私のモルモット(ボス視点)
モルモットデー半月前から、前話終了部分までのボス視点
シーデがモルモットになる事が確定したというのに、急な出張が入った。
適当な理由を付け部下に行かせるつもりだったが、出張を命じた宰相が「宰相権限で貴方の実験室を取り上げても良いのですよ」などと笑顔で宣った為、不承不承ながらも承諾。まったく、食えん狸だ。
出立の日、城から出ると折よくシーデが練兵場に居たため、「街の門まで見送れ」と馬車に持ち込んだ。騎士共やルナ王子が呆気に取られていたり、シーデの師匠役を担っている騎士サイラスが何事か叫んでいたが、構わずそのまま馬車を出させる。
あわよくばこのまま出張先へ持って行けるか、と思っていたが、当のシーデが強烈に不機嫌な顔になっていた。
「私を見送るのがそんなに嫌か」
「それは別に良いんですけど。いや、こんな風に攫われた事には死ぬほど驚いてますけどね? 誘拐は犯罪ですよ?」
「私のものを持って行くのは誘拐にはならん」
「見解の相違が半端ない。ま、モルモットになったのは自分の落ち度だし、しょうがないですね」
シーデは諦めたように呟き、外の景色へと視線を移した。しかし諦念の漂う声とは裏腹に、その渋面に変化は無い。
「言葉と表情が一致せんな。……モルモットになったからとて、手荒に扱うつもりは無い」
「へ? あ、あー、違います。これは別件です。……え、この扱いは手荒じゃ無いの?」
「話せ」
「簡潔な命令だし私の疑問はスルーだし。まぁ毎度の事か。……私、馬車が嫌いなんですよ」
「……何?」
「具体的に言うと、尻が痛い。何で馬車ってこんなに揺れるんですか? 私は今、馬車に最高に手荒に扱われてますよ? 馬車は私に喧嘩売ってんの?」
ふむ、初めて聞くタイプの言い掛かりだ。
「馬車とはそうしたものだろう」
「絶対に改良出来ますって。何かこう……バネを使うとか?」
「バネ?」
「座席に……は違うのかな。どうなんだろ。車軸に使うのかな。でもあの渦巻き状のバネでどうしろと……形からして違うとか? うーん、さっぱり分からん。せめて車輪だけでももうちょっとなぁ……タイヤ並みとは言わないけど……」
ぶつぶつと一人の世界に入り始めたシーデに手を伸ばし、その皺の寄った眉間をつついてやる。びくっと体を跳ねさせ、目を見開いてこちらを向いたので、満足した。
「車輪をどうしたい」
「どうしたいというか、車輪の、えっと一番外っかわの……何て言うんだろ。外周というか、地面に触れる部分? とにかくその部分に溝を作って、そこに弾力性とか柔軟性とかがあって衝撃を吸収してくれて劣化し難いものをぐるっとはめ込めば、今よりはマシになるような気がします」
ほう、なかなかに面白い意見だ。しかし、その方法には疑問が残る。
「弾力性や柔軟性があって衝撃を吸収して劣化し難いものとは何だ」
「それが分かってたら自分で作ってがっぽり儲けますよ」
うっはうはですよ、と付け足したシーデは、この上なく真面目な顔をしていた。……面白い娘だ。
「その意見を知り合いに伝えてもいいか」
「え? ええはい、構いませんが……馬車を作ってる方がお知り合いに?」
「家具職人だ」
「家具職人さんに無茶ぶり事案発生の予感。逃げて、超逃げて」
別にそいつに作らせるつもりなど無い。職人というものは横の繋がりが強く、今の意見を教えてやれば、そこから別の職人へと提案するなり協力するなりするだろうと踏んだだけだ。車輪に使う素材についてはこちらで研究するのも良いだろう。
「あ、でも、話半分って感じでお願いしますね。あんまり真剣に捉えられて、上手くいかなかったときに無駄骨とか言われても困りますし」
「何かを発展させようと尽力するのに、無駄など無い」
「……ボス、良い事も言えたんですね」
「……お前は私を何だと思っている」
「外道」
「……」
「待って嘘です空耳ですからやめて門をそのまま通過させようとしないで。降ります、おりまーーーす!!」
シーデが騒いだため、やむなくそこで降ろす事になった。
「ボス、いってらっしゃい。どうぞじっくりゆっくりたっぷりお仕事してきてくださいね」
残念ながら街から持ち出す事は叶わなかったが、見送りの言葉というのも悪くは無い。……前半部分だけならば、だが。後半部分は『早く帰ってこないでくれ』という感情が見え透けている。
休憩や睡眠時間を削ってでも、一日も早く戻ろうと決めた。
******
ひと月かかる予定だった出張を半月で片付け、ようやく、待ち望んだこの日が来た。
「機嫌がよろしいようですね、兄上」
「ああ」
「……あまり無体な事はなさらないように、と殿下からのお達しです」
「シーデに関して王子に口を挟まれる謂れは無い」
「殿下は姉弟子である彼女の身を案じておられるのです」
「詭弁だな。私に先を越され、口惜しいだけだろう」
「否定は出来ません」
ルナ王子の側近を務める私の弟が、その王子からの言伝をもってきたが、適当に躱しておいた。これはシーデから持ちかけられた取引だ。王子などには何の関係も無い。
