私のために争わないで!って言いたかった
「戻りが遅いと来てみれば」
出し抜けに響いたその声に、素晴らしい勢いで背後へと振り返ったボスの全身から緊張感が漂っている。
声がするまで、何の気配も感じなかったもんね。剣を修める人間からすれば、気配を察知する事も出来ず背後を取られるなんて、由々しき事態だよね。
でもしょうがないよ。相手は人外だし。
“声がするまで気配を感じなかった”訳じゃ無くて、“声と同時に出現した”んだから。事前には察知しようが無いよ。どんまい、ボス。
ちなみに私が落ち着いているのは、ボスの背後に花守りが出現する様が普通に視界に入っていたからである。丸見えだったよ。
「わたしとの逢瀬を放り出して他所の男と楽し気に語らっているとはな。わたしは深く傷付いた」
振り向いたまま固まってしまったボスの横を素通りし、私へと歩み寄った花守りは、両手で私の頬を包み込むと、哀し気な目でそう訴えた。
だがそんな目をしても私には通じない。彼がいちいち大げさな反応をしてみせるってのはもう知ってるから。
大体この“手で顔を包む”ってのが、もうね。外人か!とツッコミたいが、まぁ日本人からしたら外人というか異世界人だし。それ以前に人外だし。
いろいろと私の中の常識とは異なるんだろう、と人外という単語に責任をなすり付けて、気にするのは既にやめている。考えすぎると訳分かんなくなるから。
「いや、どうせ向こうから見てたんでしょ? むしろ声も聞いてたんだよね? 楽しそうに聞こえた?」
過剰なまでの『哀しい』アピールに白い目を向けるが、彼は私の視線などこれっぽっちも意に介していないようだ。本当にこの世界の人たちはメンタルが強い。負けんぞ。
「非常に賑やかであったな」
「賑やかと楽しいは完全なるイコールでは無いから。ところで、出て来て良かったの? ボスが居る、の、に……」
花守りへと問い掛けながらも、なにげなくボスに視線を向けた私は絶句した。
ボスが、なぜか、平伏している。
ジャパニーズ的には土下座。
どうしたのボス?! 何があなたをそうさせたの?!
武士道に開眼したの?! 目覚めちゃったの?! このタイミングで?!
「ボス? どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
声をかけるも無反応だったので、地に伏すボスへ駆け寄ろうとした。
が、そんな私の腰を花守がするりと捕らえたため、身動きもままならない状況に。
シーデ11歳、未だにリーチ及びパワーの差という現実の前では無力です。
「ちょっと花守り、ふざけてる場合じゃ無いから。放してよ」
「其方は、其処な男が大切なのか?」
「え、うーん……まぁ、ある意味では」
私のその言葉にボスの肩がぴくりと揺れた気がしたが、土下座は解除されないので見間違いかもしれない。
大切というか、ね。
最近になって気付いた事がある。
あと数年後には異世界からヒロイン様が召喚される訳だが、もしかして、召喚すんのって、ボスなんじゃね?という事。
ボス自体はゲームに登場していないのだが、召喚されたヒロインにチュートリアル役の人――と言うと身も蓋もないが、実際そうとしか言いようが無い――が、ヒロインを召喚したのは当代の魔法師長だと言っていた気がするのだ。
ひょっとしたらヒロイン召喚時のスチルの端っことかに召喚者の姿も描かれていたのかもしれないが、細部に渡って覚えている訳では無いので真偽のほどは定かでは無い。
そして“当代の魔法師長”というのがボスの事なのかどうかも分からない。それまでに魔法師長が代替わりするという可能性もあるし。
でも、もしもボスが召喚者だとしたら……ある程度は大切な人って事になるんじゃないのかなぁ。多分。
それは別にしても、知り合いが具合を悪くしてたら心配するのが人情ってもんだし。
いやまぁ、嫌いな人や悪人だったら放置しますけど?
むしろ悪化しろとか思っちゃいますけど?
これ普通だよね?
