第十二話 ロマンチックな恋だけが恋ではありません。本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです (後編)
いつも通り、授業を終えてJCCに訪れると、何やら賑やかな声が聞こえてくる。
子供でも来ているのだろう。今日は特にイベントなどなかったと思うが。
雪を払い、コートをかけて靴を脱ぐ。奥へと進むと、リストと夫人、そして真知子がテレビの前に並んで盛り上がっている。
コントローラーを持ち、身体をゆらゆらと揺らしながら、ときたま奇声を発している。
画面には数々のミニカーの様なものに乗ったキャラクター達が爆走している。
レースゲームかと思えば、色んな道具が現れ、他のの走行車の動きをありとあらゆる方法で妨害している。反則技ではないのか、それは。
やがて一勝負終えたのか、ゲームセットの文字が流れた。リストがフンと満足げに鼻を鳴らし、真知子が悔しそうな声を上げて、後ろへと仰向けに倒れた。
そのときに俺の姿が目に入り、真知子は慌てて身体を引き戻した。中々の腹筋を持っているようだ。
「お、お帰りなさい。カリム」
「ただいま。何してるんだ?」
「あら、知らないんですか? マルオカートですよ。マルオ達をはじめとする多彩で愉快なキャラクターたちを使用し、カートに乗ったライバル達を狡猾無残な手段を用いて反則技な妨害を駆使し、1位を争う弱肉強食、慈悲など無用なゲームです。今度のイベントで子供たちも大人も楽しめる遊びをしようと今試しているんです」
「マルオは日本でも世界でも人気だし、馴染みやすいからね~」
何という熾烈なゲームなんだ。
画面には陽気な配管工が活き活きとした威勢のいい雄叫びを上げている。
夫人が俺にコントローラーを差し出した。
「次はカリムがやってみなさいな」
「いや、俺は……」
「操作は簡単ですよ。すぐに覚えられます。相手は真知子でいいでしょう。彼女はいつまでたっても初心者の様なプレイをしますから」
「夫人ひどい」
コントローラーを受け取るが何をどう操作すればいいのかわからない。
訝しげにあちこちを触る俺を見て、不思議そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「操作方法が分からない。……こういうゲームはしたことがない」
真知子の隣に座っていたリストが立ち上がり、座れと俺に声をかけた。
大人しく言うことを聞いて、腰を下ろすと、ほんの少し真知子と肩が触れ合った。
隣を見ると、気づいているのか気づいていないのか、真知子がこちらに身を乗り出して操作説明をしてくれた。
いつもなら、これほど距離が近くなるとすぐに委縮しているというのに。
「真知子、本物のビギナーたるカリムに負けたら罰ゲームだ」
「ええ……流石に負けることはないと思うけど、わ、私だけ?」
「当然だ。負ければ今日夫人が意気揚々と大量に持参してきた手製のクッキーを全て食してもらう」
「え、ええええ……それは、ちょっと、待って、私の命にかかわ」
「何言ってるんです真知子。良かったじゃないですか。罰ゲームというよりもご褒美だわ。
だからと言ってわざと負けてはだめですよ?」
「ふ、夫人……」
後ろのテーブルをふと見ると、大量の”何か”が置かれている。
まさかあの毒々しい色を放つアレがクッキーだというのか。青やら赤やら、紫色やら、やけに色とりどりだ。虹色まである。
真知子はそれらを見て、もうトイレに5時間も籠るのは嫌だ……と青ざめている。
「自覚が無いのは恐ろしいと思わんか。カリム」
「……そうですね」
◆◆◆
カリムは要領がいいからすぐに感覚を掴んで、私なんかすぐにけちょんけちょんにするだろう、そう言っていたのはリストと夫人のどちらだっただろう。
「あのぉ、その、もうそろそろ私も疲れてきたというか、」
「……」
「ああああ、やめてええ、またコンティニューはやめてええ、あああ」
通算16回目の勝負。全て二人対戦でやってきたが、全ての勝利をおさめ優勝杯を勝ち取ったのは私だった。
つまりは、そう、カリムはゲームがドが付くほどのへただった。
