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兄様とご飯

「これ美味しい。……オレンジピールもいいなぁ。作り方は……う~、手間だしクランツさんとこでは無理か。でもそれ入れたザッハトルテ食べたい。パンにも使えるし、ウチで作ってクランツさんに売り付けようかな」

「シーデ、金儲け案を呟きながら食べるのは雰囲気的にちょっと」

「あ、失礼しました」


 連れて来られた料理店は、想像とは違い落ち着いた雰囲気のお店だった。

 明る過ぎない照明に、隣の声が聞こえないよう広い店内にまばらに散らされたテーブル。洗練された物腰の給仕係はテーブル毎に一人ついて、人件費が凄そう。

 高級店という予想は大当たりだったよ。今の服装なら浮いてはいないと思うけど、普段の恰好では絶対来れない店だ。お値段? 考えたくも無い。私の手持ちじゃ支払えない額に決まってる。

 恐々とした気分は前菜の段階でぶん投げ、順々に運ばれて来る料理と会話を堪能してやったわ。どうせなら味わわなきゃ損だ。

 楽しいお喋りの中で判明したのは、本来このサプライズは来週の予定だったという事。しかし一日早く帰国して女子会会場となる家から追い出されたので、予定を早めて今日決行したらしい。このお店は兄様の友人がやってるから、予約をずらしてもらえたんだって。はた迷惑な友情だ。けど追い出されたってのがマジだったのには笑った。


 高級店でのテーブルマナー的な部分は、前世と大差なかったためそれらしく取り繕えた。実地で私に教えてくれようとしていた兄様は、肩透かしを食らい残念そうだったけど。顧客の方に招待されて堅苦しい席に着く事もそれなりにあったし、割と覚えてたよ。体で覚えた事ってやっぱり忘れ難いのかな。

 そうしてデザートのチョコレートケーキ(オレンジ乗せ)へと辿り着いたら、その美味しさで夢が広がって思考が口から出ていたというのが現状だ。

 うん、すまん。売価をいくらにしたら良いかは、頭の中だけで計算しとくよ。


「でも兄様だって、他のご婦人を見て『あの首飾りのデザインは……』とか呟いてませんでした?」

 ケーキを口に運びながらお返しとばかりに指摘すると、彼はテーブルの上で両手を組み、凛々しい顔で言い切った。

「商売人が商売事に思いを馳せるのは宿命のようなものだと俺は思う」

「開き直りっぷりに迷いが無い。そういうの好きです」

「それは何よりだ。ところで、オレンジぴーるってのは何だ? あと、ざっは何とかってのは? 初耳なんだが」

「ザッハトルテはチョコレートケーキの一種です。オレンジピールはオレンジの皮の砂糖漬けだったり乾燥させたものだったりで、私が作りたいのは前者……なんですけど、これだと果肉が余るのが難点なんですよね。……あぁ、ピールじゃなくてコンフィなら丸ごと使えるか。けど確か作るのに日数が必要―――いや待て、一度に作る量を多くして、状態保存かければそれは解消出来るか? 数ヶ月に一回大量生産とかにすれば、そんなに手間は考えなくてもいいかも。…………うん、とりあえず両方試作して、それから考えようかな」

 後半はぶつぶつと独り言になってしまったが、それを聞く兄様の目は楽しそうに煌めいている。私から自分の知らない言葉が出てくるのが面白くてしょうがないらしい。曰く、どこに商売事のヒントが転がっているか分からないから、だとか。商魂逞しくて何よりだ。


「それで? それらをシーデは何で知ったのかな?」

 そして毎回こんな感じで聞かれるが、そういう答え辛い質問には一律『おませさんなので』としか返さないって、兄様も分かってるのにね。これも一種の様式美なんだろうか。鉄板ネタなの? 芸人魂なの?