「嬢ちゃん自身が『約束を反故にするような事はしない』と言っている以上、俺が止めるのは筋違いだ。だがな、もし後遺症を残すような事をしてみろ。二度と実験が出来ねえ体にしてやる」
……騎士団長が刺してきた釘だけは、考慮しようと思う。
元々、無体など働くつもりも無いが。魔力無しという貴重なモルモットを壊すような愚かな真似をしてたまるか。
指示した時間通りに私の執務室へ訪れたシーデは、物珍しそうに辺りを見回すと、何故だか僅かに落胆していた。手元の書類を捌きながらその様子を密やかに観察していると、ごく小さな声で「普通……」との呟きが聞こえた。一体何を期待していたのか。
ひとまず座るよう促し、シーデがその身を落ち着かせたところで、半月前のリーベンツ伯爵襲撃に関して問う。
あくまでも素知らぬふりをする彼女は、日頃のコロコロと変わる表情に比べ、こういった時は非常に読めない顔をする。
だが、それが答えているも同然だとは分かっていまい。隠さねばならん事があると白状しているようなものだ。初対面の相手ならばともかく、数年来観察を続けてきた私を欺けると思われるのは心外だ。
どこまですまし顔を貫けるのかと興味が湧き、途中からちょっかいをかけてみたが、今度はむっすりと黙り込まれた。ふむ、これはあまり面白くは無いな。普段のようにきゃんきゃんと噛み付いてくる方が余程ましだ。
黙り込んでしまった少女の髪を引き、やんわりと上向かせ、視線を合わせる。
「……言えません」と口にした彼女の目は、雄弁に『悔しい』と語っていて、愉快な気持ちが込み上げた。しれっと躱されるよりも、こうして感情を露わにされる方が良い。
結局、腹の探り合いにも似た会話は、私の勝利で終わった。
特に勝ち負けなど求めた訳では無く、単純に己の推量が正しいのかを知りたかっただけなのだが、シーデが思い切り敗者の表情をしていたので、私の勝ちなのだろう。
私に出来ん事をしてのけた魔法使いなど居なかったと分かったので、私はそれで満足だ。私にも人並みに誇りというものがある。
気掛かりだった疑問も解消し、これで気持ち良く実験が出来る。
「さて。では実験を開始する」
そう宣言すると、覚悟を決めたような顔付きになったシーデに「じゃあそろそろ私の尻尾を離してください」と言われ、少しばかり残念な気持ちになった。確かにこのままでは実験にならんが……触り心地が良かったので名残惜しい。
******
実験室に場所を移すと、先程とは違いシーデの目が輝いていた。
「これぞ魔法使い……でも若干理科室的な……」とぶつぶつ言っている。リカシツが何かは分からんが、思ったことが無意識に口から漏れている、と指摘してやるべきなのか。……やはり、面白いから黙っておこう。
棚には薬品の材料となる魔獣の目玉といった、女子供の嫌がりそうなものも多数置いてあるが、特にシーデが臆した様子も無い。肝の据わった娘だ。
……いや、よくよく考えれば、狩った熊を血抜きから解体まで己の手でしてのけるシーデが、目玉如きで臆する筈も無いか。それを女子力だと言い張る点だけは理解不能だが。
“毒草くん”というセンスの欠片も無いネーミングの毒草シリーズ、それらの発見者がシーデだという意外な情報を得たりした後、肝心の実験に移った。
差し向かう形でそれぞれ椅子に腰かけ、差し出された手を握り込む。
娘らしいほっそりした指だが、剣を握るせいかその手の平はあまり柔らかくは無い。というよりも荒れている。これは剣のせいというより、家業のせいか。
手を通してシーデの体内に魔力を巡らせ、己のものとは異なる魔力の存在を探り、そのようなものがどこにも無い事に安堵する。安定の“魔力無し”。こうでなくては。
そうしてそのまま、シーデの体内に私の魔力を定着させる事が可能か試みる。初対面の際、それで失敗をした。怪我を負わせ、心証を最悪にしたと自覚はしているので、あの時よりは慎重に行う。今度は『痛い』と言われたら即座に手を離す心積もりだ。
……そう思っていたのだが。涼しい顔をしていたので、気付くのが遅れた。
シーデの体内に魔力を流す、これ自体は特に反発も起こらん。これで反発があるようなら、魔力を探る事も出来んだろう。
魔力を流し込んだ後、その魔力を固定しようとすると、急激に反発が起きた。もはや数年前の出来事ではあるが、前回も同様の現象があったと明瞭に覚えている。
この時点でシーデが痛みを訴えてくるような事も無く、実験を継続。
私の魔力だから反発するのかと、周辺に散る自然の魔力を寄せ、シーデの体内で固定しようとするも、やはり反発される。
では固定する位置、あるいは濃度を変えて、というところまで考えた時、ようやく、微かにシーデの眉根が寄っている事に気が付いた。
もしや、と思いさっと手を離すと、案の定、彼女の手の平は火傷をしたような状態になっていた。
……痛みがあれば、あの時のように言葉にすると思っていた。まさか耐えるなどとは思ってもみなかった。この馬鹿者が……!
