○○が生まれた日
それは家族団欒の幸せな夕食を終えたときの事。
「ふぅ……」
「どうかしたのかい?」
ひっそり溜息を吐くと、食卓の後片付けをしていた父さんが耳聡くそれを拾った。
卓上を拭きながら、「悩みがあるのなら、ぜひ父さんに……!」と期待に満ちた目でプッシュしてくる。娘の悩みごと待ちってどういう姿勢なんだろう。
「デジーったら、思春期の娘に父親が悩み事を聞いたりしちゃダメじゃない♪」
「あ、そうか。気が利かない父さんでごめんよ。じゃあ、と、父さんの事はいいから、シルゥにでも相談すると……父さんの事はいいから」
母さんにやんわりと窘められた父さんの、聞きたいけど我慢する、けどやっぱり自分に相談して欲しい……! というのが丸分かりな、この挙動の不審さ。チラッチラッと視線が飛んでくるし、卓上を拭く手が止まらない。何往復すんの? もう綺麗だよ?
ああもう、何でウチの父さんはこんなに可愛いんだろうか。
「私、父さんみたいな人と結婚したいなぁ」
「あらシーデ、ひょっとして恋バナ? 好きな人でも出来たの?」
「まぁまぁ、あなたが恋をするだなんて。それで、相手はどんな殿方なの?」
「同年代の子? それとも、あなたは早熟だから年上かしらねぇ」
「あらやだ、決めつけちゃ駄目ね。殿方では無いという可能性も考慮しなくちゃ」
「それもそうだわ。まずはそこから聞かなくてはね」
「大丈夫よ。相手が同性でも誰も反対なんてしないわ」
「そうそう。大切なのは当人同士の気持ちだもの」
「そうなると、わたしたちにはもう一人孫娘が増えるってことになるわね」
「それもまた一興だわ」
「孫の性癖にまつわるかもしれない部分を一興で済ませるのはどうかと思う!」
不用意な呟きへの食いつきが凄い。ばーちゃんズ、ピラニアの如し。
そしてその勢いに押され口を挟む隙を見出せない内に、私のお相手が同性の可能性を帯びてきた。何てこった。こうして誤解というものが生まれるんですね分かります。
「今のところ恋愛的な意味で好きなお嬢さんもご婦人もいないよ」
「あらそうなの? だったら殿方なのね?」
「ふむ、シーデや。ワシらはいつごろその男と仕合えば良いかな?」
「こちらが都合を合わせるぞ? 出来れば一日かけて仕合ってみたいからのぉ」
おっと、なぜかじーちゃんズまで食いついてきた。そして戦う気まんまん。それはどこの戦闘民族的儀式なのか。
父さんは……虚ろな目で「シーデが、僕の天使が、恋……?」ってぶつぶつ言ってる。そっとしとこう。
「同性異性問わず、好きな人はまだいないから。闘気を抑えてくれないかな? さっきのはただの例え話だよ」
「ん~、じゃあシーデの悩みは恋愛事じゃないのね?」
「悩みって言うか、ね……」
行儀悪く頬杖を付き、重い息と共に続きを押し出す。
「好きな人は出来て無いけど、…………下僕が出来た」
私の目下の悩みはコレなのだ。
昼間の練兵場での出来事を思い出し、精神的ダメージは魔術じゃ治せないんだよなぁ、と疼く頭の痛みに耐えた。
******
サイラス師匠が多忙につき、本日の訓練は自主練だった。討伐がどうとか言ってたけど、詳しくは知らない。見習いには(てか私には)あんまりそういう情報は入ってこないから。
というか私、いつまで見習いなんだろう。いや、騎士になるつもりは無いけど、こういつまでも見習いでいさせてもらって良いの?