 期待に応えいつも通りそう返そうとして、ふと思い直したのは、多用し過ぎた結果、私の宝刀(おませさん)も目に見えて切れ味が鈍ってきたと最近実感していたところだったからだ。これはいただけない。

 少し考えた末、ピコンと閃きこう言った。

「乙女の秘密です!」

「……てっきり『おませさん』と返されると思っていたんだが」

「そろそろそういう年齢でもありませんから」

 その点、“乙女の秘密”ならば年齢は関係無いだろう。何歳(いくつ)になっても乙女だと言い張ってやる。八十過ぎても乙女。不審に思われようが何だろうが、それで押し切ればいいや。




 そんな風に和やかに食事タイムが終わるかと思っていたら、テーブルの近くを通った男性客から、不意に声がかけられた。

「これはこれは。リーベンツ伯ではありませんか」

「―――これは、ヒール殿。お久しぶりです」

 人違い? と思った私をよそに、兄様がそう返し席を立ったので、慌ててそれに倣いフォークを置き起立。

 ……兄様、リーベンツ伯、だったっけ? 兄様としか呼ばないから……忘れ……ごごごめんなさい……。

 心の中で華麗なる土下座をキメながら、表面上は平静を装い直立不動。兄様の知り合いっぽいし、大人同士の会話を邪魔すべきじゃ無いね。空気読んで空気になろう。

「帰国なさっていらしたとは存じませんでしたな。ご連絡を楽しみにお待ちしていたのですがねェ」

「これは失礼を。何分、本日戻ったばかりでして」

「伯爵家ご当主自ら商用で他国を駆けずり回るとは。いやはや、頭が下がる思いですなァ」


 兄様に話しかけてきたのは、非常にふくよかなおじさまだった。

 ……すまん嘘だ。よく歩けてるなぁってぐらい横に広いおっさんだ。筋肉じゃ無く贅肉だろう。もしくは脂肪? お城で見かけたメイドさんより遥かに巨乳。動くたびにたっぷんたっぷん揺れるんだろうなぁ。全然うらやましく無いや。

 太かろうが細かろうが本人の自由だけど、健康的では無いかな。顔色もよろしくないみたいだし。

 あと何か喋り方が……丁寧なんだけど、ねっちょりしててちょっと……。嫌味っぽいというか、納豆みたいに絡み付く粘っこさで、あんまり好きじゃないな。あ、納豆は例えに使っただけで普通に好きです。この世界では出会えてないけど。


「―――ところで、そちらのお嬢さんは?」

「……彼女は知人の娘さんです。―――シーデ、挨拶を」

 黙って待機していた私へ、ヒール殿と呼ばれたおっさんの目が向いた。

 兄様が、『出来る? 挨拶出来る?』ってのと『ごめんな!』ってのが混ざった目でこっちを見てる。すんごい強張った顔してるなぁ。挨拶ぐらいどうって事ないのに。……にしても、何で『知人の娘』って言ったんだろ? オルリア先生の弟子だって知られちゃいけないのかな?

「シーデと申します」

 片足を斜め後ろの内側に引いて、スカートの裾をつまみながらもう片方の足の膝をちょこんと曲げて名乗った。名前以外の余計な情報はひとつも含まない、とてもシンプルな挨拶である。動作はお店に来る子爵家のお嬢さんが度々やってくれるお辞儀を真似してみたけど、これが正しいお辞儀なのかは知らない。敬礼とかよりはマシだろう。


「ほお、リーベンツ伯はこういった娘がお好みでしたか。確かに、若い娘の肌は年増には無い良さがありますからなァ」

「いえ、知人の娘さんです」

「まァたまた、隠さなくてもよろしいではありませか。少々色気に乏しい気はするが、世慣れていない初物を躾けるのもまた一興」

「私にはそういった趣味はありません。愛する妻を裏切るような真似もしません。何より、この子に失礼でしょう」

 固い声で応酬する兄様を尻目に、おっさんは無遠慮な視線を私にぶつけてくる。

 別に私、穢れなき乙女とかじゃ無いから、舐め回すように見られても平気だけどさ。目線でダメージは食らわないし。あと、『色気に乏しい』ってのは正論過ぎて何も言えん。


 けど……やっぱちょっと、不愉快だよね?

