湧き出た外道
何も考える間もなく、咄嗟に体が動いてしまった。
道場での稽古中。
いつものように三人がかりで私に向かってくるお兄ちゃんたちの剣を避けつつ、ここ2年で進化した私が時折反撃するも防がれる、正に普段通りの稽古。
私を含めた四人が入り乱れて剣を交わし合うその最中、私の真ん前に、突如として人が出現した。
真剣を交わし合う、その真ん前に。
考えるよりも先に、体が動いた。
下から振り上げ斬りつけようとしていた左手の短剣からぱっと手を放すと、私に相対する形で出現したその人物の腕を引き、その勢いのまま彼と自分の立ち位置を入れ替える。
そして私は、ざっくりと斬られた。
「シーデっ!!」
「っ……!!」
お兄ちゃんの悲鳴にも似た叫びと同時に、私の肩から真っ赤な血が噴き出す。
「大丈夫か嬢ちゃん?!」
「すぐに医者を!」
斬られた衝撃で膝を付いた私へ、騒然と駆け寄る道場内の人々。
肩を押さえながら、ぼたぼたと床へ垂れ流れる血を見た私は、苦痛の声を上げるよりも先に、ついこう言ってしまった。
「ご、めんなさいっ! すぐ掃除します!」
しこたま怒られた。
******
「あのな嬢ちゃん、斬られた直後に掃除って叫ぶのはおかしいだろ?!」
「ごもっともです!」
「俺らは別に、床が汚れたとか、そんなこと言わなかったよな?!」
「はいもちろん!」
「それともお前は、兄ちゃんたちがそんな事を怒るとでも思ったのか?!」
「全然思ってません!」
「全員、お前が怪我した事に対して慌ててたんだぞ?!」
「ありがとうございます!」
だって、道場の床って超綺麗なんだよ。掃除がいき届いてて、チリひとつ落ちてない。そんな床を汚してしまった! と焦って飛び出した言葉が“掃除”だった。……うん、我ながらアホだ。
私が自分の怪我そっちのけで汚した床について謝った事が納得いかなかったらしく、治療後にお説教開始! となった訳だが……正直、私だけが悪い訳じゃ無いと思う。
ぴっしり背筋を伸ばし床に正座する私と、向かい合って正座でお説教をしてくれているおっちゃんやお兄ちゃんたち。
その傍らで、一人悠然と佇みこちらを見下ろしているラスボス―――もとい魔法師長さん。
この人が私たちの斬り合いの真っただ中に出現さえしなければ、こんな事にはならなかったと思うんだよね。何で突然湧いて出たんだ。
「それで、何でお前は急に現れたんだ」
どうやら私と同じ事を思ったらしきおっちゃんが、魔法師長さんへと視線を向けた。
「こいつがギリギリで切っ先を逸らさなきゃ、嬢ちゃんが致命傷を負ってたかもしれないんだぞ?」
おっちゃんの眉間には深い縦皺が刻まれている。いいぞ、もっと怒れ!
「俺、俺が……斬っちまった……」
「わー! 大丈夫だよお兄ちゃん! 私もう、どっこも痛くないから!」
地の底まで沈んでいきそうなお兄ちゃんを慌ててフォロー。そんな泣きそうな顔しないで! マッチョの泣き顔とか、誰も得しないから!
「そこの娘に意趣返しをさせてやろうと思っただけだ」
放っておいたら自責の念で死ぬんじゃなかろうか? というお兄ちゃんの横へにじにじと移動し、「私、痛いの我慢したよ。撫でて!」と無理矢理撫でさせ、それによりお兄ちゃんの気持ちを浮上させるという『なでなでセラピー』を開催していたら、そんな私たちを尻目に、魔法師長さんが意味の分からない事を言いだした。
「意趣返し? 何だそりゃあ」
「先日その娘に火傷を負わせた。その代わりに斬られてやろうかと思ったのだが……まさか斬りつける手を止めた上、庇われるとは思ってもみなかった」
「斬ってやれば良かったと激しく後悔してますよ」
私のオタンコナス! 斬っちゃえば良かったのに! 咄嗟に庇うとか、私はどこのヒーローだ!
