長い一日の終焉―汚い手で私の先生に触るな!―
揺れる馬の上で、リリックさんに到着した後の動きについて伝える。
密着しているので大声を出す必要は無く、ボスに聞かれる心配も無い。ただ残念な事に、随時舌を噛みかねない危険に襲われているけど。馬の揺れ、パねぇ……。
現場に到着後、ボスにはすぐさま結界を破壊してもらう。ボスが何らかの魔法をかけてくれたので、私たちも結界に近付くのは可能だけれど、ここはボスにやってもらおうと思っている。だってそれもモルモットの対価に含んだからね。こき使ってくれるわ!
プラス、ボスには結界の破壊に集中して欲しいのだ。なぜなら、結界が解かれた瞬間、私が別の結界を張り、ボスとリリックさんをシャットアウトするつもりだから。
なぜ二人を閉め出すのかというと、はっきり言って私は、やらかさない自信が無いのだ。いや、きっとやらかす。
今はもちろん気は急いているけど、移動しているだけなのでまだ冷静に考えられるし話せる。
けれど、もしオルリア先生や兄様(居ると仮定して)がピンチに陥っていたら? 怪我でもしていたら? とても冷静な対処なんて出来無いだろう。荒ぶる私が、人に知られる訳にはいかない術を乱用する様が目に浮かぶ。
物騒な術の陣を常備してるからなぁ。普通に使っちゃうんだろうなぁ。でも別に自重する気も無いんだよなぁ。
だって、見られて困るなら見られなきゃ良いだけだし。先生と兄様、それに馭者のトムさんは、ピンチを助けられたのなら何を見ても口を噤んでくれるだろう。最悪、脅します。
だけど、リリックさんもボスも国に仕える身だ。見た事を報告しないというのは、土台無理な話だろう。例え私が泣いて頼んだとしても、彼らは職務としてそれを遂行するに違いない。今はまだ勤務時間中だろうから、余計に。
だから結界から閉め出し、一切見せない。
ボスは多分、閉め出された事に気付いた瞬間、私の結界を破ろうとする。
けれど私の結界は、ボスが何度も壊そうとしたり、実際に壊されたりして頭にきて改良を重ねた結果、ボスですら壊すのに数分かかる代物になった。それでも十分は保たないのがかなり悔しいけど。ちなみに転移も防ぐ(自分、というか私の作った陣での転移は除く)仕様なので、壊すしか無い代物だ。
だがしかし。ひとつの結界で十分弱稼げるのなら、単純計算、十重に張れば十倍の時間を稼げるという事だ。そして、それだけの数の陣を私は持ち歩いている。常に全力で戦えるよう準備済みなのだ。備えって大事。
「そんな感じでボスは私の結界を破ろうとするでしょうけど、でもその邪魔はしないでくださいね」
破られる事を想定して何重にも結界を張るのだ。だから別に、邪魔をしてもらう必要は無い。
わざわざこれを事前にリリックさんに伝えるのは、余計なことをしないようにと注意しておきたかったからだ。そんな事したら、リリックさんの命が風前の灯火。ボスの邪魔、するべからず。
「待ってください。俺もシーデさんと共に行きます」
「見られたら困るんですよ」
「俺は何を見ても怯みません! 勿論、誰にも言ったりしないと誓います!」
「でも、報告は必須でしょう? 勤務時間内に事件現場で見た事を報告しないなんて、無理ですよね?」
「シーデさんが知られたくない事なら、俺は一生口外しません!」
ぇえー……それマジで言ってんの? 騎士としてヤバくない?
……いや、この人が騎士としてヤバいのは今に始まった事じゃ無かった。私に仕えてるとか、王子に対して言っちゃう人だもんなぁ。そしてそれを特に咎められないという緩さ。
あ、それに私だって騎士見習いだけど、国への忠誠とか無かったわ。人の事は言えないや。
「うーん……確かに人手は欲しいんですけど……でもなぁ……」
対処出来るだけの陣を持っていると自負してはいるけど、襲撃犯が何人かは分からないし、味方が居れば助かるのは事実。だからといって、リリックさんの発言を鵜呑みにして良いものなのか……悩む。
リリックさんにへばりついたまま(離したら落ちるからね)むーむー唸っていると、「以前、報酬は何が良いかと聞かれましたが」という言葉が降ってきた。
それは肉塊について調べてもらった時の事か。報酬というか、タダ働きは申し訳ないって言ったのに断られたやつだ。
「何か欲しいものでも出来ましたか?」
それは分かり易くて良い。金銭なり物なり、欲しいものがあるから協力するって言われた方がしっくりくる。というか安心出来る。損得勘定って分かり易くて良いよね。
「出来たというより、以前から欲しくて、でも言い出せなかったのですが……」
「遠慮しないでください。出来る限り要望に沿えるよう努力しますから」
結構貯め込んでるから、よっぽど無茶な望みでない限り対応出来るよ。また稼げば良いだけだし。さあ、遠慮なく要望を述べてくれたまえ。
「俺が欲しいものはひとつです。―――俺に、信頼をください」
リリックさん……。
金か物にしてくれないかなあ?! 想定外のご要望にドン引きだよ!