ただ黙って耐えていたシーデにも、そしてそれを察することが出来無かった己にも、無性に腹が立った。
「痛ければ言え」
「でも前は、怪我なんて治せば良いって言ってたじゃないですか」
急いで治癒魔法をかけると、いかにも不思議そうな顔でそう返され、言葉に詰まる。
治せば問題無い……確かにそう言った覚えはある。現在もその考え方に変化は無い。実際に直近の被験者にも僅かながら怪我はあったが、治す事で問題無く収めている。それも被験者としての契約の内であるから、何も問題は無い筈だ。
……だというのに、何故こうもこの娘が痛みに耐える様が不快だったのか。
怪我を負わせはしたが、本人もけろりとしている上、既に治したし痕も残ってはいない。これで良い筈だ。……良い、筈だ。
「…………いいから言え。分かったな」
しかし、私の口から出たのは、己の主義とは異なる言葉。
それに肯定の返事を寄こしたシーデは不可解そうな面持ちだったが、自分自身、何故そう言ったのか分からんから説明など出来ん。
その後も同様の実験を続け、結果分かったのは、この娘が人の言葉に逆らう性質だという事だ。この天の邪鬼が。
「何故、手が爛れようと平気なふりをする。私は言えと言った筈だ」
そう叱責しても、「いや、痛くは無かったです。ちょっと痺れただけで」などという屁理屈を捏ねる。
あれほどまでにモルモットなど嫌だと言い続けていたにもかかわらず、モルモットになったらなったでぐいぐい来るのは何故だ。何故、私の方が気を配らなくてはならない。これではまるであべこべだ。
シーデに魔力を固定するのは今のところ難しい、という結論にして、早々にこの実験は終了とした。元々無理だろうと思っていた、というのは決して負け惜しみでは無い。
棚に並ぶ魔法薬の入った試験管を運び、次の実験はこれを飲むことだと告げる。
副作用のあるものでは無いと伝えるも、試験管を見つめ独り言ちるその姿から、私の言葉が半ば聞き流されているのが分かった。
「イチゴ、……、レモン、……コーラ」
ふむ、色で果物と結び付ける事によって、薬を飲むという抵抗感を無くそうという事…………甲羅? よりによってそんな物になぞらえてどうする。抵抗感が増すだけでは無いのか。
訳の分からん事を、と思ったが、私が示した物をいささかも躊躇う事無く飲み干していく姿を見て、この娘の考えを理解しようとするだけ無駄だと気が付いた。
青色の液体など普通は飲みたくも無いだろうに、シーデは一切気にした様子が無い。それどころか、「ほとんど無味無臭。面白みに欠けるなぁ」と言い出す始末。魔法薬に面白さを求めるな。逆に、少しは怯めと言いたい。
……いや、ぐずぐずと躊躇われるよりも、この方がスムーズに事が運び良いに決まっている。だというのに、何故、怯めなどと思ってしまったのか。己の思考が不可解だ。
一本飲むごとにしっかりと確認を取り、体調に不具合などが出ていないか見定める。どの薬も魔力のある者と同様の結果で落ち着いており、これならばこれらの薬の効力は魔力の多寡には関わらんだろう。予想通りではあるが、有意義な結果が得られた。
だが、最後に回した魔力回復薬。これだけは予測が付かん。故に、「まずはほんの少し、舐める程度にしろ」と指示する。
しかしここで、それが不味い物だと事前に知っていたらしく、シーデが怯んだ。更に味の酷さを保証してやると、ますます嫌そうに顔をしかめる。
そこまで嫌がるのなら飲ませるのは止めるか、という思いがちらりと過り―――その考えに、愕然とした。
実験を中断? 馬鹿な、あり得ん。魔力の無い者に魔力回復薬がどう作用するのかを知る絶好の機会だというのに。
やはり今日の私はおかしい。ひと月かかる仕事を半月で終えたせいで、知らず知らずの内に疲れが溜まっているのか。