普通は半年、長くても一年で見習いを終え、そこから騎士になったり準騎士(臨時要員みたいな立場)になったり、もしくは適性が無いと諦めたりするみたいなのに、なぜ私だけずっと見習い状態でいさせてもらえるのか。それも訓練のみという特殊な扱いで。
もしや、親馬鹿が進行している団長が裏から手を回しているのでは……という予感がするけど、願ったり叶ったりなのでそっとしとこう。私は贔屓するのもされるのも厭わないのだ。自分に都合の良い事なら尚更。
ともかく今は張り切って自主練しなくちゃ、と周囲を見回した私の前に立ちはだかったのは、弟弟子たるルナ王子。
「手が空いているようだったら、また僕と手合わせをしてくれないかな?」
もはや私の八つ当たり要員としてカウントされている王子だが、ついにボコられ過ぎて立ったまま寝言を言うようになったらしい。可哀想に。
「何だか哀れまれているような気配がするのだけれど……」
「とうとう被虐趣味に目覚めたのかと」
「至って心外だよ。君に相手をしてもらうのは、良い鍛錬だと思っている。それだけだからね?」
一方的にボコられる事の何が鍛錬だというのか。精神修養ってやつなの? 高度な鍛え方だなぁ。
まぁ愛するイノシシやお兄ちゃんたちも討伐とやらに行ってしまったし、他の人は私が相手を探し始めると微妙に視界から外れようとしてくるし。
この際王子で手を打つか、と完全なる上から目線で引き受けると、「今回からはこちらを使ってくれないかな?」と訓練用の刃を潰した短剣を渡された。
「いつもみたいに真剣でやらないんですか?」
「ええと、それは……」
「つい先刻、『これ以上衣服をボロ雑巾のようにするのなら、貴方自身をボロ雑巾のようにしてあげるわ。心しておきなさい』と王妃様直々にお達しがございました。殿下はそれを恐れていらっしゃるので、真剣ではなく訓練用剣をお望みなのです」
「言わないでくれ……」
常時ひっそり付き従う側近さんの暴露により、王子の眉尻が情けなく下がった。
そんな王子の消沈ぶりなんかより、滅多に聞けない側近さんの声に興味を惹かれた私って、どんだけ王子に興味無いんだろう。
だって何かこの側近さんの声、聞き覚えがあるというか、誰かの声に似てる気がするんだよね。
「……何故そんなに僕の側近を見つめているの?」
「凄く気になって。もう少しお話しませんか?」
「……職務中ですので」
簡潔なお断りと同時に、彼は静かに離れて行った。つれない。
うーん、もうちょっと長く会話すれば、誰に似てるのか思い当たりそうなんだけど。まぁ仕事の邪魔しちゃ悪いし、突き止めなきゃいけない訳でも無いから、別にいいか。
「口説きたいのなら、人前は止した方が良いんじゃないのかな? 良ければ彼の勤務終わりの時間ぐらい教えてあげられるけれど。……ああでも、彼には恋人がいたような」
「やめて。ナンパに失敗したみたいな空気にしないで。そういうんじゃありませんから、妙な気を回さないでください。そんな事より、始めましょうよ」
大丈夫、分かっているよ……という慈愛に満ちた顔で頷かれてイラッときたので、普段より丁寧に、じっくりコトコト相手をして差し上げた。ボコる、では無くフルボッコ。彼はつくづく自分で自分の首を絞めるタイプだ。なぜ懲りないのか。
しかし、初期の頃は一方的に嬲られるだけだった彼が、最近では私の動きに目が付いてきてる節がある。どうも動体視力が上がってるみたいだ。王子のくせに生意気な……。
まぁ付いてこれるのは目だけであって体は無理みたいだから、相変わらず私のワンサイドゲームってのに変わりは無いんだけど。でも油断せず、私は私で王子の目が付いてこられないぐらいにならなきゃね。これが切磋琢磨というやつ……いや、励まし合っては無いからそれは違うか。
王子本体をボロ雑巾のようにして(結局ボロ雑巾にされるんなら私でも王妃様でも同じじゃないのかな)気は済んだので、次なる獲物―――ではなく他の相手を物色し始めると、潮が引くように視界から人気が失せていった。
ふむ、と一旦その場で考え込むように立ち尽くし、数秒後、ぐるんっと振り返り全力ダッシュ。
突発的鬼ごっこの結果、無事、チャラ騎士の一人を捕獲。
「うえーい捕まったぁ。今日のイケニエは俺かよ。ツイてねー」
「人聞きが悪い。というか、何で皆、私から逃げようとするんですか」
「ボコられたくねーからに決まってんじゃん。おーじさまの二の舞とか、マジ勘弁だし」
これは私に対して失礼なのか、自国の王子に対して失礼なのか。