そんでもって、ボスは迷惑な人ではあるけど、別に嫌いな人では無い。
初対面時の印象こそアレだったけど、しょっちゅう会ってるし、会えば話すし、ある程度の質問には答えてくれるし……って、どうしよう、善意を感じられない。思い返したら好感度下がった。
えーと、善意を感じた事といえば……手合わせに付き合ってもらった事と、あとは……たまに飴ちゃんくれる! しかもすごい綺麗なやつ!
こないだチョコのお礼だって言って渡されたのは、花の形をした色とりどりの飴ちゃんで、食べるのが勿体なかった。食べたけど。食べたら口内に刺さって痛かったけど。
……あれ? もしや、飴に釣られてる? そんな馬鹿な。
「其方が大切だと言うのならば、その意思を尊重しよう。……男、面を上げよ」
私は別に、食い意地が張ってる方じゃ無いんだけど……と頭を捻っていたら、花守りがボスへと命令を下していた。
いやいや、面を上げろって、どこの殿様?
笑い出しそうになるのを堪えボスを見るも、やはり彼は微動だにしない。
「やっぱり具合が悪いんじゃないのかな。ちょっと治癒の陣取って来るから、放してよ花守り」
「体調に異変をきたしている訳では無い。以前にも言っただろう。魔力の高い者は、わたしを目にすれば平伏すのだと」
そういえば、そんなような事を聞いたな。私には何の影響も無いから気にもしなかったけど。
「てことは、ボスは今その状態って事か。うーん、ボスの土下座なんて見たくなかったなぁ……」
納得しつつも、ぽつりと零してしまう。
そりゃ、モルモットの件で迷惑かけられてるけどさ。
普段私を振り回してくれてるボスのこんな姿を見たくは無い……というか、どうせなら私が負かしてこういう姿にしてやりたい。
うん、嫌ってる訳じゃ無いけど、仕返しはしたい派です。いつかぎゃふんと言わせちゃる。
「男よ、聞こえたであろう。即刻立ち上がれ。これ以上わたしの愛し子を煩わすな」
その冷えた声に、ようやくボスが顔を上げ、立ち上がった。
別段顔色も悪くないし、花守りの言う通り体調不良では無さそうだ。
「……その娘に付いた魔力の残滓は、貴方様のものでしたか」
「立てとは言ったが、口を開く事を許可した覚えは無い」
言葉を選ぶように慎重に話したボスへ、美貌の人外が返したのは冷淡な言葉と凍てつくような視線。
……何それ神気取り?
どんだけ上から目線なの? それともそれが花守りの通常営業なの? その高圧的ですべてを見下すような態度が?
今まで見た事の無い花守りの言動に、そんな感想が脳内を渦巻いた結果、私の口から出たのは「うわぁ、引くわぁ……」という呟きで。
花守りの返しによって緊迫した空気が流れていたその場に、それはやけに重々しく響いた。
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私にドン引かれたせいでショックを受けたらしく、途方に暮れた花守りは打開策としてボスに普通に喋る事を許可してやり。
「此れで良いな? もうわたしに引いておらぬな? わたしを厭うてはいないな?」
「うん、大丈夫、大丈夫だからお願い放してさっき食べたクッキーが上から出る締まってる超腹締まってるから!」
私を(具体的には私の胃の辺りを)ぎゅうぎゅうと抱き締め機嫌を取ろうとしてくる(もしくは吐かせようとしてくる)花守りに何とか離れてもらい。
「失礼ですが、その娘は私のモルモットです。無闇に触れないでいただきたい」
そして発言を許可されたボスは、途端にいつものボスに戻った。
口調は整えているものの、言ってる内容は普段通りだ。つい先刻まで平伏してたってのに。切り替えが早いね! 見習いたいや!
「モルモット? 此れはわたしの愛し子だ。如何様に接触しようがわたしの勝手であろう」
「貴方様が触れると、その娘に魔力が付着します」
「其れが如何した。愛し子に悪影響を及ぼしている訳ではあるまい」
「私には迷惑なのです」
「其の迷惑など知らぬ。只人の分際でわたしにそのような口を利くとは」
「貴方様が人には及びもつかぬ高位の方だという事はその気配で理解しています。しかしそれとこれとは別。私にはその娘に関する先約がありますので」
「わたしの愛し子はわたしのものだ。先か後かなど関係無い」
何やら私の事で口論に発展しかかっている二人。どちらも淡々と言い募っているのであまり口論といった風情では無いが。
私の所有権を巡っての争い……え、まさかのモテ期到来?
