天使とオマケが邪魔な件
顔面天使との出会い&逃走から一ヶ月。
二度と遭遇する事もなかろうと、そう思っていたのに。
あれから、図書館に行くたび、毎回ヒューが出没する。うるさい護衛と共に。
「おねえちゃ、きょうは、なにして遊ぶ?」
「遊ばないよ勉強したいってゆうか勉強するから邪魔しないで欲しいというかどうしたって邪魔だから帰って欲しいっつうか帰れ」
「テメェ坊ちゃんに何つう口の利き方しやがんだ謝れゴラァ!」
「うるさいよここ図書館だよ黙ってよ耳障りだし目障りだし勘にも癪にも障るから帰ってってか無理ならせめて別の閲覧室に行ってでも本音では帰って欲しいから帰れほら帰れ」
「ぼくお絵かきする! おねえちゃ、紙ちょうだい?」
何を言っても堪えないヒューと護衛に、いちいち区切って発言するのは時間の無駄だと悟り、一息に言いたい事を言う技を身につけた。……変な部分がレベルアップしてってる気がする。
「シーデさん、ノンブレス会話法が随分と身につきましたわね」
「変な技名を付けないでくださいよ」
もう一人、初回の遭遇時には居なかった侍女さんも付いて来るようになった。彼女は割と常識人なので、会話が成立する。喜ばしいことだ。
なぜにヒューたちが私の邪魔をしに現れるのかというと。
一ヶ月前、私との出会いからやり取りから逃げっぷりまでを、ヒューは細大漏らさず両親に報告した。
するとご両親は、愛息に対し、甘ったれと言い放ち頬を引っぱるという暴挙に及んだ私のことを……逸材だと見込んだらしい。
曰く、自分たちでは、息子が天使すぎてとても厳しくはしきれない。このままでは、息子は軟弱者になってしまうのではないだろうか? と心配を抱えていたところでヒューの話を聞き、天使のようなこの子に、そんなにも毅然とした態度を取れるなんて、何て芯の強い娘さんなんだ! そういうお嬢さんが息子のお友達になってくれれば、息子の甘ったれも改善されるのじゃないかしら? という会話が発生したと。ご両親とも大変ノリノリでいらっしゃいました、というのは侍女さんの弁。
待って、息子の教育を、見ず知らずの他所のお嬢さんに任せないで! それは親の責任でしょ?! 何で丸投げすんの?! 甘いって自覚があるんなら抑制しなさいよ!
ちなみに侍女さんは、ヒューと護衛だけでは私とのコミュニケーションが成立しない可能性がある、ということで付けられたようだ。うん、配慮して欲しいのはそこじゃない。
しかし確かにヒューは、この一ヶ月で打たれ強くなってきている。最初の頃は泣きだすたびに頬を引っぱって(割と楽しかった)やっていたが、その機会も減った。ただそれは、言われている事を片っ端からスルーする技術が身についてってるからのような気がする。
スルースキルは上げないで! 私の話を聞いて! そして帰って!
そんな私の思いとは裏腹に、今日も今日とて帰ってはもらえず、彼らに付き合うはめになるのは確定だろう。うう、勉強の時間が減る……あ、いいこと思いついた。
「ヒュー、どうせなら実験に付き合ってよ」
「じっけん?」
「んでテメェの都合に坊ちゃんが付き合わなきゃならねんだあああん?!」
「私の勉強時間を削ってくれてるお詫びだと思って、付き合うべきですよね」
「詫びだあ?! 坊ちゃんと交流できる喜びを噛みしめるべき立場だろうがテメェはよお?!」
「ウチの新作の焼き菓子を堪能したければ、あなたは黙っててください」
「チッ、しょうがねえ」
護衛の彼が甘味に弱いというのは、この一ヶ月で知った。可愛らしいオプション付いてんな、この人。
「ぼくなにするの?」
「この紙に魔力を込めてみてくれる?」
学園に入学してもいない今は、まだ魔法の使い方なんてヒューは知らない。けれど、魔力測定の際に、わずかにでも魔力があった子供は“物体に対する魔力の込め方”だけ教わる。……まぁつまり、私以外の子供たちは体得してるという訳ですね。
測定所で紙に魔力を込めさせ、そこにその魔力を込めた人間の魔力のパターンのようなものを写し取るらしい。魔力のパターンというのは人によって異なるため、こうして記録しておくと、魔法による犯罪(破壊工作や傷害等)が発生した際、現場に残った魔力パターンの残滓と照らし合わせる事が可能、という事のようだ。イマイチ理解しきれていないかもしれないが、まあいい。大体そんな話っぽい、って事で。
そこで私が考えたのは、魔力パターンが人によって異なるのならば、それを転移の術に応用できないか、という事。
転移の術は、使い勝手が悪い。なぜなら、陣が二枚必要だから。
例えばA地点からB地点に移動したいとする。その場合、A地点に転移の陣(入口)を用意し、B地点に転移の陣(出口)を用意しなくてはならない。