その王子様は既に側近さんによって運ばれていったので、聞かれる心配は無いけども。彼の退場はいつだって速やかなのだ。あの側近さんの手腕が凄い。
「ボコるんじゃなくて訓練ですよ。お互いに高め合いましょう?」
「俺が沈められる未来しか見えねー! 誰かヘルプ!」
「いいヤツだったのにな……」
「こんな所でアイツを失うなんて……」
「せめてメーフクを祈ろうぜ……」
「俺終了?! くっそ、ナンでアレクは居ねーんだよぉ! アイツが居たら喜んで代わってくれんのに!」
諦めたまえ。ナンパ騎士ことアレックスさん(愛称アレクさん)は、騎士団長様に引きずられるようにして討伐とやらの面子に加えられていたから。どうも、団長の中の“アレックスさんを〆る期間”がまだ終わっていない模様。ふぁいと。
「さあさあ、楽しい訓練の時間ですよ」
「マジでヤなんだけどー。大体シーデ、急所狙いスギだし。避けるのも一苦労ってか、毎回、命のキケン感じちゃうし?」
「そうなんですよね。一撃必殺じゃなきゃダメなのに、避けられちゃうんですよね。もっと精進します」
「カンタンに俺を殺そうとしないで欲しい」
しょぼーん、とか効果音を口にしながら肩を落とされても可愛くは無いし、見逃す気も無いよ? あと、殺す気は無いって。言葉の綾ってヤツじゃないか。
「ほぉら、痛くありませんよ~。……全部避ければ」
「最後にボソッと付け加えんのヤメてくんね?! あーもーマジで哀れな子羊ちゃんの気分―――って、そーだ、イイこと思い付いた! 俺じゃなくて、リリックで良くね?」
ナイスアイデア! と指を鳴らした彼を、私は首を傾げて見返す。
「えーっと、……それって誰でしたっけ?」
いや、すまん。騎士ってホラ、人数多いから。特に私は週に二日しか来ないし、ほぼ関わらない人だっているしさ。だからそんな皆して、『マジかこいつ』みたいな目で見ないでほしい。
確かに覚えきれない私が悪いかもしれないし、現に君らチャラ騎士の事も十把一絡げにしてるけども。……完全に私が悪いな。
「ごめんなさい。名前覚えるの苦手で……」
正直に謝ると、「いや、そーゆー問題じゃ無いっしょ」と真顔で返された。普段チャラチャラしてる人の真顔って、心に刺さる。
「え、これマジで言ってんの?」
「いっくら覚えんの苦手っつっても、相手はリリックじゃん?」
「フツー忘れねーよな?」
「つか、ど~やったら忘れれんのかチョー不思議だし~」
え? その“リリックさん”とやらは有名人なの? 覚えて無きゃマズい相手? 困った、本気で記憶に無い。
「ええと、どなたの事なのか、教えてもらえると助かるんですが……」
恐る恐る尋ねると、『あ、やっぱマジで言ってたコイツ』という目で見られた。数人に囲まれた上、こんな目で見られる日が来るとは。自業自得だから何も言えねえ。
「どなたって、あーっと、アイツって討伐行ったっけ?」
「いや、つか非番じゃね? 確か」
「え~? でもオレ、さっき見たし?」
「は? 練兵場で? でも非番だろ?」
「ん~と、―――あ、やっぱ居たし。ほらほら、あそこ」
一人の騎士が指し示した方向へ、全員が一斉に顔を向ける。
ちょうど視線上に別の騎士がかぶっていてよく見えなかったので、その騎士の陰からちょこんと覗くと。
……あれ……マジか。あいつか。……マジか。
その姿を認めた瞬間、即行で騎士の陰に戻った私は、それはもう立派なチキンです。コケー。
皆の視線の先、きょろきょろと何かを探すような素振りをみせていた彼は―――件の “チュー事件”の相手である何某さんであった。何某さんというか、つまりは彼が“リリックさん”って事か。わぁい、ひとつお利口になったゾ☆
……とかふざけてる場合じゃ無いな。
通りで皆が引く訳だ。何であんな目に合わせた相手の名前を忘れてんの? って事だな。ははっ、返す言葉も無いわぁ。むしろ、あの事件のあった当日に忘れ去ったなんて、とてもじゃ無いけど言えないな。
「マジで居たし。でもあれ、私服じゃね?」
「ん~? あ~、ぽいな。んじゃやっぱ非番だった系?」
「じゃー何で居んの? 超キョロってっけど、探しもん?」
「つか、シーデはナンで俺の背中にしがみ付いてるワケ?」
「本日の訓練は“かくれんぼ”に変更されました。そんな訳で、匿ってください」
「いや、どーゆーワケだし」
何だこの物体、というように見下ろしてくる周囲の騎士たちに、自尊心をドブに蹴落としお願いすると、更に不可解そうな顔をされた。
