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雑記録  作者: 鱈井 元衡
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宇宙の歌

 僕はこのような可能性に出くわしている。すなわち、この世界で行われている活動は宇宙への賛歌ではないか、という可能性だ。

 この世界には幸福もあれば不幸もあるし、良いこともあれば悪いこともある。何をもって「善」とするか。人生で生きている間は、この世界はみんな「善」であったと判断することはできそうにない。何しろ、途中でこの世界を恨むことは何度でもあるだろうし、あらゆる苦難からして世界を否定してしまうことはいくらでもある。世界を肯定的に受け取るとは何か。もしそれを自明の心理として飲みこむのなら、以後決してこれに対する疑念を起こしてはならないのだ。だが、それがなみの努力でかなうものか。

 僕は生まれたくなかった。「この世界に」とか特定の条件を抜きにして、生まれたくはなかったのだ。世界の苦しみを知ってしまった以上、もう一秒たりとも生きてはいられない。というより生きる権利が本当に許されているのかどうかさえ疑問だ。けど、死んではならないとも感じる。自分の意思で死を選ぶのか。それは人間が犯しうる最大の恥だ。それをすれば、一体死後の世界があったとしていかなる運命が待ち受けているか分かったものではない。

 死ぬことが許されないと信じているから、僕はだらだらと生きている。生きているからますます僕の心はこの世に穢されていく。

 生きるとは何か。それは、精神の鍛練ではないだろうか。ただただこの世界の醜さに屈して、自分までも墜ちたくはないからな。確かに無数の事象と人間が僕の方にむらがって、僕の魂を全力でつぶしにかかってくる。これは不可避なもので、どうやろうが避けられるものではない。

 というよりは、この世のもろもろの事象に対する、僕の悪意に満ちた叫びこそが僕の魂を穢していくのだ、と思う。彼らは何も悪くないのだ、と信じたい。この僕の弱く愚痴こぼしたがりな性格を克服することができたら、どれほど世界は明るく見えることか。

 自らに世界を明るく見せるためには、すさまじい根気が必要となる。この世界を「それでも生きるに値するものだ」と信じ、今後も維持していくためには固い精神力がなければならない。

 どれほどの苦しみを伴おうが、この世界で生きる喜びに比べればたいしたものじゃない、と言えるほどの心が。

 そしてこの人生は一つの旅なのだ、と、全ては意味のあることであり、自分に価値のあることばかりだ、と信じられれば、『パイドン』に書かれたあのソクラテスのように、何の恐れもなく、完全な自信を持って死につくことができるだろう。

 だが、それができるのはごく限られた人間で、その精神力は並の努力で得られるものではない。

前世と来世があれば、「人生は旅」というのはずっと壮大な言葉になると思う(CONAMI)

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