第9話 カプリース号
カプリース号
俺と和泉がカプリース号の甲板までよじ登ると、日向が満面の笑みで俺たちを迎えてくれた。
「なんとか間に合ったなァ。もうダメかと思ったよ」
日向の台詞になんか今までの緊張の糸が切れた。
俺は情けないが、へなへなと甲板で座り込んでしまった。
和泉も同じように座り込んだ姿勢のままうなずいた。
「ようこそ、カプリース号へ、だな。ここが俺たちの船であり、前線基地だよ」
「これが・・・・・・」
俺は不思議な思いで帆船を改めて見た。
船は木造で前に二本、後ろの一本のマストが突き出ていた。マストには白い三角形の帆が多くはためいていた。前甲板両側には鉄の錨が鎖で巻き上げられている。その側には縄ばしごが丸められており、左右どちらの甲板からでも降りられるようにしてある。
一見したところ、帆船にしか見えないのだが、船がこの異世界である夢幻界を飛んでいるのは、どう考えても不自然だった。
俺が思うに夢幻界はルールのある夢の世界のようなものだ。
夢だから何でもありというわけではない。
もしそうなら、俺の思うがままに好き勝手できるだろう。
俺自身の夢のように。
しかし、ここではそんなことはできなかった。
武器の件にしてもそうだし、想像するものも対象者の想像力と発想力がはっきりと及ぶものまでしか、創り出すことが出来ないようだ。
そういう意味ではこの空飛ぶ帆船というのは、いかにも夢っぽい。
いったい誰が創ったのだろう。
俺が船をじろじろ見ていると、日向が言った。
「中でみんなが待ってるから、そろそろ行くか?」
「あっ、そうだ。今まで聞きそびれていたけど、何で、そんな顔と格好なんだよ?」
俺がそう聞くと、日向は正統派美男子キャラに似合わず、困った顔で頭をポリポリ掻いた。
「これが俺のこの世界でのデフォルトの姿なんだよォ。この格好じゃないと無敵の戦士になれないんだ」
「無敵の戦士だってぇ? お前、その姿は前に流行ったフォーエバー・ファンタジー7の主人公そのものじゃないのか?」
かつては俺もやりこんだことのあるゲームだったが、日向の姿を見るまではすっかり忘れていた。
あまりにもこの姿がインパクトがあったので思い出したのだ。
日向の今のかっこうはその主人公の姿と妙に似ているのだ。
もっともゲームでは背中に背負うぐらいの大剣を装備していたが、それに比べると、持っている剣は腰からかかとに触れないぐらいまでの長さだ。
なので、見劣りがするのはやむを得ない。
「ま、まあなァ。なぜかここではこういう姿になってしまうらしくてさ。もともとの姿で夢幻界に出たら全く力が発揮されないみたいなんだ」
「確かに部屋にゲームソフトいっぱいあったから、やりこんでいるのは分かるけどな。いくらゲームマニアって言っても、夢の中までその格好だとはさすがになあ」
ゲームキャラに似ていることを指摘された日向は、緊張か恥ずかしさのせいか、だらだら汗をかいていた。
「ねえ、日向君、武蔵君のこと知っているの?」
和泉が不思議そうに聞いた。
和泉に見つめられて、日向は顔を赤くしながら答えた。
「武蔵は俺と同期だよ。授業とか訓練とか一緒だった。俺の方が入隊が早かったから実技試験を一回余分に受けているけど…」
「同期って言ったって、入ったのは俺の方がずっと遅かったから。で、年も同じだったから、いろいろと教えてもらったからな」
まあ、ちょっとした腐れ縁みたいなものだ。そのせいか、すでに気さくに話せる間柄だし。
「ここで話をしているよりも、まずは都リーダーや他の隊員に無事を知らせないとな」
俺がそう言うと和泉もうなずいた。
「そうね。私も報告に行かないと」
和泉と日向が膝のほこりを払いながら、立ち上がった。
「こっちよ。ついて来て」
「わかったよ」
俺も二人の後に続いた。
俺たちは甲板をゆっくりと歩いた。
船後部が展望台になって盛り上がっている。
その中が提督室になっていた。
日向は正面にあるドアを開けた。
本来ならここに操舵輪があり、船長か提督がいるはずだった。
しかし、中にあったのは下へと通じる縦穴状の通路だけだった。
人一人が入れるぐらいの円形で、上には水漏れを防ぐための円形のハッチが付いていた。
穴には下に向かって木で出来たはしごが掛けられていた。
和泉、俺、日向の順で下へ降りた。
最後に降りた日向がハッチを閉めると、天井と一体化して見えなくなってしまった。
「ここのハッチは中から閉めたら外からは見えなくなるんだ」
日向がそう言うと、慎重にはしごを下りてきた。
「中を見たら驚くよ」
日向はそう言いながらニヤニヤしている。
何があるのか気になったが、行ってみてのお楽しみってところだろう。
和泉は俺を先導して、前のほうへ向かっていく。
確か帆船の舵は後ろにあったはずだ。
西洋の船の構造図を読んだことがあったから知ってはいたが、操舵輪と舵が接続されて、進路を変える仕組みになっているからだ。
だから、本来なら前に行くのはおかしいはずなのだが。
廊下をしばらく歩いた。
やがて操舵輪マークの付いた、いかにもなドアの前で立ち止まった。
和泉がノックして声をかけた。
「和泉です。武蔵君を連れてきました」
「日向です。入ってよろしいですか?」
「構いませんよ。どうぞお入りなさい」
ドアの向こうから、女性の落ち着いた声がした。
和泉はドアを開けた。
俺は中世の船にあるような古風な艦長室をイメージしていたのだが、見事にその期待は裏切られた。
中はありふれた一般家庭にあるダイニングキッチンだったのだ。
冷蔵庫にはシールがべたべたと貼られていて、ホワイトボードと消しマット付きの水性マジックが張り付いている。
電子レンジに食洗機が置いてあり、後ろの壁にはシンクとガスコンロがあった。
横の戸棚には綺麗な皿や器が並べられていた。
前には70型ぐらいの大型テレビのスクリーンが前面のスペースを完全に占領していた。
ただ、ちょっと違うのがあちこちにいろいろな種類のイスが置いてることだ。
ふかふかしている一人用ソファーもあれば、事務所にあるような実務用の椅子もあるし、社長用の豪華な両肘を置ける椅子もある。
そのイスの後ろには個人個人の名前を書いた札が、赤色のかわいらしい拙い字で書かれて張られていた。
ちなみに一人用ソファーには『いずみ』と書かれてあった。
結構気持ちよさそうだな、あれ。
それはともかく俺は・・・、とりあえずどうしたらいいんだ?