どう思われようとも、私はこの頼れる背中(期間限定)を手放す気は無い。セミになったつもりで貼り付いててやる。少なくとも、リリックさんとやらがどこかに行くまでは。
というか、皆もっと私を囲ってくれないかな。ぜひとも防波堤になってくれ。
ほら、あなたはそっちで、あなたはこっち。あなたはこの角度で、そこ二人はそのまま。あ、ちょっと、動いちゃダメだってば。
こそこそと指示を出し、良い具合に防波堤を築き上げると、他の騎士から「おーい、サボってんなよ」と声が飛び、一人が「ちょい会議中だから~。明日から本気出すし~」という雑な返事をしていた。
チャラ騎士たちがいい加減(でもやる時はやる、らしい)なのは周知の事実なので、それ以上、特に何もツッコまれない。……これで良いのか、騎士団。まぁ今は助かってますけど。
「で? 何で俺らはシーデを囲ってんの? つか、囲わされてんの?」
「コレ何ごっこ?」
「リリックに見つかりたくねー的な方向?」
「あ、そーゆー感じ?」
「そーいやアイツ、最近シーデのこと超見てっけど」
「だから、訓練の相手にチョード良くね? って提案したんだし」
「リリックの相手すんのヤなの? 見られんのもヤとか、そっち系?」
「でもシーデ、普段はベツに気にして無くね?」
「そ~そ~、完全にシカトしてるってか?」
「アンタなんかガンチューに無いわ! って態度貫いちゃってね?」
この人たち、思いの外やるな。話がぽんぽん進むから割り込みづらいけど、彼らだけで徐々に正解に近づいてってる。何この意外な能力。……尋問係とかやったらいいんじゃないのかな。でも相手も和んじゃうかな。
というか、普段から結構周りを見てるんだ? と本気でびっくりしてしまった。失敬失敬。
「えっと、そうですね。気にしないようにしてますけど、ガン見される意図が不明で正直困惑してます。リベンジの機会を狙ってる風でも無いし……」
むしろそれ狙いなら、さくっと相手して終わらせるのに。勝つにしろ負けるにしろ、それで終わりって事で片が付くなら別に気にしないし。命がかかった戦いとかならともかく、こういう訓練だったらそこまで勝敗に拘る事も無い。
……いや、そりゃ負けたら悔しいけどね。それをバネにして自分の糧にすれば良いんだよ。そのための訓練なんだから。
だというのに、やっぱり彼から敵意や殺意は感じ取れないんだよなぁ。考えてもよく分からないので、放置プレイでいく事にした私の判断は間違ってないと思う。
「だったら聞いてみればよくね?」
「よくね? って言われても……」
「何なら俺らがきーてやるし? おーい、リリックー! ちょっと来いよー!」
発言から実行までの早さ! 君らは本当に軽いな!
ちょ、まだ心の準備が出来て無いんだけど!
「何だよ。何か用、か……」
相変わらずきょろきょろしながら、呼ばれて寄って来た何某さんことリリックさんが、チャラ騎士の陰に隠れていた私に気付き、言葉を途切れさせこちらを凝視してくるのがつらいです。
もしや、お探しものは私でしたか。そんな気はしてたけど。わーい、見つかっちゃったぞー。
……はぁ。いつもより距離が近い分、言いしれぬ圧を感じるなぁ。見過ぎ見過ぎ。穴開くわ。
「なーオマエさー、何でシーデ見てんの?」
「何か最近、チョー見てるし?」
「言いたい事あんなら、直接言ったらよくね?」
「……」
無言!
きゅっと口を結んだまま私を凝視していらっしゃいますが、一体どうなさったのでしょうか。お口にチャックしちゃってんのかな? 開けて開けて。今すぐそのチャック開いちゃって。
「リリック~? オレらの声、届いてる~?」
「……聞こえてるよ」
「あ、返事できんじゃん。んで、何でシーデ見てんの? 最近しょっちゅー見てるってか、マジ見過ぎじゃね?」
「……お前らに関係無いだろ」
うん、お口のチャックは開いたみたいだけど、心は閉ざされてるね。そしてその視線は一瞬たりとも私から外されないね。
ねぇマジで何なの。私から視線を逸らしたら死ぬ呪いにでもかかってんの? そんな局地的な呪い、どこで拾ってきたの? 悪いこと言わないから、早く元の場所に返してらっしゃい。
「いや、関係無いっつってもさー」
「……」
「シーデもマジ困惑してるし?」
「……」
「オンナノコをギョーシするとか、良くなくね?」
「……」
無言再び!
お口のチャックは故障中なの? ついさっきはオープンしてたじゃない。何で再度クローズしちゃったの? 遅めの反抗期か?
