攻略対象その1
きっちり30分後、破壊してしまった部屋へと向かうと、そこには館長さんとお兄さんの他に、見知らぬ美女が居た。
誰だ……というか上玉! すごい美人!
夜空を切り取ったように煌めく、紫味を帯びた長い黒髪。濡れたように艶やかな紅い唇。
なまめかしいまでの完璧なボディーラインだが、その高い教養を感じさせる深い藍色の瞳は多分な怜悧さを含み、総合するとクールな知的美人という印象。
これは目の保養すぎる! うわーゴチになります!
目に栄養を与えるべく美女をガン見しながら三人に近寄ると、それに気づいたお兄さんが「マジで来たよ」と呆れ顔。なぜ呆れる。
「お待たせしました?」
「いや、待ってねーから。来なくていいって言っただろ」
「お兄さん冷たい……」
「おい、こういう時だけ可愛こぶるのは卑怯だぞ」
「お兄さん冷たい……」
「繰り返すなよ!」
「お兄さん冷……飽きた」
「飽きてくれて何よりだ。隣のオルリア嬢の視線が、そろそろオレを射殺しそうだったからな」
「あら、目だけで人を片付けられるほど器用ではありませんわ」
「片付けるって言い方が本気っぽいっす。勘弁してください」
お兄さんとのしょうもない掛け合いに、オルリアと呼ばれた美女も加わってきた。
……ん? オルリア? ……聞き覚えが、あるような?
「シーデ君、紹介しておこうか。こちらはオルリア嬢。美だけでなく才知に長けた、稀代の魔術師として高名なご令嬢だ」
「それは称賛が過ぎますわね。わたくしは好き勝手に魔術を研究しているだけですもの」
稀代の魔術師、オルリアという名前、そして彼女の見覚えのある微苦笑に、私の記憶の扉がフルオープンした。
ああ、思い出した。
魔王を倒すって事だけを念頭に置きすぎて、すっかりどうでも良くなってたけど、これは、乙女ゲームだった。
乙女ゲームなんだから、ヒロインの攻略対象であるキャラが、この世界のどこかに存在するって訳で。
オルリアと呼ばれた彼女は、ゲームの攻略対象キャラの一人だ。
ゲーム上、唯一の百合ルート。ヒロインとめくるめく百合の世界……ってほど濃くはなかったか。確かヒロインが彼女をお姉さまと慕うという、友情エンドに近い終わり方だったはず。
ただ友情なのはヒロイン側だけで……このオルリアという女性は、過去のトラウマから極度の男嫌い、なおかつ若干精神を病んでいる、というちょっと面倒なガチ百合なお方だった気がする。
あれ? でもお兄さんや館長さんと普通に話してるし。男嫌い設定どこいった?
……ああ、もしかして、まだなのか。彼女のトラウマとなる出来事は、まだ発生する前という事なのか。それは……。
「―――デ君、シーデ君? 大丈夫かい? 聞こえているかね?」
「あ」
いかんいかん、記憶に浸りすぎた。せっかく紹介してもらったのに、石像と化しちゃったわ。とりあえず誤魔化しとこう。
「すみません。オルリアさんのあまりの美しさに、つい」
「は?」
何で変な顔するのよ、お兄さん。
「初めまして、オルリア嬢。あなたの麗しさに目を奪われ放心するという無作法な姿をお見せしました事、どうぞお許しください」
できるだけ優雅に見えるようお辞儀しつつ、オルリアさんの手を取り、軽く唇を落とす。
本当は跪きたいところだが、それには私の身長が足りないという悲しい現実。
「美の女神も白旗を上げるほどに艶麗なあなたという女性に出会えた幸運に感謝を。……申し遅れました。私はシーデ。以後お見知りおきください」
うし、完璧な誤魔化し方、兼自己紹介!
達成感と共に顔を上げると、またしても毛づくろいに突入した館長さんの姿が視界の端に入った。なぜまた現実から逃げだしてしまったんだ。館長として大丈夫なのか、この人。
「っあああビビった! つーか現在進行形でビビってるぞオレ! 何でいきなりオルリア嬢口説いてんだよ?!」
「口説いてません。ただの挨拶です」
「どう見ても言い寄ってただろうが! おっまえどういう教育されてんだよ?!」
素っ頓狂な声で私に詰め寄るお兄さんに、ビッ!と親指を立ててみせる。
「女性は褒めて褒めて褒めろ、と教育されてます!」
「誰にだ?!」
「家族全員にです!」
「え、英才教育?!」
そんな愕然とされても。接客業の基本ですよ。
「っふふ、面白い子ね。少し驚いたけれど」
おお、クール美女の笑顔は意外と柔らかくて……もうホントごちそうさまです!