……いや、用意するって事は、その時点でB地点に一度行かなくてはいけないって事であってね? 無駄足じゃね? 何その二度手間感? って思うんですよ。
以前ヒューたちから逃げた時は、前もって陣を入口と出口の両方用意してあった。出口の陣は常に家の自室に置いてあり、入口は持ち歩いている。なので、有事の際には家に逃げ帰る事が可能。エスケープ専用という訳で……ああ、逃げる技術ばっかり上がってる。
そこで前述した魔力パターン。これを紙に込めておき、そこに、『出口が、込められた魔力パターンの人間の元になるような転移の陣(入口)』を描く。つまり、魔力パターンを目印に、出口の陣なしでの転移が可能かどうか、という実験をしたいと、こういう事。
という説明をヒューにしたところで、理解不能だろう。よって、説明は無しでいこう。めんどい。
「まりょく、込めたよ? これどうするの?」
「ああ、ありがと」
ヒューが差し出した紙を受け取り、さて陣を描くか、とペンを持つ。
「おいちょっと待て。その実験つうのは、危険はねえんだろな?」
「え? どうでしょう?」
「どうでしょうだあ?!」
「初めての試みなので、現時点では何とも言えませんね。理論上はイケるはずですが」
「そんなあやふやなことで許可できる訳ねえだろ! 中止だ中止!」
「えぇー……」
せっかく転移の術を進化させるチャンスだったのに、と肩を落とす私に、護衛が手を突き出してきた。
ああ、焼き菓子の催促ですか?
「はいどうぞ」
「違えよ! 紙よこせ。魔力込めりゃいいんだろ。俺が代わりにやってやる」
「いいんですか?」
「坊ちゃんを危険な目に合わせるより百倍マシだ」
「……明日は雨かなぁ」
実験の完全中止ではなく、代替案を寄こしてくるという気遣いを見せる護衛に、つい明日の天気を心配してしまった。
「違うのよシーデさん。彼は彼なりに、シーデさんに感謝しているんです。坊ちゃまは今まで、彼が過剰なまでに守り過ぎていたせいで、ご友人が一人もいらっしゃいませんでしたから」
「ああ、分かる気がする」
頬っぺた引っぱったぐらいで、けちょんけちょんに言われたもんな。
「はい。でもシーデさんは、文句を言いつつも坊ちゃまと仲良くして下さっています。坊ちゃまも楽しそうですし、少しお強くなられたようです。それが彼は嬉しいみたいで」
「だったら、言葉使いを何とかしてくれないかなぁ」
「彼は旦那様、奥様、坊ちゃま以外には基本的にあの口調です。シーデさんにも慣れて頂いた方が早いでしょうね」
いくら護衛に言葉使いは関係無いとはいえ、コレが許容されてるのか。心の広い雇い主だな。
「おいテメェら、何コソコソごちゃごちゃ言ってやがる? 俺の気が変わる前にとっとと紙をよこせ」
「じゃあこの紙にお願いします」
侍女さんとの小声でのやり取りを中断し、先程ヒューが魔力を込めたものとは別の紙を渡す。ヒューの魔力パターンが写された紙は、隅に小さく“ヒュー”と書き、畳んで鞄の中へ。一応、取っておこう。何か別の実験に使えるかもしれない。
「ほら、これでいいか」
「ありがとうございます。少し待っててください」
護衛の彼の魔力が込められた紙を受け取り、頭の中で組み立ててあった陣を描きつけることしばし。
「―――よし、多分これでイケるはず。じゃあ、練習部屋に移動しましょう」
「おねえちゃと、おさんぽ?」
散歩じゃないよ。移動だよ。
「何でわざわざ移動すんだ? ここでやりゃいいだろうが」
「万が一、術がわけの分からない発動の仕方をしたら困りますから」
「おいこらテメェはそんな物騒なもんにうちの天使な坊ちゃんを巻き込もうとしてやがったのか。いっぺん死んどくか?」
「万が一って言ってるじゃないですか。それに閲覧室で発動して、周囲の本を巻き込んだら一大事ですし。配慮は当然の事です」
「テメェはまず本より坊ちゃんを大事にしろやゴラ」
「ヒュー、手、繋ごっか?」
「うん!」
「では坊ちゃま、左手はわたしと繋いで頂けますか?」
「うん!」
「聞けや!」
喚く護衛を放置し、侍女さんと共にヒューの手を取り閲覧室から出る。こうすれば彼も追って来ざるを得ない。
正直、ヒューが可愛くないわけじゃない。というか、この天使な顔面を可愛いと思わない人間はいないと思う。顔面を除いても、私を慕ってくれているらしきヒューの言動には、さすがに絆されるってもんだ。弟ができたみたいで楽しいし。
しかし絆される事と、勉強の邪魔をされるのを許せるって事は別。そういう点は厳しくいかないと、ヒューの教育にもよろしくない。……うああ、知らん間に目線が教育側になってる! ヒューの両親の目論見通りじゃないか! 私のアホ!