 私に名乗らせるよう水を向けたくせに、自分は名乗らず会話を続行ってどうなの? しかもその内容が酷い。場を和ませる小粋なエロトーク(上級者向け)ならともかく、料理店で知人にするには随分なゲストークだと思うんだけど。それに、こういう発言を若い娘さん(私だ)の前で堂々とするって、ひっどいな。品性が下劣なのかな?


「はっは、これはまた随分と潔癖な事を。妻と妾は別物でしょうに。気兼ねする必要などどこにもない。ねェ?」

 そう言って下卑た笑いで顔を歪めるおっさんだが、そういうのって、わざわざ他人に言うことじゃ無くね? それに、言葉の端々から私を“兄様の愛人”と見なしている雰囲気が伝わってくるあたりやっぱ頭おかしい。兄様はちゃんと『嫁一筋』って言ってんのに。兄様にも、この場には居ないけど兄様の嫁にも失礼過ぎるでしょ。


「生憎私は妻一人で充分な性質(タチ)なので。ヒール殿のご意見とは異なりますね」

「ほォ、それでオルリア嬢の件を渋っておられると。私は貴方と違い幾人でも愛でられる。何の心配も要らぬというに」

「……そういう問題では」

「金は弾むし、商売上の口利きもしてやれる。何が不満なのですかな?」

 最初の取り繕っていたのであろう丁寧さがどこかへ消え、見下すような口調に嘲るような声音へと変化したおっさん。加えて、その皮肉気に歪んだ口の端が完全に兄様を馬鹿にしてるとしか思えなくて、私、超不愉快。

 おっさんよ、喜べ。あなたはたった今、私の中で“ふくよかなおっさん”ではなく“腐った肉塊”にクラスチェンジしたぞ。その油ギッシュにギットギトな顔面を燃やしてやろうか。

 それに、話の内容が凄く引っかかる。オルリア先生がどうしたって? 流れ的に嫌な予感しかしないんだけど?

 兄様とこの肉塊がどういう関係なのか知らないけど……燃やしていいかな? 先手必勝だよね?

 そんな思いを込めて兄様をチラチラ見ると、『待った! とりあえず待った!』という焦った視線を返された。やっぱこの場で燃やしたらマズいか。お店に迷惑がかかるのは申し訳無いもんね。それに今のところ口だけだし、実行するのは手を出されたらにしよう。目指せ正当防衛。


「お早く色よい返事をいただきませんと。鉱山の件もありますし、ねェ……ふっふふ」

 その言葉を聞いた途端、兄様の顔色が目に見えて悪くなった。

 そしてそれを見て、あっさりと私の忍耐力に限界が―――訪れたけど、ここは穏便に済まそっか。せっかく美味しい食事を楽しませてもらったんだから、兄様にもお店にも迷惑をかけちゃいけない。腐った肉塊の丸焼きなんて、高級料理店には相応しくないもんね!


「―――あっ」

 ふらり、とわざとらしくよろけ、テーブル上のグラスに手をぶつける。

 割れこそしなかったものの、倒れたグラスに半分ほど残っていた中身がテーブルクロスに染み込んでいった。うお、結局お店に迷惑かけちゃった。後で謝らなくっちゃ。

「シーデ? 大丈夫か?」

 さっと移動し肩を支えてくれた兄様に、「ごめんなさい、眩暈が……」と軽く頭を振ってみせる。

 アレだよ、『持病の癪が……』ってのと同じぐらいベタな手だよ。どうせ発想が貧困ですよ分かってる。

 すかさず傍へと参じた卒のない給仕係が、「よろしければ別室でお休みを……」と言いながら兄様に代わって私を支え、別の従業員が見る間に私の汚したテーブル上を整え直していたので、プロフェッショナルすげーって思いました。動きが丁寧で迅速。ここのスタッフは素晴らしいな。見習いたい。

「いや、それよりも早く帰してやりたい。会計を頼めるかな? ―――ヒール殿、そういった訳ですので、失礼ですが……」

「おお、そうですな。ではまた、お話は改めてという事で。失礼する」

 たっぷんたっぷんと体全体を揺らしながら、腐った肉塊は別のテーブルへと去って行った。最後の最後にこちらを馬鹿にするように鼻を鳴らしていたのがまた苛ついたけど、追い払えたので良しとしよう。

 事を荒立てず収束させるなんて、私も大人になったなぁ。それ以上に、穏やかに肉塊を追い払った自分の“眩暈を起こしたか弱い女子”演技を褒めたい。完璧だったよ、私! 