だから、何があなたをそうまで駆り立てるの? 私、知らない内に洗脳とかしちゃってた?
「やっぱり私、あなたを婿に貰うべきなんじゃないかと思うんですが」
「お断りします!」
「お断りされた! 何でなの?! もう婿で良いじゃないですか! どうにか幸せにしますから!」
「そういう浮付いた気持ちは一切ありません! それに俺は、シーデさんのお役に立てればそれで自動的に幸せになりますので結構です!」
「その幸せの在り方は理解出来無い!」
奉仕精神が旺盛過ぎる。いっそのこと恋愛感情が有ると言って欲しいぐらいだよ。その方がまだ何となく理解出来るってのに。下僕精神は理解の範疇外だわ。
「それで、付いて行ってもいいでしょうか?」
「もう好きにしてください……」
「それは信頼していただけるという事ですか?!」
「えぇ……えーと、そういうのはくれと言われてあげるものじゃ無いと思います」
「分かりました、自力で勝ち取ってみせます!」
「あ、はい、頑張ってクダサイ……ほどほどに……」
もうそう言うしか無いじゃん。彼はこの先、どう進化してゆくのか……私には分からないよ……。
非常に疲れたけど、現場到着前からくたびれてちゃダメだ。ここからが本番だというのに。
とりあえず、どこかに行ってしまった緊張感さん、至急お戻りください。
******
「ここだ」
ボスの一声で、二頭の馬が止まる。
馬から降り周囲を見回す私とリリックさんに対し、同じく馬から降りたボスは目の前の何も無い空間に片手をかざし、そのまま静止。どうやらそこに結界があるらしい。ちっとも分からん。久しぶりに魔法使いをうらやましく感じるぜ。
……よく考えたらボス、完全に無詠唱? 術名すら口述して無いや。魔法師長ってやっぱ凄いのか。やだ、ボスが凄いとか認めたくない。何か悔しい。
「時間、かかりますか?」
邪魔をしてはいけないと思いつつ、ついつい口に出して聞いてしまう。で、でもホラ、静か目に言ったから、ウザかったら無視してくれれば良いし!
「お前の結界ほど堅牢では無い。これならばすぐだ」
予想に反して返事をもらえた。
確かに、私の結界を壊そうとしている時ほど集中している様子では無い。何度も壊されそうになるのを結界の内側から見てきたからね。集中度合いぐらい、何となく分かるのだ。
「よし」
その声と同時に、目の前の何事も無いようにしか見えなかった風景が変わる。
ボスが結界を破壊したのだと、そう理解した、その瞬間。
個人用サイズの結界を三重に展開、内部にボスを封印。ボスよ、安らかに眠れ。
そしてただちに場を覆うサイズ(ボス入りの結界は除く)の結界を十重に展開し、視線の先に見えた―――惨状へと―――
―――……にいさまなんで路でねてるの?
体中の血が、指先から、冷えていく気がした。
動かない兄様。
叫ぶオルリア先生と、その腕を掴む見知らぬ男。
トムさんも、見知らぬ男に押さえ付けられて。
周りにも、知らない男が、何人? いっぱい。
私たちに気付いた男たちが何かを怒鳴っている。全部、遠い出来事のように霞がかっていて、私の脳まで届かない。
ああ、でも。
先生が泣いている。
わたしのせんせいがないている。
「汚い手で私の先生に触るなあああああっ!!!」
冷えた血が、一瞬で沸騰したような、そんな感覚に侵されて。
真っ直ぐ、先生に向かって走る。
行く手を阻むように剣を振り上げた男の股下を滑り抜け、止まることなく立ち上がり駆ける。その先に居た、驚いたような間抜け面を晒す男に飛び付き、両肩に手をかけ、その勢いでくるりと頭上を飛び越す。
右斜め前から襲いかかって来た剣を、素早く抜いた短剣で受け流しながら、身を捻りつま先で引っかけるように男の膝裏を刈る。体勢の崩れたそいつの頸動脈を撫で斬り、一瞥すらくれる事無く、前へ、前へ。
火の球、魔法かな。見えてるものなんて、避ければ何て事は無い。遅いよ。そんなもので、私を捉えられると思うな。
横合いから飛びかかって来た男を、リリックさんが斬り捨てたのが視界の端に映った。
ねえ、私は止まらないよ。
ほら、もう、すぐそこ。
先生を捕らえていた男は、人質という方向へ頭が回らなかったのか、先生を突き飛ばし私へと向かって来る。トムさんを押さえていた男も、同時にこちらへと剣を構え走り寄る。何か喚いてるけど、全然頭に入ってこないや。
ありがとう、先生を離してくれて。馬鹿で良かった。
二人の男から同時に振り下ろされる剣が、遅い。その程度?