「ところで、オルリアさんはどうしてここに?」
「この悲惨な部屋を見て、一体何があったのかを考えていたら二人がこちらへいらしたから、理由を伺っていたの」
おぅふ、墓穴を掘った。ザクザク掘った。埋まりたい。
「犯人は私です」
「ええ、そう聞いて、信じ難いと思っていたところへ貴女が来て……より信憑性がなくなったわ。貴女のような子供が……」
本日二度目の『犯人だと自首したのに疑われる』不思議現象が発生。
再度説明するのも面倒なので、とりあえず部屋を直してからってことでいいだろうか?
「とりあえず、部屋を直しちゃいませんか? 館長さんもお兄さんも多忙でしょ?」
自分で言っときながら、現実逃避してばっかりな館長さんが多忙かどうかは疑わしいんだけどさ。
「あーそうだな。館長……ってまた逃避中か。もういい、勝手に直しちまおう」
この図書館内のヒエラルキーでトップに君臨してる人の扱いが超ぞんざいな件。でも気持ちは分かる。
「こっからで良いか。―――リペア」
髭を撫でさする館長さんの横を素通りし、ボロボロな部屋に一歩踏み込んだお兄さんが修復の魔法を使った。
瞬く間に壁や床の欠け、ひび割れ、爆発で溶けた部分、そして吹き飛んだドアが元通りになる様は圧巻だ。唱えるだけで使える魔法は、やっぱり便利。ちょっとだけ羨ましい。
「素晴らしいですわね」
「いやいや、オルリア嬢にもできるっすよね」
「まさか。わたくしには貴方ほどの魔力はありませんもの。ここまで見事に復元することは不可能ですわ」
「お兄さんて凄かったんですね。ただの面白い人じゃなかったんですね」
「それ褒めてねーよな? シーデもオルリア嬢を見習って、もうちょい上手いことオレを褒めろよ」
「断る」
「何でだ! つーかそのキリッとした顔ヤメロ!」
顔に規制が入るとは。
「冗談ですよ。私が破壊したものを綺麗に元通りにしてくれて、ありがとうございます。今度おいしいアップルパイ持ってきますね」
「そう素直に言われると毒気抜かれるな……つーかアップルパイって何の話だ?」
お、ちょっと照れていらっしゃる。でも別に可愛くはないな。野郎だし。
「さっき館長室で食べたアップルパイが超イマイチだったんで。今度来るとき、ウチの店の焼きたてを持ってきます。それを食べたここの人たちがウチのお得意さんになってくれる事を期待する、という下心を添えて」
「んなモン添えるな。腹下すわ」
「商品と下心は切っても切り離せない関係なんで無理ですね」
「そういう裏事情とかいいから。……つーかやっぱ、陣は全面描き直しだな」
魔法で修復した部屋をぐるりと見渡し、あちこち消えたり途切れたりしてしまっている陣を見たお兄さんは、予算がなー……と肩を落とした。
「だから、陣は私がやりますって」
「だから無理だって。三日はかかるっつったろ。そもそもお前の身長じゃ、脚立使っても天井なんかは届かねーだろ?」
「脚立なんか使いません。それに三日もかけませんよ。もう準備はできてますから」
描きたてほやほやの一枚の陣を取り出すと、お兄さんが困ったように笑い、私の頭にぽすんと手を乗せた。ちょ、縮んだらどうすんだ。
「気持ちは嬉しいけどな。紙に描いても仕方ないんだよ。この部屋全体に描かねーと」
「いや、そんなこと分かってますよ」
「わたくしにもその陣を見せてもらえるかしら?」
オルリアさんが目をキラリと光らせ手を差し出してきた。この目の光り具合、さっきの館長さんと同じだ。この人も知に憑りつかれてるんだな。
「どうぞ」
渡した陣を数秒凝視した彼女の表情が、次第に真剣みを帯びたものに変わっていく。
「これは……こうきて……ここが……え? ―――ああ、でもそうすると……」
ぶつぶつと呟きながら、陣を睨むように熟視しているオルリアさん。彼女から“邪魔するな”オーラが漂っているので、大人しく気がすむのを待つことしばし。
「―――ありがとうシーデ。それで、いくつか聞きたいのだけれど」
「何ですか?」
「中央に描かれているのは、この部屋に元々描かれていた陣と大体同じ物ね?」
「そうです」
「……は? おま、まさか同じ陣が描けたのか?」
「え? そりゃもちろん」
5年間見続けりゃ嫌でも覚えるっての。
「けれど、全く同じという訳ではないわね? こことここが本来の陣とは異なっているけれど、これは何故?」
「オルリアさんも、陣を覚えてるんですね」
「わたくしは幾度か練習部屋の陣の点検及び描き直しに参加しているから、記憶しているわ」
納得の理由でした。
「それで、この相違点についてなのだけれど」
「元の陣だと、物理的な衝撃には若干弱いと思ってたので。ここをこう描くことで耐性を上げました」
「ではこの部分は? 本来なら二本の線よね? 何故ここまで複雑に何本もが絡み合うように描いたの?」
「ついでに全体的な強度と防音の底上げをしようかと」
「……っ凄い……貴女のような子供が…………いえ、年齢は関係ないわね。失言を謝罪するわ」
「いえ、実際子供なので」
子供扱いされることに異議はないよ? 何てったって、甘やかされまくりな子供時代を謳歌してますから! 子供ライフ超楽しいから!