「クロスを汚してしまって申し訳ありませんでした。弁償させてください」

「お気持ちだけで充分でございます。零れたのは水ですから、洗えば問題ございませんよ。それよりも、お怪我が無くて何よりでした」

 円満な解決のためとはいえ、テーブルクロスを汚してしまったのは非常に遺憾。

 なので誠意を込めて謝罪し弁償を申し入れたが、私を支えてくれていた給仕係はやんわりとそれを拒んだ。それどころかこちらの身を案じる言葉をくれたので、本当にプロフェッショナルすげーわ。見習いたいどころか、接客業を生業にする者として修行に来たい。兄様のコネでどうにかなんないかな?

 そんな思惑を抱きながら、もう大丈夫だと礼を言うと、給仕係が私を支える手を離した。

 そのまま業務に戻るかと思われた彼は、真っ白なナプキンを取り出し、断りを入れ私の手を取る。そして、少し水で濡れていた指先を丁寧に拭ってくれながら、私にだけ聞こえる声で「―――お見事な撃退方法でございました」そっと呟いた。

 目だけを動かし彼を見上げると、僅かに悪戯っぽく微笑む視線とかち合う。

 うおお、シーデさんの演技が余裕で見破られてましたよ! 誰だ完璧とか言ったの! 私だ! 恥ずかしっ!


 悶える私に支払いを済ませた兄様の声がかかり、羞恥心を振り切るようそそくさと店を後にした。この店に修行なんて絶対来れない。私の上っ面の演技じゃ、ここの給仕係には敵わないと分かったわ。あー恥ずかしかった。



******



 体調を気遣ってくれる兄様に「さっきのは演技ですよ」とぶっちゃけると驚愕されたので、私の演技に不備は無いと分かった。見抜いちゃう給仕係さんの観察眼が鋭すぎただけだ。良かった、私の女優魂は守られた。

 そうして店を出たタイミングで、所用で外していたシュラウトスさんが戻って来たため、そのまま馬車へと乗り込み、家まで送ってもらう事に。

 腰を落ち着けたところで、さっきの肉塊について―――というよりは、肉塊が言っていた『オルリア嬢の件』とやらについて根掘り葉掘り聞き出そう。

 あいつの口振りからして漠然と見当は付いているし、その推測のお陰で私の怒りメーターは上がりっぱなしだけど、でも推測は推測だから。この怒りをどうするのかは、きちんと話を聞いてからにしないとね。無闇に特攻を仕掛けるような浅慮な真似はしないよ!

 それじゃあ、楽しい尋問タイムの始まり始まり~。


「では兄様」

「すまなかった!」

 やだデジャヴ。始まらないにも程がある。

 本日二度目の『すまなかった』頂きました。師匠に引き続き兄様まで……今日は謝罪デーなの? そんな事より尋問を開始させてくれよ。

「本当にごめんな。せっかくの誕生祝いだったのに……不愉快だっただろう?」

「確かに不愉快でしたけど、それはあの肉塊のせいです。兄様のせいなんかじゃ」

「ぶはっ!」

「……兄様?」

「にっ、にくかい……っ」

「……正式名称は“腐った肉塊”です」

「くっは、くっくっくっく……!」

 肉塊発言が兄様のツボにヒットし、おかげで師匠の時のように謝罪祭りにならなかったのは良かったんだけど。代わりに、笑いの海に沈没した兄様をサルベージするのに苦労した。まったく、余計な手間をかけさせてくれるものだ。


 何とか引き上げた兄様から半ば無理やり聞き出した話は、予期した通り胸糞の悪くなる内容で。一言でまとめると、あの肉塊がオルリア先生を妾に所望している、という事だった。