するっと躱すついでに、一人の男の懐へと潜り込み、右手の剣を一閃。そのまま流れるように動き、喉を切り裂いてやった男の背後へ。トン、と背中を押せば、もう一人の男の方へと崩れる。
それを大袈裟に避けた隙だらけのそいつの脇腹に、リリックさんの剣が突き刺さった。バイバイ。
もっと、もっとバイバイしなきゃ。
あと何人?
ぐるっと振り返り、駆け出そうとした、その腕を。
「―――さん、シーデさんっ!! まだ間に合うかもしれません!」
思い切り引かれ、示された先には、兄様に縋り付く先生の姿。
まだ、間に合う?
ほんと?
…………っああ、暴走してた。斬ってる場合じゃ無いってば!!
リリックさんのお陰で、遠ざかっていた理性が戻った。
「兄様!」
腕を掴むリリックさんと共に先生たちへ駆け寄り、急ぎ結界を展開。残る襲撃犯たちはひとまず結界の外に放置。
「おに、っさま、おにいさま、いかないでっ、おにいさまああああっ!!!」
泣いて兄様に縋り付く先生をリリックさんに引き剥がしてもらい、兄様の首筋を探りながら、治癒の陣を発動。間に合え、間に合え!!
仰向けに横たわる兄様の、胸元に刻まれた大きな傷が塞がっていく。同時に、兄様の首筋に触れた私の指先に、弱い、けれど、確かな鼓動が伝わって。
っよし! よし、生きてた! 間に合った……!
完治には足りないようだったので、更に二枚分治癒をかけながら鞄を探り、ペンと一枚の陣―――部分的に描きかけの“増血”の陣を取り出す。
ヒューの事件の時に、治癒で治しても血は増えないと知った。だから血を増やすための陣を作った。失血量に合わせて使えるよう、増やす量の部分が空白の描きかけのものを数枚持ち歩いているのだ。ああ、生きる事に貪欲な自分に感謝。
描きかけのその陣の足りない部分を埋め、すぐに発動。地面を濡らす血の量からの推測なので、完全に足りたのかは分からないけど、増やし過ぎるよりは良いはず。増やし過ぎると多分、体から血を噴き出してヤバい事になるから……ちょっと貧血な方がマシだと思う。
傷は塞がり、血も増やした。
でも、兄様の目が開かない。
耳を近付ければ、微かな呼吸音が聞こえる。息が止まってる訳じゃ無い。
だったら、と、兄様の頬をぺちぺち叩く。ぺちぺちぺちぺちぺちぺち……あ、まぶたが震えた。もう一押し?
ならば。
「産まれた!」
すうっと息を吸い、兄様の耳元で叫んだ。
カッ! と音がしそうな勢いで兄様の目が見開かれ、がばっと上半身が跳ね起きた。やるな腹筋。
「産まれた? 産まれたのかっ?! どこ、に………………あれ?」
何とも間抜けな声と共に、兄様復活。うん、何か、自分でやっておきながらアレだけど……うん、感動しづらい。
けれどそんな微妙な復活でも、先生やトムさんには感動超大作だったらしく、「おにいさまああああっ!」「だんなさまあああああっ!」合唱が凄い。
いや、確かに感動のシーンなんけどさ。私も若干ほっぺが冷たいけど、気のせいだ。目から流れてるのはしょっぱいヨダレです。
「リリックさん」
「はい!」
「さっき、ありがとうございました。私を止めてくれて」
血塗れで倒れる兄様と、泣いている先生を見て、一気に理性が消し飛んだ。途中からは全員を斬る事しか考えられなくなっていた。それよりも先に、兄様の安否の確認をしなきゃいけなかったのに。
だけど、リリックさんが止めてくれて、ギリギリ間に合った。
……この人が一緒に来てくれて良かった。私を止めてくれて良かった。じゃなきゃ私は、キレたまま暴れて、間に合わなかったかもしれない。
立ち上がり、目元を拭いながらリリックさんを見る。
「お役に立てて光栄です!」
まばゆい笑顔で敬礼された。
ハンカチも差し出された。
だから……だからさあ! ここで『役に立てて良かった』ぐらいの言い回しにしてくれたら感動的なシーン続行なのに、どうして下僕一直線な返事しちゃうのかなあ?! ううっ、感動が裸足で逃げ出したぜ……。
ハンカチはありがたく借りた。
逃げ出した感動に見切りをつけ、結界の周囲に群がる襲撃犯たちの始末に取りかかる事に。
「ここでじっとしていてくださいね」
未だ感動のシーン続行中の先生たちには聞こえないかもしれないけど、一応そう言い置き、リリックさんと二人、結界から出る。
周囲の男たちが何か喚いているのをガン無視しつつ、先生たちを守る結界を追加……というか、こちらを見られないよう、内部から外部が見えない結界を追加。
班長さんたちの時に目隠しのため“花”を使ったけど、それより結界を進化させるべきじゃね? と気付き、試行錯誤の末、完成させた代物です。尚、結界としては弱い部類なので、他の結界と重ね掛けしないといけない代物です。……マジ微妙。