そう考察している間に、シーデは魔力回復薬を指に付け舐めていた。
……嫌がる素振りをみせた割に、思い切りが良い。この娘は仕事だと割り切れば何でもするのか。それはそれで一抹の不安を覚えるが……この場合は良かったと思うべきなのだろう。
「味、しませんよ?」
「何? 劣化か? いやしかし、保存には気を配っているが」
さも不思議そうに首を傾げられたので、シーデを真似、指先に付けた魔力回復薬を舐める。
……ふむ、いつもの如く、人の口に入れて良い物だとは思えん代物だ。そして、見え透いた悪戯に引っかかった己の迂闊さを詰りたい気分だ。
己を詰る代わりに、ひとまず目の前の少女を淡々と非難してみると、どうもそれは濡れ衣であったらしく、彼女には本当に味を感じられないようだった。
それを証明するかのように、再度指先に付けた薬を舐めたかと思うとまた首を傾げ、止める間もなく試験管を傾け一息に飲み干してしまった。
どう作用するのか未知数だという注意を、どうやったら忘れられるのか。決して暗愚では無い筈だが、妙に抜けている。こちらが気に掛けておいてやらなくてはならんのか。まったく、手のかかる。
しかしお陰で、魔力回復薬が飲む人間の魔力に反応して酷い味になるという事が判明した。完全にでは無いが、概ねその味を遮断する方法も見つかった。
正直、魔力のある者が口に含んだものを魔力の無い者が飲むとどうなるのか、という興味は残ったが、口から出したものを飲むのは嫌だと拒否され諦めた。まあ当然だろう。それは私も抵抗がある。別の方法も思い浮かんだが……さすがの私も口移しさせろとは言えん。
そういえば過去にシーデは口付けすら武器にしていた。思い返すだけで何故だか不愉快な気持ちが込み上げるが……しかし、あれが平気ならば口移しという方法は案外すんなりと受け入れられるのではないか?
……いや、やはり止そう。
実験のためではあるが、これ以上考えるなと己のどこかが歯止めをかけた。
******
早めの昼食を済ませ、執務室に戻った。
途中、文官から書類を渡されたので、心置きなく実験に臨むため先にそちらを片付ける事にする。この程度、大した時間はかからん。
休憩していろと告げると、シーデは喜々としてソファに飛び込んでいた。そんなにそれが気に入ったのか。
書類を捲る音が響く中、時折、小さく鼻歌が聞こえてくる。呑気なものだ。警戒心は出張中なのか、はたまたどこかへ落としてきたのか。
ちらりと視線を飛ばすと、実に幸せそうな顔で転がるシーデと目が合った。即座に緩んだ顔をきりりと引き締めていて、笑いそうになる。
ふむ、これは良い。適度に気が抜けて書類仕事が捗る。何より、可愛い。
……。
…………待て、今、何を思った?
これは、やはり疲れているのかもしれん。疲労の極致だ。今晩は早々に就寝するとしよう。
次なる実験の準備のため、元部下が来室した。
彼女の夫を示す『ダーリン』なる言葉にシーデが騒ぎ、何故かついでのように貶められたので、先程は口にしなかった薬の口移し案を持ち出し黙らせる。
そして、無駄に絶妙なタイミングを計って部下が登場。シーデからの腐敗物でも見るかのような視線を、まるで意に介さない図太さは、この部下の最大の特徴だろう。精神が鋼で出来ているのか。
騒がしい中、手元の書類を片付ける事に集中していると、「ボス、シーデは転売禁止ですよ!」と苦情の声が上がった。
ようやく私のモルモットになったというのに、誰が転売なぞするものか。
この部下のみが騒ぐ程度であれば放置したものを、こいつは他の部下共まで巻き込み盛大にごねた。私に占有されるくらいであれば、他と共有する事になってでも一枚噛もうという腹積もりだったのだろう。実に魔法使いらしい気質だと言えるが、それに便乗した部下共も含め、忌々しい。