「なー、シーデからも聞いてみ?」
「ええっ? でもあの様子じゃ、私が聞いたって答えてくれないでしょう」
「でもアイツ、『お前らに関係無い』っつったからさー。シーデならバリバリ関係あるし? 答えてくれんじゃね?」
横に居たチャラ騎士の一人がひそひそと提案してきたので、嫌だなぁと首を振ったが、貼り付いていた背中からべりっと引き剥がされ、そのまま前へと押し出されてしまった。ああ無情。
それにより真正面からリリックさんの視線を浴びる羽目になり、どうにも居心地が悪い。変な汗出る。
しょうがない、聞くだけ聞いてみるか。どうせ返事してくれないだろうけどさ。
「あの、リリックさ」
「はいっ!」
えええ……超イイ返事された……。そのキラキラしたお目々は何……?
呼び終わる前、食い気味というかむしろ私の言葉を食っちゃう勢いで元気なお返事をいただきました。
さっきまでの反抗期はどこに行ったの? お口のチャックが急に全開だよ? どうしたの? やっぱり壊れてんの?
「えーっと……その、どうして私を凝視してくるのか、お聞きしたいんですが」
「以前、呼んだらすぐ来るようにと言われましたので。いつ呼ばれても良いようにと注意を払っていたのですが」
あー、それはアレか。あのチュー事件のときの事か。実際、『呼んだらすぐ来い』的な事は言った。それは記憶にある。
けどね?
呼ぶつもりなんて無かったから。アレはあなたへの脅しだったんだよ。呼ばれたらどうしよう……とぷるぷる怯えて日々を過ごして欲しかっただけなのよ。それなのに、あなたが超見てくるから呼ぶ羽目になっただけで。しかも呼んだの私じゃ無いしな。
いや、それより何より気になる事が。
「あの、何で敬語……普通に話してくださいよ」
「いえそんな、シーデさんにそんな事出来ません」
まさかの“さん”付け?!
ちょ、おま、どうした?! あんだけ敵意剥き出しだったくせに、何でそんな事言うの?!
「やべー、ちょー下僕だし」
「それな」
「従順なゲボクに進化しちゃってね?」
「無いわ~。マジ無いわ~」
「いつの間にチョーキョーしたんだろーなぁ」
多大なる誤解に私の名誉が木っ端みじん! 調教なんてしてないよ! 身に覚えが無いってば!
「待って……ちょっと待って……!」
「はい、いつまでも待ちます!」
わぁ、良いお返事。
あっはっはっは。……意味分かんないんだけどどうしよう。
え、何これ何でこの人こんななってんの? 私、何もしてないよね? そりゃ仕返しというか、団長を侮辱した分はやり返したけども。もしやチューか? チューでこんな―――なる訳無いな。チューにそんな威力があるんだったら、世の中のカップルがチュー出来なくなってしまうわ。
えー、ちょっとホントに意味が分からないよ、と脳の動きが遅くなりぼんやりしていると、「ちょ、シーデどこ見てんの? ダイジョブ?」と体を揺さぶられた。
うーん、ちょっとダイジョブじゃ無いかな。
だって目の前のリリックさんが、輝くような目で見てくるから。なぜ敬語なのか、私に何を期待しているのか、さっぱり分からない。
「おうち帰りたいな……」
ぼんやりしたまま、逃避願望を込めた本音が口からポロリした。
「よろしければお送りします!」
退路を塞がれた。
「いえ、リリックさんはお仕事ですよね?」
僅かな希望に縋った。
「いえ、非番です!」
完全に逃げ道が断たれた。
休みなら休めよおお! なぜ職場に居るの! 仕事中毒か! 日本人か!
「つかオマエ、非番なのに何で居んの?」
「……関係無いだろ」
この温度差。
私には良いお返事をくれるのに、それ以外にはそっけない。私の可愛いツンデレポジションはクランツさんとイノシシで間に合ってるんで、他当たってもらえないかな。
「リリックさんて、普段からあんな感じなんですか?」
「あんなカンジだなぁ。ちょっととんがり気味っつーの?」
「思春期なんじゃね?」
「なげー。思春期チョーなげー」
こっそり聞いてみたら、けらけらと陽気な笑い声が返ってきた。
どうやらリリックさんは日頃からとんがっちゃってる人らしいけど、チャラ騎士たちは特に気分を害する風でも無い。人生を楽しむコツって、こういうところにあるのかも。お手本にしなきゃ。
彼らの呑気さで和み、気持ちが落ち着いてきた。パニクってたって良い事なんて無いもんね。落ち着いて目の前の事に対処するべし、だ。
「リリックさ」
「はいっ!」
「……リリックさん。私があのとき言った事は、あの場限りのお茶目な脅しです」
「ぷはっ」
「お茶目な脅しとか、ちょーウケる」
「茶々入れないでくださいよ、もう。……『呼んだらすぐ来て』っていうのは、いつ呼ばれるのかという不安に苛まれればいいと思って言っただけです。団長を貶めたあなたへの軽い仕返しでした」
それがまさか、ここまで長い期間引きずられる事になるとは。完全に想像の埒外だった。悪いとは思って無いけど。やられたからやり返しただけだし。
「だから、今後もあなたを呼ぶつもりはありません」
「そんな!」
きっぱりと宣言したら、終わった……! 的な顔でリリックさんが崩れ落ちた。
ええええ?! 何がそんなにショックなの? あれはただの脅しだよ、って暴露したんだから、もう今後はそれに囚われなくて済むって事じゃん。リリックさん的には喜ばしい話でしょ?