それとは別に、鞄の中、紐でまとめた特別な陣を取り出す。さっきは魔術を使う事すら考えられなくなってたな。理性が飛ぶのって恐ろしいわ。
「おいテメェ! 今すぐ結界を解いて中の奴らを渡せっ!」
襲撃犯のリーダー格らしき男が進み出て、私に剣先を向けた。
「シーデさんに剣を向けるなんて……っ!」
いや、さっきもさんざん向けられてましたけど。
怒りに震えている、忠誠心が凄い事になっちゃってるっぽい下僕の腕を掴み、まだ動かないように、とアイコンタクト。通じるかな? あ、通じた? ……いや待て、剣抜かないで。通じて無いわコレ。目で語るの難しいな。
「リリックさん、私が良いって言うまで待機」
「はい!」
口で言った方が断然早かった。
「おい、聞いてんのか小娘っ!」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
「んだテメェその態度は! ぶっ殺すぞ!」
「きゃー、ぶっ殺すとか、コワーイ。震えちゃーう」
声高な恫喝に震えちゃった私は、手にした陣をばらりと取り落とした。
「何という棒読み……」ってリリックさん、聞こえてますよ。これはわざとだから! 本気出したら私はもっと女優だから!
「舐めてんのか?!」
「やだ、ばっちい。あなたみたいな人を舐めたら、絶対病気もらうじゃないですか。謹んでお断りですよ」
「舐めてんだな?! ぜってえぶち殺す!」
「いやーん、ちょーこわーい。怖いから、あの子たち喚んじゃおっと」
両手で自分を抱き締め、わざとらしく身をくねらせた私は、男を見据えニタリと笑い。
そして、禁断の術を発動させる。
「“手”、1から10まで、おいで」
取り落とした十枚の陣から―――肌色の腕が生え、伸びた。
「ひっ?!」
「何だありゃあ?!」
「化け物っ……!」
「ふふっ。“手”、全員捕まえて」
恐怖に引きつる男たちの顔に、限りない愉悦を感じながら、私は伸びた腕に命じた。後は彼らが捕まえてくれるのを待つだけの簡単なお仕事です。斬られようが魔法攻撃されようが、ある程度は自己修復して命令を完遂してくれる頼もしい“手”なのだ。
これらは“花”の術と同じく、属性ミックスで発見した召喚の術である。名称は“手”。見たまんまだ。陣を起点とし、自在に伸び動き回る肌色の腕は非常にシュールで、初めて召喚した時はドン引いた。肌色ってとこがまた生々しいんだよね。
でもこうして視覚からも恐怖を与えられるので、こういう場合には非常に有効な手段だと、陣は常に持ち歩いているのだ。メイン用途は嫌がらせ。ほーれ、怖がれ怖がれ。
「シーデさん、これは……」
「“手”です」
「はぁ、手、ですね……」
他に何と言って良いのか分からない、という複雑な表情のリリックさんに、味方を怖がらせちゃダメだな、とフォローを入れておく。
「良い子たちなんですよ? 対価さえ渡せば完璧に働いてくれますし」
「なっ……お、俺とどっちが完璧に働きますか?!」
「まさかのライバル心の芽生え……?! いや、えっと、汎用性が高いのはリリックさんですよ。あの子たちは人に知られてはいけない術なので。だから、内緒にしてくださいね?」
「分かりました! この秘密は墓まで持って行きます!」
「ははは……タノモシーイ」
まぁ、そのぐらいの心構えでいてくれた方が良いんだけど。マジで誰にも言って欲しく無いし。
そうしてのんびりお喋りしている間に、“手”たちが襲撃犯を捕まえてくれた。伸ばした自身をぐるんと巻き付け、縄代わりになって捕縛してくれている。本当に有能だ。代わりに、対価は重いけど。
捕らえた奴らは、えーと、六人か。さっき私が殺っちゃったのが二人、リリックさんが二人だから、全部で十人いた事になる。馬車一台に対しての襲撃にこの人数って、大所帯過ぎじゃない? 弱いから数で補ったのかな。
「このまま騎士団に引き渡しますか?」
「まさか」
リリックさんを見上げ、私はにっこり笑った。
「拷問……尋問します」
この襲撃犯が、こいつら自身の意思でこの襲撃をしたなら捕まえてお終いで良い。
だけど、もし黒幕が居たら? そちらをどうにかしない限り、また同じ事が起こるかもしれない。それじゃあ無意味だ。
「さて。あなたがリーダーですね? この襲撃について詳しく話してください」
“手”に巻き付かれ転がっている先程のリーダー格の男へと歩み寄り、しゃがんでピタピタと頬を叩く。
ペッ。
……手首にツバを吐きかけられた。
ガンッ!