「……」

「シーデ、シーデちょっと落ち着こう? とりあえず、無言で俺の脇腹を抓るのは止めてくれないか? 地味に痛いから」

 兄様の弁によると、当然、先生はあんな肉塊へ妾入りする事なんて望んでないし、兄様一家どころか兄様宅の使用人さんたちも総出で反対しているとのこと。

 これが仮に、先生が自ら相手に惚れに惚れて他に方法が無いという事なら、妾という立場になってしまうのも止むを得ないかもしれない。それはもう当人たちの問題であって、家族はともかく、弟子とはいえ他人である私が割って入れる部分では無いのだ。恋愛事に疎い私でもそのぐらいは分かる。

 だがしかし、先生はこれっぽっちもあの肉塊を想ってはいないそうだし、そもそもあんな品性の腐れた肉塊に先生が釣り合う訳も無いだろ! やっぱりあの場で燃やしておくべきだった!


「先生本人が嫌がってる上に、兄様たちも受け入れる気が無い。その状態でなぜお断りしてないんですか? とっとと足蹴にすれば済む話じゃないですか!」

 兄様の脇腹を更に抓りながら息巻く私だったが、まぁこういう場合、容易に断れない事情があるのもお約束。

 あの肉塊がいかにもといった風に仄めかしていた『鉱山の件』というのが関係していて、簡単に言えば兄様(というかリーベンツ伯爵家)の商売上、必要不可欠な鉱山を押さえられていて、容易く断れない状況にあるとの事だった。

 元々は別の貴族の所有する鉱山であり、リーベンツ伯爵家の先々代が正式な交渉を経て採掘権を得ていたが、少し前に鉱山の所有権がその貴族からあの肉塊へと移った、と。

 あの肉塊は金貸しで富を築いた成金で、たかが成金といえどその財は侮れるようなものでは無く。現に、鉱山を得てしまえる程には潤っているらしい。

 ……と兄様は言ってるけど、それ本当に潤ってるから出来た事なのかな? 先生欲しさで、汚い手とか後ろ暗い手段とか、そういうの使ってぶんどったんじゃないの? 金貸しで成り上がったってあたり、胡散臭さ満点じゃね? と、心の汚れた私は思う訳ですよ。偏見で目が曇ってる自覚はあるけどさ。

 それはさて置き。


「確かに、それは兄様の商売にとって致命的かもしれません。けど……それと引き換えに先生を売り渡すとか、そんな事は言いませんよね? ……言いませんよね?!」

 憤怒の形相で迫る私に、兄様は真剣な顔で頷く。

「当然だ。俺は家族が大切だし、その大切な家族と引き換えに商売を発展させようなんて微塵も考えた事は無い。君がそうやってオルリアの為に憤ってくれるのも、とても嬉しく思う」

「だったらそんな話は一刻も早く拒絶すべきでしょう!」

「だが同時に、俺には使用人や従業員に対しても責任がある。今後商売が成り立たなくなってもいいからオルリアだけを守る、という浅薄な行動に出る訳にはいかない。俺が雇っている彼らにも生活というものがある。突然に路頭に迷わせるような軽挙は慎まなくてはいけないんだ」

「う…………ごめんなさい……」

 その正論で、一瞬で頭が冷えました。

 ダメだな私。伯爵様として、また人の上に立つ人間としての責任を背負っている兄様に対し、感情だけで自分の意見を押し付けようとしちゃいけなかった。私にはそういうところがある。今後の改善課題としましょう。感情だけで片付けられない事もこの世にはあるんだから。

 さっきまでの勢いはどこへやら、しょんぼりと内省していると、隣の兄様だけでなく、それまで向かいで黙っていたシュラウトスさんまでもが慰めてくれる。何て優しい人たちなんだ。


 そんな優しい人たちを苦悩させる存在が許されるのか?