「というか、『斬られてやろうかと思った』って、斬られるために斬り合いの場に出現したって事ですか?」
「そうだ」
頷き肯定する魔法師長さんはやっぱり無表情で、何を考えているのか掴みづらいことこの上ない。
「馬鹿なんですか? 火傷の件なら、普通に謝罪で良くないですか?」
「悪いとは思っていない」
おお、本日も外道っぷりが絶好調だな。帰って欲しい。
「つーか先輩、道場内に転移して来んのは禁止って言われてたっすよね?」
「いくら先輩だからって、決め事は守って貰わねぇと。あわや大惨事でしたよ」
お兄ちゃんたちが魔法師長さんへそう言い募るのを聞き、疑問が浮かんできた。ひょっとして、知り合いなのかな?
「お兄ちゃん? 先輩って、なに?」
「ん? 先輩ってのはな、学校などにおいて、その組織に先に加入したものを指す言葉で」
違う。言葉の意味は聞いて無い。てか知ってるし。
「じゃなくて、魔法師長さんが先輩ってどういう事?」
「ああ、今は辞めたけど、昔先輩もこの道場に通ってたんだ。その頃からずっと先輩って呼んでんだよ」
へぇ、魔法使いでも剣術やったりするんだ。意外だ。
「まったくのぉ……久方ぶりに顔を出したかと思えば、何ちゅう騒ぎを起こしてくれるんじゃ。治せる程度の怪我じゃったのが幸いじゃが……一歩間違えば即死しとったかもしれんに」
「……お久しぶりです、師匠」
「わしに挨拶する暇があるんじゃったら、シーデにきっちり謝らんかい。お前さん、その子の命を危険に晒したと、理解できとるのか?」
いつもはモフモフ温和なじーちゃん師匠が険しい顔だ。
そりゃそうだよね。今回みたいに真剣を使って稽古してる場合だってあるんだから。急に湧いて出られたら危険極まりない。
そんなご立腹なじーちゃん師匠に対し、魔法師長さんの表情はやっぱり動かず、至極冷静にこう言った。
「その娘の名はシーデというのですか」
……そこか! 今のじーちゃん師匠の言葉の中で、唯一引っ掛かったのがそこなのか! 感性が独特だな!
まぁ私は私で別の部分が引っ掛かったので、人の事は言えないかもしれないが。
「魔法師長さん、ちょっと聞きたいんですけど」
「何だ」
「あなたは、どうやってここに転移して来たんですか?」
「どうやって、とは」
「魔術だと、転移は入口と出口のふたつの陣が必要ですよね。魔法だと違うんですか? 好きな場所に飛べるんですか?」
だとすると、魔法、超うらやましいんですけど! というか、その魔法の理論を教えてもらったら、魔術に応用できないかな?
「いや、魔法の方が制限がある。魔法だと目で見える範囲にしか転移できん。従って魔法使いも、転移の際には魔術の陣を使用する事の方が多い」
「え? じゃあ、あなたはさっきどうやってここに?」
ここには陣なんて無かったよね?
「“目で見える範囲”なら移動可能だと言った」
「……外からここを覗いてたとか、そういうストーカー的な発言ですか、それ」
相変わらず座ったままの私は、そのまま魔法師長さんからじりじりと距離を取る。やめて、ストーカー2号とか、お呼びじゃないよ。
「正確には職場から、だ」
「職場って……お城ですよね? どうやって覗いてたんですか?」
「魔法だ。詳細を知りたければモルモットに」
「わーい一気に興味が失せたー」
タチの悪い勧誘だなこの野郎。というか、“覗いてた”の部分は否定されなかった。やっぱりストーカーなのか。
「ストーカー2号って呼んで良いですか?」
「却下だ。ボスと呼ぶ事を許可してやっただろう」
「私は受け入れてません」
「お前の都合など知らん」
……テンポの良い会話って嫌いじゃ無いけどさ。こんなに実を結ばない会話も珍しいよね。
「こんだけ和気あいあいと話しながら名前も知らないとか、訳分かんねぇ」
そんなお兄ちゃんが呟きが聞こえたけど、いや、和気あいあいとはして無いよ。ストーカーって単語が出てきてる時点で、和気あいあいって表現は違和感満載だからね?