リリックさんが男の頭を踏み付けた。ノータイムだった。
「あーばっちいばっちい。……リリックさん、それじゃあ尋問になりませんよ」
「申し訳ありません! つい反射的に!」
水の術で手を洗った私は、リリックさんに軽く注意すると、男に巻き付いている“手”に協力を仰ぐ。
「指を借りても良いかな?」
頭の中にぼんやりと肯定の意思が伝わり、男に巻き付いていた“手”が綺麗なサムズアップを返してくれた。凄いよね。耳も口も無い“手”だけの存在なのに、意思の疎通が可能。マジでファンタジー。……若干ホラー寄りかもだけど。
“手”を掴み、その人差し指を真っ直ぐにしてもらうと、男の目に充てがう。
「っちょ、待て、何する気っ」
「あ、その前に」
喚く男は知らんぷりし、隣で立っているリリックさんを仰ぎ見て、彼にも適当な人に尋問してくれるようお願いする。二人で一人を相手にしても時間の無駄だ。長時間かけての尋問なら飴と鞭的なやり方も出来るけど、そんなに時間をかけてられないから、鞭オンリーで済ませるつもりだし、だったら手分けした方が早い。
非道? はは、今更今更。
この程度の事も熟せないようだったら、武器や魔法のあるファンタジーな世界では生きていけない。前世より遥かに死が近い世界。日本人的な分別を発揮してたら、生きる事も守る事も難しくなってしまう。そんなのはごめんだ。大事なもののためなら、それ以外は切り捨てる覚悟ぐらい普通にしてる。
「“手”にもリリックさんに協力するようお願いしときますね。聞いて欲しいのは、この襲撃がこいつらの意思なのかどうか。もし黒幕が居るなら、そいつの正体が知りたいです。こういうの、騎士団でもやるでしょう?」
痛め付けて身も心も折りまくる拷問兼尋問って、普通にあるよね。むしろ治癒魔法なんてものがあるんだから、痛め付けて治してのループによる尋問だろうか。うわぁ、そいつは終わらない地獄ですなぁ。
「はい、やりますね。俺は治癒魔法を使えませんが、目や耳程度なら死にはしませんし」
あ、やっぱり治して痛め付けるってのを前提に考えてる。おっかない。……あれ、私がルナ王子にしてる事って……いや違う、あれは訓練訓練。
「じゃあ死なない程度に可愛がってあげてください」
「了解しました! 必ずや有用な情報を得てみせます!」
「お願いしまーす」
頼もしい下僕が嬉々として手近な襲撃犯へと向かったので、私は私で目の前の男に集中する。まずは少しでも話す気になるよう、にっこり笑ってあげよう。
「あなたが早く話したくなるよう、私、頑張りますね」
男の顔からは血の気が引いていた。
あれ、意外と弱虫?