「おねえちゃ、じっけんが終わったら、遊んでくれる?」
「うーん……」
「遊んでくれるよね?ね?」
「分かった分かった」
「やったあ!」
愛らしい笑顔でゴリ押ししてくる天使に負けた。これって、少し強くなったっていうより、押しが強くなったって方が合ってるんじゃない? おねーちゃん負けそうですわ。
******
結局、実験は成功とは言えないまま終了した。
しょっぱなの転移では、護衛の彼の頭上に出現してしまった。
とっさに彼が私をキャッチしてくれたので助かったが。頑健な人で良かった。ちなみに、人生初のお姫様抱っこでした。私を嫌う野郎の腕の中に納まるとか……不要な初体験だったわ。彼には「テメェこれを坊ちゃんで実験してたら確実に坊ちゃんは潰されてたじゃねえかふざけんなよクソが」とキレられた。くそ、反論できない。
そこから幾度か失敗をくり返し、『転移後は地に足を付けた状態であること』『対象の半径1メートルの位置に転移する』『対象以外の人間がその範囲内に居た場合、それを避ける』等、細かい条件を陣に足し、一応形にはなった。
でもこれ、致命的な欠陥がある。
例えば、目的とする人物が、崖っぷちに立っていた場合。
陣には『地に足を付けた状態』ってのを盛り込んだので、空中に転移する心配はない。でも、崖ギリッギリの位置に転移するかもしれない。そうすると、転移直後によろけて崖から落下する危険性がある。まぁ崖っぷちに突っ立ってるって状況がまず無いだろうけど。あるとしたら自供のシーンだな、それ。
他にも、例えば対象の人物が入浴中であるとか、デート中であるとか、会議の最中であるとか、そういう邪魔されたくない場面は、生活していたら多々あるだろう。それを顧みず一方的に出現するというのは、完全にプライバシーの侵害だ。
使い勝手の悪い転移の術に、さらに使い勝手の悪い条件を追加した、みたいな結果になってしまった。うん、時にはこんな事もあるよね。失敗は成功のもとって言うし。どんまい、自分。
仕方がないので実験は切り上げ、その後はヒューと遊んだ。図書館の中庭で鬼ごっこ。わー、子供っぽーい(棒読み)。
しかし、足の速さが向上し続けている私から、ヒューが逃れられるわけもない。逆もまた然り。
そして最終的に。
「テメェは手加減て言葉を知らねえのか大人げねえ!」
「どこからどう見ても私は子供ですけど何か?」
「んっとに可愛げねえなこのガキは!」
「ははは、ガキ相手に大人げないですよ?」
「誰が大人げねえって?! 今日こそとっ捕まえて詫び入れさしてやんぞゴラァ!!」
「のろまな亀が私に追いつけるとでも?」
「亀だああ?! ぁあったまきたこのクソガキが!」
と、護衛の彼と私の鬼ごっこが始まる。ヒューは侍女さんとお茶タイム。大体、この流れでワンセットになってます。仕様です。
まぁ正直、この世界に生まれてから、ここまでキャッキャしていた事は無かったので、楽しいと言えば楽しい。ただやっぱり、逃げ足ばかりがレベルアップしてってる気がするんだけど……これでいいんだろうか。