第十一話 ロマンチックな恋だけが恋ではありません。本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです(前篇)
あれから、カリムとの距離が少し近くなったような気がするのは、気のせいだろうか。
JCCの庭にある桜の木の下で、ぽかぽかと暖かい太陽に照らされて、昼食を摂る。
白米にまぶした塩気が絶妙でおいしい。日本から取り寄せた米の旨みはやはり偉大だ。
リストはお昼のこの時間は大学の会議に呼ばれているので、いつも昼食は一人だ。
しかし庭には可愛らしい生き物が寄ってきてくれるので、そこまで寂しくはない。
今日は常連のリスに、久しぶりに兎が数羽やってきた。
暖かくて眠気を誘われているのか私にもたれてみんなうとうとしている。
咀嚼を繰り返す。
ここは静かで、落ち着く。
誰かの喧噪も噂話も聞こえてこない。
私も気に入っている空間なのだが、最近それに変化が訪れ始めた。
「真知子」
「……こ、こんにちは」
「今日も賑やかだな。同席していいか」
毎日、毎日、昼食時になると、JCCのこの庭にカリムがやってくるようになったのだ。
カリムはいつも律儀に私に一緒にご飯を食べていいかと尋ねる。
まだびくびくと反応してしまう私に対しての、彼なりの気遣いなのかもしれない。
その申し出を断ったことはない。何度も何度も頭を上下に振ってどうぞどうぞと態度で示すのだ。いつか首の振りすぎが原因で脳震盪を起こすかもしれない。
私の反応を見てから、動物が居ない方の私の隣に腰を下ろす。
隣にカリムが座っているということに、私は未だ慣れない。胸の動悸が止まらなくなる。
美味しいと思っていたおにぎりの味もわからなくなる。ただただ、咀嚼し飲み込むという作業になる。
「……」
「……」
ただまあ、会話は無いに等しい。ごくたまに天気についてなど当たり障りのない話をするぐらいだ。
だが、不思議と居心地は悪くない。むしろ良いとすら言える。
以前の私は、この無言の空間を最も苦手で苦しい時間だと言っていたのに。もちろんそれはカリムに対しても例外ではなかった筈なのだ。
それがどうしたことだろう。
毎日、カリムがやってくることを楽しみに、心待ちにしている自分がいた。
時間がたって、カリムがランチボックスの蓋を閉めた。
カリムは食べ終わるのが早い。私よりも遅く食べ始めるのに、決まって先に食事を終えるのは彼なのだ。
その光景を見ていて気づいたことがある。
「君は、あんまりご飯食べないんだね。その、いつも残してるし、」
「元々食が細いんだ。……でもそれ以上に、アメリカ(ここ)の食は得意じゃないんだ」
「私も最初は苦手だったなあ、ちょっと、いや、すごく、まあ、大味だもんね」
「ああ。それでも昼に残した分は夕食に摂る様にしてる」
だから、そんなにモデルの様にスラっとした体型をしているのか。なのに、その適度な筋肉は一体。
……密かに鍛えているのだろうか。
私はまだお弁当に残ったおにぎりを見つめる。
「あの、……その、よかったら、食べてみない?」
「え」
「あああああ、えっと、おにぎりで、日本のごはんで、わ、私が握ったやつだから嫌なら嫌って言ってくれたらいいから。
人が握ったものはだめ! ってタイプの人も居るから。私そういうの聞いてもだいじょうぶだから。
あっあっ、もうお腹いっぱいなら別に」
「もらうよ」
何ら戸惑いもなく、カリムはお弁当からおにぎりを手に取り、一口含んだ。
あまりのとんとん拍子に茫然としてしまう。
先程の私と同じように咀嚼を続けるカリム。浅黒い肌と白い米の色の対比がなんだか不思議だった。
カリムの喉が動き、口に含んだものを嚥下したことがわかった
「……しょっぱい」
「あ、それは塩が、辛かった?」
「いや、……まだあるか?」
おかわりを要求!?