「というかお前、名前も知らない相手に斬られようとしてたのか。どうしてそうなった」
「些細な事だ」
「いやいや、全然些細じゃ無いっすよね?」
「なぁシーデ、先輩とシーデに何があったんだ?」
「さっき火傷させたとか言ってたけど、どういう事だ?」
「えーと、初対面の魔法師長さんに騙されて」
「些細な事だ」
「勝手に実験台にされて」
「些細な事だ」
「その結果、手に火傷を負ったので」
「些細な事だ」
「魔法師長さんに蹴りを入れた上で」
「些細な事だ」
「朽ち果てろ! って捨て台詞吐いて逃げました」
「些細な事だ」
……おかしいな。合間合間に魔法師長さんが「些細な事だ」と言ってくるので、何だか別に怒るほどの事じゃなかったような気がしてきたんだけど。
「……あんまり大した事じゃ無かったのかな? 私の心が狭いだけ? 朽ち果てろなんて言っちゃ駄目だった?」
首を傾げ魔法師長さんを伺うと「そうだな」と返された。その冷静そのものな顔を見ていると、やっぱりそれが正しいような気がひしひしとする。そうか、私が狭量だったのか。
「おい流されるなシーデ。それは確実に怒って良い案件だ」
「つーか怒らなきゃ駄目な案件だ」
「お前が間髪入れず『些細な事だ』とか繰り返すから、嬢ちゃんが信じちまってるじゃねえか」
おっちゃんの苦情にも動じない魔法師長さんは、「私にとっては些細な事だ」と返していた。あなたにとっては些細でも、怪我させられた私の方は堪ったもんじゃないよ。
あ、やっぱり私の心が狭い訳じゃ無かった。これ駄目なやつだったわ。危うく洗脳されるとこだった。
「でもなシーデ、いくら怒ったからって女の子が“朽ち果てろ”ってのは兄ちゃんどうかと思う」
もうちょっと可愛く怒ってくれよ、と要求してくるお兄ちゃんだが……いやあの、蹴りを入れたの部分はオッケーなの? まったく女の子らしくない行動だと思うんですけど? お兄ちゃんのアウト判定の基準が分からないよ。
「じゃあ“死に晒せ”とか? それともマイルドに“消え失せろ”? ちょっと変えて、“禿げ散らかせ”なら良いかな?」
「最後!」
「いや全部駄目だ!」
「全部駄目だけど最後のは特に駄目だ! 心が折れる!」
よし、良い事を聞いた。だったら禿げ散らかすような呪いの魔術を開発しよう。呪術じゃなくて、呪いの魔術。略すと呪術になる? 気のせい気のせい!
「ときに、私の部下がお前の店に出入り禁止になったと嘆いていたが」
ん? ああ、例のストーカー野郎の事ね。
そんな事より私、毛根の活動を停止させる方法を思案するので忙しいんですけど。
「あのストーカー野郎の事ですか? 良い金づ……上客だったので悩みましたけど、先日の一件で危機感が増したので出禁にしました。この措置はあのストーカーの身から出た錆なので、嘆かれる覚えはありませんね」
「嬢ちゃん、本音がもれてるぞ。金づるとか言うんじゃ無い」
「女の子は言っちゃ駄目な言葉が多いなぁ」
「女の子だからじゃ無くて、人として駄目だ」
……チガウヨ? 私、外道じゃ無いよ?
「いやその前に、ストーカーって何だ?」
「自分が一方的に関心を抱いた相手にしつこくつきまとう人物の事だよ」
お兄ちゃんの疑問に丁寧に答えると、ピチッとデコピンを食らわされた。地味に痛い。
「言葉の意味じゃ無えよ。お前、ストーカーされてんのか?」
「うん。って言っても別にロリコン野郎とかじゃ無いよ? モルモットとしてしか見られてないもん。実験台として以外の興味は持たれて無いから、安心して」
そう笑うと、お兄ちゃんたちは「安心……できねーだろソレ」「逆に不安だ」とかざわざわしてたけど、そんなに心配してくれなくても大丈夫だよ。出禁にしてやったからね。
「おいガル、お前、部下をちゃんと躾けとけよ。ストーカー行為をするような野郎を野放しにするな」
「モルモットへの勧誘の為ならば致し方ない行為だ。私でも同様の事をするだろう」
モルモット至上主義だなオイ。
「尤も、あいつがこの娘に会いに行っていたのは、勧誘の為だけでは無かったようだが」
「? じゃあ他に何が目的で? ……あ、ウチのパンですかね?」
キョトンと問い返した後、はたと思い当たる節を見つけた。ウチのパンは絶品だからなぁ。
「それもあるようだが、何よりお前の観察が目的だったようだ。図書館でお前が逃げ去った後も、その1週間前に会った時より身長が1ミリ伸びていたと嬉しそうに話していた」
マジで?! 身長伸びた?! よっしゃ牛乳パワー来た!