「というか、用事も無いのに呼んでどうするんですか」
「そんな……そんなこと言わないでください! どうぞ遠慮無く呼びつけてください! お役に立ちますので!」
「お役に……?」
「小さな事でも構いません! 重い物を運べでも、高い所の物を取れでも、代わりにおつかいに行って来いでも、団長に代理で叱られろでも!」
それはパシリというやつでは。
……最後の提案が魅力的でぐらついたってのは内緒。どうせ代役を立てたところで、後々更に怒られるだけだし。あと、そんな案が出ちゃうほど、私が団長にお説教される姿が日常の一コマになってるって事実が切ない。
「それにっ、守る、と言うと烏滸がましいかもしれませんが、いざという時の盾代わりぐらいにはなれるかと!」
盾だなんて、そんな馬鹿なこと言わないで! ……って言う場面なのかなコレ。
しかし大前提として、私は別に何者にも狙われてはいないし、敵もいない。身辺警護が必要な身分じゃ無いよ。逆に誰が私の命を狙ってんだよ。こええよ。
「お役に、立ちたいんです。どうか、お願いします……!」
「うぉ……これガチだ……」
「ガチの下僕志願じゃん……」
「マジか……キツ……」
地面に座り込み、瞳を不安で揺らしながら見上げてくるリリックさんと、あれだけ何事もチャラけて賑やかしてしまうチャラ騎士たちの、真剣なるドン引き。
その姿に、思わず。
「……シーデ? ナンで急にバンザイしてんの?」
「お手上げだーい」
両手を真っ直ぐ空に向けて伸ばし、半笑いで今の気持ちを表す事にした。
ふむ、お手上げ感が良い具合に表現されてて、とてもしっくりくるね。
『お仕え』って何なの? ガチの下僕志願ってどういう事? もう分かんないや。はいはい、お手上げお手上げ。
「シーデが壊れた!」
「ちょ、ショーキに返れって!」
「ヤベーし! 早く戻っといで!」
「私はどうしたら良いの? どうやったら収拾が付く? 婿? 責任取って婿にでももらえば解決する? リリックさん、一生あなたを養わせてくれますか?」
「解決策が突拍子もねー!」
「ムコとか、だんちょーぶち切れるし!」
「つーかプロポーズがオカシイ! 養うつもりとか、どーなってんの?!」
「もう養うぐらいしなきゃ責任取り切れない……」
私が個性的な脅しをしたばっかりに、リリックさんがおかしな事になってしまった。必要な事をしただけなので反省も後悔もしないけど、自分で蒔いた種は自分で刈り取らなくては。収穫までが種蒔きです。
「重い重い!」
「背負いスギだし!」
「もーちょい気楽に生きよーぜ?!」
「婿だなんて、そんな畏れ多い!」
リリックさんだけノリが違う……『畏れ多い』って私は何様なの……衝撃的過ぎてバンザイが止まらないよ……。あ、違った、お手上げのポーズだった。
空笑いでお手上げを続けていると、それに危機感を抱いたらしきチャラ騎士たちが、さっと目配せを交わし合い。一瞬の判断で私を隔離する事にしたらしく、一人が私を小脇に抱え食堂まで運搬。目と目で通じ合っちゃってんなぁ、仲良しさんたちめ。
しかし、私を軽く小脇に抱えるその細マッチョなボディと膂力は、チャラいとはいえやはり騎士といったところか。ひょいっと持ち運ばれたよ。くっそ羨ま妬ましい、と正気がコンニチハしちゃった。嫉妬って強いわ。
そうして運び込まれた食堂で、鎮静剤代わりなのかジュースだのワッフルだの(料理人さんたちのおやつ)を与えられ。
手荷物のように運ばれた衝撃で正気に返ってはいたけど、くれるんなら貰っとこうと美味しくいただいた。私の図々しさに迷いは無い。
全部忘れようと無心でワッフルをパクつき、二個目を食べ終わった私が、三個目はチョコソースかけて生クリーム添えてくれないかな、などと考え始めた辺りで、忘れようとしていた悪夢が食堂内へと追いかけて来た。
ちょっとチャラ騎士たち。何でせっかく逃がしてくれときながら、ここにリリックさん連れて来ちゃうの! 助かったと見せかけて絶望に突き落とすっていうホラーの定番か!