「い、いいいいますぐ作って参ります!! あっごめん、びっくりさせて、ああ、待って、二人きりにしないで、待って」
突然私が立ち上がったことにすやすやと眠っていた生き物たちが飛び起き、四方八方に行ってしまう。
待ってくれ。まだ二人きりは緊張するから待ってくれ。
せめて私がキッチンでおにぎりを追加で作って、カリムに食べてもらうまでは居て下さいお願いします。
そしてリスや兎に手を伸ばし、待ってええと叫んでいる私を見て、カリムは口を押えて震えていた。
◆◆◆
真知子は必須の用事以外でJCCから出ることはない。
「次のイベントで足りない備品がいくつかあるな」
リストがJCCの備品室を眺めながら、呟いた。
それを聞いた真知子があまりJCCで見かけることのないパソコンを引っ張り出し、リストに何が必要か尋ねた。
パソコンを操作している真知子にリストが後ろからパソコンを覗き込み、あれとこれとと指定していく。
そんな二人の様子を見ていると苛立ちが湧き上がってくる。
その衝動から、真知子とリストの前に立ち、パソコンをゆっくりと強制的に閉じさせた。
何をするんだとリストが不機嫌な顔をして、真知子は呆けた表情で俺を見つめた。
「真知子、ダウンタウンに買い出しに行こう」
「え。……そ、それは、デー……」
真知子は思い切り首を左右に振って、その先を打ち消した。
それからすぐに俺から目を逸らし、小さく呟いた。
「でも、でも、必要なものは、ネットで買えるし、」
わざわざ町まで行かなくても、と口を濁らせた。
言外に、断られた。
申し訳なさそうな真知子の表情に、俺の中で靄が生じる。
「直接見て買った方が他の商品と比べられるし、より良いものが買える」
「そ、それなら、購入した人のレビューとか感想とか載ってるし、」
「ダウンタウンで売ってる物は安くなっているかもしれない」
「私溜めたポイントあるからほぼタダで買えるよ?」
「……じゃあ、俺がダウンタウンでついでに買いたい物があるから付き合ってくれ」
「じゃあって、じゃあて。……だったらカリムの欲しいものもついでにネットで注文しておくよ?」
「今すぐ欲しいんだ」
「急ぎ手配にしておくし……」
ああ言えば、こう言う。
俺にしては珍しく、むきになっていた。
真知子も、心なしかむきになっている気がする。
俺はわざと、自分が出来る限りの”悲しそうな”表情をつくった。
視界の端で顔を歪めるリストが見えたが気にはしない。
「そんなに、俺と買い物に行くのが嫌か」
「ち、ちがう!! 違うもん。ただ、その、……その……」
真知子は自分のスカートを握って、俯いた。
駄駄をこねる子供の様な、もしくはわかってほしいことをわかってもらえない、その歯痒さ訴える子供に見えた。
しかし、俺たちのやりとりを見て、先に我慢の限界を迎えたのは、自他共に短気と認めるリストだった。
「いいから、さっさと、買い出しに行ってこい」
◆◆◆
運転の荒いバスに乗り込むと、真知子は俺から距離をとって、離れた席に座った。
まるで、お互い名も知らぬ他人の様に。
真知子は俺を見ることもなく、ずっと俯いている。
俺はその様子を見つめていたが、靄が増すばかりだった。
バスを降りてからも変わらない。
俺から距離をとって、真知子は後ろを歩く。
はぐれていないかとたまに気にして後ろを見なければならない程の距離だった。
後ろを歩く真知子の表情はまるで人生の絶望者のソレだ。よたよたとしたその足取りはまるで浮浪者の如く。
見るからに挙動不審の真知子を道を歩く人々は見てしまう。本当にその類の人間なのではないかと勘違いされているのではないか。
何故、そんなにも怯えているのか。俺と歩くのがそんなにも嫌なのだろうか。
それとも……。
真知子の元まで引き返し、びくつく真知子の手を取る。
耳を澄ますと、町を歩く若者たちの嘲笑う声が数々聞こえてきた。
真知子を見て、笑う声だ。
「日本人だわ」
「なんて印象の無い、個性の無い顔」
「アレがヤマトナデシコって言うの? ずいぶんと貧相なものね」
「それに見てよ。あの、だっさい恰好」
「中国人? コリア? どっちかわかんないわね」
「ちょっと、一緒に居る彼、すごくイケてる」
「釣り合ってない」
「女が足を引っ張ってる」
「なんてお粗末な女」