しかし一日中邪魔をされるくらいならば、短時間共同での実験を行う方がまだしもだという結論に至り、このような事になった。扱い辛い部下共だ。
こんな事ならやはり出張先に連れて行き、そちらで実験を行うべきだった。そうすれば私だけのものであったものを。門でシーデが騒いだというのもあるが、あれだけ馬車を厭う様子から断念してしまった半月前の己の甘さを悔やむ。
これは早急に馬車を改良させるべきだな。そうすれば今度は付いて来るかもしれん。……飴を与えれば釣れそうな気もするが。ふむ、一度検証してみよう。
着替えのため別室へと連れて行こうとするのを阻止し、室内の一角に結界を張る。目を離すと何をされるか分からん。
だがいくら目を離せないとはいえ、着替えを見る訳にもいかん。よって結界は音声のみが通るものにした。これならば何事か起きても――具体的にはあのメイドがシーデに予定外の事を仕出かそうとしても――こちらに筒抜けとなる。滅多な事は出来まい。
そうして着替えを待つ間、書類仕事の続きに取り組んだ、が……女の着替えというものは、こうも姦しいものか。
というよりも、あいつらはこちらに声が丸聞こえだという事を忘れているのではないか。会話の内容が酷い。胸だの腰だの色気だの……男に聞こえる場所で話す事では無いだろう。あと、誰が脱がすか。
「明け透けな会話してますねぇ」
「……」
部下の感想には沈黙を以て返した。こいつの戯言には付き合いきれん。
「それでボス、お嬢ちゃんを脱がす予定は」
「黙れ」
「良いじゃないですか。お嬢ちゃんも仕事だと言われれば従うつもりみたいですよ? 何なら代わりに僕が」
「黙れと言っている」
「だってモルモットの事を隅から隅まで見たい知りたいと思うのは当たり前じゃないですか。お嬢ちゃんの事なら裏から表から着衣から全裸まで」
「黙らんと辺境に飛ばすぞ」
「ちょうど黙りたいところでした」
無駄な時間を過ごした。
着替えが終わり、解除した結界から姿を現したシーデを見て……反応に窮した。
そして、あちらに聞こえん程度の声で「可愛いでしょう?」と尋ねてくる部下を殴り飛ばしたい衝動に駆られる。
確かに、身体強化の魔法を施した服を着せるとは聞いていた。
だがそれがメイド服だなどとは聞いていない。それも通常のものとは違い、あちこちがひらひらとしている上、丈が短い。シーデ本人も、どこか身の置き所が無さそうな、心許なさそうな様子だ。
この後は練兵場で動き回らせるというのに、こんな格好をさせてどうする。
そう部下に問えば、訳の分からんこだわりを語り出そうとしたので、非常に疲れを感じ、即座に遮った。この部下とは意思の疎通を図り辛い。そして、おかしなこだわりなど聞きたくも無い。
部下がシーデに絡んでいる間、処理の終わった書類をまとめながら、さり気なくその様子を伺う。
……部下に言われるまでも無く、非常に…………愛らしい。
あんなにも可愛いものを、むさ苦しい筋肉の集う練兵場などへ連れて行っても良いものなのか。
髪型は普段通りだが、頭に白いひらひらとしたものを乗せている。
スカート丈は短く、膝上まである靴下を着用しているので大方隠れているが、動くたびにちらちらと肌が見える。騎士共には目の毒ではないか。普段の格好の方が肌の見えている率は遥かに高い為、気にするほどの事でも無いのかもしれんが……何故か、面白くない心地になる。
日頃はストンとした素っ気ないシャツばかり着ているから気にも留めなかったが、今のように体に沿う衣服を着ていると、先程聞こえた通り、腰の細さが際立つ。だがそれは子供っぽい棒切れのような細さでは無く、全体的にしなやかな女性らしさを帯びたものだ。
あの腰を抱き、己の腕の中に収めてしまえば、どんなに―――
―――……どんな、に?
待て、私は何を考えている?