無表情な彼は私を実験動物だと言い、人外美形な彼は私を愛し子だと言う。
そんな二人の男たちが私を取り合って……おいこら人間扱いしろや! これモテ期違う!
「先約を優先するのは当然でしょう。それが仁義というものです」
「わたしは人で無い故、そのような理念に縛られぬ」
「厄介な。高位の存在に関わるべきでは無いというのは真実だったのか」
「わたしを厄災のように言うとは。つくづく厚顔な羽虫め」
「誰が虫だ。人の理に縛られん奴など厄災以外の何者でも無かろう」
私の内心の憤慨を知る由もない二人は更に言い合いを続けているが、いい年したボスと、樹齢何年?というレベルの年齢な花守りが低レベルの言い争いをしている様は、傍から見ているととてもしょっぱい。
「シーデ、来い。帰るぞ」
「気安く愛し子の名を呼ぶな。此れはわたしのものぞ」
「私のモルモットを己の物扱いするな。名を交わしてもいないのだろう」
ついに口調を取り繕う事すらやめたボスが、離れて傍観していた私の手を取り引いて行こうとするも、逆の手を花守りが掴みそれを阻止。
そして両サイドからぐいぐいと手を引っぱられる羽目に。
この状況は……チャンスじゃない?
前世でも、そしてきっと今世でも言うチャンスなど訪れないであろうと思っていたあの台詞を言ってみる、これはチャンスなのではないか?
……よし、意を決して言ってみよう!
「わた」
「人等とは名の重みが違うのだ。安易に交わすものでは無いと、そのような事も知らぬとは。愚昧な輩め」
言えなかった……もう一回チャレンジだ。
「わた」
「そのまま後生大事にとっておけ。絶対にこの娘とは交わすな。高位の守護など付いては、手を出しにくくなる」
くそっ! 入れねえ!
せっかく『私のために争わないで』という乙女チックな言葉を言ってみるチャンスなのに! こんなチャンスは二度と訪れないだろうに! 無念!
馬鹿丸出しなチャレンジを試みる間にも、二人の諍いは私には理解出来ない方向にヒートアップしていき、それに伴い私の腕を引く力も強まっていった訳で、つまりどういう事かと言うと、とにかく痛い!
アホなチャレンジに挑んでる場合じゃ無かった!
「ちょっとあの、痛いから! 裂けるから! さけるチーズみたいに縦に裂けるから! 二人とも放して!」
「シーデが痛がっている。手を放せ」
「其が放せば良かろう。愛し子は未だわたしと過ごすのだ。帰らせはせぬ」
「馬鹿な事を。このまま連れ帰るに決まっているだろう」
「帰らせはせぬと言っておろうが」
ぎりぎりぎりぎりと、両サイドからの引く力は増していく。
お前らは馬鹿か! 痛いっつってんでしょ!
ちょっと誰か大岡越前呼んで来て!
手を放した方が本当の母親だという有名な大岡裁きを!
……って、母親じゃ無いか。えーと、手を放した方が本当の……飼い主?
うん、不名誉!
誰でも良いから助けて!
と悲鳴を上げる私の心中を汲み取ってくれる人はこの場にはおらず、その後30分近く痛い思いをし続ける事になった私は、解放された瞬間、「今後1週間はどっちにも会わない!」とキレて逃走した。
私の逃げ足に追いつける奴は居ない。それがこんなにも喜ばしい事だったとは!
お兄ちゃんたち、こないだは邪険にしてごめんね。私は今、この逃げ足に最上級に感謝してるよ!
ちなみに1週間という短い期間に留めたのは、それ以上経つとどっちも押しかけて来そうな気がしたからである。
行動力の有る奴って、ホント厄介だね!
なぜ今までこの現象(花守りの存在)にボスが気付かなかったかといえば、森に行った翌日にボスと会ったのは二週間前のあの日が初めてだったからです。