半開きの口で愕然としていると、さっと寄って来たリリックさんに「失礼します」とハンカチで口元を拭われた。あ、キャラメルソース付いてた? ありがとね。
……じゃねーよ! なに今のナチュラルな世話焼き! 余りにも自然過ぎて受け入れちゃったよ! 怖っ!
「あー、シーデ、そのな? オレら、リリックと軽く話し合ったんだけどな?」
慄く私に、まあ落ち着け、と身振りで示しながら一人が進み出る。
私がワッフルに逃避している間に、何やら話し合いをしてくれていたようだ。チャラ騎士たち、やっぱりやる時はやるタイプなのね。何て頼もしい。
「結論から言っちゃうわ。―――人生、アキラメが肝心じゃね?」
「全然頼もしく無かった! 裏切られた気持ちでいっぱいですよ!」
「ダイジョブだって~」
「別にリリック、悪気はねーし?」
「なんつーの? 害のないリョーシンテキな下僕っての?」
「害のない良心的な下僕」
何という不可思議な生き物。斬新。どうしてそんな新種が生まれてしまったんだ。チューか? やっぱりチューがダメだったのか? 私のチューにはそんな副作用があったのか?
「もう誰ともチューしない……」
テーブルに突っ伏し唸っていると、チャラ騎士たちが慌ててフォロー(解説?)を入れてくれた。
それによると、別にチューが直接の原因という事では無く、それを含めリリックさんの心をバキバキにへし折ってしまったのが切っ掛けで。
リリックさんの折れた心には私に対する恐怖心が植え付けられた(これは想定通り)らしいのだが、そんな折、私が訓練で師匠と対等にやり合ったり(手加減されてるよ!)、お兄ちゃんたちと3対1でやり合ったり(だから手加減されてるってば!)してるのを見たらしく、結果、恐怖が尊敬にすり替わった、と。そういう事らしい。
「ああ……マジで私の蒔いた種だった……植え付けたものが別方向に芽吹いて育っちゃってる……」
フォローという名の止めを刺され、私は瀕死。
いや、私は悪くないよ? 悪くないって言い切るよ?
どう考えても、新しく騎士見習いになったのが女で子供だから気に入らないって理由で突っかかってきたリリックさんに非があるもん。あまつさえ団長の事をロリコンなどと吐き捨てた彼に、その分やり返すのは当然だ。むしろ悪いのはリリックさんじゃん? 目には目を歯には歯をって言うじゃん?
たださぁ……そこで私にビビるとか私を避けるとか、それで終わってくれれば良かったんだよ。何で……何で変な方向に進化しちゃうのかなあ?! どんな法則が働いたらそんなクラスチェンジしちゃうの?!
「まーまー、そー悩むなって」
「気軽に使ったらいんじゃね?」
「リリック本人がそー望んでんだしさ?」
「ぜひ、ぜひとも使ってください!」
軽い口調で私の心の負担を減らそうとしてくれているらしきチャラ騎士たちと、その真逆を行くリリックさんの熱い売り込み。
……くそ、しょうがない。こうなったら腹を括るしかない。
「…………よし、分かりました」
伏せていた顔をすっと上げ、私はリリックさんに笑いかけた。
「リリックさん、今日はお時間あるんですか? 具体的に言うと、今から私と手合わせをする時間は?」
「っあります! すぐに支度してきます!」
おお、笑顔が眩しいぜ。
喜びではち切れんばかりの笑顔になった彼は、大変良いお返事をすると、素晴らしい勢いで食堂から飛び出して行った。それを見送る私の顔にも、全てを吹っ切ったような爽やかな笑みが浮かんでいる事だろう。
「スゲー勢い」
「つかシーデ、覚悟キメちゃった系?」
「ええ、決めました。恐怖が尊敬に上書きされたのなら、更なる恐怖で上書きしてやれば良いんです。手段は問わず―――ボッコボコにしてやりましょう」
爽やかな笑顔から一変、ふふん、と口角を吊り上げると、「え、それ違くね?!」「覚悟ってソッチ?!」「リリック死亡のお知らせ?!」などとチャラ騎士たちがドン引いた。
引きたくば引けば良いさ。私はただ、シーデ = 恐怖だと彼の心に刻み込んでやるだけだ。そうすれば芽生えてしまった下僕心も枯れ果てるだろう。
……下僕とか、訳分かんないからね。仕えられる意味も分かんないから。だから私に出来る事は、徹底的に折る事だけだ。よぉし、気合入れていくぞ!
