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雑記録  作者: 鱈井 元衡
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今まで、それから

 案外人間は、短い期間で変わってしまえるものだ。僕でさえ、まるで今の自分と二年前の自分を同じだとは思えない。同じように察えて、実は多くの部分が違ってしまっているのだ。

 確かにあれは「自分」であったが、同時に「自分」ではない。「自分」を今の自分たらしめているものではあるが、今の自分が全くそれに依っているわけでもない。

 言わば過去の「自分」は今の「自分」を補助するものであって、決して今の「自分」とはなりえない。最近の考えでは、今までの「自分」とこれからの「自分」は必ずしも同一ではない。

 ほとんどの人は過去の「自分」をこれからの「自分」に受け継がせるが、本当はこれからの「自分」を過去の「自分」からある程度分離させることは可能なのだ。それができる人間は相当強い人間だと思う。

 僕は中学生末期の頃に、「今の自分は本当の自分なのだろうか」と考えていた。しかし高校に入学した時、環境の変動による慌ただしさのうちに、そのような疑問は消えていった。だがあの時には、この疑問は長い間続くのではないかと意っていたのだ。現在そのような疑問はほとんど頭に起きてこない。

 今の自分は、確かに本当の自分ではない。無意識の中に、この寄生しているような自我に囚われないもう一つの私――それが『本当の』であるかはあえて断言しない――がある、という信仰があるから。

 かかる変化は、ある一時点で急速に起こるのではない。外部における長い変化を通して漸次(あら)われてくる。最初の言葉と矛盾しているみたいだが、これはあまりにも外部から確認しえない物なるゆえに、いざその結果が分かってきたときには、すでに大きな変化となっているためだ。

 もっと論を進めると、この「自分」は一時も同じ姿を留めることはない、ともいえる。思考はとめどなく流れる河のようで、決してある部分で止まったりすることはないのだ。我々がその思考をどう維持しようが、時間はすぐに我々を「固定的な物」から不可抗力で引き離す。

 この肉体だってそうだ、常に変化し続けている。あまりにも微弱であるため気づけないが、その変化を否定すれば、肉体の成長などありえない。かつて存在した体は目まぐるしく朽ち果てていき、我々がまだ知らない体がその隙間に次々と形成されていく。

 知らぬ間に、人間は肉体と精神において崩壊と再生を繰り返しているのだ。

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