そう思ってきょろきょろ周りを見渡していると、シンクの下の戸棚をごそごそ探している女性の姿が見えた。
「都リーダー?」
俺がそう呼びかけると、都リーダーは立ち上がってこっちを向いた。
「あらー、せっかく何かおやつでもっと思って探していたのに~」
「こんな時なのに緊張感がないですね。都リーダーは」
俺はため息をついて、改めて都リーダーの姿を見た。
都リーダーはダイニングテーブルに座るようにうながした。
俺、日向が隣りずつ、和泉がテーブルの右側に座った。
「いろいろ大変みたいだったから、なにか食べ物でも用意してゆっくり話を聞きたいと思ったのに、何もないみたい」
「リアルと違って夢なんでしょう。食べ物を食べる必要なんかないですけど?」
和泉が鋭く突っ込む。
まあ、俺からしたらこの世界で物が食べられることが驚きだけど。
「まあ、それもそうなんだけど、気分的にね。何かあった方が話が進むでしょ」
そう言いながら、都リーダーは冷蔵庫を開けた。
「何か飲む?」
「じゃあ、缶コーヒーでも」
「はいはい」
と言いながら、都リーダーはコーヒーをダイニングテーブルに置いた。
「和泉さんと日向君は?」
「俺はサイダー」
「私はオレンジジュースで」
俺もテーブルに置かれた缶コーヒーを取りあえず飲んでみた。
悪くはない。
実際の缶コーヒーほどのコクや味はないが、とりあえずコーヒーを飲んでいる気分にはなれる。
「ああ、やっぱりそれなりに味がするんだな」
都リーダーはオレンジジュース1リットルの紙パックをドスンと目の前に置くと、和泉と自分用にコップに一杯注いだ。
日向にはサイダーのペットボトルを、和泉にはジュースの入ったコップをそれぞれの前に置いた。
席に座った都リーダーは、ジュースをぐっと一飲みにした。
「プハ~、やっぱり飲み物は一気に飲むのが気持ちいいわね~」
などと、のんきな台詞を言っている。
すぐに自分の分を注ぎ直すと、今度はちびちびと飲んでいた。
俺の視線に気付くと、
「武蔵君も、ま、ま、一杯?」
とコップに入れて持ってきた。
酔っぱらいの中年の親父ですか、あんたは・・・・・・・。
文句の一つでも言おうと思ったが、完全に勢いを削がれてしまった。
このまま、このペースで続けられると、話を聞きそびれてしまいそうなので、俺は本題にはいることにした。
「そんなことよりも都リーダー、全然違うじゃないですか?」
「何が?」
都リーダーは本当に何を言われているのか分からないと言った顔で、俺を見た。
「この夢の中ですよ? こんな危険なところだって説明しなかったじゃないですか!」
俺の言葉に都リーダーは、ちょっと困った表情を浮かべた。上目使いで頭をかいている。
これは間違いなくどう説明しようか考えているな、というのが端から見ても分かる。
「いろいろあってね。最初のダイヴだから、まずは船内に具現化できるかを観る予定だった。でも、日向君だけしかいなかった」
「だからァ、最初は武蔵もイヨカンみたいにリンクアップできないと思われていたんだ」
いいタイミングで日向がフォローを入れる。
「そっか…」
イヨカンはここへ来なかったのか。
「ところが指令室から連絡があって、武蔵君はすでに夢幻界にダイヴしていることが分かったの」
「それからが大騒ぎだったんだぜェ。急きょ俺たちが様子を見に行くことになったんだ」
「そうそう、いきなり危険な所を行くわけにはいかない。まずはこの世界のことを知ってもらうつもりでいたのよ。結果的に一番酷い場所に行ってたんだけど・・・」
今度は都リーダーが口裏を合わした。
つまり、あまり安全な場所でないから、お茶を濁そうとしていたわけね。
「先行していた和泉さんが武蔵を見つけてくれた。後は知っての通りさ。しかし、正直言って驚いたよ。すでに和泉と並んで夢魔相手に戦っているんだもんなァ」
「ここに具現化しただけでもすごいことなのに、武蔵君はたいしたものよ。さすが私の目にかなった人だけのことはあるわ」
都リーダーにそう言ってもらえるのはうれしいけど…。ひょっとしてここに入れたら、誰にでも言っていませんよね、そのセリフ。