……やはり疲れているのだな。ここはひとつ、溜まっている有休をまとめて消化する事を考慮しよう。
表現し難く、掴みどころのないものを感じながらも、それが何かは分からず。そうこうする内に部下共が押し掛けてきて更に騒がしくなった。
各々が好き勝手に名乗っていく中、肝心のシーデはと言えば、愛想笑いを浮かべ如才なく対応している。……と見せかけ、全て聞き流しているな、あれは。『多い! 覚えきれるか!』という心の叫びが聞こえてくるようだ。
一人、「ミニスカメイド! チラ見えする太もも! ごちそうさま!」と満面の笑みで親指を立てた部下だけは、近々辺境に飛ばす事を決めた。二度と戻って来れんよう手を打とう。宰相辺りに根回ししておけば、どうとでもなる。
そうして執務室を後にし、練兵場へと向かう最中、いつかの魔術師と鉢合わせた。
男はシーデの姿を認めた途端、こちらへと駆け寄り、シーデに対し熱烈な勧誘を開始。私や部下共の存在は完全に見て見ぬふりを決め込んでいる。魔法師長に対して良い度胸だ。
「以前も言ったが、これは私のモルモットだ。手を出すな」
「ああ、これは魔法師長殿。……そうですね、魔法師長殿のモルモットという事ですが、本日限定だと聞き及んでおりますよ。であれば、僕がシーデ君を勧誘するのは自由なはずです」
シーデと相対する男の間に割って入り、そう警告するも、薄ら笑いを返され、苛立ちが募る。
……一日限定だと漏らしたのはどこの馬鹿だ。目の前の馬鹿共々、いずれ新薬の実験台として使い捨ててやろう。これも宰相への根回しが必要になるか。面倒な。
「本日限定ではありますが、今の私はボスのものです。あなたに割く無駄な時間は一秒たりともありません。さようなら」
私が黙したのを良い事に勧誘を再開した魔術師へ、シーデがぴしゃりと言ってのけ、「ボス、行きましょう。実験時間が減りますよ」と歩き出す。魔術師をちらとも振り返らない。それに少しだけ溜飲が下がった。
しかし、その直後。
「まったく、城内での勧誘は禁止すべき。邪魔くさい」
前を歩くシーデから漏れ聞こえた、さも不快だと言わんばかりの呟きが、何故か癇に障った。
分かっていた筈だ。この娘が私を、私の勧誘を鬱陶しいと思っていた事など、分かっていた。充分承知した上で、モルモットになれと言い続けた。好感情を抱かれる道理が無い事など知っている。そもそもが、実験台の感情など気にする必要は無い。
けれど、無性に心がささくれ立つ。
私もシーデにとっては邪魔くさいもののひとつだと、そう目前に突き付けられたかのようで。
堪らず、さっさと歩いて行くシーデの手を掴み、隣に並んだ。
……何と思われていようが、今日だけは、私のものだ。
******
城外へと出て、遠目に見える練兵場内に騎士団長であるゲオルグの姿を認めた。
途端、ふと悪戯心が頭をもたげ、「走って行って飛び付いてこい」とシーデに指示を出す。
誰憚る事無くシーデを可愛がり、そしてシーデに好かれているあいつへの、ささやかな悪戯。この姿のシーデが飛び付いたら、慌てふためく姿を見られるのではないかという、些細な出来心だった。
それがまさか、こんな事になるとは。
遠巻きに観察していたが、何やらおかしな騒ぎになっていると感じ、うずくまるシーデのもとへと向かうと、彼女は―――泣いていた。
日頃、何を言っても勢いよく言い返してくる、怪我を負わせた時ですら涙など見せなかったシーデが、尋常でなく啼泣している。
……これは、何だ。何故こうなった。こんなつもりでは……。
混乱と、ちりちりと痛む後悔にも似た気持ちを抱えながら、どうにか泣き止ませるべく抱き上げ宥めようと努めた。
しかしシーデは、そんな私の手から逃れようと形振り構わずその身を捩る。
私を、拒否するかのように。
言いしれぬ感情が胸の内から湧き、急速に体内に満ちていった。
―――昔から、女子供は私の感情の出ぬ顔に怯え寄り付かん。
これは血なのか、何故だか我が家の者は感情が表に出にくい。唯一、入り婿である父だけはやたらと表情が豊かなのだが。そちらの血が濃く出ていれば、また違ったのだろう。
母も、私の姉や弟も私と同様表情に乏しいが、しかし家族間でそれが問題になる事は無い。僅かに変化する面持ちや口調で充分に伝わる。
父はもはやクイズ感覚で、「お、今笑っただろう?」などと楽しんでいる。あれぐらい明るければ人生は愉快に違いない。
そんな父の性格は、姉にしっかりと受け継がれた。表情こそさして動かぬものの、その性質の朗らかさから、彼女は周囲に好かれる。
弟はそれとは逆に、過剰なまでに沈着。加えて生粋の無表情だが、それらを生かし、周囲に違和感なく溶け込む術を身に付け、現在では第四王子であるルナ殿下の側近を務めている。
