第8話 脱出
脱出
「じゃあ、次はそれを着けてみて。しっかり取れないように着けてね」
何か母親にでも注意されているようだ。
子供じゃないんだから、そのくらいできるよと、心の中でつっこむ。
俺はゴーグルを頭に押さえつけ、目の前に取り付けた。
ゴムでできた後ろのひもを調節して落ちないようにする。
「おお、何とかうまくいったみたいだ。これだけしっかりしたら落ちないぞ」
「どうやら司令室でもこっちを認識っているみたい。すぐに意識同調が始まるわ。抵抗しないで、その状況を受け入れて」
俺は和泉の言葉を信じて、体に起きる変化を異常と捉えず、適合させる。
周りの景色がより鮮明に見えてくる。
今まで赤と緑の二色で見ていた猫が、突然人間のように三原色で見えるようになったというのが一番近い感覚だ。
俺の前が全く違った色彩を帯びた。
目の前が彩られてビビッドになる。夢幻界の空はくすんだセピア色から薄赤みがかった美しい空へと生まれ変わった。
白い雲というより霧がかかっており、空を飛ぶ粉や物質に光が反射してきらきら輝いていく。
和泉の姿もより鮮明に見えてきた。
美しい者はより美しく、といったとこか。
改めてしみじみ観ると和泉はやっぱり想像以上に綺麗だなと確認できた。
だが、それ以上に驚いたのは、俺たちが地上だけでなく空や辺り一面にかけてすっかり囲まれていたことだった。
「お、おい。俺たちってすっかり囲まれてしまっているじゃないか!」
「やっと目の前の状況が分かったようね。あたしたちは完全に敵に包囲されてどこにも逃げ場はないの。敵からの攻撃命令が出たら、完全に終わりってことよ」
和泉はやれやれという表情をあからさまに浮かべて言った。
「なんでここまでなるまで見えなかったんだよ?」
「夢幻界の夢魔たちは相手に何らかのアクションをしない限り、こちらから認識らない傾向があるのよ。人間の感覚に伝わらないのかも。だから、注意深く観ない限り慣れない人には分からないわ」
かなり具体的に言うところをみると、和泉も始めの頃は見えてなかったんだろうなと、想像がついた。
「つまり攻撃してきて初めて見れるってことか?」
「そう言うこと。だからビギナーはゴーグルがいるのに」
和泉はしかめっ面で言った。
「とにかくグチを言っても始まらないわ。あたしが何とかしないとね」
和泉がそう言ったときだった。
和泉の背後からインプが飛んできているのが見えた。
「危ない!」
俺はとっさに和泉をかばった。
背中を強く引っかかれ、鋭い痛みが体中に走った。
「ぐはっ!」
俺のうめき声を聞き、下にいた和泉が不安げにこっちを見た。
「だ、大丈夫なの?」
俺は痛みのあまりうずくまった。
和泉の注意が俺に向いてしまった隙を見て、インプが再び和泉を襲ってきた。
「きゃあああ!」
和泉も俺同様背中を引っかかれ、地面に倒れた。
「くそおっ!」
まずい。
和泉は弓矢で攻撃するから、近距離戦闘は不利になる。
短刀を使って俺を守ろうとすると、どうしても庇いながら戦うため、相当動きが制限されてしまう。
さっき和泉が戦っているときに、はっきりわかってしまった。
俺がもう少し力になれれば、和泉にこんな負担をかけることはないのに!
「私は大丈夫だから、武蔵君は私の後ろに動いて」
大丈夫なものか。いっぱいいっぱいじゃないか。
俺はインプをにらみつけた。
俺は負けない!
俺のせいで和泉を殺させはしない!
俺の夢の中なら、俺はヒーローだ。
自由に思いのままにできた。
ここが夢幻界でも、夢世界なら、何かできるはずだ。
俺は意識を強く持った。
集中力を極限まで高める。
そして、自分の思いのままに物事を動かす。
「吹っ飛べ!」
俺は気合いを込めて両手をインプに突き出した。
手が光り輝く姿をイメージする。
ちょっとだけ手のひらが光を帯びた。
やれる!
俺はそのまま拳でインプを殴りつけた。
「グギャアア!」
と悲鳴を上げてインプは動きを止めた。
やった!
やったぞ!
攻撃が通じる。
殺すことはできなくとも足止めぐらいならなる。
「和泉さん! 俺が奴らの動きを止めるから、その間に消し去って」
「わかったわ!」
和泉が両手に短刀を持った。
拳下から鋭い刃を出しインプを切り裂いていた。
俺は迫ってくるインプを思いっきり殴りつけた。
和泉が短刀を使って次々とインプを霧に戻していった。
「よし!」
思わず声を出した。
俺も何とか戦える。
少なくとも和泉の役には立っている。
これまでみたいに足手まといじゃない。
協力すれば、俺もこの世界では十分な戦力なんだ。
俺は夢中になってインプの群を蹴散らしていった。
その時上空から声がした。
「武蔵! 和泉さん! そこにいるのか?」
この声は、日向か!
「ああ! ここだ! 早く助けてくれえ!」
「わかってるよ。船を降ろすから気をつけろ!」
船? 降ろす?
俺がいぶかしがったその時、上空から大きな影が落ちてきたかと思うと、ものすごい轟音と振動とともに何かが落下してきた。
下に巻き込まれたインプたちは瞬時に霧になった。
風圧で地面に押し倒された俺と和泉は、そのままの状態で落ちてきた物体を見た。
砂ぼこりにまみれて見えたものは、なんと帆船だった。
しかも、中世の西洋で海賊が海を渡っていたかのような、三本マストの船だった。
どうして、帆船がこんな所に?
「やっと間に合ったわ。あれがあたしたちの船、カプリース号よ!」
和泉が喜びのあまり声を張り上げた。
あたりを覆っていたほこりが治まると、船の甲板にはイケメンの男が立っているのが見えた。
目は緑色、やや大きめで人の良さそうな感じを出しながら、鋭い眼光を放っている。
眉は目のすぐ上にすっと伸びており、海外の映画俳優を思わせるほどだ。
整った鼻筋から口元には白い歯が覗いている。
筋肉質の腕や太股を頑丈なプレートメールで包んでおり、右腰には片手でも両手でも使える長剣のバスタードソードを装備していた。
しかも、肩からは天使のような白い羽が生えているのだ。
どう見てもファンタジー系アニメかロープレに出てきそうな主人公が、場違いにここに現れたとしか思えない。
「おーい、和泉さあーん! 武蔵ィ! 無事か!?」
しかし、その声は日本人そのもの、しかも俺が聞いたことのある者だった。
「その声は、ひょっとして・・・日向? 何で、そんな顔と格好なんだよ?」
「そんなことは後、早く脱出するのよ!」
和泉がいらいらしながら急かす。
船の甲板から顔だけのぞかせた日向が、俺たちに呼びかけた。
「早く! これにつかまれ!」
そう言うと、縄ばしごを甲板の上から投げ下ろした。
「武蔵君、行くよ!」
そう言うなり、和泉は走り出した。
俺もあわてて後を追った。
俺たちが走り出したのを見て、我に返ったインプたちが後を追ってきた。
その差がどんどん縮まった。
「もう少しよ!」
和泉が俺の手を取ると、縄ばしごに握らせた。
俺と和泉が縄ばしごにつかまったのを見て、日向が大声で叫んだ。
「オッケーだ! 上にあげて!」
日向の掛け声とともに、帆船カプリース号が上昇した。
下で悔しそうにキィーキィー鳴く声が聞こえてくるのを後目に、俺たちの乗った帆船は、その場を離れていった。