******
愉快な尋問タイムの終盤、結界内にシュラウトスさんが出現。
「旦那様! ご無事、で……?」
「あれ? シュラウトスさん、こんばんは。遅かったですね」
そういえば、シュラウトスさん、居なかったな。兄様は居たのに。
これはイベントとして正しい状態だったのかどうなのか。詳細不明なイベントだからよく分からないけど、どのみち私がぶち壊したから、もうどうでも良いか。
「もうやめっ、やめでぐれっ……全部、全部話しだがらっ」
「……うっさいな。今は別の人と話してるんですよ。空気読んで黙ってろ」
足下の男の鼻っ柱をひと蹴りすると、目を丸くして立ち尽くすシュラウトスさんへと小走りで近付いた。完璧執事が表情を乱すのって珍しい。
「え、ええ。遅くなりまして申し訳ございません。旦那様から一日遅れで、本日この街へと戻って来る道中、腕輪のお知らせ機能が働きまして。必死に馬を駆り、たった今到着し、即座に転移して来たのですが……この状況は…………いえ、それよりも、旦那様方はっ?!」
おお、説明ありがとうございます。兄様だけ先に帰って来てたって事ね。じゃあやっぱり、これがこのイベントの本道って事だったのかな。
「一応無事です。あそこの結界内に居ますよ。こっちが終わったら結界解除しますんで、ご対面はもうちょっと待ってくださいね」
「ああ、良かった……ご無事でいらっしゃるのですね……。……ところで、この、腕……? は、一体……?」
ううむ、シュラウトスさん、どうせ間に合わないんだったら完全に間に合わないでくれれば良かったのに。見られたく無い術を見られてしまった。この場面で来られても、困るだけなんだけども。
「この“手”は私の術ですが、詳細は黙秘します。が、兄様たちを助けるのには必要だった、とだけ主張しておきます。その上で、シュラウトスさんにもこれらの術は見なかった事にして欲しいんですが……」
本当は必要だったというより、犯人たちへの嫌がらせがメインなんだけど。シュラウトスさんが来るって分かってたら使わなかったのになぁ。いや、存在すら忘れてましたけどね。
そんな本音は隠したまま、小首を傾げ見上げると、シュラウトスさんの真剣な目とかち合う。
そのまま、じーーーっと見つめ合うことしばし。
折れたのはシュラウトスさんの方だった。
「……旦那様方は、ご無事、なのですね?」
「兄様が死にかけてましたけど治しました。精神的な部分はもしかしたらケアが必要になってくるかもしれません。オルリア先生が半狂乱でしたし」
「左様でございますか。……ならば、私は決してシーデ様の術について口外しないと誓いましょう。この術について、貴女にお尋ねする事も致しません」
「……信じて良いですか?」
「旦那様方を救ってくださったのですから、そのぐらいは当然でしょう? ―――本当に、ありがとうございます」
シュラウトスさんはそう言って、いつもの完璧執事スマイルになると、深々と礼をした。
ふぅむ、これなら大丈夫、かな? 脅さなくても平気?
「ところで、現在の状況はどのようになっているのでしょうか? なかなかの混沌ぶりでございますが」
「尋問してました。クソみたいな事実が判明し、私は超不機嫌です」
頬を膨らませて怒りを表現すると、「レディがそのような言葉を使ってはいけませんよ」と窘められた。紳士にとっては尋問よりそっちの方が重要だったらしい。
シュラウトスさんと話していると、尋問タイムを終了させたリリックさんもやって来たので、そのまま情報の擦り合わせに移る。と言っても、私が搾り取った情報と差異が無いかの照らし合わせに終始したんだけど。周囲で痛みに呻く奴らは放置。大丈夫、後で治すよ。
端的に言えば、黒幕は居る。
そして私は、深く後悔している。反省もしている。
やっぱり燃やしておくべきだった、と。
そう、黒幕は件の肉塊。
全ては、オルリア先生を妾にと欲した、あの肉塊の醜悪な欲望からきたもの。
この襲撃犯たちは実行犯として雇われただけ。ちなみに、昼間の騎士への奇襲もこいつらの仕業だった。陽動作戦の一環だったそうだ。どこがどう陽動になってるんだろう?
昼間の内に騎士に負傷者を量産し力を削いでおくだとか、その奇襲をピタリと止める事で警戒を緩めさせるだとか、そういった狙いがあったらしいけど……普通、もっと警戒されるだけじゃないかな? でも実際にこの場に騎士は(私が連れて来た以外では)居ないから、間違いじゃ無いのかな? よく分からないや。
しかしそうか、ここでご都合主義が発動するのか。今日はここまで逆ご都合主義の連続だったから、バランスを取ろうとしてるんだろうか。
まぁでも、黒幕が判明して良かった。憂いは根元から断たなくてはいけない。臭い物に蓋では無く、臭い物は消してしまうべきなのだ。そうすれば二度と煩わされずに済む。
「あー……、結界があと四枚になりましたね。そろそろ急ぎましょう」
予想よりも結界の壊されるペースが早い。ボス、本気出し過ぎだ。あ、途中で加速してたから、応援を呼ばれたのかも。もしくは、ボスが本気の本気を出したのか。能ある鷹は爪を隠しっぱなしにしときなさいよ、もう。