感情が表に出ずとも、そうして大過なく過ごす事も可能であるというのに、何故か私だけは周囲に怯えられる。
現在でこそ多分に性格という要因を含んでいるのだろうが、残念ながら物心ついた段階で既に周囲に距離を置かれていた(当然、家族は別だが)為、原因が分からん。それは歳を重ねると共に悪化し、私は早い段階で諦める事を覚えた。
稀に興味本位で近付いて来る女もいたが、早々に「貴方が何を考えているのか分からない」と去って行くのが常であり、長続きしたためしなど無い。
道端で転んだ子供に手を貸そうとし、盛大に怯え泣かれ、心の中で匙を投げた事も一度や二度では無い。最早手を貸そうとも思わん。
だがシーデだけは違った。
私との会話で怒り、捨て台詞を吐いて逃走する事は多々あれど、怯える事も泣く事も無かった。「怖い」「外道」等と口にするも、真実私に恐怖心を抱く事は無かった。私の微妙な感情の揺れを、顔には出ないそれを、彼女はどうやってか読み取っているようでもある。
思えば、シーデだけだ。私に怯えず泣きもせず、平気で突っかかってきたり言い返してきたりするような娘は、シーデだけ。
それが今は泣きじゃくり、私から逃れようとしている。
唐突に、思った。
耐えられない、と。
怒ったり顔を顰めたり、驚愕したり得意げに笑ったり。観察と称し頻繁にかかわる事で様々な表情を見てきたが、このように泣かれるのは初めてで。
この娘が泣いている、それが耐えられない。
泣かないで欲しい。可能なら、笑っていて欲しい。
そう強く思う。
私が何かするのではないかと、近付くたびに警戒を露わにするシーデ。初対面時にやり過ぎたという実感は私にもある。それからは勧誘に留め、勝手な実験は控えた。これは私にしては結構な譲歩だ。
モルモットになれと押すだけでは駄目なのかと、飴と鞭という言葉に倣い、たびたび飴を与えてもみた。すると警戒心など忘れ、笑顔で飴を受け取る、少し間の抜けた彼女。
大人びているかと思えば、そういったあどけない一面も持ち、何より私に自然に接する彼女に、私は、いつの間にか―――
―――いつの間にか、これ程までに、惹かれていた。
他の人間がどれだけ私を避けようが、既に気にもならんというのに。
シーデがこうして泣き叫び、私の腕の中から逃れようとする。それが堪らなく辛い。ここまで泣かせたのは自分だという事実が、刃となって心を抉る。
何度でも謝る。
泣かれるぐらいなら、もう実験も終了で構わん。
……いや、可能ならば嫌がられん程度の実験は続けたいが……嫌だと言うものに関しては妥協点を探る方向でいこう。
けれどもう、無理無体を強いるような真似はせん。
だからどうか、泣かないでくれ。
思いを込めた謝罪が通じたのか、シーデはぴたりと泣き止んだ。
顔を拭ってやりたかったが、「おろして」と要求されたので、ここは素直に従う。もう二度と、意に添わぬ事をして泣かせたくなど無かった。
だが、直後の彼女の行動に、手を離した事をすぐさま後悔する羽目になるとは、誰が想像出来ただろうか。
「脱ぐ」
一声宣言したシーデは、即座にそれを実行。背中で縛られたエプロンを解き、足元へと放り捨てる。
嫌ならその服を脱いで良い、確かにそう言った。
しかし、誰が公衆の面前で脱げと言った?!
エプロンにとどまらず、そのままワンピースのボタンを外しにかかる姿に、音を立てて血の気が引く。
その場の全員が止めようと駆けるが、誰一人としてシーデの足に追い付けん。あれは速過ぎる……!
斯くなる上は、と、シーデの走る先に転移を決行。本来は落ち着いた状態でないと危険なのだが、迷っている暇など無い。
何とか無事転移に成功し、こちらへと駆けて来るシーデにやめるよう訴え、その身柄を確保するべく動いた、のだが。
「嫌っ! 来ないで! 触らないで!」
―――たったそれだけの言葉で、凍り付いたように動けなくなった。
完全なる拒絶。私の一切を拒む言葉。
止めねばならん。最重要事項はそれだと、承知している。しかし、叩きつけられた言葉が突き刺さり、身動きもままならない。
違う、そんな場合では無い。止めなくては、何としてでも止めなくては……!
……などと葛藤し私が動けずにいる間に、部下がやらかした。そのためシーデの逃走は止まったが、またしても叫び泣いている。もうあの部下は殴り飛ばそう。続けてその嫁もやらかしたので、共々殴り飛ばそうと決めた。男女差別はせん。等しく殴る。
その後、シーデの様子が常とは異なると指摘した者のお陰で原因が解明された。やらかしたばかりの部下のせいだった。というよりも、この場に居る部下共全員が共犯であったようだ。私に内密で勝手に実験を追加していたのか、このハイエナ共め……!