ゲームに不慣れとか、苦手とかそういう問題ではない。もはや操作センスの問題である。
出だしに逆走し始め、それに気づかずただただ走り続ける。プレイ中は周りの声が耳に入らない程集中しており、その指摘に気づかない。
レース開始3秒で何故かタイヤ交換に入る。
アイテムを獲得しても壁に甲羅をぶつけ跳ね返ったのを自分に受けて自爆。
崖の手前でフライトアイテムを使うとなぜか崖下に向かって飛行。
落ちたプレーヤーを掬い上げる役目を持つキャラクターも心なしか疲れている様に見える。何回コースアウトすれば気が済むんだと。
まあそれはいい。ゲームのセンスなんて人それぞれ。千差万別。上手くても下手でもゲームなんだから楽しめればそれでいいのだ。
私を困らせているのはカリムの執念だ。
最初はそこまで乗り気じゃなかったのにもかかわらず、今では試合が終わると迷いなくコンティニューボタンを連打している。何という負けず嫌い精神。
私は目がちかちかしてきたし、ボタンを押す指の感覚もあいまいになってきた。
わざと負ければいいじゃん、と思うだろう。そんなことを言わないで。私は負けるとあのクッキーが待っているんだ。
しかし私も疲れに負けて、9回目あたりからそう考えた。しかし、カリムはわたしの考えを見抜き、ものすごい目で私を凝視し始めたのだ。メジェド神の様な目で。
もう耐えられなかった。
リストと夫人はもはや飽きたのかもうこちらに見向きもせず、各々が好きなことをし始めている。
なんということだ。
あ、また逆走し始めた。
勘弁してください。
ちなみにもういい時間になってーー本当に日付が変わると思ったーー夫人手製のクッキーを片付けたのは私だった。
いいんだ。目の前に見目麗しい夫人がニコニコして私がクッキーを食べているのを嬉しそうに見ているんだもの。夫人が嬉しいなら私も嬉しい。夫人が嬉しいなら私も嬉しいんだ。
次の日、私は謎の腹痛と39度超の熱が止まらなかった。
◆◆◆
「君は、いつもカフェテリアのランチボックスなんだね」
カリムがいつも持参するランチボックスは食堂で売られているものだ。
メニューはザ・アメリカ。スナック菓子とリンゴと、なんかちっさい人参ーーこれが一番おいしいーー、ペットボトルの水と、ベーコンとチーズが挟まれた簡単なサンドイッチ。それらが全てひとつの紙袋に収められている。
なんというか、その、私も初めてランチボックスが買ったときは衝撃だった。あそこまで食欲をそそられないランチというのは初めてだった。
確かにお安くて、腹持ちがいいーーというか重いーーのでコスト的にはかなり優しいのだが、如何せん健康に悪い。そもそもなぜランチボックスにスナック菓子を投入させてしまうのか。
「料理をしないわけじゃない。妹との食事は俺が作って、バランスのいいメニューを心がけてる。
ただ、前にも言ったが、そんなに多くは食べられないし、一人のときは質素に済ませてしまうな。そこで、こいつをいつも購入するんだが、」
「確かに、そのボックスはちょっと多いよね……。私、そのボックスだったらりんごと人参しか食べられない……重くて……」
「気持ちはわかる。この人参だけが救いだな」
兎のようにぽりぽりと人参を口にしはじめたカリムはもう他のおかずに手を付ける気はなくなったようだ。今日は水とサンドイッチと人参のみ平らげている。
いくら夕食にバランスのいい食事を摂っているとはいえ、毎日の昼食がこれではあまり意味はないのではないだろうか。
……結局カリムが食事を摂る前に渡すことが出来なかったが、どうしよう。
リュックサックに入れておいたもう一つのお弁当箱を今出すか、出すまいか迷っていた。
頼まれた訳ではないし、余計なお節介と思われたらどうしよう。いや、実際お節介ではあるのだが。
「あの、……これ……良かったら」
おずおずとリュックからお弁当箱を取り出す。青い色のケースのお弁当箱。私やリストの使用しているものの色違いである。
こっぱずかしく、俯いてカリムに差し出す。
やっぱり、せっかく作ったのだ。ちょっとでも、一口でもいいから食べてほしい。
なかなか自分の手の上からお弁当が持ちあがらない。