まずは“手”たちと対価の交渉。と言っても、「何人要る?」と聞いた私に対し、一本の“手”が、指を三本立てて見せたので、それで交渉は完了。
彼らへの対価は―――生き物、なのだ。だからこそ、滅多な事では使えない。でもこいつら相手なら私の罪悪感は刺激されないから、使う事を厭わない。そもそもが、兄様を殺そうとしたんだから、同じ事をされても当然なのである。
“手”には生きている奴から三人お持ち帰りいただいて、“手”の代わりに縄で縛った残りの生きてる三人には治癒の術をかける。尋問した事はバレちゃいけない。でも治したら適度に痛め付ける。無傷でも不審がられるからね。
さじ加減が難しいな、と思ったら、シュラウトスさんが「何も出来ませんでしたから、せめてこのくらいは」とやってくれた。……うん、何だか慣れていらっしゃる。そういえば“死神”だったっけ。あ、魔術も使うんだ。程々でお願いします。
適度に痛め付けられた男たちの衣服に一枚ずつ陣を差し込み、距離を取る。
「“羽”」
私の声と同時に、上から真っ白な羽が降ってきた。それが男たちに降り注ぎ、彼らがパニクって騒いでいるのが煩いけどスルー。降り積もった羽が溶けるように消える頃には、彼らはすっかり大人しくなっていた。気絶してるわ。
「幻想的な光景でしたね」
「ファンタジー丸出しですよね」
和気あいあいと感想を述べ合う私とリリックさんに対し、シュラウトスさんは微妙な顔をしている。
「……シーデ様。今の術の、効果だけぐらいはお聞きしても?」
「記憶を消しました」
「……左様でございますか」
“羽”も召喚の一種。対象の、産まれてから今この瞬間までの全ての記憶を奪う。というか、食べてるらしい。……記憶って美味しいんだろうか。いやそれ以前に、“羽”には口も何も無いんだけど、どうやって……。ま、まぁ、ファンタジーすげーって流しておくか。
やってくれる事は記憶の消去だが、対価もその記憶なので、あれこれ対価無しって事なんじゃない? と思った。でもラッキーなのでそっとしてある。
「しかし、記憶を消してしまわれては、ヒール殿に繋がる証人が居なくなってしまうという事ではございませんか?」
「証人が居たら困るんですよ。今から仕返ししに行くんですから」
私が今からあの肉塊に仕返しをするのに、この襲撃犯たちから繋がりがバレたら、私の仕返しもバレてしまう可能性が出てくるという事だ。それはマズい。
どうせ兄様たちに聴取されたら思い当たる相手として挙げられるに決まってるけど、明確な証人さえ居なければうやむやになるはず。
あと、記憶を残しておいて“手”の事や尋問がバレてもマズい。マズい事だらけだ。後ろ暗い部分は隠しておかないと。
「仕返し、でございますか。……シーデ様、是非、私もお連れ下さい」
「シュラウトスさんも仕返ししたいんですか?」
そう聞くと、彼はゆるゆると首を振った。
そうして、決意を秘めた目をこちらへ向ける。
「貴女だけに全て背負わせる訳には参りません」
よし、重い。
「背負う気なんて無いですよ。丸投げしますから」
「丸投げ、でございますか?」
「んー、ちょっと違うか。何て言うか……投げっぱなし? 不法投棄?」
「ますます分からなくなりましたが」
「多分、今ならイケると思うんですよね。詳しくは今度話します。で、シュラウトスさんには残ってもらって、今からやって来るであろう騎士たちへの説明役になってほしいんですよ。リリックさんでも良いんですけど―――」
「俺はシーデさんに付いて行きます!」
「―――って言うと思ったんで、やっぱりシュラウトスさんが残ってください」
兄様たちだけじゃ無く、ここで起きた事を把握している人間が説明係として残っていないといけない。説明係 = 嘘八百を並べ立てる係です。いや、全部嘘じゃないけど。嘘と真実のコラボレーションって方向で。
まず、私が先生の身を案じ馬車に陣を仕込んだ事や、腕輪の件は話してオッケー。ただし、トムさんが陣を発動させたという部分は伏せ、攻撃に対し自動で発動したという事にしておく。発動させた陣は既に霧散してるから、何とでも言えるのだ。こういうとき、証拠の残らない魔術って素敵だと思う。
次に、私とリリックさんが駆け付けたところ、兄様が瀕死だったのでそれを治したというのもそのまま話す。この場面にはシュラウトスさんは居なかったので、先生やトムさんが証言してくれるだろう。
そうして兄様を治した後、私とリリックさんは襲撃犯との交戦に突入、その最中にシュラウトスさんも登場、共に戦ったという事にしておく。
そして、ここからが嘘八百。
「私とリリックさんで今から肉塊へ仕返しに行きますが、それがバレたら困ります。なので、逃げた襲撃犯を追って行ったという事にしましょう」
この襲撃が失敗だと肉塊に伝わる前に片を付けなくてはいけない。そのためには、悠長に聴取だ何だというのをされる訳にはいかないのだ。それに、今でないと出来無い事があるはずだし。