粗末なのはお前らの頭だ。
以前まで、奴らと同じ類の人間であったということに虫唾が走った。
真知子は自分の手を掴む俺の手を、離してと小さく言って、引き剥がそうとしている。
離すものか。絶対に、離しはしない。
引き剥がすことが出来ない様、真知子の手を掴む手に力を入れる。
「真知子、行こう。先に買っておきたいものがある」
俯いたままの真知子の返事を待たず、そのまま手を引いて先を急いだ。
これ以上真知子に、奴らの、かつての自分の”声”は聞かせたくなかった。
◆◆◆
『気に入ったものがあったら見ていてくれ。無ければそこのラウンジに。そこなら人もそんなに居ないから。すぐに戻ってくる』
カリムに半ば強制的に連れてこられたのが、ブティックだった。
ただし、お洒落な女の子がお気に入りの服を探しに来るようなキラキラしたブティックではない。
どちらかというと質素でシンプルな衣服、スポーツ関連のものが多く置いてある。
彼は既に買うものが決まっていたのか、迷いなく奥へと進んでいった。
人も少なく、誰も私を気に留めず買い物を楽しんでいる。
なんとなく、近くにあった、メンズものを眺める。
そういえば、リストはいつも3ピースのスーツを着用しているが、私服姿を見たことがない。
……まさか私服という私服を持っていないのだろうか。何か買ってあげた方がいいだろうか。
ちょっと、いやかなりに真剣に眺めていると、後ろからカリムに名前を呼ばれて振り返る。そこにはゴツゴツしい英文字が記載されたフードパーカーと色の錆びれたジーンズ、そしてサングラスという、なんだろう、オシャレを若干履き違えた衣服を着用した輩が立っていた。
その後ろでは、お店の人が慌てた様子で佇んでいる。
「待たせたな」
「……エッ。は? え、いや、…ど、どうしたの、カリム。か、カリムさんですよ、ね……?」
「ああ。買い出しに行こう。あんまり遅くなると、リストが五月蠅いだろう」
「お、お客様、もっとお客様にお似合いのお洋服が他にもございますので」
「これでいいんだ。これでなければ意味がない」
そういって、不思議な恰好をしたカリムは顔を隠す様にフードをかぶって、私の手を再び引いてお店を出た。
口を挟む隙などなかった、
お店を出ると、手を引かれた私はまだ何か周りの人に嫌なことを言われるのではないかと身体を縮みこませた。
私を乏しめる声はまだ我慢できる。ただ、私のせいでカリムまで変な目で見られるのは耐えられない。
しかし、先ほどとは打って変わって何の声も耳に届いてこない。
不思議だった。
私の手を引いて前を迷いなく歩く不思議なカリムにやっと声をかけることが出来た。
「……ねえ、その服、選んだの、わざと……?」
「……」
「だって、今までそんな恰好してなかったよね?」
「真知子」
カリムが振り返り、ごつごつしいサングラスを外して私をまっすぐに見た。
黒曜石の様な綺麗な目に、心は跳ねる。
「名前も知らない、他人の声なんか、周りなんか気にするな。今真知子と一緒に居るのは、隣を歩いているのは……俺なんだから。
それに、俺は真知子の素朴な、懐かしいような、暖かみのある服装も気に入ってるんだ。恥じる必要も、無いから」
じんわりと、心があったかくなる。
まるで、魔法をかけられたかの様な。
「……ありがとう」
不器用な優しさが染み渡った。
それにしても、
「私、美人な人は何着ても似合うんだろうなって思ってたけど、そんなことなかったね」
「言わないでくれ。俺も少し頑張ってるんだ」
「あ、ありがとう……。ねえ、帰ったらその服、どうするの?」
「まあ……棚の肥やしになるだろうな」
「じゃあ、お金は私が返すから、その服リストにあげちゃだめかな」
「……リストに?」
「うん。リストの私服姿、見たことなくて。ちょっと、その、見てみたいというか、」
「……」
「だ、だめ?」
「……いいよ。だが、……」
カリムは自分の服装を見下ろした。
「喜ばないと思うぞ」
カリムの予想通り、JCCに帰ってリストにその服をプレゼントすると、これまでに見たことのない複雑な表情をして受け取ってくれた。
第十一話 ロマンチックな恋だけが恋ではありません。本物の恋とは、オートミールをかき混ぜる行為のように平凡で当たり前なのです(前篇)
ロバート・ジョンソンより