「あとは、この陣の外側に描かれている部分は……どういう意味があるのかしら。中央部分だけで、この部屋の陣は完成でしょう?」
「でも中央部分だけだと、ただ紙に描いただけで、何も用を成さないですから」
「……ただ紙に描いただけ、ではないということ?」
「この部屋の陣を直すって、お兄さんに宣言したので。これ使って直します」
「……え? どう、やって?」
「実際はもう一枚使うんですけど。見てもらった方が早いんで、やってみますね。二人とも部屋から出てもらっていいですか?」
試した事のある陣だから、さっきみたいな暴発はないと思うけど、用心に越したことはない。うっかり巻き込んで責任取るの嫌だし。
退室した二人が小窓からこっちを覗き込んでいる姿を確認したので、さっそく始めよう。
「一の陣」
二人に見せたのとは別の陣を取り出し、ピッと床に放った。まずは部屋に途切れ途切れで残っている陣を全部消し去り、これで下準備完了。
ちなみに私は、定番として常に持ち歩いている陣(治癒や結界等)には名前を付けているが、こうやって一時的に使う陣や試しで描いた陣には特に名前を付けない。適当に番号を振ってそれを名前代わりにしている。そんなに色んな名前付けても混乱するし。
「二の陣」
さっきじっくりと検証された陣を発動させて、はい、一丁上がり。
「終わりました」
部屋から出て笑顔で報告すると。
「……え?」
「……はああああ?!」
呆然としたオルリアさんと、目ん玉ひんむいて叫ぶお兄さんに出迎えられた。
「え? いや、見てましたよね? これで終わりですけど?」
どっかおかしいですか?と首を傾げる。上手くいったと思うんだけど。
「待った、一旦ストップ。……何がどうなった?!」
「はあ? お兄さん、見えてなかったんですか? 目悪いの?」
「図書館勤めでここまで視力落ちねーのも珍しいってぐらい視力は良い! ついでに顔も良い!」
いや、そんな主張いらない。特に後半。
「よし、冷静になれシーデ」
「それはお兄さんに必要な言葉ですね。私は超冷静」
「何が、どうなったんだ?」
「ええ? だから、一枚目の陣で部屋に残ってた中途半端な陣を消して、さっき見せた陣で新しい陣を部屋に定着させたんですよ」
「そりゃ見たから知ってる! じゃなくて! 消す過程も定着させる過程もおかしかっただろ?! つーか定着ってそもそも何だ?!」
「ぇえー……ちょっと何言ってるか分かんないんですけど」
なぜこんな、掴みかからんばかりの勢いで迫られるんだろう。何を聞きたいのかも分からないし。
「シーデ、先程の陣……二枚とも、もう一度描いてもらう事は可能かしら」
「はあ、いいですよ」
「今から時間はある? あるのなら、すぐにでも描いてもらいたいわ。差し支えなければ、描く過程も見せて欲しいのだけれど、駄目かしら?」
「夕飯までに帰ればいいんで大丈夫です。じゃあ、第五閲覧室に行きますか? 私いつもあそこで描いてるんで」
「そうね……いえ、できれば周囲に他人が居ない所が望ましいのだけれど……」
「あそこはほとんど人が来ませんよ?」
「いや、どうせなら館長室行きましょう。あそこなら利用者は絶対入って来れないんで、最適っす」
館長本人だけでなく、館長室までこの扱いの軽さ。もういっそ清々しい。
「ところで、毛づくろい中の館長さんはどうします? 現実に引き戻さなくていいんですか?」
「ぶふっ! ちょ、おまっ、毛づっ……毛づくろいって……!!」
館長さんを示して問いかけた私の“毛づくろい”発言に、お兄さんが噴き出した。
いや、笑いごとじゃなくてさ。どう対処したらいいのよアレ。
「ひとまずここへ置いて行きましょう」
肩を震わせる勢いで笑っているお兄さんの代わりに、オルリアさんがくれた回答は、とても無情だった。マジか。
「置いてくんですか?!」
「そのうち正気に返るでしょう。もしくは誰かが回収するわ。そんな事より、貴女の陣の方が重大よ。さあ、行きましょう」
そう言い放ち、私の手を掴んでさっさと歩き出すオルリアさんは、超格好良かった。
館長さん……良い人に拾われる事を祈る!