頭に付けた白いひらひらに精神系の魔法が重ね掛けされているせいで、シーデの感情が滅茶苦茶な事になっているらしい。道理で、この啼泣ぶりか。そうか、魔法のせいだったのだな、と密かに安堵する。
しかし私が感知出来んとは……隠蔽系の魔法も幾重にも重ねてあるのだろう。周到な事だ。それに見事に嵌まった自分も許しがたい。
……シーデをモルモットに、という事で、無意識のうちに浮かれて注意力が散漫になっていたのか、私は。
欠片も悪びれること無く「良い実験結果が得られました!」と喜色満面な部下に騎士たちが殺到し、そのまま部下共全員が袋叩きにあっていたが、これは当然の帰結だ。
「ついでにこいつも頼む」
そっと立ち去ろうとしていたメイドの襟首を掴み差し出してやった。これも当然の事だ。
異常を指摘してみせた騎士の働きにより、シーデは正常に戻った。そしてそのまま土下座に突入している。
悪いのはお前では無く部下共だ、と言ってやりたいところだが、しかしそれ以上に、その肌蹴た背中を隠したい。地に額を付ける姿勢のせいで、背の半ばほどまで―――それどころか、下着も見えてしまっている。幸いな事に邪な目で見ている者は居ないようだが、全員の目を潰して回りたくなった。
……ふむ、これは嫉妬か、もしくは独占欲のようなものなのか。なかなかに新鮮だ。
己の想いを把握したせいか、全てが噛み合う。
愛しいから、可愛く思った。傍に居たいと思い、自分だけのものにしたいと思った。モルモットに、というのも紛れも無い本心ではあるが、いつからか口実として使っていた部分もあったのだろう。我ながら身勝手なものだ。
部下にも勿論だが、あの魔術師に渡すものかと殺意に近い感情を抱いたのはそういう訳か。分かってみれば単純な話だ。
……あの魔術師を思い出したせいで、連鎖的にシーデの零した『邪魔くさい』との言葉も思い出してしまい、一気に気持ちが沈む。
シーデにとってあいつが邪魔くさいのならば、週に二度勧誘行為を行っている私は、それ以上に疎ましい存在だろう。それも、現在でこそ週二だが、道場や図書館に通っていた頃などは週に四度行っていた。……絶望的だな。
叶うならば、過去に戻ってやり直―――せたところで、寸分違わず同じことをするだろうから無意味か。ふむ、過ぎた事は仕方が無いと割り切ろう。どう言い繕ったところで、やった事を無かった事になど出来ん。ならば、今後挽回出来るよう努めるまでだ。口先で小賢しく誤魔化すよりも、態度で示していくべきだろう。どうやったらいいのかは分からんが。
私がそう心に決めている間に、シーデは体を起こし、一人の騎士と楽し気に笑い合っていた。いや、笑っているのはシーデだけで、相手は喚いているようだが。しかしながらそいつも心底嫌がっているようには見えん。……仲が良い、な。
思わず目を細めその男を観察する。
……あれは確か、宰相の二番目の息子ではなかったか。宰相とは違い、腹芸や謀が出来無さそうな男だ。あの腹黒い狸の息子だとは思えん。だからこそ文官では無く騎士になった、というところか。あの雰囲気ならばシーデに恋慕の情などは抱いていないだろうが、留意はしておこう。
騎士を要注意人物として脳内に刻み、いい加減背中をしまうようシーデに促す。とっとと他の男共の目から隠さなくては。
何より、そのままの姿で居られると……浮き出た華奢な肩甲骨をなぞり、その滑らかな肌に思うさま口付けを落としたい、という不埒な欲求が頭から離れん。
……つい先刻自覚したばかりの感情だというのに、ここまで進行するとは。もしくは自覚していなかっただけで、じりじりと進行し続けていたのか。実に恐ろしい病だ。
私の邪な内心など気付きもしないシーデは、のたのたとボタンをはめていき、途中、髪を絡ませ盛大に舌打ちをしていた。私がはめてやりたいところだが、その剥き出しの背中に触れん自信が無いからやめておこう。……いっそ持ち帰ってしまえたら……飴で釣れないものか、やはり試してみるか。
最終的に見かねたゲオルグが手伝い、シーデの衣服は整えられた。一切の躊躇も無く触れ、そしてそれを容認する、そんな間柄を羨む反面、色めいた感情など微塵も含まれない家族のような関係は自分の望むものとは違うと、湧き上がる妬心を抑え付けた。
その直後、「パパ」という発言に感動したゲオルグがシーデを抱き潰しかけ、救助した後に咎める口調が強くなったのは、やはり妬心を抑えきれなかったからかもしれんが。……まぁこの程度は許されるだろう。
無表情(笑わない)+ 口数が少ない = 感情が伝わってこず怖くて遠巻きにされる、という図式。母親譲りの整った顔がそれに拍車をかけていました。周りからは冷淡そうに見えていた模様。姉や弟がフォローしていましたが、本人がさっさと諦めたため、上手くいかず。
ボスの姉も同様の美形で無表情ですが、それを明るさと口数で補えています。
弟は無表情な部分は母方の血を受け継いでいますが、顔自体は父親似の平凡顔なので自然と周囲に溶け込めました。
家族仲は良好。
そしてこんなところで団長の名前が初登場。ゲオルグ。
シーデが団長としか認識していなくて出すタイミングが無かったのですが、きっと今後も出てこないと思うので忘れてもらって大丈夫です←