迷惑だったろうか。そうだよね、渡すなら食べる前に渡せやって感じだよね。ごめんね。
ちらっと見上げると、カリムが目を丸くしてじっとお弁当箱を凝視していた。
「わ、私、いつもリストと自分の分でお昼のお弁当作ってて、それで、一人分増えたところでどうってことないし、せっかくだからどうかなって。
毎日見てて、ちょっと健康面も気になるし……。アメリカのご飯苦手だって言ってたから、その、日本のごはんなら、い、いかがなものかと。その長寿大国だし……?」
「俺の為に?」
何度も何度もうなずく。
顔が熱い。今の私はそのリンゴみたいに真っ赤なんだろう。
「要らなかったら、まずかったら、返してもらっていいから。でも、一口でも食べてくれたら、嬉しいな」
すると、カリムがゆっくりとお弁当箱を受け取った。それにほっとしていると、カリムはお弁当をその手に持ったまま動かないことに気づいた。
「あの、嫌だった? 迷惑、だったかな」
「いや……違うんだ」
カリムは緩やかに首を振った。
「見返りなしに、何かを貰ったのは、生まれて初めてだ」
え。
彼は美しい人だ。初めこそはその美しさに辟易して、畏れすらも感じていたが、今となっては素直に綺麗な人だなと思う。
中身も、きらきらとして、とても暖かい人だ。
カリムは誰からも好かれるだろう。妬み嫉みもあるかしれないが、それは彼の魅力がそうさせるのである。
だからこそ、カリムの言葉は私にとって不思議でしかなかった。
これだけ綺麗な人なんだから、人生薔薇色だろうなとか、得することも多いんだろうなとか、思うことはたくさんあった。
きっと欲しいものも簡単に手に入れられるんだろうな、と。
だが、今私の目の前にいる人は、本当に幸せを噛みしめる様な、まるで初めてお父さんやお母さんから誕生日プレゼントをもらったかの様な、和らいだ顔をしている。
「……嬉しいよ」
初めて、カリムが顔を緩ませて、幸せそうに笑うのを見た。
胸がドキドキする。熱があるのではないかと疑いたくなるくらいに頬が熱い。
油断したら呼吸が荒くなりそうだ。
もっとカリムのことを知りたい。
もっといろんな表情を、笑った顔を見てみたい。
生まれて初めての感覚だった。
そして、気づいてしまった。気づいたらそれで終わり。もうその瞬間、カリムのことをまともに見ることは出来なくなった。
「今食べていいか?」
「あああえ!? お腹いっぱい、なのでは!!?」
「顔真っ赤だぞ。大丈夫か? ……風邪でも引いたのか?」
カリムが明らかに様子のおかしい、顔の真っ赤な私の額にその大きな手のひらを近づけてきたことに過剰に反応してしまい、思わずその手を避けてイナバウアーを決めてしまう。
突然目の前に居た人物がかのエクソシストもびっくりに反り返ったので、カリムは若干引いた声で「本当に大丈夫か…。身体意外に柔らかいんだな……」と言っている。
「ひえええダイジョブです。食べて、食して、ドウゾ!」
もう私もいっぱいいっぱいで、イナバウアーのまま叫ぶのが精いっぱいだった。
今はカリムの顔を見ることが出来ない。
なんてことだ。なんてタイミングで自覚してしまったんだ。
もっとこう、可愛らしい反応も出来ただろうに! よりによって何故イナバウアー!
動機、息切れ、気つけが収まらない。恋の病とは上手く言ったものだ。
その言葉を最初に発言したひとをこの上なく尊敬する!
「真知子、ほら。起きろ」
反り返っていた腰に手がかかり、それが誰の手か理解したとき、もう真っ白になった。
優しく、それはもう丁寧に持ち上げられると、目の前にはカリムの顔があった。
カリムはその綺麗な指で私の口にそっと触れ、口の中に何かを押しこんだ。
逆らえずに、そのまま口内に入り込んだ”何か”を咀嚼する。
私は顔をゆがめる。
「……す、すっぱいいいい」
「はは。ウメボシは苦手だから、次からは外してくれ」
「……合点承知の助……」
子供みたいに笑うその表情が愛おしくて、暖かかった。
第十二話 ロマンチックな恋だけが恋ではありません。本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです (後編)
ロバート・ジョンソンより




