第2話 ナイトメアハザード
ナイトメアハザード
21世紀初頭から原因不明の謎の眠り病が、アフリカを中心に広がっていた。
突然に住民が昏睡状態に陥いる病気だ。
眠りに落ちたものは、目を覚まさないまま衰弱して死を迎える。
奇跡的に息を吹き返した人は、前後の記憶を失っており、自分がどのくらい眠っていたことなど全く覚えていないという特徴がある。
原因もいろいろ取りざたされ、栄養不足によるもの、知られざるウィルスによるもの、動物からの感染症などが上げられている。
一番有力なのは放射能による影響だと言われている。
被害者が少ないことと、あまり人が住んでいない僻地であるから、さほど世界的にも注目を集めなかった。
しかし、世界は、特に日本はイヤと言うほどその脅威を自らの身で知ることになった。
2016年4月17日、午後11時53分。
突然、関東地区を中心に大規模な眠り病が発生した。
百万人近い人々が一斉に昏睡状態に陥り、日本中がパニックとなった。
そのときに俺が感じたのは強い耳鳴りだった。
何かの悲鳴のような高い音が耳に、いや頭の中に轟いた。
俺は思わず頭を抱えた。
それでも音は鳴り止まなかった。
地面が地震の前触れのように、いきなり沈んだ。
エレベーターのケーブルが切れ、いきなり地面に叩きつけられたような衝撃だった。
そのまま、大震災になるのかと俺は恐怖で硬直したが、それ以上の揺れはなかった。
耳鳴りも治まり、俺は窓から外を見た。
東の空が真っ赤に染まっていた。
空を焦がすほどの火の手が上がっている。
遠くから救急車やパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
あの距離ならここへの被害はないだろうが、どれだけ燃えてるんだよ。
飛行機のエンジン音がすぐ上で聞こえてきた。
俺は窓から身を乗り出して、上空を見た。
普段なら天空に近いところで飛んでいるはずの航空機が異様な低空で飛行していた。
翼は完全に傾き、俺のほうから見て白い腹を見せて飛んでいた。
馬鹿な。
あれじゃ、落っこちるじゃないか。
どうなるんだよ。
俺は何もできず、ただ下へと降下していく飛行機を見つめていた。
やがて建物の陰に隠れて姿が見えなくなり、数秒後ゴゴーーンという重い響きともに西の方にも火の手が上がった。
俺は愕然として、その有り様を見つめていた。
突如として俺は気づいた。
親父は? おふくろは? これほどの大災害ならとっくに気づいているはず、なぜ起きてこないんだ?
俺は両親の寝室に向かった。
ふすまを思いっきり開けた。
二人とも寝ていた。
マネキンの人形みたいに、微動だにしない。
「おい、起きろよ! 大変なことになっているんだ!」
俺は親父の体を揺さぶったが、全く反応がなかった。
普通じゃない。
昏睡状態だ。
俺は両親はショックで死んでしまったのかと思った。
体に触れてみたら、心臓だけは動いていた。
にもかかわらず、そのまま何十時間経っても起きることはなかった。
両親はその日以来今もずっと眠っている。
両親だけじゃない、東京から関東周辺にいたるエリアの多くの地域で、百万以上の人々が昏睡状態になっている。
あれから二年経った今でも・・・・・・。
これが俺が体験したナイトメアハザードの夜の出来事だった。
5日後、俺の親族が集まって家族会議が行われた。
その結果、政府の勧めもあって、両親は政府があてがった医療施設に収容されることになった。
意識の戻らない両親は、そのまま寝室の布団で寝かされていた。
時折、様子を見に行ってもあのときのまま、ずっと眠り続けていた。
俺には何もすることはできず、世話をしている遠縁の親族のおばちゃんに任せきりになっていた。
手伝おうにも、どうしたいいのかわからないのだから何もできなかった。
そういう意味では両親が医療施設に収容されるのは、仕方がなかった。
俺はむしろほっとした。
これで俺は両親のくびきから逃れられた。
もう、うるさく言ってくることもない。
勉強だ、将来だ、家庭だと、ややこしいしがらみから解き放たれる。
俺は悲しそうな顔をしたが、それは単なる演技だった。
家は売り払われた。
両親がいないのに管理できる者がいない。
ローンなど払えなかった。
政府からの臨時住居はあまりの被害者の多さから抽選制になり、やはりというか入ることはできなかった。
俺はたった一人になった。
住む場所もなく、行くあてもない。
親族会議後はあれほど気にかけてくれた親戚も、うちに金がなくなったとなればクモの子を散らすように姿を現さなくなった。
もちろん、俺を引き取ろうとする者など誰も現れなかった。
それはいい。
どうせ、俺も一人で生きて行かなくてはならないと思っていたから。
繋がりが無くなれば、あっという間に一人だ。
これで高校に行くこともない。
俺のことを馬鹿にしていた奴等に、もう会うこともないだろう。
あれほど欲しがっていた自由を俺は手にしたのだ。
でも、なぜこんなに空虚なんだ。
俺は今になって、自分が空っぽだと気づいたのだった。
そのときになって、俺はこの言葉の意味を実感した。
『親のありがたみはいなくなって初めて判るものだ』と。
俺はフリーターのまま、介護の勉強をするようになった。
もう両親に会うことはできないだろう。
なら、せめて昏睡状態になっている人を助けられないだろうか。
介護の資格を持っていれば、もう一度両親のいる病院で世話ができるかもしれない。
そんな思いがあった。
皮肉な話だ。
何もかも忘れて別な人生が送れるってのに、いざその時が来ると、結局離れられないのだから。
俺は半年間介護の専門学校へ通い詰め、ようやく介護士の資格を取った。
ナイトメアハザードのせいで、介護の人手はいくらでも必要だった。
すぐに仕事は決まり、とある介護施設で勤務することになった。
仕事をしていたら日々の生活に追われ、時間は瞬く間に過ぎ去っていった。
そして、1年半の月日が流れた。