……じゃない! ミリ単位で身体データを把握されている!
「測ってもいないのになぜ伸びたと?! 魔力を測る時にそういう事も分かるんですか?!」
「いや、『お嬢ちゃんの事は見ただけで分かります!』と豪語していたが」
「非常に気持ち悪い! 出禁にして良かった!」
私がそう叫んだその瞬間。
「お嬢ちゃん! ぜひともその出禁措置を解除してと頼みに来たよ!」
道場の扉を勢いよく開け放ち、ストーカー野郎が現れた。
何事かと振り返る道場仲間たちをよそに、私の脳内には現状に対応すべく三つの選択肢が浮かんだ。
→ 斬り落とす。
→ 引き千切る。
→ 引っこ抜く。
「お嬢ちゃん、選択肢が下半身一択だね」
「どうやって私の考えを読んだの?! 魔法?!」
「表情でぜんぶお見通しさ! 今日の下着の色だって当ててみせる自信があるよ!」
「5年に及ぶストーキングの集大成がここに! 心底気持ち悪い!」
その情熱を別方面へ向けていたなら、今頃魔法使いとして大成していたかもしれないのに。時間の無駄遣い、ここに極まれり。
「……嬢ちゃん、コイツがそのストーカー野郎か」
「下着とか……何言ってんだコイツ」
「つーか、殺ってもいっすかね?」
「殺っちゃえ殺っちゃえ!」
ゆらりと立ち上がり、それぞれの得物を手にした皆をはやし立てる。もう息の根止めても良い案件だと思うの。
しかしそんな殺気には気付かないのか、ストーカー野郎は平然と私に問い掛けてきた。
「そもそもどうして僕が出禁になるんだい? この間お嬢ちゃんに酷い事をしたのはボスであって、僕じゃないよ?」
「その酷い事をしているあなたのボスを止めもせず、私が熱い放せと騒いでもあなたは横で眺めていただけですよね? しっかりメモを取りながら」
そう。このストーカーは、私が痛い(熱い)目にあっている時、そんな私を観察してしっかりとメモを取っていたのだ。外道の部下は外道だった。魔法使いには人の心が無いのかもしれない。
「そりゃだって、実験が始まったならその過程や結果を記録するのは当然の事じゃないか! これは僕の職業病からくるものだと言っても過言じゃないし、むしろ僕は己の滾る実験欲に非常に真摯且つ忠実であると」
「うっさい」
「お嬢ちゃん、一言で切り捨てられるのはさすがに悲しいんだけど」
「うっさい。帰れ」
「うん、二言でも悲しいってのが良く分かったよ。それで僕の出禁措置解除についてなんだけど、さっそく今日から解除してもらえるって事で良いかな?」
冷たい目で見上げる私に、けろっとした顔で出禁措置の解除を確定させてようとしてくるストーカー。
どうして今の流れで解除してもらえると思ってんだ。思考回路が複雑すぎて手に負えない。
「解除しません」
「どうしてだい?」
「胸に手を当てて己の行動を振り返ってください」
そうすれば自ずと理解できるはず。
「こんな平らな胸に手を当てても楽しくないなぁ。どうせならお嬢ちゃんの」
「おいシーデ、ちょっとこのストーカー借りてくぞ」
にこやかに下品な事を口にしようとしたストーカーの襟首を、これまたにこやかなお兄ちゃんが締め上げるように(というか実際ストーカーの首は締まっていた)掴み、そのまま数名連れだって外へと出て行った。
馬鹿なストーカーだな……てゆうか、私の胸も今のところ平らなんだけど。こんなん触っても楽しくないでしょ。男なら巨乳を狙えよ。谷間にロマンを感じろよ。……いやん、私ったら、お下品ね!(てへぺろ)
長くなったので適当なところで切りました。
続きは明日アップ予定です。続きの方は短いかもしれませんが。