 否。

 誰が許しても、私は許さない。私は私の好きな人たちを苛む奴を見逃すようなお優しい人間じゃ無い。

 兄様の葛藤を知り、私はひとつの結論を導き出した。それはきっと、全てを気持ち良く解決出来る、最良の手段。



「よし、燃やそ?」

「ははっ、そうきたか~。よし待て」

「火柱? 人柱? いいえこれは人火柱。あれだけ油ギッシュな肉塊ならば、さぞかし景気よく燃える事でしょう。余計な燃料は一切不要。何て素敵な人火柱。兄様たちの憂いを一も二もなく綺麗に解決。リーベンツ伯爵家の安寧のためには不可避、それが人火柱。実行は私にお任せください」

「やるなよ? 絶対にやるなよ?!」

「それは逆にやれという意味ですね? それでは張り切って」

「違うぞ逆の意味なんて無いから! 絶対にやめてくれ! 君にそんな事をさせる訳にはいかない、というかそんな事で君が捕まりでもしたら、オルリアが発狂するぞ! もちろん俺だって発狂する自信がある! 確実に!」

 妙な自信をお持ちですね。

「大丈夫です。捕まるようなヘマはしません」

「とんでもなく笑顔だな! そしてその隙の無いサムズアップ! 初めて君を怖いと思ったぞ?! というか、捕まらなければ良いって問題じゃないからな?! 絶対にやらないでくれよ?!」

「安心してください。闇から闇に葬ってしまえば、全部無かった事になりますよ」

「荒業過ぎてまったく安心出来無い!」

 心安らかでいてくれるよう穏やかに微笑んだのに、どうやら逆に不安を煽ったようだ。解せぬ。


 今日はいちいち師匠と兄様の言葉がシンクロするなぁ。謝罪に始まり、やたらと行動を止められる。

 しかしまぁ、イノシシも言ってたし。私が『止めて止まるような生き物だと思うのか?』と。そうです私は止まらない生き物。シーデは走り続けないと死んじゃうの。軽快に突っ走る事こそ我が人生なり。

 あの肉塊は私に名乗り返しはしなかったけど、兄様が『ヒール殿』って呼んだのは覚えてる。悪役らしいお名前で一発で覚えられましたとも。加えてあの特徴的な容姿、金貸しの成金というキーワードが揃ってるから、軽い聞き込みで住まい程度割れる。

 『感情だけで自分の意見を押し付けちゃダメ』って反省はしたけど、この場合、別に兄様に押し付ける気は無いからセーフで。こっそり攫って内緒で燃やしちゃえば、押し付けた事にはならないよね。私、賢い!


 よぉし、明日から忙しくなるぞ! と、内心でやる気を奮い立たせ闘志を燃やす私へ、兄様が熱く続きを語り出した。

 曰く、可愛い妹を妾に差し出すつもりは毛頭無い。けれど、鉱山を押さえられているのはかなりの痛手である。

 『前向きに検討中』というお役所のような姿勢で返事を引き伸ばす事によって、今のところは従来通り原石の採掘も行えている。しかしそれもいずれは限界を迎えるだろう。

 のらりくらりと躱しながら、異なる条件での交渉の余地は無いのか情報を収集しつつ、並行して他の優良鉱山についても調べているというのが現在の状況。時間はかかるかもしれないが、これが一番堅実な手だろう。

 あんな下劣な輩に妹が汚らわしい目で見られているのはゾッとする。だが、解決策を見出すまでは迂闊な真似をする訳にはいかない。

 何より、時間はかかっても平和的に解決出来る方法が見つかる可能性があるのなら、そちらを選ぶべきである。危ない橋を渡る必要なんて無い。平和が一番だ、と重ねて強調された。


 ……あれ? これはもしや、言外に止められてるのかな? 説得されてる?