そして私は、一人の下僕志願者を全力で叩きのめした。
******
「―――で、そうやってボコボコにしてやったんだけどね」
「でも最初に『下僕が出来た』って言ってたから、つまり作戦は失敗したのね?」
「……正解」
「うふふ、当たり♪」
彼は師匠には及ばないとはいえ、騎士として何ら不足の無い実力だった。私に難癖付けてきた時の態度も、その実力に裏打ちされたものだったのだろう。
なので王子にするように一方的に嬲るのは難しく、しかし圧倒的な恐怖をその身に味合わせなくては心を折れないと思い、途中からは魔術も駆使してフルボッコにしてやったのだ。
でも折れなかった。
逆に、やればやるほど「さすがシーデさん……!」という尊敬の塊みたいなキラッキラした目でこっちを見てくる有り様で、ついには私の心が折れた。
あんな澄んだ瞳で見られる筋合いは無いよ……何だよあの(ある意味)不屈の精神……ボコってもボコっても嬉々として立ち上がって私を褒め称えるとか、どんなゾンビ……。
本日の悪夢のようなハイライトを振り返って苦い顔になる娘をよそに、さくっと正解にたどり着いた母さんはニコニコと嬉しそうだ。
そんな母さんを父さんが愛おしそうに見つめている。ラブラブだなぁ。……出来れば、娘のお悩み相談を終えてからラブラブしてくれないかな。
私の無言の非難を受信したのか、父さんがこちらを向き、さも不思議そうに首を捻った。
「それでシーデ、何が問題なんだい?」
え、私の話、聞いてた?
「いや、下僕とかおかしいでしょ?」
「そうなのかい? シルゥもシーデぐらいの頃には何人かいたけれど……」
「そうね、何人かいたわね♪」
へー、そっか。何人かいたのかぁ。
……。
……母さんの過去に何が?!
「そうねぇ、わたしたちにもいたものねぇ」
「これも血筋なのかしら」
わぁい。ばーちゃんズにもいたんだってさ。血の繋がりってすごぉい。
……下僕を標準装備する血筋って何?! 我が家の謎が深い!
「使ってくれと言うんじゃから、使ってやったら良いんじゃないのかの」
「害は無いんじゃろう?」
「いやいやいやいや、使いどころが分かんないからね?!」
「ちょっとした事で良いのよ♪ 頼み事をすれば相手は喜ぶし、シーデも助かるでしょう? 損のない関係じゃない♪」
「そこで喜んじゃう意味が分かんないよ……」
下僕に関して誰も疑問に思わないどころか、全員が『使えば良いじゃない』というスタンス。我が家の謎が深まる一方だ。あと下僕精神に関しても謎が深まる。どうしてパシらされて喜べるんだろ。
「そうねぇ。きっと、自分の認めた相手に頼られたいのよ」
「頼られて役に立つ、というのが喜びなのよ」
「その後でちゃんと褒めてあげると、更に喜ぶわよ♪」
「んー……、それって例えば、私がお使いしてきて褒められると嬉しい、ってのと同じなのかな?」
「……似て非なるもののような気がするわね」
「かといって、まったく違うとも言い切れないわ」
分かり易く自分に当てはめてみたら、顔を見合わせたばーちゃんズから、肯定とも否定ともつかない曖昧なお返事が。
「その彼に悪意が無いんだったら、そう深く考えなくても良いんじゃないかな?」
僕の娘は可愛いから、下僕の一人や二人居てもおかしくないしね、と笑った父さんは、隙あらば娘褒めに結び付けてくるな、マジで。
その重い愛は嬉しいけど、私の悩みは少しも解決していないという事実。
だというのに、父さんのその言葉で私のお悩み相談は締め括られたらしく、「また何かあったら父さんが相談に乗るから!」という一言を最後に、この場はお開きとなった。
えー、そんな訳で。
シーデ14歳、下僕を一人ゲットしました。
……ねえこれ、ホントにこんなまとめで良いのかな?! 激しく間違ってない?! 長々としたお悩み相談って、意味あったのかなあ?!




