前世もそれなりにありました
まずは私の生い立ちについて語っておこう。
日本でごく普通に生まれた私は、残念ながらごく普通の人生は送れなかった。
物心つく前に両親ともに事故で他界し、伯父夫妻に引き取られた。
彼らが私を引き取ったのは高額な保険金及び遺産目的だったというのは、後々知った事。
小学校に入学する頃には彼らの家の庭に小さなプレハブを建てられ、そこで暮らすよう指示された。
そこから高校を卒業するまでに彼らと言葉を交わした事は一度もない。顔を合わせたのも数えるほど。
虐待? 確かに。
でも、肉体的に痛めつけられた事は幸いにもなかった。
食事も与えられた。学校から帰ると出来合いの弁当と翌朝・昼用のパンが部屋(というか小屋)に置いてあった。
学費や教材費も払ってもらえたし、季節ごとに数着の服も買って置いてあった。
酷い話? いや、それがそうでもない。
小屋には風呂も洗濯機もあったので自分で対処できたし、寝る場所があり、食事に困らず、きれいな服を着れる、というのは恵まれていた方だ。
小学生時代から半ば一人暮らしのような状況だったので、自立精神が大いに養われたというのも自分としては良かったと思ってる。
自分がおかしな環境に居るということは自覚していた。でも周囲には悟られないよう努力した。
あんな扱いをされても、彼らは亡き父の兄でありその妻なのだからという情があったから……という訳ではなく、いずれガッツリ復讐しようと幼い頃から決意していたから。
私は、あまり性格の良い子ではなかったんですよ。こうやって育ったら良い子になれる道理はなかったと今では思うけど。
小屋には娯楽的な要素が何もなかったので、必然的に勉強に打ち込んだ私は、高校を全額免除の特待生として通った。
通学に時間と費用をかけたくないという考えと、手に職を付けなくてはという思い、その両方を叶える工業高校が徒歩圏内にあったのは行幸だった。
クラスメイトは全員男というむさ苦しい工業高校で、唯一の女である私がどういう扱いを受けたかというと……マブダチになれました。逆ハーレムにはならなかった。完全に仲間扱いだった。紅一点だったのに。なぜだ。
高校2年のときにクラスメイトに私の私生活がバレ、そこから彼らには心配されたり怒られたりしつつもとても良くしてもらい、得難い親友にランクアップした。
こりゃもう足を向けては寝れないなーと思ったけど、それを実行するとなると立って寝るしかなくなるので、あきらめて普通に寝た。誰かしらの家に足を向けてしまっていただろう。スマン、親友たち。心から感謝はしていたよ。
勉強とバイトと稀に遊びに全力をそそぎ、大学は学費半額免除、半額は奨学金という名の借金で通った。
ちなみに大学入学と同時に伯父夫婦とは決別した。私の復讐が功を奏し、彼らは海外の僻地で永住する羽目になったよう(伝聞なので詳細は知らない)だ。ざまあ。
大学を卒業後、建築士の資格を取った私は設計事務所へ入社。ひたすら図面と睨み合う毎日だった。楽しかったけど。
高校時代の親友たちとは頻繁に飲みに行った。ちょくちょく奢ってくれるので借金のある身としては助かったが、さすがに立派な社会人としてはどうだろうかと思ったので払おうとするも、奨学金を返し終わってからにしろとか、出世払いにしといてやるよとか、そんなこんなで受け取ってはもらえなかった。
何なのあいつら。イイ男すぎる。惚れはしなかったけども。
もうすぐ30歳になろうかというころ、大学の奨学金を全額返済し終わり。
ようやくこれでペースを落として、周りの色んな事を見ながら、自分の人生を造っていこう、と思っていた矢先。
足を滑らせ階段から落下。あっけなく死亡。
全力で走ってきた人生に後悔はなかったけど、親友たちに奢り返せなかった事だけが心残りだ。