 よく見れば、兄様の瞳は真剣(マジ)だった。

 あー、これ完全に私のやる気、っていうか殺る気が伝わっちゃってたわ。平和に解決したいから勝手な事はするなよ?! って釘を刺されたんだな。

 ううむ、燃やしたい気持ちに変わりは無いが、かといってここまで念押しされて勝手な事をするのもどうだろうか。こっそり攫ってひっそり燃やすのも頑張ればいけるんじゃないかと思うけど、あの肉塊が行方不明ってなった時点で兄様は私を疑うに違いない。そして物凄く気に病むに違いない。それは本意じゃ無いなぁ。


 好きな人を守るために好きな人の心を傷付ける、という矛盾点に悩ましい思いを抱え、ふと視線を移すと、向かいの執事に意味深な表情で頷かれた。その顔がどうにも『お止しなさい』と語っているような気がしてならない。私の葛藤なんてお見通しですかそうですか。さすがは完璧執事。

 軽く嘆息した後、ひとつだけ彼に問う。

「主人の意向に沿う、というお考えですか?」

「お察しの通りでございます」

 主語を提示しない簡潔なやり取りだが、それで通じ合えた。仲良し。

 シュラウトスさんなら、私が思い付くレベルの強硬策ぐらい多分執れる。それをしないのは、今聞いた通り、彼の主人である兄様が平和的解決を望んでいるから。きっと、その目標に向けて鋭意邁進中(もしくは暗躍中)なのだろう。

 つまり、私は余計な事はしない方が良いって事なんだろうね。むう、活躍の機会かと思ったのに。

 じゃあ私はこの消化不良な気持ちをどこにぶつければ―――王子か。王子しかいないな。次の訓練は三日後。師匠は用事があって午後からしか指導出来無いって言ってたし、午前中いっぱい弟弟子と存分に訓練に励めるぞ。よし、首を洗って待っててね、私の王子様。完全に八つ当たりだけど、きっと受け止めてくれるよね!


 もやもやしたものをぶつける相手を(勝手に)定め、自分の感情を整え。

「しばらくは事態を静観します」

 そう明言する事によって、未だ不安気にしていた兄様の表情も晴れた。……静観すると言っただけで、情報収集をしないと言った訳では無い。見極めるためには情報は不可欠だもの。ふふふ。

 折よく馬車が停まり、同時に小窓から「着きました」と馭者さんの声がしたので、これ幸いとそのまま立ち上がり。

「でも、進展具合は都度、教えてくださいね。でないと勝手に動いちゃうかもしれませんよ」

「肝に銘じておこう」

 堂々の仁王立ち姿で、きっちり釘を刺す事も忘れない。八方塞がりになる前に教えてくれないと、対処法を検討する事も出来無いし。……ま、そんな事態になる前に、シュラウトスさんが動くんだろうけどさ。

 再度プレゼントのお礼を言い、華麗に馬車から飛び降り(紳士な執事に小言を言われ)、手を振って兄様たちを見送った。片手でこっそり尻をさすりながら。うう、痛い。とうとう割れた。



 しかしなぁ。オルリア先生のトラウマイベント対策を練っている最中のこの事態って……もしかして、繋がってない? それはさすがにご都合主義が過ぎるか?

 まぁ、地道に情報を集めれば何かが見えてくるだろう。疑わしいからってフライングで罰してたら、ちょっと見境が無さ過ぎるもんね。無差別に攻撃するのは慎もう。




 そんな事を考えながら帰宅したところ。

「おかえりシー……娘が、僕の愛娘が! 家を出た時は天使だったのに女神になって帰って来た!! 成長が早過ぎて父さんは嬉し悲しい!」

「ご近所迷惑よデジー♪ あらシーデ、お化粧してるの? 可愛いわね♪」

「まぁまぁ、上等な服だこと。これはきちんとお礼をしなくてはいけないわねぇ」

「やっぱり女の子らしい格好も似合っているわ。さすがわたしたちの孫。サイズもピッタリで、先方にお伝えした甲斐があったわね」

「こりゃ可愛らしい。しかし、ちと武装が足らんのでは無いかの」

「そう野暮を言うもんじゃ無いわい。武装が無くとも、わしらの仕込んだ足技で凌げるじゃろ」

 祭りになった。

 てか、何気にばーちゃんズがサプライズプレゼントに一枚噛んでるっぽい発言が。身内に裏切られていた。愛ゆえに。……愛があるなら良いか。


 様々な角度からガン見され褒められ、夜遅くまでお祭り騒ぎが続くのであった。

 しあわせ。



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