「襲撃犯の内の魔法を使える奴が、私の結界を一部破り、そこから数人逃走。私たちはシュラウトスさんに後を任せ、そいつらを追ったと言っておいてください」
私とリリックさんは逃走した奴らを追うも、追跡失敗。意気消沈して騎士団に戻る、という筋書き。これなら今から私たちが肉塊に仕返しをする時間分ぐらいは稼げる。
どこへ行っていた、何をしていた、と聞かれても、追跡してた、失敗した、で済むのだ。怒られたり、何らかの罰則はあるかもしれないけど……リリックさんはそれを承知の上で付き合うと言ってきかないので、申し訳ないけど最後まで付き合ってもらう事に。
「あ、あと、兄様は治療しましたけど、オルリア先生とトムさんは診てないんですよ。だから結界を解除したら、シュラウトスさんが診てあげてください。治癒の陣、渡しときますから」
このイベントでは兄様だけでなく、馭者も怪我を負ったはずなのだ。すっかり忘れてた。私、まだまだポンコツ。トムさんも先生と一緒になって感動で泣き叫んでたから、大怪我じゃ無いとは思うけど。
「シーデさん、魔術の陣は他人には使えないのでは?」
「あっ! ……うー、これも内緒なんですけど、私の陣……結界と治癒は他人にも使えるようになってます。これ、トップシークレットなんで!」
「了解しました。絶対に秘密を守ります!」
シュラウトスさんは知っている事だから、差し出した陣を普通に受け取ったけど、リリックさんは知らない事だった。
こうして秘密というものは漏れていくのか。完全に私のうっかりじゃないか……脱ポンコツは遠そうだ。
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全てを終えた私たちが騎士団に帰還すると、団長を筆頭に大勢に取り囲まれた。全員が一斉にしゃべるもんだから、誰が何を言っているのかさっぱり分からない。
「追った犯人は取り逃がしました。申し訳ありません」
何はさておきリリックさんとそろって頭を下げると、それは残念だが、怪我が無くて良かったと口々に言ってもらえた。どうやらとても心配されていたようだ。
申し訳無く思う反面、嬉しくて顔がへらりと崩れそうになり、抑えるのが大変だった。心配かけたのに笑っちゃダメだ。でもちょっと嬉しいんだよ。うう、我慢我慢。
しかし一番驚いたのは、その場にじーちゃんズが居た事。
帰宅が遅くなると連絡はあったものの、遅くてもこのぐらいだろうと知らされていた時間を過ぎても戻らず、その後の連絡も無い(騎士団も混乱していたから仕方が無い。尚、混乱の原因は私だ)という状況に不安が募り、わざわざここまで出向いてくれたようだ。
ま、不安を募らせてたのは父さんだけらしいけどね。あとは皆、私なら何があっても勝てると信頼してくれていたようだ。……ウチの家族の中で、私は何と戦っている設定なんだろうか。
父さんが来なかったのは、何かがあった際に対処出来ないから。その点、我が家の武神じーちゃんズなら大抵の事は大丈夫。我が家の最終兵器母さんは、ばーちゃんズと共に家で父さんを宥めているそうです。ヤバい、早く帰らなきゃ。父さんが泣き過ぎて枯れ果てる。
じーちゃんズは私が帰宅途中に行き倒れたりしている可能性も考慮し、ここまで二人、それぞれ別ルートで捜索しながら来てくれたらしい。
うおお、愛されてて嬉しいけど迷惑と心配かけちゃったよ! ごめんなさい! でも愛されてて嬉しい!
じーちゃんズのそんな説明を聞き、ついに嬉しさがK点越えしてしまった私の顔は結局、にへらっと崩れた。
そしてすぐさま、「心配させておいて何を笑っている!」とイノシシにチョップされた。友よ、それ……更に嬉しいだけだ! 心配したって言ってくれたのと同じだから! 困る、ニコニコが止まらないよ。
周囲に集う騎士たちを団長が一喝で散らし、掻い摘んでされた話によると、兄様たちには現場で軽く聴取をした後、数名の騎士を付け帰宅させたとの事だった。
本来ならそのまま騎士団でガッツリ聴取なんだろうけど、兄様は治したとはいえ死にかけた直後だし、何より、現場に駆け付け、飛び込み、ひと暴れした中心とも言える人物がその場に居なかったため、明日にでも改めて聴取、という運びになったようだ。はーい、私がその中心人物でーす。
そんな訳で今日は帰って、明日また来るように、という流れになり、近くに居た人々にひと撫でされ、帰る事になった。副団長だけは撫でてくれなかったけど。人目がある場所ではダメらしい。恥ずかしがりやさんだな。
そうしてじーちゃんズと仲良く帰ろうとしたら、馬車を出された。……いらん試練を追加された気分だ。
帰宅後、家族全員に心配かけてごめんと謝り、軽く事情を説明。父さんはハグからのほっぺにチューで泣き止んでくれた。私の涙腺がたまにゆるゆるなのは、きっと父さんに似たんだと思う。
夕食と入浴を手早く済ませ、やり切った達成感と、鬱イベントをギリギリ回避出来た安堵から、死んだように眠った。
疲れた……。
反省点は多々あれど、それでも私、頑張ったよね……。




