしたとか女の子に聞かないでよ。その、リストに相談したいことがあって……」
目の前に立つ少女の顔は熟れた林檎の様に赤い。今まで、見たことのないソレだった。そう、まるで。
「長くなりそうだな。昨日新しい日本茶が届いたところだ。飲みながら話そう。ついでに茶菓子も欲しいところだな」
キッチンに向かうと、後ろから自分も手伝うと言って、真知子は俺の隣に立ち、茶の準備を始めた。その姿を横目で見つめる。
心なしか、色気づいたな。
◆◆◆
縁際で、俺と真知子はゆっくりと庭の景色を見ていた。隣から茶を啜る小さな音が聞こえてくる。
思えば、こうして二人きりになったのは久しぶりかもしれない。最近は夫人か、圧倒的にカリムが近くに居た。
真知子はまだ話を切り出さない。
少女に目を向けると、真知子は庭を、いや、その向こうをぼんやりと見つめていた。気持ちがここにあるようでない様な、そんな雰囲気を漂わせて。
「外に出たいか」
いつかした問いを、再度。
真知子が、現実に引き戻されたかの表情で、俺を見た。
「外に、出たいか」
少女は目を見開く。小さく口を開くも、すぐに閉じる。
俺はいつまでもその先を待ち続けているんだ。ずっとずっと昔から。
お前が望めばすぐに叶う。叶えてやる。そう、お前が望みさえすれば。
真知子は俯いて、そのあと目の前の庭を見つめた。
その瞳は確かに、秘められた願いが込められていた。
ずっと前から知っている。心の真底で、お前が何を切望していたのか。
どれだけ、抑え込まれてきたのか、俺は知っている。
「……まあいい。急くことはないさ。待つのは慣れているからな」
「え?」
「それより、相談とは何だ。ここでぼんやりしていると茶が冷めてしまうぞ」
すると、真知子の顔がまた赤く染まり始めた。いつもどおり、慌て、どもりはじめ、言いだそうか言い出すまいか一人で悩みだした。
慌てふためく真知子をよそに茶に口をつける。少し温くなっているが何も問題ない。
空になった真知子の湯呑に新しく茶を注ぐと湯煙が上がる。
その湯気が収まりはじめたころだろうか。
真知子が俺をまっすぐに見て、口を開いた。
「カリムが、……す、す、すきなんだけど、……どうしたらいい?」
湯呑を口に運んでいた手が止まる。しかし、すぐに動きを再開させる。
一口茶を含んで飲み下して、手をつけられることのなかった花型の茶菓子を手に取り、その包を開け始める。
「どこが好きなんだ?」
「うえ!?」
「カリムが好きなんだろう? 奴のどこが好きなんだ」
「あ、ええっと、その、最初は怖かったけど、本当はすごく優しいところとか、手があったかいところとか、ちょっと子供っぽいところとか、その、その」
少女は顔を真っ赤にして、それでも必死に愛しいと告白した男の話を続ける。
自分らしくないが、その姿に思わず笑みがこぼれる。それを知られぬ様、真知子の頭を乱暴に撫でると、せっかく整えてもらったのにと若干不貞腐れた表情をした。
整えたのは俺なんだからどうしようと勝手だ。
しかし先ほどの活き活きとした赤い表情も一転して、色のない萎れた顔になってしまう。
「私は、どうしたらいいのかな」
「告白なりすればいいだろう。何を迷うことがある」
「でも、私、こんなだし……」
小さくか細い声が部屋に響く。
「彼は綺麗だし、美人だし、でも私は、可愛くないし、特徴も個性もない。性格だって良いとは言えないし、我儘だし、い、いじめられてるし、
好かれて迷惑と思われるかもしれない。私なんか」
手を翳して、その先の言葉を制す。
「お前の言いたいことも、つまらん考え事も、俺には手に取るようにわかる。だからわざわざ己を苦しめる様なことを口にすることもないだろう」
真知子は口を一文字に閉ざした。
俺はすっかり冷めた茶を飲んで、そして告げた。
「告白しろ」
真知子がびくりと震えたのが目に見えた。
「真知子、俺が何度これを言い続けたかはもうわからんが、お前は幸せになるべきだ。自分の殻を投げ捨て、抜け出し、己の両足で歩いていくべきだ。
そしてその隣に立ち、共に歩いて行けるのはカリムなんだろう。奴もまだまだ青二才の若輩だが、この俺がここまで言うんだ。間違いはない。嘘はつかん」
少女は何も答えない。神妙な顔で、従順に、俺の言葉に耳を傾けている。
「信用出来ないか? ならば問おう。お前の好いた男は、見目を気にするくだらん男か? 完璧ではない人格を詰る愚かな男か? 違うだろう。
安心しろ。舞台は俺が準備してやる。お前しか持ち得ない強さを存分に発揮できる場所を手配しておいてやる。
そうと決まれば、早速取りかからねばなるまい。真知子、夫人にも電話を、」
「リストは?」
腰を上げかけた俺に、真知子がはっきりと俺の名を呼び止めた。
そのときの真知子の表情はなんと説明すればよいのか。
俺と真知子の視線が、交差する。
「リストの隣には、誰が、」
無意識なのだろう
それは潜在的な何かだったのか、
真知子も知らない、俺しか知り得ない少女がそこに居た。
心臓が、跳ねた。
「……俺のことなど気に介すな阿呆。お前は、お前の幸せだけを考えておけ」
少女はまっすぐに俺を見つめる。かつて目を逸らし続けていたことなど忘れているかのように。
そうだ、お前は知らなくていい。俺のことなど、気に留めなくていい。
お前は存分に俺の隣にいてくれた。
それだけでもう十分なのだから。
「リスト」
真知子が俺の目の前に駆け寄り、俺の両手を取った。
俺を貫く様に見つめるその眼は、いつになく力強さが込められている。
思わず、手を引くが、真知子は絶対に離そうとはしなかった。
「リストはいつも、私に幸せになれって言ってくれるけど、それはちょっと、ちがくて、その。なんだか、今の私は幸せじゃないって言われてる気が、して。
リストが居れば、いつもどんなところでも幸せだよ。だから、自分のことは気にするななんて、悲しいこと、言わないで。
それに、私はリストにだって、幸せでいてほしい。
だって、それが私の幸せになるんだから」
本当に、この女は阿呆だ。
いつまでも変わることのない、その甘さこそが、お前自身を壊し続けていると言うのに。
だから、だからこそ、俺が。
「……阿呆」
何を犠牲にしても、お前を守らなければならないのだ。
第十三話 もし、世界の終わりが明日だとしても、私は今日、林檎の種を蒔くだろう。
ゲオルギウより




